Barkarole! レギオン9

 駅にはすでにブルー・パール号が待機している。乗務員であるトリシアも勿論、エミリと並んで出迎えの列を作っていた。
 駅に現れたのは、ルキアを迎えに現れたオスカーを先頭に、全員で9人だった。ルキアもその中にいる。相変わらず流しっぱなしの長髪と、片眼鏡の軍服姿だ。
 他の者はまちまちの格好だったが、基本は軍服だった。オスカーはきちんと軍服の上に少佐として外套も羽織っている。
(……一番ちっちゃいのがルキア様、か)
 美貌も目立つため、すぐに見つけられたが彼はトリシアのほうを向いてこない。すごくそれが寂しかった。
 身長の大きさもばらばら……これが、精鋭部隊『ヤト』。
 中には白衣を軍服の上から羽織っている若者もいた。ルキア以上に髪がぼさぼさで、丸眼鏡をかけている。意地悪そうな細い目が印象的だった。年齢は20代前半、というところだろう。
 直剣を腰に佩いている者もいる。騎士だと名乗られても違和感のない精悍な顔つきと体格をしている。オスカーよりは若いだろう。
 ルキアの次に小柄な男はオスカーよりも年齢が上のようだが、やけに痩せ細っており、腰を常に曲げている。前傾になって構えている、と表現したらいいだろうか。不気味な印象しかトリシアは受けなかった。
(個性的な面々なのね)
 あまり見ないようにしていたため、メンバーのことはそれくらいしか確認できなかった。
 残る4人のことはちらりとしか見えず、トリシアはそれでもルキアのほうを見たい衝動を抑えた。自分は今、仕事中。ルキアもまた、任務中なのだ。
 任務を終えて帝都に戻る最中の、あの頃とは違う。状況が。
 つい最近のことなのに、懐かしさにトリシアは胸が締め付けられそうになる。
(な、なんなの。私、おかしいわ)
 感傷的になる必要などないのだ。
「世話になる」
 それだけ言うと、リーダーである初老の男が車内に乗り込む。顔に傷もあり、かなりいかつい男性だ。
 前もって乗務員たちには今回の仕事に関しては、任務が終了するまでは口外してはならないことになっている。
 言い含められていることはほかにもあったが、前もって言われているので今さら『ヤト』から何か言われる必要性はない。
 初老の男に、並んでいた順番に『ヤト』のメンバーは乗り込んでいく。
 目の前を通っていくルキアは、ちらりとも目を合わせようとしなかった。何か言いかけるトリシアは、ぐっと我慢した。
 9人全員が乗り込み、それぞれに割り当てられた客車へと歩いていく。トリシアはルキアのいる二等車両が担当となっていた。エミリの余計な口添えのせいだった。
(三等車両でも良かったのに。あ、でもあの不気味な人だったら嫌だわ、ちょっと)
 これからの世話を考えると気分が重くなる。溜息でもつきたい。
「全員、乗車!」
 車掌のジャックの掛け声で乗務員が全員確認の頷きをし、持ち場へ向かうべく乗り込む。
 車内は静けさに包まれていた。
(……なんなの、これ)
 よくわからない雰囲気に気分を害していると、エミリが腰に両手を当てて嘆息した。
「お偉いさんがたの相手をするのも面倒なものよね。ま、軽口がたたけるうちは、まだ元気でいられるから安心しなさい」
「エミリ先輩……」
 エミリでさえ億劫なようだった。彼女は一等車両担当だ。
「あの、わたし、行きますね」
 マイペースなウリエが眠そうな表情で横を通り過ぎる。
「ウリエ! あんたもっとシャキッとしなさいよね!」
「わかってる」
 今回ブルー・パール号は特別な任務ということで、添乗員も選抜された。
 列車に乗っているのはごく僅かなメンバーだけだ。ウリエもその一人である。
 短い髪のウリエはエミリとは対照的で、エミリとは同期らしい。細身の身体をしており、彼女は淡白な印象を他者に与えた。
 ウリエは三等客室の担当員だ。彼女はさっさと三等客室のほうへと歩いて行ってしまった。
 残されたトリシアは顔にありありと不安が出ていたのだろう。エミリに力強く肩を叩かれた。
「いい? あたしたちのやるべきことは、目的地まであの方たちを運ぶことよ。わかった?」
「もちろんです、先輩」

 乗客リストはないので、口頭で教えられた名前を暗記するしか方法がない。
 二等客室にいるのは、ルキア=ファルシオン。ライラ=リンドヴェル。マーテット=アスラーダ。
 全員が軍人なのは当たり前だが、『ヤト』唯一の女性軍人が二等客室に居ることにトリシアは驚いた。
(ライラ=リンドヴェル様、か……)
 顔を確かめていないので、粗相のないようにしなければ。
 二等客室専用の食堂車は洗浄済みだ。不手際はない。
 これからの旅、ブルー・パール号は最速で目的地まで向かう。
 停車する駅はない。なにせ……。
 ごくり、とトリシアは喉を鳴らした。
(『レールのない』線路の先へと進む……)
 血管のように、この少ない陸地を這うレールがない箇所の先に、目的地がある。
 力を温存するために、『ヤト』のメンバーはなるべく遺跡場所に近いところで降車する必要があったのだ。
 レールを作り出すのはルキア、そしてオスカーの役目らしい。これは車掌のジャックから説明を受けていた。
 大丈夫だろうか……? ただでさえ、魔術を使えばルキアは肉体に負荷がかかって眠気に襲われるというのに。
 ベルの音が聞こえてトリシアは我に返り、慌てて食堂車へと向かった。今回の旅では、それぞれ音色の違うベルが用意されており、その音色を聞いて駆けつける手法がとられていた。もちろんそのベルは、魔道具と呼ばれる特別製だ。
 食堂車から聞こえた音にトリシアは早足で向かい、引き戸を開ける。そこで、二等客室に居るべき三人が集まっていた。
 ルキアがちらりとこちらを見た気がしたが……?
(気のせい、よね)
 話しかけるなと言われているので、トリシアはそれを守るつもりだった。
 ベルを持っているのは白衣の男だ。乗車前に見た、あのぼさぼさ頭の男だった。
 にやにやしている彼は愛想良く笑う。
「こりゃまた可愛い添乗員さんだなァ。ルッキーは知り合いなんだろ?」
 ルッキー?
 顔を若干しかめるトリシアだったが、男の言葉に応えたのは驚くべきことにルキアだった。
「帝都までの帰還に知り合いました。ブルー・パール号の添乗員のトリシアです」
「平民の娘さんかね」
 男は頬杖をついてにやにやと笑う。なんだか小馬鹿にされているようで、落ち着かない。
 男の向かい側に座っていた女性にしては長身の女がこちらを向いた。顔の半分が火傷で無残なありさまになっている。きっと彼女がライラだ。
(ということは、こちらが……マーテット様?)
「紅茶を」
「かしこまりました」
「では自分も同じものを」
「はい」
「おれっちは、コーヒーがご希望だ」
「はい。茶葉と豆はどういたしましょう?」
「なんでも構わん」
 ライラは端的にそう告げて、テーブルの上に広げられた地図に視線を戻した。
 トリシアは早速ときびすを返すが、マーテットに呼び止められた。
「トリシャ」
 最初、自分の呼び名だとは思わなくてトリシアは硬直してしまう。困惑して振り返ると、マーテットが笑みを浮かべていた。
「……トリシャではありません。トリシアです」
 静かにルキアが訂正したことで、トリシアは意味を理解する。勝手に名前を変えないで欲しい。
 ルキアがマーテットを見遣る。その視線はいつもの笑顔の彼ではない。
(? ルキア様……)
 そういえばいつも笑顔の彼が、この列車に乗る前から笑顔ではないことに今さら気づいた。
 それほど余裕のない任務なのだろうか?
「そっかそっか。よろしく、トリシャ。短いと思うけど、おれっちたちのお世話、よろしく」
「マーテット、トリシャではありません。トリシアです」
 根気強くそう言うルキアの瞳が苦笑に揺れた。ふふっと彼が、初めてそこで笑った。
「相変わらず変わりませんね、あなたは」
「ルッキーもチビのままだー。ララ姐さんに会うのも久しぶりだけど、変わってねーなー」
「誰がララだ」
 ぎろりと射殺さんばかりの視線を向けるライラに、へらへらとマーテットは笑っていた。
 トリシアはいつの間にか止めていた呼吸に気づき、彼らに気づかれないように息を吐き出して飲み物の準備をするためにそこを出て行った。



 キャビネットに香りのいい茶葉を使った紅茶と、質が良いとされる豆を使ったコーヒーを用意して運ぶ。
 がらがらと押して食堂車に入ると、彼らは今度は押し黙っていた。
 緊迫した空気にトリシアは気圧されるが、勇気を出して前に進む。
「お待たせしました」
 それぞれの前にソーサーとカップを置く。
 地図は広げられたままだ。
 見てはいけないものだと思って、トリシアは極力視線をテーブルの上へと向けないようにする。
「いい添乗員だなー。よーく教育されてる」
 ふいに洩らされたマーテットの言葉に、トリシアは顔をあげた。彼はこちらを、頬杖をついて見つめていた。
 丸眼鏡の奥の細い目がなんとなく……不気味だ。見る人によってはマーテットはそれほど悪い人物ではないだろう。顔立ちも悪いほうではない。だが……トリシアは言い知れない不安を抱えていた。
(怖い……)
 彼がじっとこちらを見ているので、自然と助けを求めるように視線を彷徨わせてしまった。するとルキアと視線が合う。
 彼はにっこりと微笑んでくれた。……それだけで、安心しきってしまう自分に驚く。
「マーテット、彼女が怯えています。やめてあげてください」
「はあ? おれっち、何もしてないっしょー?」
「おまえの視線はそれだけで害悪だ」
 ライラもきっぱり言い切り、カップを持ち上げて紅茶の香りを楽しんだ。彼女は表情が変わらない。顔の半分の筋肉がうまく動かないせいだろう。
「失敬だな、ララ姐さんはー。まー、おれっち気にしないけど。
 おお、いい豆使ったな。へへっへ」
 奇妙な笑い声を発してマーテットはがたんと立ち上がった。そしてキャビネットを押して去ろうとしたトリシアの腕を掴んだ。
「気に入ったぞ、トリシャ。おれっちの実験体になる気はねーか?」
「実験体?」
 不気味な単語に訊き返してしまうトリシアとマーテットの間にルキアが割り込む。彼はさらりとイスを降りて、トリシアを庇うようにマーテットの手を払った。
「そんなことは、自分が許しません」
 笑顔で言うルキアが、くいっと片眼鏡を押し上げた。その動作だけで、マーテットに緊張が走る。
「お、お、お? やろうってのか? おれっちじゃ、ルッキーに勝てないのわかってるくせによー」
「だったら、余計な喧嘩は売らないことだな」
 ライラが忠告して、地図にペンを走らせている。どうやら魔術でレールを引く話し合いをしていたようだ。
 ルキアは心外だという顔をしてライラを見遣る。
「マーテットは喧嘩など売っていませんよ、ライラ」
「おまえは相変わらず阿呆なのだな、ルキア」
 淡々と言うライラはがりがりと地図に書き込む作業の中、ちらりとトリシアを見遣った。美しい面立ちの左顔だけで。
「マーテットには今度、不味い豆を使ってやれ。命令だ、添乗員」
「はっ、はい」
「ひでぇなララ姐」
「ムチでいたぶってやろうか、マーテット」
 薄く笑うライラの言葉にマーテットが「あちゃー」と引いた。
(むち?)
 関係性がわからない。
 困惑するトリシアだったが、『ヤト』のメンバーがかなり個性的であることだけはわかった。

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