Barkarole! レギオン6

 ファルシオン邸はそれなりの貯蓄もあるのに、余計なことに一切お金を使わないのだそうだ。野菜も自分たちで育てて食べているし、自由に過ごすことのほうが重要視されている家風らしい。
 晩餐に呼ばれたのはいいが、ドレスも用意されてはいるが……トリシアはどうすればいいのかわからず、用意された部屋の中を行ったり来たりしていた。
 まず、ドレスは着ることができる。着たことはないが、添乗員としてできるようになっておかなければ、貴婦人から要望があった際に手伝えないからだ。
 だが着たことのないものを着るのは抵抗がある。そもそも自分は晩餐をどうやって乗り切ればいいのかわからない。
 控え目なノックがして、「はい!」と返事をするとドアが開いてルキアが顔を覗かせた。
「あれ? 着替えてませんね。ではその格好で行きますか?」
(ギャー!)
 心の中で悲鳴をあげてわなわなと両手を動かすトリシアに、彼は無邪気に近寄ってくる。
「む、無茶言わないでくださいっ! ば、晩餐ですよ? きちんと正装しないと……!」
 呼吸困難になりそうだ。息が苦しい。
 トリシアがそう言うと、ルキアは首を傾げた。
「我が邸ではそんなことは気にすることはありません。そのまま行きましょう」
「でっ、でも!」
 こんな、平民の……一番自分の持っている服では上質だが……ドレスには敵わない。
 ルキアはトリシアの手を握る。
「大丈夫。ほら、自分だって軍服のままでしょう?」
 言われてみればそうだ。
「ルキア様、なぜ着替えないんですか?」
「え? だって食事をするだけですよ?」
「………………」
 ここには貴族の常識は通用しないのかもしれない。
 トリシアはルキアに案内されて、広間へと案内された。そこにはテーブルが用意されていたが……やたらとカントリー風だった。
 ルキアの父と母は身なりは整えていたが、トリシアの格好を見ても何も言わない。むしろ「ようこそ!」と笑顔を向けてきた。
(え? あれ? 普通はもっとこう、テーブルが広くて長くて……距離があるものじゃ……)
 予想していた晩餐と違うので戸惑うが、ルキアに椅子を引かれてそこにすとんと腰をかけてしまう。
「あ、食事は母の作ったものなんですが、大丈夫ですかトリシア」
「おっ、奥様が!?」
 仰天してしまうトリシアだったが、使用人がいないのでそれはそうだろう。
 だからこんなにカントリー風なのだ。手作りのパンの乗せられたカゴ。スープやその他の料理は全部ファルシオン婦人が作ったものなのだろう。
「あたたかいうちに召し上がれ」
 婦人の言葉に恐縮しながら、トリシアは気遣いに感謝した。ナイフもフォークも1つずつだ。ずらりと並んだそれぞれのナイフやフォークを扱うような、肩の凝る場ではない。
 夫妻はルキアが若い娘を連れてきたことにことさら興味津々で、トリシアに色々と訊いてきた。トリシアは言葉に詰まることも多かったが、それでも余計な緊張をしなくて済んで安心して過ごすことができた。

 『ブルー・パール号』の次の発車準備が整うまでの間、トリシアはファルシオン邸に滞在することが完全に決定されてしまった。
 婦人の手伝いをして、屋敷の掃除をしたり、料理をするのは楽しかったし、本当にここは居心地がいい。貴族の屋敷とは思えなかった。
 ルキアは部屋で書類と格闘し、ほとんど姿を見かけなかった。婦人の話では、始末書や報告書が山のようにあるので屋敷にいる間はこもりっきりなのだそうだ。
 そして3日も過ぎた頃、客人が現れた。男は封書を……ルキアに召集命令を持って来訪した。



 封書を受け取ったルキアは開襟の襟付きシャツ姿で、軍服の下に着ていたような衣服だった。まさかと思うが……面倒なのでいつもこういう格好なのだろうか?
 書類とにらめっこをしていたルキアは、封ろうのついた手紙を見てから軽く笑った。
「『ヤト』の召集ですか」
 ヤト?
 それは彼の所属しているところだったはずだ。
 手紙を持って来たトリシアに「ありがとう」と礼を言うと、彼は机の上の書類を一瞥したあと、卓上の時計を見た。
「今晩には少佐が迎えに来ますね」
 そう独り言を呟き、彼は立ち上がった。
「出かけます。父と母にはそう伝えてください。あ、少佐が来る、と言えばわかりますので」
「はい」
「すみません。滞在しているトリシアをもてなしていないですね、自分は」
「いえ。お仕事ですから仕方ないですし、とても良くしてもらっていますので」
「ははっ。そう言ってもらえると気分が違いますね」
 爽やかに笑ってみせるルキアは、壁にかけてある軍服に手を伸ばした。
 まさか……。
「……ルキア様、まさか……そのまま軍服を着て、出掛けられるのですか?」
「出る前に湯にはつかりますよ」
「そ、そうではなく……! 髪を、結ったりとか……その、外套とかは……」
「? そういうことはしたことがありませんけど」
「っ!」
 帝都の会議でもそうなのか!
 トリシアはぐっ、と唇を噛んで一歩前に出た。
「ここでお世話になったお礼をしたいと思います! 今晩のお出かけの準備、私に任せていただけませんか?」
「……いいですけど。あの、気にしなくていいんですよ? トリシアは客人なのですから」
「そうもいきません!」

 ルキアを風呂にいかせて、出てくるまでの間に外套を探す。クローゼットの中にあった外套は汚れもついておらず、新品同様だった。……ほとんど着ていないせいだろう。
 ルキアの部屋にある勲章を、あまり印象を悪くしないようにと外套につけて、整える。
「よし!」
 トリシアは浴室から出てきたルキアにアイロンがけをしたシャツを用意して待つ。彼は用意された衣服を着て出てきたが、そのまますぐさまトリシアに引っ張られて部屋へと連行された。
「わわわっ」
 部屋に引っ張り込んで、今度は椅子に座らせると、櫛を持って長い髪を梳いた。
 水を含んでいることに気づいて、トリシアはすぐさまタオルで水気をとる。彼はされるがままだったが、文句も言わない。
 丁寧に櫛で髪を梳いていると、羨ましくなる。トリシアはくせのある髪をしており、ルキアほど真っ直ぐではない。うらやましい……本当に。
 目立たないようにと華美なものを選ばずに髪留めで結ぶ。手際は鮮やかだった。
「ふふっ」
 ふいにルキアが笑ったようで、トリシアは不思議そうに彼を背後から見た。
「いえ、すみません。どうにも、くすぐったいというか……楽しいというか……」
 くすくすと笑うルキアを立たせ、背後から外套を羽織らせる。紐できゅっと縛ると、左右非対称の外套が不思議なことに綺麗に留まる。
「終わりですか?」
「はい。終わりました」
 トリシアが頷くと同時に彼は振り向いた。
 長い髪が綺麗に結われ、まるで別人のように見える。ルビーのような赤い瞳に、金縁の片眼鏡がよく映え、アイロンがけされたシャツの上には白い軍服もきちんと着込まれている。
 出来栄えに驚いたのはトリシアのほうだった。
 唖然、としてしまう。ルキアはこんなに美人だったのかと再確認してしまった。
(か、かっこいい……)
 可愛らしい印象ががらりと変わり、ぴしりとした緊張感のある小さな軍人に彼は成っていた。
「外套を着るのはどれくらいぶりでしょうか。よく場所がわかりましたね」
「婦人から教えていただきましたから」
「…………」
 ルキアは着慣れない格好に少々戸惑っているようで、嘆息した。
「……少し、息苦しいです」
「我慢してください。召集ということは、軍会議ではないのですか?」
「その通りです」
「ではその格好でご出席ください」
「なぜですか? いつも、こんな格好はしませんよ?」
 それはあなたが無頓着だからです、と口に出そうになるがぐっと堪えた。
 トリシアは頬を少し赤く染めた。
「とても今の姿が似合っておられますので、ぜひ。私の見立てではご不満ですか?」
「不満なんてありませんよ」
 とんでもないというようにルキアは片手をぶんぶんと振った。そして照れ臭そうに微笑する。
「本当に……トリシアは良いご婦人ですね。客人としてもてなす側の自分にこんな風に……」
「いえ、私が個人的にしたことですので」
「あ、見送りは結構です。食事の時間に迎えが来ますので」
「え、で、でも」
「あなたは客人。使用人ではありません」
 ルキアがふっと微笑むと、トリシアは恐縮しながらも顔を赤らめた。
 素敵な軍人に彼はきっと成長することだろう。そしてきっと、その傍らには、自分ではなく、相応しい貴族の若い娘が居るはずだ。

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