Barkarole! レギオン4

 あまりに寝心地が良くて寝坊しそうになってしまった。トリシアは朝起きて、いつものように身支度を整える。
 毛布をルキアに返そうとするが、彼は受け取るだろうか……。無理そうな気がする。
 トリシアはとりあえずルキアの姿を探した。もちろん、仕事の休憩を使ってだ。
 彼は見知らぬ男と一等客車の食堂車で話していた。
(あれは……シモンズ様)
 二等客車の客がなぜここに?
 驚愕するが、顔には出さずにいると、ルキアがこちらに気づいてにっこり微笑んだ。
 シモンズが振り返ってこちらを見る。
「トリシア、よく眠れましたか?」
 柔らかくて優しい声。これほどまでに誰かに親切にされたことがないので、逆に困ってしまう。
「はい。あの、毛布をお返ししたいのですが」
「帝都に着くまでは使ってください。自分は別件で忙しくなりますから」
 するとシモンズがルキアに目配せする。ルキアは平然とした顔でトリシアを見つめていたけれど。
(別件?)
 様子からするに、シモンズがルキアに何かを持ちかけたと見たほうが妥当だ。
 このままここに居るのはまずい。トリシアは軽く頭を下げてそこから去った。

 定時通りにイズルの駅に到着し、盗賊たちの身柄は帝国軍に引き渡された。ルキアはまたここでも定時連絡をするためか姿を消した。
 買い物を済ませていたトリシアは、エミリと共に発車時刻を待つ。
「そういえば、二等客車のシモンズ様だけど」
 エミリの言葉にトリシアは反応してしまう。
「う、うん? なにか知ってるんですか、先輩」
「軍関係の方みたいよ」
「えっ……」
「ルキア様に何か頼みごとをしていたって聞いたわよ」
(…………また?)
 ルキアを頼るのが悪いわけではないが、みんな彼を頼り過ぎだ。
 顔をしかめるトリシアに、エミリは笑ってみせる。
「でもルキア様、断ったみたい。どういう内容か気になるわよね」
「……教えてくれませんよ。そういうところ、ルキア様は厳しいから」
「そうなのよねー」
 つまらなそうにエミリは洩らし、こちらをにやにやと見てきた。
「あんたになら話すかしら?」
「それはないと思いますよ」
 その言葉が当たっていた。
 戻って来たルキアは一切何事もなかったように過ごしていたし、シモンズもまた、彼に近づく様子はなかったのだから……。



 イズル駅を発車し、マハイア駅を経由して帝都『エル・ルディア』へと向かう。道のりはまだある。
 あともう少しで帝都だと思うと、前はあれほど気が楽になっていたのに、今は気が重い。なぜかはわからない。
 盗賊の監視から解放されたラグはルキアとよく食事を共にし、時にはトリシアにセイオンのことを語って聞かせた。
 マハイア駅に停車してから、ルキアの様子がまた変わったのに気づいたのはトリシアだけだった。
 彼はまた定時連絡をするために降車し、軍の駐屯地へと向かう。その際に、買い物に行くトリシアの護衛を買って出たのだ。
 とんでもないと拒否したのだが、彼はなんだか様子が変だった。なので、渋々、承諾した。
 交易が盛んなマハイアでは市場が並び、そこを見るだけでも楽しい。けれどルキアは買い物をするトリシアを眺めているだけで、何も買おうとはしなかった。
「ルキア様」
 声をかけると、彼は「はい?」と返事をするが心ここにあらずという感じだ。
「あの、なにか悩み事があるのですか? 私でよければ、私に話せることであれば聞きますが」
 思い切ってそう言ってみると、彼はちょっときょとんとしてから小さく笑った。
「いえ、シモンズという客を知っていますね?」
「はい」
「彼が、縁談を持ちかけてきたので断ったのですが」
 縁談?
 そんな話だったのかとトリシアは仰天してしまう。
「いえ、縁談は付随されたものであって、本題は違うのですよ?」
「はぁ……」
「…………」
 ルキアは少しだけ顔をしかめた。
「軍を辞めろと言われたので、ちょっと思案してしまいました」
「えっ」
「いい縁談があるから、軍を辞めろというのが……まぁ簡単な内容だったのですが」
「…………」
「なんでしょうね?」
 彼は小首を傾げて笑ってみせた。
「軍を辞めるつもりはないので断ったのです。ですが、色々と言われて多少混乱したというか……」
「色々、ですか」
「政治に疎いので、話の半分以上は理解できませんでした」
 さらっと言ってのけるルキアは、トリシアの持つ荷物に気づいて受け取ってくれた。持たせるなんてとんでもないと慌てたが、彼は取り合わない。
「自分は、なるべくして軍人になったと思うのですが……。彼はそうは思っていなかったようで」
「…………」
「『紫電のルキア』をもっとアピールするべきだとか……なんだか色々と……色々……」
 ルキアは笑顔のまま、言葉を少なくしていく。
「ただの軍人なんですけどね、自分は」
「…………」
 周囲が勝手に彼の人物像を肥大していく。本人はそれを理解できない。よくあることだ。
「トリシアから見てどうですか?」
「は?」
「自分です」
「…………」
「軍人でしょう? ただの」
「……はい。お優しい方だと思いますよ」
「優しくはないと思いますけど」
 ルキアは苦笑した。
「英雄になれると力説されましたよ」
「英雄、ですか」
「はい」
 もちろん、ルキアにはそんなものになる気は全くないのだろう。
 だがトリシアにはなんとなくわかる。ルキアほどの力があれば、彼を味方につければ絶大な力を得ることと同じだ。
 こうして考えれば、彼ほどの才能の持ち主が、悪意をまったく持っていないのは救いでもあった。
 悪用されれば一つの都市が簡単に滅んでしまうかもしれない。
「お疲れなんですよ、ルキア様」
 そう言って励ますしかない。彼はたくさんのことを聞かされて、考え、疲弊しているのだ。それに気づかなかった自分は迂闊だ。
 トリシアは買ったばかりの揚げパンを差し出す。
「私、マハイアに寄ると必ずここのパンを食べるんです。美味しいですよ」
「……いただきます」
 片手でひょいと受け取ると、ルキアはかじりつく。彼はパッと顔を輝かせ、にっこりと微笑んだ。
「美味しいです!」
「よかった……。あ、しょ、庶民の食べ物なんですけど……」
「気にしてませんよ。トリシアはそういうことをとても気にしますね」
 もぐもぐとパンを食べるルキアに、トリシアは言葉もない。だって自分は孤児で、彼は貴族だ。生まれた境遇が違うから、どうしても気にしてしまう。
 一人で生きていかなければとずっと思ってきて、その思いは今も変わらない。
「美味しければなんでもいいじゃないですか。甘い物は好物です」
「そうですか」
 少しでも元気になってくれたのなら良かった。
 トリシアは自分の分のパンにかじりつく。少し行儀は悪かったが、どうしてもルキアと一緒に食べたかったのだ。

**

 ルキアの言う「別件」というのは部屋の中の掃除だったらしい。
 彼は部屋にひきこもり、部屋に散らばった書類の整理をしていた。
 機密の文書もあるのでトリシアには手伝うことはできないし、彼女に手伝わせる気もなかった。
(…………)
 ルキアは室内でトランクに書類を押し込めながら、不思議になる。
 シモンズに力説されたことがあれほど響くとは思わなかった。
(英雄)
 『紫電のルキア』である貴方こそが、英雄に相応しいと何度も言われた。
 自分は一介の軍人で、軍職に就いてはいるが子供なのだ。なぜあれほど興奮するのか、ルキアには理解できなかった。
 民のために戦うことが愚かしいとまで言われた。軍律を重んじるルキアにとっては厳しい言葉だった。
(トリシアに弱音を吐いてしまいました……)
 情けない。未熟者。
 ルキアに駆け引きは通用しない。彼は額面通りに言葉を受け取り、そしてそのまま認識する。だからこそ、わけのわからないことを言われるのは彼の精神を疲弊させるのだ。
 シモンズに提示されたのは、自分の縁者にいい娘がいるので紹介する。その際に、ルキアにとって利益となる部分を説明された。
 軍人なので、功績をあげなければ階級はあがらない。殉職でもすればあがるだろうが、まだ死んでいないのでそれもない。
 わけがわからなかったルキアはシモンズに説明を求めた。すると、その縁者の娘の父親は軍に顔がある程度効き、不都合なこともだいたいはもみ消せるという。
 ……単刀直入に言うと、そういうことらしい。もっと遠回しのことを言われたが、ルキアはそう理解した。
 そういう裏の取引がないとは言えない。公明正大であることは大事だが、そうはいかない者もいるだろう。
 ルキアは自分と同じようにあることを他者に求めたことは一度もなかった。だからこそ、嘆願書も自ら進んで引き受けているし、階級が下のものに任せることもしない。
 自分と他人はチガウモノだとわかっているからこそ、同じものを求めはしない。
 自らに後ろめたいことなどないのだから、ルキアにとってはまったく魅力的に見えない提示はすぐさま却下された。
「必要ありません」
 と跳ね除けると、今度は『紫電のルキア』をアピールして、力を誇示することを求められた。つまり、シモンズの策に乗って、英雄を作り出す算段を取ろうという話だ。
 今でこそ、皇帝直属『ヤト』にいるルキアだが、その前は普通の軍人として過ごしていた。色々権限が与えられる『ヤト』にはありがたいとは思ったが、これ以上のものを欲しがる必要性がない。
 『ヤト』に配属される前にいた部隊では、確かにルキアは小さな内紛によく行くことがあった。そこで活躍をしたため、勝手に『紫電のルキア』と名づけられて、いつの間にかそれが広まってしまったにすぎない。
 戦争で疲れ切った民を鼓舞し、士気を高める役目としてなら「英雄」というものは必要だろう。だがそこそこ安定している今の情勢で何を言っているのかとルキアは不思議になった。
 シモンズは、結局は権力を握りたかったのだ。ルキアという存在を媒介にして。
 通常なら、シモンズはルキアを策略にはめて軍職から外れさせることもできるだろう。だが『ヤト』にいるルキアにそれは通じない。
 誰も知らないことだが、『ヤト』に所属する者はみな、契約を受けさせられる。皇帝を決して裏切らないことだ。そしてその命令を遂行すること。
 契約は帝都に戻ってから『確認』をされる。『ヤト』はみな、首輪をつけられているようなものなのだ。
 契約を破るような行為をしていればすぐにことは露見する仕組みになっており、それは場合によっては死に直結する。
 機密なのでシモンズに話しはしなかったが、真面目にシモンズの話を聞いていてもルキアは彼の説明することが……やはりよく理解できなかった。
「あなたの言っていることが、自分にはほとんど理解できません。英雄を民が必要にしているとは思えませんし、自分が有名になる意味もわかりません」
 結局、そんな答えしかできなかった。
 シモンズはルキアを恨みがましく見てきた。他者からのそういう目や、気持ちは多く感じることなので気にはしないが……。
(……なんでしょう)
 ざわり、と心が動いた。
 いつもなら、なんということもないのに。
 直前に食堂車にトリシアがいたのもタイミングが悪かった。誰にでも公平に接してきたルキアだが、彼女だけは気に入ってしまったのだ。
 そして予感は当たった。シモンズはトリシアに対して嫌がらせをしようとしていたのだ。だから……マハイア駅では彼女の護衛を買って出た。
 車内でことを起こせば犯人が誰かわかるし、乗務員の結束はかたい。市中でなら、彼女を拉致するのも簡単だろうし……犯罪をおかすことも容易い。
 見張りについていたルキアは、トリシアが買い物をしている間、ぼんやりとシモンズに言われたことを反芻し、彼の動向を探っていた。
 トリシアは気づきはしなかったが、シモンズに金で雇われたであろうならず者たちはルキアが気絶させて軍へと引き渡した。
 それは彼女が買い物に夢中になっているほんの数秒のうちに、やってのけたことだ。
 そっとトリシアから離れて、彼女をつけ狙っている者たちを気絶させて近くの兵士に引き渡すのは簡単なことだった。ならず者たちは、いきなり現れた子供に驚いて油断していたし、まさかものの数秒で気絶させられるとは思ってもいなかっただろう。
 彼女が気づかないうちに元の位置に戻り、どうするかと悩んだ。
 ルキアは画策に向かない。だから列車に戻ったあと、ハルの助けを求めることにした。
 地学者であるハルは最初は嫌な顔をしていたが、必死に頭をさげて頼むと了承してくれて、シモンズに対抗するすべをくれた。
 陥れるのが一番簡単だとハルは言っていたが、ルキアとすれば難しい課題になる。 
 結局のところ……身近にいてトリシアを守るのが最適だという結論に至って、ルキアはトランクの上に腰掛けて頬杖をついた。
 帝都にいる間もシモンズは狙ってくるかもしれない。それとも、一度限りの気まぐれとトリシアを放置してくれるならいい。
(……帰ったら少佐にも相談してみましょうか……)
 とりあえず、トリシアを説得して帝都にいる間は自分の屋敷で過ごしてもらうことにしよう。それが彼女の安全のためだ。
 自分の考えなしの行動がこんなことになるとは思ってもみなかった。ルキアは反省すると同時に、迷惑をかけた彼女の安否を思った。

 そして帝都『エル・ルディア』に到着する――――。

[Pagetop]
inserted by FC2 system