Barkarole! レギオン8

 オスカーやルキアの予想は当たり、『ヤト』全員で新たに発掘された遺跡に巣食う獣たちの討伐に向かうことになった。
 屋敷に戻ったルキアはエントランスを通り、控え目に出迎えたトリシアを見つめてから……笑う気力がないことに気づいた。
 犠牲者の数が凄まじかったせいもある。
 最初、調査団は何事もなく調査をおこなっていたのだという。だが、途中から地下に進んだ先でいきなり襲われることになった。
 光のない闇の中に引きずり込まれることも多かったらしい。
 それだけならまだいい。今度は空に奇妙な怪鳥が旋回し、調査団を餌のように付けねらい始めたというのだ。
 あっという間に最初に送られた調査団は壊滅状態に追い込まれ、なんとか逃げ延びた者でも片足や片腕を失っていたのだ。
「ルキア様、顔色が悪いです。大丈夫ですか?」
 彼女の声を聞いても、顔が強張ったままだ。
 近づいてくるトリシアを見上げる。
 自分のわがままについてきてくれた彼女に、なんと報告すればいいのだろうか?
 今まで自信をもってきたし、ルキアの生きてきた時代では小さないさかいはあっても、これほどの犠牲が出ることはなかったのだ。
 抑止力、の役目も『ヤト』にはあり、帝国の領土は広く、あちこちに帝国軍が駐屯している。これで内紛が起きるのは難しい。クーデターでも起こらない限りは。
「……トリシア」
 掠れた声しか出なかった。
 あまりの情けなさにルキアは泣きそうになる。
 今からすぐに『ヤト』のメンバーとして荷物をまとめて任務に赴かねばならない。下手をすれば死ぬことだってあるだろう。
 死は怖くない。だが、トリシアに告げて悲しい顔をされるのは……心が痛んだ。
「どうしたんですか? あ、その格好で何か言われたんですか?」
 そわそわと落ち着きなくルキアの格好を気にするので、ルキアは肩から力が抜けた。
 ふんわりと微笑して、トリシアを安心させた。
「いいえ。むしろ褒められましたよ。『少尉に見える』と言われました」
「ほら! だから言ったじゃないですか、ルキア様」
「会議の場では、いつもこの格好で来いと言われましたが……トリシアがここに居るのは少しの間だけなので、もう、無理ですね」
「使用人を雇えばいいんですよ」
「うーん。それはどうでしょう。効率的とは言えません。自分はほとんど屋敷にいませんし」
「効率とかそういう問題じゃないんですって!」
 ぷりぷりと怒るトリシアに、ルキアは安堵した。
 ふいに抱きつきたくなって、そっと手を伸ばして彼女の胴に手を回した。
「るっ、ルキア様!?」
 うろたえた声をあげるトリシアに、ルキアは苦笑する。
「次の任務のお話でしたよ。詳細は言えませんが、『ブルー・パール』を使うことになるでしょう」
「え」
 現在、すぐに使えるように調整されている候補として挙げられていたのは、『ブルー・パール』号だ。
「使うのは『ヤト』です。任務中なので、必要外は話しかけないように」
 ささやくような声で言って、そっと離れて顔を見上げると、トリシアが不安そうな表情をしていた。
「ルキア様にも、ですか?」
「ええ」
 ふんわりと微笑むと、彼女は明らかに傷ついた顔をした。そのことにルキアは驚愕して目を見開く。
「あ、あの……なぜ、悲しそうな顔をするのですか?」
「…………なんでも、ありません」
 ぐっと唇を噛み締めて言うトリシアの様子にルキアはますます困ってしまう。
 自分はいつもそうだ。知らぬうちに色々な人を傷つけている。申し訳ない気分で肩を落としてしまうルキアは、唇をわななかせた。
「理由を言ってくださらないと……自分にはわかりません、トリシア」
「ルキア様……」
「自分はトリッパーと同じなのです。それ以上に酷いのかもしれない。『欠けた者』なのですから」
 白状したルキアの言葉に、トリシアが目をみはっている。
「欠落者? ルキア様が?」
「自分は…………生まれて14年、一度も泣いたことがありません」
 はっきりとそう言ったルキアに、トリシアが畏怖の目を向けてくる。
「悲しい、嘆かわしい、哀れみをかけた際にでも……涙は出ませんでした」
「そんな……」
「泣く、という行為がわからないのです。色々な感情を、はっきりとは掌握できていないのです、自分は」
「お医者様はなんと?」
「生活に支障はありませんし、精神に問題があるだけで身体に異常はみられないそうですよ」
 安堵するトリシアだったが、それでも信じられないようでルキアを見下ろしていた。
「ですから……魔法院の時代でも、自分はよく『怖い』と言われて敬遠されていました」
「………………」
「理由を教えて欲しいと言っても、理由がないのです。だから、自分には余計にわからなくて……学友には申し訳ないことをしました」
 奇妙なものでも見るような目で見られていたが、それでもルキアは彼の心情が理解できないわけではなかった。
 正体のわからぬものに対する恐怖、というものは頭では「理解」できるものだからだ。
「だから」
 だから。
「お願いです、トリシア。なぜ、いま、傷ついた表情をしたのか理由を教えてください。
 明確にしてくれないとわからないなんて、わずらわしいことと思いますが……お願いします」
 深く頭をさげるルキアにトリシアは仰天し、慌てた。
「頭をあげてください、ルキア様! 平民にそんなことをしてはなりませんよ!」
「階級は関係ありません。必要があると思ったら、自分は頭を下げますよ」
 そのままの姿勢を保ったまま言うと、トリシアは観念したのかおずおずと口を開いた。
「帝都に着くまでの間、ルキア様、よく私に話しかけてくださったじゃないですか」
「はい」
「わずらわしいと正直思ったことも何度かあります。でも……今は、ちょっと違うんです」
「なにがですか?」
 思わず顔をあげると、トリシアが一瞬で真っ赤に顔を染め上げる。その様子の珍しさにルキアは目を丸くした。
「ルキア様とのお喋りが、予想以上に楽しいって……そう思ってる自分がいるんです。だから、必要以上に声をかけられないと言われて、動転したんです」
「自分とのお喋りが、楽しい、ですか」
「ええ。だってルキア様、いつも楽しそうにお話されますから」
 笑顔で言われてルキアはショックを受けて硬直してしまう。
 楽しい? 確かに楽しいとは思っていた。だが相手が楽しそうかどうかなんて、気にしたことはない。気にすることが……まずルキアにはできないのだ。
 じんわりと頬が熱くなり、ルキアは瞳を俯かせる。
「そ、そうですか……。それは、なによりです」
 小さな声で、それだけしか言えなかった。

**

 トリシアは宿舎に戻っていた。エミリから緊急の連絡が入ったのだ。
 予想は当たっていた。『ブルー・パール号』は臨時便として、帝国軍に使用されることになった。
 一等車両から三等車両までそれぞれそのままで、食事をとる食堂車は一等食堂車のみとになった。
「で、ルキア様とはどうだった?」
 荷物を手早くまとめていたエミリが、そうやって茶化してくる。
「どうって、べつに。あの人がまともな軍人じゃないっていうのは嫌ってほどわかりましたけどね」
「まともなわけないじゃない。ルキア様は神童なのよ?」
 ばかねえ、とエミリはトランクに荷物を詰め込み、軽々と持ち上げた。
 トリシアも急いでぼろぼろのトランクに荷物を入れていく。
「そういう意味じゃなくて! ルキア様って、本当に格好とか階級を気にしないんですってば!」
「あー、まああの長い髪見ればわかるわね」
 うんうんと頷くエミリに、トリシアは眉根を寄せる。
「面白がってませんか?」
「え? そう見える? 実は面白がってる」
 にんまりと笑うエミリは腕組みしてトリシアを見下ろした。派手な美人なだけに迫力が違う。
「だって階級を気にしないわけでしょ? てことはよ? あんたにも結婚のチャンスがあるってことじゃない」
「はあ?」
 ルキアを夫に?
 想像しようと一応努力はしてみるが、無理だった。
 そもそも彼の成長した姿が想像できない。
 脂汗を浮かべてうんうん唸っていると、エミリが大笑いをしてきた。
「あははははは! ひどい顔!
 でもさぁ、ルキア様は物件としては悪くないと思うのよね。ただまあ、社交界とか、面倒な付き合いがオマケとしてくっついてくるけど」
「私が社交界!? 冗談じゃないですよ!」
「まあ行かなくてもルキア様は気にしないから大丈夫でしょ。ファルシオン家は下級貴族で、変わり者だって噂だし」
「変わり者……」
 確かに使用人がまったくいない屋敷は珍しかった。……変わり者、というのも間違ってはいないだろう。
 のんびりというか、おっとりとした母親に、菜園育成に勤しむ父親。その二人がルキアの両親とはとても信じられない。
 トリシアは溜息をひとつつき、トランクからはみ出た荷物を力任せに押し込んだ。

[Pagetop]
inserted by FC2 system