Barkarole! レギオン13

 怪鳥の眼がこちらをみた。視認、された。
 悪寒に襲われてルキアは咄嗟に視線を逸らす。ビシッ、という音。
 敵から目を逸らすなど、愚の骨頂だ。そうは思ったが、直感はルキアの命を助けた。
 咄嗟に足を止めたからこそだった。
 目の前の土が、空から降ってきた光線に当たって…………石化した。
(…………なんの、魔術、ですか)
 これは。
 呆然と目の前の事象を検分する暇などない。千切れた魔法陣の隙間から、あの怪鳥は飛び出したあの眼球から妙な光を発したのだ。
 詠唱を続けてはいるが、こちらのほうが分が悪い。
 次から次へと魔法陣は引き千切られ、その隙間から狙う怪鳥。
 網目をくぐって迫ってくる敵の攻撃にルキアは戸惑うしかない。戦慄はしない。ルキアは軍人で、恐れる感情が極端に低いのだ。
 軍人は常に死と隣り合わせ。けれどもむざむざ殺されるわけにはいかない。
(せめて『ヤト』の全員が遺跡に着くまでは)
 そして。
(トリシアたちが完全にこの場を……)
 去ってくれればと。
 そう思っていた矢先に、魔法陣が完全に食い破られた。
 あの光が来る!
 ルキアには詠唱の時間は与えられなかった。防御することすらできない。
 だから。
 任務の途中で殉死とは、としか思わなかったのだ。時間稼ぎはできただろうか?
 その時だ。
 光が直撃する直前に、何かが目の前をよぎった。何か、とはわからず……ただ自分が受けるべき光をソレは受けた。
 こちらによりかかるように倒れ込んでくるので、受け止める。
 ルキアは………………唖然、とした。
 身体の右半分が完全に石化した……『トリシア』が、腕の中に倒れ込んできたのだ。
(トリシア……?)
 なぜ彼女がここにいる? ブルー・パール号は発車したはずだ。居るはずがないのに。…………ここに居る。
 石化とは? 内臓もか? では血管はどうだ?
 医学の知識はマーテットほどはない。ルキアは驚愕に目を見開き、彼女の顔を覗き込んだ。
 なぜ。
 それしか浮かばなかった。
 そして…………彼は生まれて初めて感じた感情『激怒』と『悲哀』が混在した『戦慄』に…………涙が一筋、流れた。



「よせ、ルキアーっっ!」
 誰かの悲鳴が遠くで聞こえる。
 トリシアの薄く開かれた眼前で、驚愕に目を見開くルキアが自分を覗き込んでいる姿が見えた。
 真っ直ぐにこちらを見てくる彼の紅玉のような瞳につけられた片眼鏡が音もなく粉微塵に砕けた。
 それを境に彼の表情が苦痛に歪み、片手で顔を覆ってから声にならない悲鳴をあげた――――。
(ルキ……ア……さ……ま?)
 どうしたの? と声をかけようと思って腕をあげようとするが、そういえばなぜ自分はルキアに抱きかかえられているのだろうか?
 不思議になっていると、顔の右半分が動かない。なぜだろうかと疑問になる。
 ルキアの口から放たれたのは悲鳴ではなく『唄』だった。
 言葉にならない旋律に乗せられた声が歌となり、『唄』となって大気に満ちた。
 ――途端。
 空気が激しく振動を起こし、あたり構わず周囲の人間、いや、生き物や無機物を攻撃し始めたのだ。
「ひぃっ!」
 小さな声をあげて猫背のままオルソンがそそくさとオスカーの防御結界へと逃げ込む。
 半円の防御結界の中には『ヤト』の残る8人が立っており、こちらの様子をうかがっていた。
「よせ! ルキア、『唄』を止めろーっっ!」
 オスカーの横で説得の声を張り上げているのはロイだ。
「ルキア! 声が聞こえているのか! ルキアっ!」
 必死に大声で呼びかけているというのに……。
 ルキアを見上げるトリシアは、彼が天に願うように、何かを祈るようにひたすら歌っているようにしか見えなかった。
 言葉にもなっていないメロディはただ美しいばかりで、大地を傷つけ、飛んでいた怪鳥をズタズタに切り裂いた。
 降って来る血の雨に青ざめるトリシアは、どすん……、と地鳴りのような音をたてて落下してきた怪鳥だったものに視線を馳せる。
 絶命した生き物は不気味としか言い様がないが、それでも残虐な殺し方だった。
「ル、キア様……も、もう無事です……。かい、怪鳥は……退治、しました……よ?」
 小さな、出せるだけの精一杯の声でそう語りかける。
 彼の袖を引っ張る。
 涙が、出てきた。
 なぜ彼は泣きそうな声で唄を歌うのだろうか?
「トリシャー! 聞こえてっかぁー!」
 馴れ馴れしい声はマーテットだろう。
「ルッキーは、封印具が壊れちまってぇー! 自制がきかねぇのよー!」
 ふういんぐ?
 もしやいつもつけていた片眼鏡のことだろうか? だがどこにも魔術文字は……。
 そう考えて、ハッとした。
 眼鏡の裏側だ。フレームの裏側にそれが記されていたとしたら、トリシアには、いや、他の誰にもわからない。
「代理のもんがー! どっかに隠されてっからぁー! 見つけて身につけさせろぉー!」
 マーテットのだらしない大声に苛立ちながら、トリシアはなんとか身を捩る。
「じゃねえとぉー! おれっちらもおまえもぉー! ルッキーもー! 全員がここでお陀仏だぜーっ?」
 なぜ最後だけ疑問系なのだ! 腹立たしく思いながら、左腕を動かす。
 ああ、聞こえる。嘆くルキアの声が。
 天地にいるモノたちに呪いを降りかけている彼の響きが。
(どこに……どこにあるの……)
 上着の上から触り、内側の隠しポケットの中に予備の片眼鏡があるのを発見した。同じ金色の縁取りのものだ。
 裏側には流麗な魔術文字が記され、封印を記す事柄を示している。
「る、ルキア、様……!」
 重たい腕を動かしてルキアの両頬を包む。そして彼の顔をこちらに向けさせた。
「ル……」
 それ以上言葉が続けられなかった。
 ルキアの右目だけが色が違っていたのだ。どす黒い錆色に変化し、ゆるゆると色が混ざっている。ぐちゃぐちゃとした色合いにトリシアは恐怖に硬直しかけてしまう。
 囁くような声に変わったが、ルキアはまだ歌い続けている。
 まるで子守唄のようだが、それは抜群の破壊力を持つ強力な『魔術』の一つだ。
「ルキア様……も、もう、大丈夫、ですから」
 それだけ言って、なんとか片眼鏡をつける。チェーンを耳にきちんとつけて、外れないように固定させた。
 ぐらり、とルキアの肉体が揺れて、『唄』が止まった。そのまま彼はトリシアのほうへと倒れ込んでくる。
「えっ」
 驚きに目を瞠るトリシアは、ルキアとの不意の接触に仰天した。
 彼の少し冷えた唇が、自身の唇を塞ぐように覆いかぶさってきたのだ。
「んぐっ」
 ぎゅ、と唇を引き締めるが、それでも触れている箇所の熱を感じてしまう。
(わ、私の、私のファースト・キスが……!)
 ぶつかるような、こんな事故みたいな!
 信じられないと呆然として、無理やりルキアを押し退ける。『ヤト』のメンバーにはルキアが倒れたくらいにしか見えていないはずだ。
 火照る頬にトリシアは情けなさを感じてしまう。
(……ルキア様とキスしちゃったのに……嫌じゃないなんて……どうかしてるわ)
 どうか、している。
 天空を仰ぎ見れば、青々としていたはずの空はいつの間にか曇り、灰色に包まれていた。
(え?)
 ぽつん、と何かが頬に当たる。
「『加護を汝らの頭上にも』」
 詠唱が聞こえると同時に、気絶しているルキアとトリシアの上に雨があっという間に襲い掛かってきた。だがそれは魔術で作られた防壁に阻まれている。
 視線を遣れば、両手を交差させているオスカーの姿が目に入った。彼らは結界を維持しながらこちらに近づいて来ている。徒歩で進んでいるのは、オスカーの防御結界を前へ前へとずらしながらだからだろう。
 やっと近くまで来ると、マーテットがすぐに駆け寄ってきてルキアを抱き起こした。
「おーおー。右目が開いたままだよ。こえー!」
 げらげらと笑うマーテットの不謹慎さに「ごほん」と大きく咳をして注意をしたのはロイだ。
 右の瞼を閉じさせてから、マーテットはルキアの身体を無遠慮に地面に転がして、検分を始める。
「肉体に異常はねぇなー。残念だなー。解剖のチャンスだと思ったのによー」
 あまりのセリフにロイがマーテットの後頭部を殴る。トリシアはいい気味だと内心で舌を出した。
「それじゃ、トリシャのほうも診てやるかー」
 マーテットがこちらを見た瞬間、ぎくりと背筋が凍りつく。何をされるのかと怖くて喉をごくりと鳴らした。
 彼はこちらを見下ろし、屈んでじろじろ見てくる。
「あの怪鳥の攻撃を受けたにしちゃー、『傷がねぇな』」
「……え?」
「彼女は右半身が石化していたのだぞ!」
 ロイの咎めるような声に、自分がそんな状況で倒れていたのかと血の気が引いていった。
(右半身? でも……いつから?)
 いつ。
 いつ、その状態から『脱した』?
 途中までは身体が重くて気にもできなかった。トリシアは痛みを堪えながら起き上がる。
 どこも、平気だ。多少痛いのは、なにかの後遺症かもしれないが……筋肉痛に似ているので、さほど気にすることではないだろう。
 降り注ぐ雨を億劫そうに見上げているオルソンは、くいっと親指で遺跡を示す。
「とりあえず場所を移そうぜ」

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