Barkarole! レギオン12

 3時間後に目を覚ました、というか、トリシアに起こされたルキアはぼんやりとしていた。
「あの、お呼びなのですが、一番の年長者の……」
「ギュスターヴ=シャーウッド大佐です」
「たっ、大佐!?」
「はい……」
 ぼんやりとしたまま、にへらと力なく笑うルキアは起き上がり、そのままベッドから降りた。
「ああっ! ルキア様、まず顔を洗ってください! そこに水盆を用意しましたからっ」
 タオルを水に含ませて、絞る。そのまま、軍服を着始めるルキアに駆け寄って顔を優しく拭った。
 彼はそこで動きを止めてしまったので、トリシアは疑問符を浮かべながらタオルをおろした。まずかっただろうか?
「あの……」
 謝ろうとしたら、彼は顔を真っ赤にして俯いていた。どうやらやっとここで目が覚めたらしい。
「ご婦人の前で……自分は……それに、世話を……」
 ぶつぶつ言うルキアは相当に恥ずかしかったようで、慌てて上着を羽織り、ズボンを穿いた。
「すみません、トリシア。見苦しいものを見せてしまいましたね」
「いえ……前も見たことありますから」
「ええっ!」
 驚愕するルキアはハッとして納得した。帝都までの旅路の際に、トリシアの寝所で寝たことを思い出したのだろう。
「あれは……一応下着ではありませんでしたからまだ……」
「…………」
 女のトリシアからすれば、あまり大差のない格好だと思ったのだが、どうやらルキアの中では区別がついているらしい。
 彼は顔を伏せてから小さく唸っている。
「あの、私は平気ですから」
「自分は平気ではありませんっ」
 そう言い切り、ルキアは戸惑ったように顔をあげて複雑そうな表情をとった。どういう意味かはトリシアにはわからない。
「あ、いえ……怒鳴ってすみません。ギュスターヴから命じられて自分の世話をしたのでしょうから……あなたに非はないというのに」
 苦いものでも含んだように言うルキアは、素早く身支度を整えた。軍靴の紐もあっという間に結び、格好だけなら立派な軍人の出来上がりだ。
「一等食堂車へと言われております。ルキア様……体調はどうですか?」
「万全とは言いがたいです」
 はっきりと彼は言い放ち、髪を括る紐をトリシアに手渡した。会議に行くのだから結んで欲しいということだろう。
 櫛を使ってトリシアは彼の長い髪をまとめながら、尋ねる。
「万全ではないのに、任務に……?」
「…………これから、敵の襲撃を受けるでしょう」
 予言めいたルキアの言葉にトリシアの手が止まる。
「古代の遺跡にはそもそも、重要度の高いものには巣食っている『なにか』があるのです」
「なにか……ですか」
「明確に何なのかは解明されていませんからね。遺跡に近づけば、それらの妨害に遭うと考えるのが妥当でしょう」
「…………ルキア様の、これからされることを聞いても大丈夫でしょうか」
 震える声で、必死にそれだけ言う。顔を見られたら、どれほど自分が青くなっているかバレてしまうだろう。
 だから、振り向かずにおいてほしい。そしてその願いは叶った。
「自分は、『ヤト』の他のメンバーが遺跡に到着するまで、襲撃してくる敵を迎撃する任務を与えられています」
 ……櫛を、落としそうになる。
 その『敵』とはどんなものか想像がつかない。だからこそ、恐ろしい。
 見えない敵を相手にするようなものだ。ついさっきまで魔術を使っていたルキアに、また魔力を消費させるというのか?
(………………)
 魔術師ではないゆえに、魔力が枯渇するのかどうかわからない。わからないから、トリシアには何も言えない。
 なんとか手を動かして、紐で髪を括る。
「勝てますよね、ルキア様」
「それは運でしょうね」
 ルキアは無情にも、真実しか口にしてくれなかった。



 ルキアの言ったことは、当たる。前の時もそうだった。杞憂に終わればいいのにと思っていても、よく当たるのだ。
 ブルー・パール号が遺跡に近づき、完全に停車し、『ヤト』のメンバーが降車を始めると、黒い影が過ぎった。頭上を。
 大きな音をさせて風を鳴らし、天高く旋回するその鳥は、見たこともない種類のものだった。
 くちばしは細長く、そして大きく。不気味なほどに眼球が押し出されており、尾が何本もあった。
 怪鳥、と表現するに相応しい。
 怪鳥はブルー・。パール号を敵と判断したのか、攻撃を仕掛けてきた。
「キシャアアアアアアァァァァァァァァァァー!」
 耳鳴りがしそうなほどの奇声をあげて襲い掛かってくる怪鳥目掛けて、最初に降車したルキアが動いた。
「『防げ、風塵』」
 振り上げた片手から収束し、一気に空中に広がった巨大な魔法陣に怪鳥が激突したのだ。
 ゆうに数十メートルはありそうな魔法陣はずしんと揺れ、支えていたルキアが吐血した。
「げほっ、ごほっ」
 咳き込みながらも、ルキアは振り上げた腕を動かさない。
 何度も離れては突っ込んでくる怪鳥は躍起になっているようで、魔法陣に何度も弾かれては頭から激突していく。それでもダメージがあるようには見えない。
「今のうちだ!」
 オスカーの合図に、『ヤト』の面々がブルー・パール号を下車して遺跡へと駆け出していく。
「ルキア様……っ!」
 悲鳴をあげるトリシアを、エミリが抑え込んでいた。
 たった一人で怪鳥を引き受けたルキアは、なるべくこの怪鳥を引き付けておかなければならない。
 退治して、遺跡と関連のある獣なら、遺跡の通路が塞がれる恐れがあるからだ。
 仲間たちが無事に遺跡に入るのをルキアは支援するのが今回の任務だ。
 負担が大きいのか、ルキアは拳で口元を拭う。
(血……)
 魔術に干渉されているということは、やはりただの怪鳥ではないのだろう。
 なるべく退治せずに済まさなければ。
 そんな風に考えているルキアの思考など、トリシアにはお見通しだ。
「エミリ先輩、どいてください!」
「馬鹿言わないでよ! あんたに何ができるっていうのよ!」
 腕を掴んで離さないエミリの言葉は正論で、トリシアは声を詰まらせる。
 平民で、ただの添乗員のトリシアにはルキアの手助けなどできない。
(でも)
 でも。
 髪を結ってあげていた時の楽しそうで、嬉しそうなルキアの姿を思い出す。
 あんなに優しい人なのに。他者と、自身の感情を理解できないという。
 振り向いて、「ありがとう」と言ってくれたルキアの表情が忘れられない。
 べきべきべき、と妙な音がしている。頭上で。
 展開されていた魔法陣が、食い千切られているのだ。
 ルキアはもう片方の手も振り上げて詠唱を始めた。
「『空は嘆く。音に近づく者よ屠れ。蹂躙者はその場に留まり汝は断罪の天秤にかけられる』」
 長い詠唱と共に、再び別の魔法陣が重ねて出現する。
「『おお、星空の歌姫たちは激流に呑まれて……』げほっ」
 詠唱が一時的に中断され、ルキアがまた吐血した。
 だが彼は歯を食いしばって続ける。
「『激流に呑まれて嘆願の声すら届かない』……!」
 美しい魔法陣だった。ルキアの作り出す魔法陣は、繊細で、どんな模様よりも美しい。
 紫に光り輝く魔法陣は先程より強大で、怪鳥を押し戻した。
「キエェェェーッッ!」
 怪鳥が悲鳴をあげる。ばさりばさりと大きく羽ばたきを繰り返し、再び向かって来る。
 完全にルキアに対して敵対心をむき出しにしていた。
「『聖女の懇願に祈りすら効かず、人々は天を仰いで両手を振り上げて喝采する』!」
 詠唱は続いていく。なめらかに続けられる呪文は、トリシアでさえ学んだことのないものだ。
 いつもは短縮しているであろうルキアが本気で出している証拠だった。
 怪鳥の羽が光り輝いた。夜目にもはっきりと周囲が明るくなり、突如として魔法陣が爆発した。
 驚愕に目を見開くルキアは、瞬きをし、自身の陣が壊れていないことを確かめる。今のは怪鳥の攻撃だ。
「エミリ先輩……いま、あの鳥の翼、光りませんでした?」
「光ったわね……」
 嫌な予感がする。
 ルキアがブルー・パール号に向けて叫んだ。
「すぐに出発して逃げるように! いいですね!」
 とんでもないことを言われてトリシアは目を見開く。
「なにを言うんですか、ルキア様!」
 彼はこちらを見もせずに、じりじりとブルー・パール号との距離を開いていく。その間も、怪鳥の妙な光の攻撃が連続して起こり、魔法陣に破損ができていく。
「『大地はうめき、癒しの声は届かない。ああ、汝の罪はどれほどの重みを持って裁かれるのか』」
 遺跡へと歩き出すルキアの小さな背中にトリシアが声をかけそうになる。
 彼は……彼は。
(私たちを巻き込まないように……!)
「中に入るのよ、トリシア!」
 エミリは出発の意図を伝えるために中に引っ込むが、トリシアにはできなかった。
 仲間たちのために、たった一人で戦う彼の姿から目が離せないのだ。
(だって、ルキア様は本当は……)
 たたかうのに、むいていないのに。
 誰よりも向いているとオスカーは言ったが、そんなの違う。絶対違う!
 そうこうしていると、ブルー・パール号がゆっくりと前進を始める。緩やかな速度で走り始めた弾丸ライナー。
 トリシアはそれでも、まだ車内に入る勇気がなかった。
 離れていくルキアは詠唱を止めずにむしろ好戦的に右手と左手を交差させ、別の詠唱を混じらせ始めたのだ。
 防御ではなく、それは攻撃のための『ことば』。
 小さな爆発が怪鳥を襲う。ブルー・パール号からなるべく怪鳥の注意を逸らすためだ。その目論見は成功した。
(いやよ!)
 トリシアは走り出したブルー・パール号から咄嗟に飛び降りた。
 自分は何もできない。だが、たった一つだけ、できることがある。
(ルキア様の盾にくらいなら、なれるわ!)

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