皇帝直属部隊『ヤト』に召集がかかることは、珍しいことだ。しかも、全員に。
全員を集めることが、そもそも滅多にない。
『ヤト』というのは、皇帝の持つ腕利きの軍人ばかりで構成されている。その役割は、皇帝に関わるものばかりだ。
ただ一人、ふらふらと通常軍務までこなすヤツ…………ルキア=ファルシオンを除いて。
彼は軍属に似つかわしくないほど可憐な外見をしているが、かなり生真面目なくせに自分自身には無頓着だ。
長い髪はだらしなく伸ばしているし、軍服を着ているのも他の衣服を選ぶのが面倒だからだろう。
オスカー=デライエは今年で30歳になる。これでもかなり腕のある魔術師なのだが、ルキアほどではない。
(ったく、なんで俺があいつを迎えに行かないといけないんだ)
だが迎えに行かないとルキアは召集には来るが、身なりに気を払わないはずだ。
ルキアの屋敷に到着すると、エントランスに彼がいた。迎えに行くと手紙を出していたので、待ち構えていて当然だ。
だが驚いたのはその格好だった。
軍服はいつもの格好だが、その上に外套を羽織っている。上質な外套にはきちんと勲章がつけられ、彼が有能であると示していた。
右目にだけつけられた片眼鏡もいつものものだが、髪を梳いてきちんと結んであった。
「あれ? デライエ少佐」
「……まともな格好をしているじゃないか、ファルシオン少尉」
「まとも?」
意味がわかっていないのか、ルキアはきょとんとする。
この屋敷に居るのはルキアと、その両親だけだ。貴族のくせに、小間使いも雇っていないという変わり者のファルシオン夫妻のせいか、ルキアの身なりに構わないところはひどいものだ。
それなのに……。
「使用人でも雇ったのか?」
「は?」
「髪を結んでいるじゃないか」
そう指摘すると、ルキアがほんのりと頬を染めた。
「いえ、これは……旅の途中で知り合ったご婦人がやってくれたものです」
「はあ?」
ということは、この屋敷に居るのだろう。ルキアは照れたように微笑んだ。
「会議に行くと言ったら、なぜか止められて……。おかしいですか、この格好」
「いや、おかしくない……まともだ」
「いつもきちんと軍服で会議に出ておりますが……」
わけがわからないというルキアからオスカーは視線を逸らす。
(それがそもそもおかしいってのに、なんで気づかないんだ、このアホ)
かっちりと軍服を着込んでいるのはいいが、規定にないからと言って外套を羽織らないし、邪魔だからと勲章もつけないうつけ者。
それがルキア=ファルシオン少尉の評価であった。能力があっても阿呆だと誰もが言っているのだ。
「なんでもない。では行くぞ」
「いつもいつも出迎え、ありがたく思います」
素直ににっこりと微笑するので、オスカーは「うぐっ」と顔を引きつらせた。
妙な趣味を持つ男ならば、このルキアの笑顔にころりと騙されてしまうだろう。それくらいの威力はある。
馬車に乗り込み、御者が馬を走らせるとオスカーは頬杖をついてだらしない姿勢になる。
逆に、向かい側に腰掛けているルキアはまったく姿勢を崩さない。自然体でまっすぐきちんと背筋を伸ばして座っているものだから、ますます小憎らしい。
「『ヤト』の召集ということは、大掛かりな任務でも待っているのだろうか」
そうぼやくと、ルキアは小さく瞬き、視線を伏せる。
「遺跡でも発掘されたのでしょうか。学者たちが手に負えない獣が相手では、我々に要請がきてもおかしくはないです」
「まったくだな」
相変わらず考えは鋭い、とオスカーは見て取る。
ルキアは柔らかい砂糖菓子のような見た目と違い、頭が存外に切れる。
魔法院は確かに魔術を習得させる場ではあるが、それだけではない。政治や経済も一緒に教える学校なのだ。
その中でもルキアは軍に就職させることがほぼ決定されていたので軍律や、軍で習うことも一通りこなしている。
他にも、軍に必要と思われる薬学も、法学も、だ。その中でも抜き出ていた授業が、魔術学、だった。
「皇帝は文明の発達をのぞんでいる。この世界が荒野に呑まれた理由も不明だ」
学者がどれほど解明しようと躍起になっていても、いまだにその謎は解き明かされていない。
過去の遺産である遺跡に何かヒントがあっても、獰猛に進化した獣たちがいればひ弱な学者たちは近寄れないのだ。
ルキアは軽く目を細めた。
「大陸の荒野化は進行中ですか、少佐」
「現在進行は止まっているが、以前のように一気に起こる可能性だってある。
皇帝はそれを危惧しておられるのさ」
「………………『バースト・ダウン』」
通常、その名は、大陸がいきなり荒野へと変じたことを示している。大陸が隆起したと思ったら、唐突に植物が枯れ果て、空気は乾燥し、栄えていた文明が荒廃した。
突然すぎて、そこに住んでいた者たちは最初、対処ができなかったのだ。
大勢の人間が難民と化し、荒野となった大地を彷徨った。また、土地を捨てることができなかった者たちはそこで暮らせる方法を模索し、小さな村や集落を作って暮らし始めたのだ。
沈没した大陸の一部もある。そこに古い遺跡が眠っていることも多く、発掘されると調査隊が向かうのがしきたりなのだ。ただ問題も、ある。
『バースト・ダウン』からもう数十年と年月は経っているが、そのせいで進化した獰猛な獣がそのあたりを狩りの場として暮らしていることも多いのだ。
ぼんやりと溜息をつくオスカーは、ルキアを眺めた。
(こいつの才能は、ここで使うものじゃない……)
研究者としても大成するであろうルキアだったが、研究者にするには魔術師としての才能が秀で過ぎているのだ。
「おまえ、また一人でふらふらするつもりじゃないだろうな。嘆願書先に向かうのだって、あんまりいい顔をされてないんだぞ」
親切に言ってやると、ルキアは不思議そうな表情をする。
「困った民を助けるのが我等の仕事ではありませんか、少佐」
「そりゃ時と場合によるだろうが。我等は皇帝陛下直属の部下なんだぞ? 皇帝の命令が第一だ」
「……軍律はすべて頭に入っておりますよ」
冷たいルキアの声に、オスカーは「おや?」と思う。
いつもならここで笑顔で「それはそうですけど」と微笑むはずなのに。
(……なんだ? なんか変化があったか?)
身なりをきちんとしていることもあり、なんらかの変化がルキアにあったのではとオスカーは勘繰る。
(この子供に心情の変化だと?)
そんな天変地異の前触れのようなことが、起こるだろうか?
*
帝都エル・ルディアは華やかな貴族の街である。
だが下町は下級市民たちの住処なので、やはり貧民の落差が激しい。
城下町、と称されるのは貴族が住む場所のことだ。整備された道を馬車ががらがらと車輪の音をたてて進む。
オスカーはその様子にいささか不満だ。
(トリッパーのもたらす技術はありがたいが、どうも偏りが激しいな)
理論では、馬車もすでになくなっていてもおかしくないはずなのだ。
各地への旅に活躍していたのは昔は「馬」だった。だが今はそれは「列車」となっている。
発展した魔科学という分野のたまものではあるが、トリッパーたちの言う「車」なるものの開発は依然として進行はしていないようだ。
車は開発はできるようなのだが、道を走らせるには魔力がたんまりと必要となる。つまり、列車に比べて効率が悪くなるのだ。
列車は大きな駅で魔力を補填することで次の駅まで走らせる、という方法をとっているが、車を延々と走らせる魔力を調達する場所の目処がたっていない。
トリッパーの世界には『ガソリン』なるものが存在し、そのエネルギーで車とやらを動かすらしいが……生憎とこの世界には存在しないものだ。
魔科学もだが、この世界は魔術を基盤として成り立っている世界なのだ。魔術のない、必要としない機械はまず作る許可が降りない。
(できればクルマってのも乗ってみたいものだが……)
しかし荒野で猛獣たちに襲われてはひとたまりもない、という意見も聞いた。
列車が大きいのでなんとか凌いでいるが、車はかなり小型らしいのだ。
揺れる馬車の中で、ルキアが黙って視線を伏せていることが気になった。
(珍しい。こいつ、放っておいたらすぐ寝てやがるくせに)
今日は起きているではないか。やはり天変地異の前触れか?
「悩み事か、少尉?」
尋ねると、ルキアはそっと視線をあげてきた。とんでもない色気のある視線だったので、オスカーはうんざりする。
(社交界に顔をほとんど出さねえってのは正解だよな。ごろごろと面倒なのが寄ってきそうだ)
「少佐、遺跡の調査だと……思います。今回の任務」
「? なんで断定できるんだ?」
「……帝都に戻ってくるまでの間、トリッパーの知り合いができまして」
トリッパーなんて希少種と知り合うとは!
驚愕してずるっと席から落ちそうになるオスカーだが、なんとかとどまった。
ルキアはそれには構わずに続けた。
「彼は旅行者でした。地理を勉強している者だったのです」
「地学者ってことか。トリッパーには多いな」
「……新しい遺跡が出たので、遺跡調査への許可をもらいに行くと話していたのを聞きました」
「……それが本当なら、間違いないな」
『ヤト』に出されたのは、その遺跡の調査団や、遺跡へ行くトリッパーたちのための「駆除者」になることだ。
どうやらよほど面倒な獣が陣取っているようだ。
「そうか……。では『最速』と言われる弾丸ライナーで向かうことになるかもな」
「十中八九そうでしょう」
冷徹なルキアはどこかうろんな瞳でオスカーを見た。
「犠牲者が出ていないことを祈るばかりです」
「……なんかおまえ、おかしくないか?」
「おかしい? どこがですか?」
凄みがあるというか……。
心中で洩らすオスカーはルキアを観察する。
いつもだらしない髪の毛をきちんと結っているせいもある。左右非対称になるように作られたデザイン重視の外套の印象も、ルキアにさらに冷酷なイメージを与えていた。
「いつもみたいに『大丈夫ですよ』とは言わないんだな」
「少佐、できもしないことは口にしてはなりませんよ」
柔らかく言うルキアは微笑した。
「現状を把握してからでしょう、その言葉は。
『ヤト』全員でかかるとなると……手強いと自分は考えます」
「時間の節約、とは、考えられないものな」
腕に自信のある者だけが集められる精鋭部隊である『ヤト』は少数人数だ。全員集まれば、一兵団に匹敵するとさえ言われている。
膝の上に置いた手に視線を落とし、ルキアはまた小さく笑う。
「何故でしょう。…………任務に赴くのが少々億劫です」
ルキアの、あまりにも不似合いなセリフにオスカーは今度こそ席からずり落ちた。
「なにをしているのですか、少佐」
「い、いや……ちょっと驚いて」
もそもそと動いて元の位置に戻ったオスカーに、ルキアはハッとしたように目を瞠った。
「そうだ。少佐に相談があったのです」
「え? 俺に相談?」
嫌な予感……。
顔をしかめているオスカーなど気にせず、ルキアはさっさと話し始めた。
「ウィリー=シモンズをご存知ですか?」
「ん? ……諜報部のヤツじゃないか? ほら、お偉いさんのところのお嬢さんを口説いて結婚したって一時期有名になったヤツ」
「彼に、『ブルー・パール号』で遭いました。その際に、色々と商談に似たものを持ちかけられたのですが」
「あーあ、バカじゃないのか。『ヤト』の事情を知らないヤツはこれだから」
「そこで、自分が少し親しくなったご婦人に彼が迷惑をかけそうなのです。どうしたらよいでしょう? いつまでも傍で見張っているわけにはいきませんし」
「…………」
「少佐?」
「あー、そうだな。わかった。じゃあこっちから手を回して、シモンズの自由をある程度封じてやろう」
オスカーの言葉にルキアは安堵しきって胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます、少佐。彼女を危険に晒すことは本意ではなかったので……本当に助かります」
「貸し、一つな」
「貸し、ですか。わかりました」
平然と頷くルキアを、オスカーは恐ろしいものでも見るような目で眺める。
シモンズはバカなことをした。ルキアに近づいたのは懐柔しやすいと見たためだろう。そして彼の周囲の人間を脅すなりなんなりすれば、ルキアが言うことをきくとでも思ったのかもしれない。
(相手が悪い……)
ルキアが本気になればシモンズの命など一瞬で消し飛んでしまう。痕跡も残さずにそれをやり遂げられる実力を持っているのに、ルキアはそれを行使しない。
だが逆に……ルキアはこうしてオスカーに相談してきた。オスカーに手段を訊かないことから、どういう方法でもいいと思っていることだろう。
(こいつは薄情だからな……ある意味)
優先順位は民。その次は皇帝。その次は自分たち軍の人間だ。だからシモンズは、彼の守る優先順位で「最下位」となる。
軍人は民間人ではないので、彼の「守る」度合いは低い。
「おまえが殺せば簡単じゃないのか?」
「? なんの罪もない軍の人間を殺すのは罪に問われますよ?」
……言うと思った。
融通がきかないから、余計に悪い。
(なるほどね……『民間人』に害を与える軍人を罰しろ、ってことか……)
「でもそのご婦人を狙ってる証拠をつかんで、どうにかしろってことなんだろ」
「…………」
きょとんとするルキアは、すぐに微笑した。
「彼女に害が及ばなければ、方法は少佐の好きにしてください」
ほらな。やっぱり薄情なやつだ。
オスカーの手に委ねられたということは、もはやウィリー=シモンズに『自由』はないだろう。