Barkarole! レギオン10

 トリシアがキャビネットを運んで食堂車を去ったあと、マーテットとルキアは席に戻った。
 マーテットがいやらしく笑う。
「随分とあの娘に執着してるようだな、ルッキー」
「執着?」
 わけがわからないという表情をするルキアだったが、すぐに穏やかに微笑んだ。
「困っている女性を助けるのは軍人でなくても、当たり前のことですが」
「ルキアの言うとおりだ。気になる女を見つけるとすぐに実験体にしようとするおまえの気色の悪い趣味はどうにかならないのか」
 ライラは眉をひそめてからマーテットを睨んだ。そしてすぐに視線を地図に戻す。
「レールはここで途切れている。おもにレールを作るのはおまえの役目だ、ルキア」
「承知しておりますよ、ライラ」
「……本当にわかっているのか。途中で寝るなよ」
 渋い表情になるライラにルキアはきょとんとして応じる。
「寝ないと思いますが、それほど重労働になりそうですか?」
「ここから」
 と、ペンと地図に走らせる。
「ここまでレールを大きく作る」
「うっわ、長! ルッキーはともかく、オッスの旦那はもつのかね」
「少佐と呼ばんと怒るぞあの男は。しかもオッスはないだろう、オッスは」
 呆れるライラだったが、そこまで深く訂正してやる気はないのだろう。
「少佐とルキアは列車の上で、走行中に魔術を展開。そのままレールを作りながら目的地まで行くことになる」
「走行中は無茶じゃねーの?」
「走行中でなければ無理です」
 ルキアが即答する。地図に描かれた歪曲の線図を彼はじっと見つめ、それからマーテットのほうを見遣る。
「行き先が視認できていなければ、レールを作るのは難しいでしょう」
「遺跡はかなり大きい。近づけば見えるから、そこまで一直線だな」
「一度、魔術でこの列車を浮かせます。落下して、魔術のレールに乗せますので、一度衝撃がくるのでそのことは通達しなければなりません」
 冷静に分析するルキアを、面倒そうな顔でマーテットが眺めていた。
「なーなー、さっきのトリシャ、気に入ってないのかー? ほんとかー?」
「ん? 今は会議中ですよ、マーテット」
「いやー、なんかルッキーがいつもと違う気がしたし……。あ、そっか」
 ぽん、とマーテットが掌を打った。そして無遠慮にルキアを指差す。
「この間の軍会議に、変な格好で来た時から変なんだ!」
「正装を変な格好と言うな。おまえこそ、白衣で参加するなと何度言わせる……!」
 こめかみに青筋を浮かべるライラだったが、マーテットは気にしない性格のようで身を乗り出した。
「なあなあ! 何があったんだよ? なあなあ!」
「…………」
 じっ、とマーテットを凝視するルキアは片眼鏡を押し上げる。びくっと反応するマーテットに構わず、彼は首を傾げた。
「べつに何もないのですが……」
「……ルキア、モノクルの調子が悪いのか?」
「え? あぁ……ちょっと最近なんだか」
「ええ! よせよー」
 やだやだと手を振るマーテットにルキアは微笑む。
「つけていないと右目が見えない程度ですから大丈夫ですよ、マーテット」
「そういう意味じゃねー!」
 喚くマーテットの眼前に、ペンをライラが突きつけた。
「会議に戻る。いいな、マーテット」
「あいあい」
「では作戦通り、ルキアがレールの地盤を作る。少佐はその補助だな。
 話では、遺跡には妙なものが巣食っているらしい。妨害に遭った場合、ルキア、おまえが退けることになる」
「承知しました」
 ここまでは打ち合わせ通りだ。全員で決めたことをもう一度なぞっているだけ。
 ライラはペンの尻でこつこつと地図を叩く。
「討伐が今回の任務なわけだが、ルキアはどう思う?」
「新たな遺跡ですからね……。何か大掛かりな仕掛けか、幾つもの罠があると考えていいでしょう」
「マーテットはどうだ?」
「死んでる連中の腐敗具合とか、傷とかを調べてみれば何か新たな進展はあるかもなー」
 医者らしいマーテットの言葉にライラは「ふむ」と頷く。
 『ヤト』全員が行かねばならないほどの惨事。遺体の数は膨大のはずだ。それを考えると戦争を思い出すライラだった。
 いや、戦争よりはマシだろう……。
「先行して我々が中を調べる。ルキアは、我々が遺跡の中に入るまで、妨害に遭った場合に備えろ」
「わかっています」
 はっきりと頷くルキアは笑顔だった。いつでも笑顔を崩さない少年だったが……。
(やはりマーテットの言うことも少々気になる……)
 女を助けるのはわかるが……自分よりも先にルキアが動くとは思わなかったのだ。
 軍会議に出てきたルキアはいつものだらりと伸ばした髪型ではなかったし、外套もきちんと羽織っていた。
 誰もがびっくり仰天したのだが、彼はなんでもないことのように平然としていたのだ。なにか心境の変化でもあったのかと思ったが、今の様子ではそんな感じも見受けられない。
 ルキアは誰にでも等しく、誰にでも優しい。そして残酷な男だ。
 軍律を重んじ、無辜の民を守ることに責務を感じている。『理想的』すぎるほどに。
(だが、コイツは危険因子だ)
 だから『ヤト』に入れられているのだ。ヤトという名の『檻』の中に。



 目的地まではあっという間とはいかないが、短い旅路になった。
 最高速度で移動する「ブルー・パール号」は目的の遺跡まで一直線で向かっている。
 二等客室の者たちの相手をするのも気苦労が耐えない。ライラは割とよくしてくれていると思うが……。
 マーテットが邪魔をするのだ。ルキアとの関係を聞かれるのも困る。
 嘆息しつつ、箒を片手に誰もいないはずの展望室に来ると、ルキアがいた。
 唇に紐を含み、長い髪をうなじのところで括ろうとしているのが見える。
 今から全員召集の会議だろうか? そう思ってしり込みをしてしまうトリシアだったが、手伝うくらいならと足を踏み出した。
「お手伝いいたしましょうか、ファルシオン少尉」
 彼はぎょっとしたようにこちらを見て、それから複雑な表情を浮かべた。笑みを浮かべるべきか、苦笑をするべきか迷ったようだ。
「トリシア……」
「お手伝いくらいなら、私にもできますよ、少尉」
 笑顔でそう言うが、今のルキアの態度に傷ついたのも本当だ。悲しかった。
 ずるりと片眼鏡が落ちかけ、慌ててルキアはそれを戻した。
「? モノクル、壊れたのですか?」
「いえ、少し調子が悪くて。少し緩んでいるのです」
「ゆるむ?」
 表現がおかしい。
 不思議そうな表情を浮かべるトリシアに、彼は笑顔を向けてきた。
「これがないと、右目がほとんど見えないので」
「……ルキア様、右目が見えないんですか?」
「かろうじて少しは見えますよ」
 彼はたいしたことでもないように言ってのけ、口に咥えていた紐を取った。
「すみません……。ライラがどうしても全員召集の場では結べと言うので何度も挑戦しているのですが……」
「構いません」
 トリシアは持っている櫛を取り出して、ルキアに後ろを向くように指示をした。
 彼はすんなり従う。
 ……あの屋敷でのことを思い出した。あの時、彼はきちんと椅子に座っていたのに、今は立ったままだ。
 あの時と変わらない長い髪。淡い青色の髪は美しく、女のトリシアでさえやはり嫉妬してしまう。
 櫛を何度か通して、手早くまとめて紐で括った。前髪も邪魔にならないようにと手で直す。
「終わりましたよ」
「……早いですね」
 呆気にとられたようなルキアが振り向いてきた。どきりとするような甘い笑みに、トリシアは頬を赤らめ、俯かせる。箒にすがってしまった。
(ル、ルキア様ってやっぱりずるい……!)
「外套はさすがに邪魔なので置いていきましょう。髪さえなんとかすればライラも文句は言わないでしょうし」
「……ルキア様は、『ヤト』の皆さんと仲がいいのですね」
 小さくそう呟いた声を、行こうとしていたルキアが足を止めて振り返ってきた。しまったと思うが遅い。
 余計なことを洩らしてしまった。彼には極力近づかないようにするつもりだったのに。
 ルキアはふんわりと微笑んだ。
「いえ、仲良くはないでしょう」
「え?」
 笑顔と言葉の内容が噛み合っていない。思わず訊き返すトリシアに、彼は笑みを浮かべたまま続ける。
「自分を嫌っている者もいると思いますよ」
「……仲間じゃないのですか?」
「仲間というよりは、同じ仕事をする者、というか……」
 説明が難しいのか、ルキアは頬に手を当てて首を傾げる。
「マーテットは自分の研究ができるから軍に身を置いているだけですし、ライラは元々軍人ですし……」
「そうなのですか……」
「軍職に就いている中で選抜された者ばかりですが、そもそも属していた部署も違いますからね」
 色々な理由があるのだろう、そこには。
 想像することしかできないトリシアは、何も言うことができなかった。
「……ルキア様はどこに所属されていたのですか?」
 小さな声で問うと、彼はにこっと微笑んだ。
「前線部隊なので、よく第一部隊と呼ばれていました」
「ぜっ、前線!?」
「はい。先頭にたって、民を守る名誉ある部隊ですよ」
 笑顔で……。
 トリシアは彼が血の気の多い兵士たちに囲まれて平然と過ごしていた様子が……まったく想像できなかった。
 ルキアはきょとんとして、トリシアを見上げてくる。
「あれ? 何かおかしかったですか? この話をすると、皆、信じてくれないのですが……なぜでしょう?」
「……私は信じますけど、想像できないというか……」
 よく無事だったなあとか考えてしまう。こんなに愛らしい姿をしているのだ。妙な考えを持つ者だっていそうなのに。
(あ、そっか。ルキア様は魔術は天下一品だから……)
 でも多勢に無勢という言葉もあるくらいだ。大勢に囲まれたりしたら……。
 想像して青くなるトリシアの裾を彼はくいっと引っ張る。
「なにを考えているのですか? 顔色がよくありませんよ、トリシア。きちんと話してください」
「あ、いえ……ルキア様は、その」
 なんて言ったらいいんだろう。
 男色のある方に襲われませんでしたか? というのは……さすがに聞きにくい。
 トリシアが赤くなったり青くなったりしていると、引き戸が開いて誰かが入ってきた。
 長身で身体つきもしっかりしている30代の男性だった。
「少佐」
 ルキアがそう言ったのでトリシアは身を潜める場所を探そうと慌てふためいた。
 少佐と呼ばれた男は腰に片手を遣り、ルキアをじろりと眺めた。
「何を油売ってんだ、おまえは!」
「少佐、いつもお迎えご苦労さまです」
 ぺこりと頭をさげるルキアを見て、少佐と呼ばれた男はこめかみに青筋を浮かばせる。いくらなんでもルキアの今の態度は……裏がなくとも腹が立つものだ。
「迎えに来させないようにはできないのか、おまえは!」
 ここは列車の中だぞ! と男が一喝した。だが結ばれたルキアの髪を見て不思議そうな表情をする。
「なんだ? 身だしなみを整えていたのか?」
「はい。ライラが結べと言うので」
「……ライラ?」
 なぜ? というような顔になる少佐は控えているトリシアを見遣り、「ん?」と呟く。
「ああ、少佐。ブルー・パール号の添乗員のトリシアです。自分が帝都に戻るまでの間も、とてもお世話になったんですよ」
 平民が貴族にそうそう挨拶はできない。黙って俯いていると少佐が近づいてくる足が見えた。
「オスカー=デライエだ。階級は少佐。ルキアを手伝ってくれたのはおまえさんか」
「は、はい、少佐」
 萎縮するトリシアの前に、ふわんと何かが舞った。それがルキアの髪だとは、最初気づかなかった。彼が少佐と自分の間に割って入ったのだ。
「少佐、そんな風に女性を見下ろすのはよくないです。トリシアが怖がります」
(え?)
 顔をあげると、両腕を組んでオスカーはこちらを見下ろしていた。威圧的な雰囲気を感じてトリシアは青ざめる。
「ほら、怖がらせた。少佐、いけませんね」
 うっすらと笑うルキアは振り向き、トリシアの手を取った。優しく暖かい手にトリシアは戸惑うばかりだ。
「怖い思いをさせてすみません。大丈夫。少佐は顔はちょっと怖いですが、親切で優しい人ですから」
「こら。誰が顔は怖いだ……」
「大丈夫。自分がいますよ、トリシア」
 にっこりと微笑むと、顔に血がのぼってトリシアは視線を逸らした。「ありがとうございます」という謝礼の声も小さくなるばかりだ。
「ルキア、さっさと一等客車に来い」
「はい」
 きびすを返して引き戸を開き、ルキアは颯爽と歩いていく。その後にオスカーもついて行くのかと思ったら、彼はこちらを見ていた。
「…………なあ、お嬢ちゃん」
「はい。なんでしょうか、少佐」
 毅然として姿勢を正して見返すと、オスカーは「あー」と言い難そうに眉をひそめる。
「ルキアのアホが何を言ったが知らないが、あまり鵜呑みにしないようにな」
「存じております。あの方は誰にでも優しいですから」
 そう、誰にでも優しい。庶民の、孤児のトリシアにだって。
 トリシアの言葉に安堵したのか、オスカーは軽く息を吐いた。
「あいつはああ見えて好戦的だから、見た目に騙されるなよ」
「……そう、でしょうか?」
「ん?」
「あまり……その、ルキア様は戦闘に向いていないように見受けられます」
「そうか? あいつほど戦いに向いてるやつもいないと思うがな」
 そう言って、オスカーはルキアと同じ方向へと歩いて去っていった。
 開けっ放しの引き戸を閉め、トリシアは掃除を始める。櫛をおさめて、さっと床を掃いた。
 会議はおそらく一等客室の食堂車でおこなわれる。立入禁止になっているだろう、今頃。
(そう……ルキア様は誰にでも優しいもの)
 勘違いをしてはいけないのだ。
 それでも……自分に向けてくれた笑顔を大事に想ってはいけないのだろうか……?

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