「可愛いお嬢ちゃんだなぁ」
背後からついて来るオスカーの言葉にルキアは足を止めた。笑顔で「ええ」と振り向く。
「可愛いですよね。愛らしい女性だと思います」
「…………おまえの屋敷に滞在してたの、あの子だろ」
「あれ? なんでわかったんですか?」
「髪型が前と一緒だ」
ずばしっ! と指差すと、ルキアは「ああ」と納得して微笑んだ。
「すごいんですよ、トリシアは。あっという間に髪を整えてくれるのです。魔法の手です」
「…………」
「なんですか?」
「いや……おまえの笑顔であの子が騙されてるんじゃないかと心配でな……」
「騙す? 自分はトリシアを騙したことなど一度もありませんが」
心外ですねとルキアが苦笑したが、ふいにオスカーを真っ直ぐに見た。
「少佐、線路ですが、図面は頭に叩き込んでありますか?」
「ああ。レールの幅もな」
車輪がきちんと走るようなものを魔術で作り上げるのだ。失敗は許されない。しかも、走行中にしなければならないのだ。
「おまえはあんまり気にせずにやればいい。補正は俺がする」
「感謝します。どうも細かい魔術は苦手なので」
苦手というよりは、あまり使い勝手がよくないからだろうとオスカーは内心思う。
ルキアは兵器のような男だ。一対一の戦いに向いてはいないが、一対多の戦闘では存分に効力を発揮する。
「魔術を固定しても……長くはもたないでしょうね」
「そうだな……。半日もてばいいほうだ」
「…………」
二人は無言になる。
視線をさっと交わして小さく笑った。
「ま、失敗するなんて思ってないけどな、俺は」
「自分もですよ、少佐」
『ヤト』全員が、任務には忠実であり続ける。そうあることが、契約に入っているのだ。
「こんなところでなにやってるんだ……?」
怪訝そうにしながら、横を通り抜けようとした猫背の痩身の男に、オスカーは渋い顔をする。暗殺を生業としているオルソンは、仲間を裏切ることも多い。だからこそ、オスカーはいい顔をしないのだ。
『ヤト』の仲間がどうなろうとも、オルソンは自分の利益と任務のためなら遂行する。そういう男だ。
背後から、さらに別の者がやってきた。
「おやおや。珍しい」
まったくそうは思っていない口調の男、学者のヒューボルトだ。体術の達人のため、オルソンもあまりいい顔をしない。
そう……『ヤト』はそういう名で括られただけの、異物の集団なのだ。
(そういやぁ、この中でまともそうなのって……)
オスカーは、騎士風の金髪の男・ロイを思い浮かべた。剣の達人のレイドに腕では敵わないだろうが、良識的な意味ではマトモすぎる人材だ。
……全員、生きて帰れるだろうか?
死を感じさせない者たちではあるし、それぞれがジャンルごとに長けた人物の集団だ。だが未知なる敵を相手にした時、果たして全員無事で済むだろうか……?
*
――とうとう目的の地へと近づいた。
ルキアとオスカーは合図で車両の上にあがり、二人ともそれぞれ落ちないようにとの考慮から、足元に固定の魔術を施す。
トリシアは頭上で何がおこなわれているのか知ることはできない。
そわそわと落ち着きのない様子で天井を見上げては、ルキアの無事を祈ることしかできなかった。
彼らが失敗すれば、ブルー・パール号は脱線し、そのまま事故となる。車両は間違いなく無事では済まず、中に居る人々の安否も怪しいものだ。
トリシアに括ってもらった髪型のまま、ルキアはそこに立った。
「お願いしてもいいですか?」と櫛と紐を渡したら、彼女は顔を引きつらせた。その意味を、ルキアは理解できない。
たぶん……だが、心配してくれているのだろう。けれど、彼女の仕事の関係でおおっぴらにそれを顔にできないから、ああいう表情になったのではないだろうか。
推測することしかできないが、ルキアはそう思うしかない。都合のいいように、考えたかっただけかもしれない。
背後でオスカーが合図をした。ルキアは頷く。
線路が途切れている箇所を視認してからでは遅い。
詠唱を始める。物質をもたせるために、大地に関与することにした。土を盛り上げて、オスカーが線路へと形成させるのだ。
(問題は、同じ幅で目的地まで土を維持できるか……)
一箇所目掛けて派手にやるのは得意だが、細長い蛇のようにしなくてはならないのだ。集中しなければならない。
ルキアは両手をゆっくりと挙げて、詠唱を続ける。いつもの短い詠唱では、長時間もたせられないのだ。
(見えた!)
刹那には、もう断裂した線路の先に土がぼこぼこと盛り上がっている。オスカーが素早くそれをレールの形へと変換させていく。
ルキアには大仕事がもう一つある。この列車を浮かせて、作り上げたレールへと移動させなければならないのだ。
(まずはあそこを破壊!)
ピンポイントで断裂した線路の先を握りつぶすかのように破壊してみせる。
(固定!)
作り上げた線路と、断裂した線路の間にもう一度土を持ち上げた。だが間に合わない。だからこそ!
「『飛翔せよ!』」
列車全体の重みが直にルキアにかかってきて、彼はくらりと目眩を起こしかけた。重い。
だが歯を食いしばり、作ったレールへと無理やり乗せる。
衝撃!
ぐらり、と揺れたが速度はそのまま。列車は走っている。
オスカーは背後を見遣り、断裂した箇所と新たな箇所を繋ぐ魔術を施していた。器用な男だと思う。
「……はぁ……っ」
予想以上に列車の重量が堪えたため、ルキアの両腕がだらんと垂れ下がっていた。睡眠を身体が欲している。眠い。
(……いけません……とても眠いです……)
相当に魔力を使ったせいだろう。だがこの後もまだやることがあるのだ。
「よくやったぞ、ルキア!」
「ありがとうございます、少佐」
礼を言って微笑んだら、オスカーが妙な顔をした。
「おまえ……眠いのか」
「ええ。相当魔力をつか……って……」
前のめりに倒れこみそうになるのをなんとか踏み止まる。軍人が情けない姿をさらすわけにはいかない。
「っは! 危なかったです」
「こっちのほうが怖かったわ!」
オスカーが怒鳴り、ルキアは曖昧に笑ってみせた。
とりあえず成功した。あとは…………この後が段取り通りにいくかどうかだろう。
遺跡が見えるところまではその目で確認して、魔術を発動させる。それをオスカーが補佐する。そういう段取りだった。
ルキアは削られていく魔力と集中力に足元がふらふらしてきた。だが靴底を車両の天井にぴったりとくっつけているために、倒れることもできない。
絶えず風を受けているために体力も、体温も消耗されていく……。
眠気に襲われながらルキアはズレそうになる片眼鏡を押し上げる。汗で滑って落ちてくるようになってきた。
(あれが遺跡……?)
大きい……。円形の上部だけをとったような不思議な形をしている。
(あそこまで……!)
振り絞って魔術を発動させた後、ルキアは体力の限界でその場に座り込んでしまった……。
ブルー・パール号が停車したのは魔術の線路が全て出来上がってからだった。遺跡にはまだ近づいていない。見える範囲の場所で停車したのだ。
それは天井のさらに上にいるルキアとオスカーの休息と救出のためだった。
様子をみようとうかがっていたトリシアだったが、『ヤト』の者達に支えられて車内に戻って来たルキアは完全に意識がなかった。寝息をたてている彼は使っている客車に連れられていった。
(………………)
青ざめていたのだろう。隣に立つエミリが肘でつついてきた。しまった、仕事中だった。
トリシアは表情を引き締める。二等客室のルキアの世話をするのも自分の仕事なのだ。
慌ててルキアたちのあとに続いていく。オスカーのほうは余裕があるようで、『ヤト』の仲間たちに何か相談している。
列車が浮遊した直後、どん! と落下した衝撃はあったが、それでも列車は線路を外れることはなかった。ルキアのおかげだろう。
トリシアは部屋に運ばれるルキアを見て胸が痛んだ。
唇は紫色になっているし、顔色も悪い。外で長時間魔術を使い続けていたのだからしょうがないのだが……それでも、痛々しい姿だった。
ベッドに放り投げられるルキアの姿に驚いてしまうが、ベッドが上質なものなので怪我はしていないだろう。
「ルキアはどのくらいで回復する?」
年長者らしいがっしりとした体格の老人の問いかけに、マーテットが眼鏡を押し上げながら答えた。
「まあ3時間もあればある程度は回復するだろーな。部屋をあったかくして、休息させることが大事だからなぁ」
「わかった。おいそこの」
呼ばれて、ドアのところで待機していたトリシアが部屋に入った。
姿勢を正して老人を見つめる。
「マーテットの指示通りに。きっかり3時間後にルキアを起こし、一等客車の食堂車へ来るように手配するのだ」
「かしこまりました」
大きく頭をさげて避けると、彼らは部屋から出て行く。今から一等食堂車でまた会議なのだろう。
ドアを閉めて、トリシアはまずは部屋の温度をあげることから始めた。毛布を用意してきて、ルキアをきちんと寝かせる。
さすがに軍服ではまずいと思って脱がせるが、未婚の女性が男性の着脱をするなど……という恥じらいもあった。
白い軍服を脱がせて、下着同然の姿にさせるが「仕事」と割り切ればなんとかならないこともなかった。
ルキアに起きる様子はなかったので遠慮もしない。暖房器具も取ってきて、適度な温度になるように調節した。
(でも……たった3時間しかないなんて……)
3時間で回復しろと言われて、できるものだろうか?
(あ、そうだ。モノクル、外したほうがいいかしら)
寝ている時もつけていると窮屈かもしれないと手を伸ばすが…………外れない。
(あれ? おかしいわね。チェーンも動かないし……。なんでこれ、とれないのかしら?)
緩んでいるとルキアは言っているのに、耳につけているチェーンがとれない。まるで固定されているように動いてくれないのだ。
奇妙だ。
(……? なんだかこれ、おかしい……)
触らないほうがいいだろうと判断して、ルキアの頭の下に柔らかい枕を入れる。首の高さも調節して、過ごしやすいようにと考慮した。
余裕ができてきたのは1時間もしてからだ。彼が目覚めたらまず、香りのいいお茶を淹れて、気分を穏やかにしてもらおうと決めていた。
部屋を見回すゆとりができ、トリシアは隅のほうに彼の小さなトランクが放り投げてあることに気づいた。
持ち上げて運ぼうとするが、あまりの軽さに驚愕してしまう。
(えっ?)
ぎくりとした気持ちになって思わず手を放す。……重みは、トランクのものだけのような……。
眠っているルキアのほうを振り向き、嫌な予感にトリシアは身震いした。
帝都までの旅の時、彼の部屋は散らかっていた。なのに……やたらと部屋が整然としている。これは……どういう意味が……?
(ルキア様?)
『ヤト』全員でかからなければならない危ない任務。それはつまり……。
悲鳴が喉から出そうになって、トリシアは両手で口を塞いだ。
彼は、生きて帰る気がないのだ。
そもそも乗り込んだ『ヤト』の者達は、きっとそうなのだ。
機密だからきっとどんな任務かは話してもらえない。トリシアはベッドに近づいて、そっと彼を覗き込んだ。
顔色が少しは良くなってきている。寝息の呼吸も変わらない。
(ルキア様……)
彼には度々助けられている。彼の屋敷に滞在させてもらった恩も、少しも返せていない。
いつも笑顔で、それでいて困った時に助け舟を出してくれるルキア。
自分にできることをするしかない。それしかないのだ。
トリシアはそっと囁いた。
「ルキア様、お疲れ様です」
誰も彼に労いの言葉をかけなかった。任務だから彼が魔術を行使するのは当然のことだが、それでもやっぱり……。
「みんな無事です。ルキア様のおかげです」
心を込めて。感謝を込めて。
トリシアは祈るようにルキアに深く頭をさげた。