Barkarole! レギオン14

 遺跡の中は奇妙な静けさで満ちていた。だが、ざわめきを肌で感じる。
 なにかを警戒するようなおかしな気配が漂っている。昔語りだとすれば、精霊、と称するものか……それとも、幽霊?
 横たえられたルキアには外傷もなく、トリシアは今は自分の足で立っていた。身体のあちこちが痛いが、構ってはいられなかった。
「あの……デライエ少佐、ルキア様は……?」
「機密事項だ。教えられないな」
 すっぱりと言われてトリシアは軽く目を見開く。それもそうだ。
(私……なにやってるんだろう……。列車から飛び降りて、ルキア様庇っちゃって……。らしくない、わよね)
 落ち込むトリシアのほうをマーテットがじろじろとぶしつけに見てくる。
「べっつにいいんじゃね? 教えても」
「マーテット!」
「ロイロイもあたまかったいんだからさぁ。いいじゃん。だって、そいつ、攻撃されても無傷なんだぜ?」
 その意味に気づいたかのように、全員の視線がトリシアに集まる。
 びくっとして身を竦めるトリシアは、視線の意味を考えて恐ろしくなった。
 マーテットはにやにやと笑っている。
「まぁ、ルッキーが殺しちゃったから石化が解除されただけだとは思うけど……」
「……気には、なりますね」
 レイドが細目のまま顎に手を遣っている。
「どこにでもいる平民の娘だ」
 ギュスターヴの一喝のような声に、わいわいしていた全員が静まり返る。
「『運が良かった』だ。マーテットもヒューボルトも研究対象として目をぎらつかせるんじゃない」
「へいへーい」
「承知しました」
 どちらも渋々というような様子にトリシアは安堵してしまう。
「でもさー、どーせルッキーは自分のことは喋っちゃうから、機密でもなんでもないんじゃね?」
 軽い口調で、唇を尖らせて言うマーテットはルキアの横顔を靴底でぐりぐりといじっている。
「やめてください!」
 庇うように彼の前に立って阻むとマーテットが「へへっ」と笑った。
「マーテット!」
 ロイの声が飛ぶ。だが、それより先にマーテットがトリシアの顔を片手で掴んでいた。
「平民の女風情が、おれっちら『ヤト』に敵うとでも思ってんのかぁ?」
「女だと愚弄するなら、わたくしが相手をしよう!」
 パーン! とムチの音が床を鳴らす。静観していたライラだったが、女性を蔑視されるのは気に障るようだ。
 睨むライラをマーテットが笑みで返している。
(……マーテット様って、ルキア様と全然違う……)
 別人だからなのかもしれないが、笑みの種類が違うのだ。
 無邪気で柔らかいルキアの笑顔と違い、マーテットの笑みは打算が見え見えなのだ。だから余計に腹が立つのだろう。
 汚れのついたルキアの横顔を、取り出したハンカチで拭いていると、ロイが屈んでこちらをうかがってきた。
「申し訳ない。マーテットが……」
「いえ、ルキア様が無事ならべつに私のことはいいんです」
 さらりと言い放ってから、驚く。
 いつの間に、自分は、自分のことよりルキアのほうを大事にしていたのだろう?
 仰天すると同時に驚愕のあまり硬直してしまうトリシアを、ロイが心配そうに見ていた。
「ぎゃっはっは! この化物小僧が無事ならいいだってよー! すげー! 平民の女ってスゲー!」
 げらげらと笑うマーテットは、今度はオスカーに殴られて吹っ飛んだ。
「下劣だ。見ていて不愉快だ」
 断言するオスカーはルキアの傍に来ると様子をうかがった。
「魔封具は無事に作用しているな。でもあの場面で壊れる理由がわからないのだが……」
「起きたルキアに聞けば良い」
 尊大な態度で言い放つライラに全員が頷いた。トリシアは厳しい表情で眠っているルキアにもう一度視線を遣った。



 ルキアが目覚める前に、遺跡の調査は進められていた。参加することのできないトリシアは留守番として、ルキアの傍に居ることとなった。
 彼らは一度遺跡に入りかけたのだが、ちょうどそこでルキアが怪鳥からの攻撃を受けたのをライラが目撃し、全員に声をかけたのだそうだ。助けに戻る、と戻らないとに意見は一瞬でわかれたが、直後にトリシアが彼を庇って負傷。そして続けてルキアが暴走したので遺跡には入らなかったそうだ。
 彼らはルキアが怪鳥を倒したせいか、遺跡の様子が変わったと言っていた。
(様子って何がかしら……。まぁ、一般人の私にはよくわからないからいいけど)
 膝を抱えて座っているトリシアは、列車から飛び降りた際にできた傷を確認して、嘆息した。ますますお嫁の貰い手がなくなることだろう、この破天荒な行動を繰り返すようでは。
 遺跡の内部には植物がない。生気が欠片も感じられなかった。
 そう思っていたら、寝息を立てていたルキアがぱちりと瞼を開けてむくりと起き上がった。
「ルキア様!」
 歓喜に震えながら起き上がったトリシアが近づくと、彼はこちらを見てから目を見開く。
「……トリシア……」
「ルキア様、今は遺跡の中なんです。他の方たちは地下へと探索に向かわれました」
 オスカーに説明された通りのことを告げると、ルキアは安堵したようにほぉ、と小さく息をついて微笑んだ。
「……よかった」
「は?」
「無事みたいで。トリシアが」
 いつものように砂糖菓子のようにふんわりと笑うルキアの表情がすぐに苦痛に歪む。
「でも……自分はあなたが怖いです」
「怖い? どこがです?」
 トリシアは自分自身を見下ろす。汚れてしまった添乗員の制服姿の平民の平凡な娘しか、彼の目の前にはいないはずだ。
 それなのに怖い?
 きょとんとするトリシアから視線を逸らすルキアは、じり、と後退した。
「私はルキア様に勝てるような能力などありませんが……」
「ありますよ!」
 彼は大声で言ってくる。なんだか自棄になっているような、意地になっているような。
 ルキアは畏怖でもしているような仕草で、視線をぱっと伏せた。
「魔封具を、破壊しました。一瞬で」
「え?」
 あれは、壊した、と言うのだろうか?
 勝手に壊れたように見えたし……。
(その前に、ルキア様……すっごく驚いてたように見えたけど……)
「なぜルキア様は魔封具をつけていらっしゃったんですか?」
 トリシアの質問に、彼は大きく目を見開いて、顔をあげた。あまりにも美しい宝石のような瞳に、トリシアはびくりと反応してしまう。
(訊いちゃ……いけないことだったかしら?)
 彼は右目を隠すように手をかざし、それから小さく息を吐き出して表情を曇らせた。
「魔力が異常に高いのです、自分は」
「え……」
「それを抑えるために魔封具を使っています。普段は本来の力のほんの少ししか出していません」
「あ、あれで、ですか?」
 信じられない。
 最初の出会いでの落雷を魔術で使用した時でさえ、彼は片眼鏡をつけていた。
 飄々として、笑顔で簡単に事を運んだ魔術師が…………ルキア=ファルシオンだった。
「人の手には余るものなので、必要な時以外は封じているのです」
「必要な時って……」
「戦争の時です」
 さらりと、彼はすごいことを言ってのけた。
 あの能力で相手を一掃するのだろう。
 恐怖で青ざめるトリシアは、マーテットが「化物小僧」と言っていた意味がやっとわかった。
 皇帝直属でいるのも、軍にいるのも、有り余っている「能力」のせいだろう。
「自制、できないんですか……?」
「意識がはっきりしている時はいいんですけど、そうではない時は……。意識が、濁流に呑み込まれたようになるのです」
「唄を歌っていらっしゃいましたよ?」
「ああ……」
 どこか苦笑に近い笑みをルキアは浮かべた。
「それは一番古い強力な魔術です。自分が習った中の、古代魔術なのですが……。どうやら、自分と相性が良いようで」
「…………」
「魔力が暴走すると、口ずさんでしまうらしいのです」
「くちずさむ?」
 おかしな表現にトリシアは怪訝そうにする。
「ええ。『口ずさむ』んです」
 魔術に理解がないため、トリシアにはよくわからなかった。だが、それほど強力な魔術をいとも簡単に使ってしまうルキアは……こわい。
「……厳重に封じているのですが、その魔封具があんなに簡単に壊れるとは」
「あの、私は壊しておりません」
「えっ? で、ですが……」
「気づいたら、私は倒れていて、ルキア様が見下ろしていたんです。憶えておられませんか?」
 尋ねると、彼は不思議そうに目を丸くし、それから困惑したように逡巡する。
「………………あぁ…………あぁ、そう、でした、ね」
 何度か瞬きを繰り返し、それからゆっくりと…………トリシアを見つめてきた。
「…………無事、だったんですよね」
「夢じゃありませんよ」
 なるべく軽く言うと、ルキアがまた身を引いた。
「そう、ですか。夢、じゃない……」
 あちこち視線を動かすルキアの肩をしっかりと持つ。
「夢じゃありませんてば!」
「…………っ!」
 はっ、と息を吐き出してルキアはトリシアの手を振り払った。そしてすぐに目を瞠って「すみません」と謝ってくる。
「ご婦人になんてことを……! 申し訳ありません!」
 頭をさげて謝罪するルキアを、トリシアは不思議そうに見てしまう。
「殴ってくださって構いませんよ、トリシア」
「いえ、ですから……なんでいつもそんな乱暴な解決法をとろうとするんですか」
「……はっ」
 息を吐き出すルキアは、俯く。
「…………怖いですよ、やはりトリシアは」
「なにがですか?」
「わからないですから」
 溜息混じりに呟くと、ルキアは両膝を抱えた。
「あなたと居るのは嬉しい気持ちになるのです。これは前も言いましたよね?」
 楽しい気分になるのだと臆面もなく言われたのは憶えている。
 トリシアが頷くと、彼は続けた。
「ただ……なにかおかしいのです。あなたが自分を庇った時、正直、意味がわからなくて」
「意味がわからない?」
「今も、よくわかりません」
「は?」
「一緒に居ると安心しましたが……今は怖くて、多少…………言い難いですが、苛立っています」
「私に、イライラする、と?」
 何かしただろうか? 庇っただけなのに、ひどい言われようだ。
「苛立ちますが、傍にいないと、嫌です」
 嫌なんです、と強く言うルキアは颯爽と立ち上がった。ふらつくかと思われたが、その足取りはしっかりしている。
「意味がわからないので、怖くて、すごく……知りたいのです」
 その視線を真っ向から受け止めて、トリシアの胸が高鳴る。
 そこに居たのは、知りたがりの、無邪気な少年ではない。
 『ヤト』に属する冷酷な魔術師の軍人でもない。
 ただ……熱い眼差しを向けてくる……一人の男がいた。
 頬がじんわりと熱くなり、トリシアは視線を逸らす。
(な、なになに? いきなりなんなの?)
 わけがわからないのはこっちだ!
 にっこりといきなり微笑まれて、拍子抜けしてしまうトリシアだった。
「さ、では行きましょうかトリシア」
「い、行くってどこへですか?」
「皆を追うのです。怪鳥を倒してしまった今、地下がどうなっているのか気になります。
 彼らに限り、問題はないと思いますけれどね」
 掌を差し出すルキアの手を、掴む。簡単に立ち上がれてしまった。
(そうよね。ルキア様って意外に体育会系なんだったわ)
 ブルー・パール号ではラグの活躍のほうが目につきがちだったが、ルキアは軍で鍛えられているのだ。体術もそれなりに使えるのだろう。
「あの……眠くないのですか?」
「え?」
「いえ、魔術を使われた後はいつも睡眠を必要とされていましたから」
 ルキアはにっこりと笑った。いつもの笑顔にトリシアはほっとする。
「今はそんなことはないですよ。溜め込んだ魔力を一時的とはいえ解放したので、元気です」
「魔力って、溜め込むことができるんですか?」
「うーん。説明が難しいですね」
 ルキアはトリシアの手を握って歩き出す。遺跡の、地下へと通じる階段へと向かって。

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