《帝都、エル・ルディア〜、エル・ルディア〜》
帝都に相応しい豪奢な駅内でのアナウンスに、『ブルー・パール号』に乗っていた者たちは次々と降車していく。
一仕事を終えたトリシアは、降りていく客を見送る列に並んでいた。
ハルはさっさと降りて、すぐに駅内の人込みに紛れてしまった。せっかく貴重なトリッパーに会ったというのに、話す機会がそれほどなくて残念だった。
ラグはルキアと共に降りてきて、何かの地図を片手にルキアと言い合っていた。途中で納得して、力強く頷くと、少ない荷物を肩にかけて颯爽と歩いていった。
これで旅はひとまず終わる。乗務員用の宿舎へ行くのには、車内に置いてある荷物をとってこなければならない。
みんなを見送ってから、トリシアは自分にあてがわれている部屋に入って、トランクを取り出した。小さくて古いが、お気に入りのトランクだ。
「エミリ先輩、は……もう行っちゃったのか」
隣の部屋を見てもがらんとしていたので、トリシアはちょっびり寂しくなった。だがまた数日もすれば、この列車の準備が整えばその寂しさも消える。
なによりエミリとは宿舎も同じなので、また後で会えることがはっきりしていた。
降車しようとしたトリシアは、背後からジャックに呼ばれて振り向く。
「トリシア!」
「は、はい?」
どうしたんだろう? 車掌自らが自分に何か用事だろうか?
もしかして……次の旅には乗せないとかいう……。
最悪のことが思い浮かび、思わず口元を引き締めて青くなってしまう。
けれど、予想とは違うことをジャックが言った。
「馬車の乗車位置は知ってるな?」
「え? はい。もちろんですが」
乗合馬車に乗って、宿舎に向かうのだから当然だろう。なにをおかしなことを言うのだろうか?
「ルキア様がそこでお待ちだ。おまえに用があるそうだから」
「は?」
大きく目を見開き、トリシアはわけがわからないという表情をしてみせる。だがジャックは有無を言わせずにトリシアの背中を押して、列車から降ろした。
「今回、ルキア様にはたくさん助けていただいたからな。よろしく伝えておいてくれ」
「は? ええ? 車掌! どういうことですか! なんでルキア様が私を……」
「それは知らん。とにかく早く行け。待たせるな」
怒鳴るように言われてトリシアは混雑する人込みの中、早足で歩き出す。
ざわめく人波に押されながら前へと進んで、馬車が待つ外へと向かった。
乗合馬車とは違って、賃金を払って目的の場所まで運んでくれる馬車がある。つまり、ある程度の貴族か金持ちしか使えないものだ。
そちらのほうで小柄なルキアが待っているのが見えた。周囲から目立ちまくっている彼は好奇の目で見られており、トリシアは慌ててしまった。
駆け出して、ルキアの元へと急ぐ。
「る、ルキア様……! 私をお呼びだったそうですが……、な、なにかっ?」
用事なら早く済ませて欲しい。そう願いながら息切れする中で問うと、彼はくすりと笑った。
「恩返しをしようと思いまして」
「はあ?」
「毛布も返されてしまいましたし、他の恩返しが思いつかなくて」
「な、なにを言って……?」
「とにかく乗ってください」
すっと手を取られたと思ったら、あっという間に馬車に乗せられていた。彼もすぐに乗り込んできて、バタンとドアを閉めてしまう。
いきなりのことに困惑し、トリシアはトランクをぎゅっと胸に抱いて彼を凝視した。
「なにをするんですか、ルキア様!」
これでは拉致だ!
いくら平民とはいえ、貴族にそんな風に扱われる筋合いはない。ここは強く出なければ。もちろん、逆らってもこちらにいいことはないのは承知のうえだ。
ルキアはきょとんとし、小首を傾げた。
「ジャックには説明したのですが……。あなたの同僚にも許可をとりましたし、組合のほうにも手はずは整えておきましたが……」
「? なんのことです?」
「あなたの、今回の帝都での滞在場所に関してです」
「……いつもの宿舎ではないのですか?」
もしややはり解雇?
ゾッとしているとルキアは小窓の外を眺めつつ、笑みを浮かべた。
「小さくて狭いですけど、快適な暮らしともてなしを提供しますよ、トリシア」
*
(あ〜、なんでこうなっちゃったんだろう……)
ルキアに押し切られる形だったので承諾してしまったが、やはり場違いだった。断ればよかった。
そう何度も馬車の中で思ってしまったが、目の前の席に座るルキアが楽しそうに笑顔を浮かべているので、切り出そうにも……できなかったのだ。
乗合馬車ではなく、専門の馬車に乗るなんてこと、人生にあるかどうかわからない。緊張して胃が痛くなってくる。
それに……これから行く先はファルシオン邸なわけで、彼の両親が居るのは間違いなかった。帝都『エル・ルディア』で暮らす貴族の数は多い。
それほど便利にできている帝都ではあるが……。
がたん、と軽く揺れて馬車が停車し、トリシアの考えは中断された。
(とうとう着いた……)
荷物のトランクをぎゅっと両腕で抱きしめていると、馬車のドアが開かれて御者がルキアに目配せしてきた。
「ありがとうございました」
彼は賃金を渡してさっさと降りてしまう。慌てて腰を浮かせるトリシアだったが、ルキアは去らずに出口で待っていてくれた。
「さ、お手をどうぞ」
さらりと言われて、トリシアは動きを止めてしまう。貴婦人のように扱われたことなど、一度もない!
顔が赤くなり、トリシアはそっとルキアの手をとった。小さな彼にエスコートされて、馬車を降りる。普段着の自分が似つかわしくない屋敷の前で。
思っていたよりも屋敷は大きくなかった。少人数で手が足りる程度の庭園しかないし、よく見れば菜園もある。
(え? え?)
もっと豪華なものを想像していたトリシアは困惑してしまうが、ルキアが「どうぞ」と言うので歩き出した。
彼の半歩後ろをついて歩き、周囲を観察してしまう。
下級貴族とはいえ、貴族なのだから使用人はそこそこ多いのだろうし、そうであれば屋敷は必然的に大きくなる。
だというのに……。
連れて来られた場所は帝都の貴族が住むには辺鄙な場所で、屋敷も……ペンションとまではいかないが小さなものだ。
「小さくてびっくりしましたか?」
ルキアの問いかけにトリシアは飛び上がらんばかりに驚き、「はぁ」と曖昧な返事をした。
「大きすぎると、母の手に余るそうなのでこのサイズなのです」
「……?」
手に余る? どういう意味だ?
(ルキア様って貧乏……な、わけはないわよね。軍職なのだから、給金はいいはずだし……)
不釣合いな屋敷の様子におどおどしてしまうと、庭園の隅の菜園のほうから「ルキア〜」と声がかかった。
農夫? とトリシアが怪訝そうにしていると、まだ若い男性がバケツを片手に水撒きをしていた。顔立ちも良く、明らかに育ちも良さそうだが……なぜ泥に汚れている?
「あ、父です」
ルキアの紹介にぎょっとして目を剥くと、ルキアの父という男は麦藁帽子の下から「あれぇ」と声を出していた。
「どこの娘さんだい? 珍しい。今日は雹でも降るかな」
「トリシアです。『ブルー・パール号』の添乗員をしているのです。列車で、大変お世話になったので恩返しをしたくて連れてきました」
「へえ〜」
……それだけ?
トリシアは大きく頭を下げた。
「あのっ、トリシアと申します! 『ブルー・パール号』ではルキア様に大変ご迷惑をおかけして……」
「ああ、挨拶は晩餐の時でいいから。ルキアが女の子を連れて来るのが珍しくてねぇ」
のん気にそう言いながら、ルキアの父親はこちらに歩いてくる。
近づけば近づくほど、トリシアは冷汗の量が増した。
「うちはあんまり貴族っぽくないから失望しちゃうかもしれないけど、気兼ねはしなくていいからね」
「そ、そういうわけには……」
「ルキアが世話になったのだから、我々ももてなすのは当然のことだ」
にっこりと笑うルキアの父は、そのまま空になったバケツを持って、屋敷に入っていってしまった。
呆然としているトリシアに、ルキアは笑ってみせた。
「大らかなのが父の特徴というか……。菜園も父の趣味なのです」
「…………」
「さ、では屋敷のほうへ」
ぎくしゃくしながらついて歩くトリシアは、考えがまとまらなかった。
なぜ貴族の、ファルシオンの家の主が農夫のようなことをしているのだ? 何が起こっている?
屋敷の扉は開かれたままだったので、ルキアが先に中に入る。
ごくりと喉を鳴らして中に入ると、目を瞠るような高価な品物など一切なく、趣味が良いと思われる調度品ばかりが置かれているのが見えた。
絵画も壷も、邪魔にならない程度だし、品もいい。
「おかえりなさいルキア。それに、いらっしゃいトリシアさん」
出てきたのは…………家政婦?
エプロンをしている若くて美しい女性はルキアにとてもよく似ている。髪の色は彼女からの遺伝では、と思った時、雷に撃たれたようにトリシアはその場で固まってしまった。
家政婦ではない! 彼女はきっとルキアの母親だ!
(う、うそ……なにこの家……)
「ちょうどお菓子を作っていたの。お口に合うといいんだけど」
そう言って柔らかく微笑む女性をルキアが「母です」と、思った通りに紹介してきた。
トリシアは目眩がしてきて、けれどもなんとか踏ん張る。
「トリシアです。初めまして、奥様」
「やだわぁ、奥様だなんて」
照れるルキアの母は、ルキアに何か言ってからそそくさと立ち去ってしまった。
「ではトリシア、滞在する部屋へ案内しましょう。二階になるのですが、客間として使っている場所があります。そこになるのですが……」
「ルキア様」
「はい?」
「あの、使用人の方たちはどこへ……。地下、でしょうか?」
使用人たちはだいたい地下に住むことが多い。客がきた時に目に入らないように過ごすためだ。
(お願いだから、私の予想を裏切ってくれますように!)
そんなことを願いながらルキアの言葉を待つ。
彼は笑顔で振り向き、
「いませんよ、そんなもの」
と言ってのけた。トリシアは絶句して、予想が当たったことに目眩を起こしてその場で倒れた。