Barkarole! レギオン2

 一通り仕事を終えて食堂車に戻ってくると、一度は目覚めたのか、頬杖をついて窓ガラスに額を当てて眠っているルキアの姿があった。
 無防備な姿にどきりとしてしまうが、トリシアは手早くテーブルの上のカップとソーサーを片付ける。
 あの苦い薬湯を全部飲んでいても……これほど眠いとは。
 眠らせておいてあげたいが、そうもいくまい。起こさなければきっと彼は怒るはずだ。
「ルキア様」
 そっと囁くように耳元で、小さな声で呼んでみる。
 ……反応がない。
(……むぅ)
 眉をひそめるトリシアは肩を揺すろうかと考えるがそれもできない。さすがにそれほど気軽に接することのできる相手ではない。
「ルキア様」
 そっと声をささやかにかけると、彼はうっすらと瞼を開ける。真っ赤な、ルビーのように美しい瞳がこちらをひたと見据えた。
「ああ、トリシア。
 すみません、眠っていましたか」
「お辛いようでしたら、やはり部屋で眠っていたほうが……」
「じゃあここで話し相手をしてください。そうすれば、眠気なんか吹き飛びます」
 突拍子もないことを言われてトリシアは露骨に顔をしかめた。
 仕事中にそんなことをできるわけがない。だが……。
「……とりあえず聞いて来ます。業務に差し支えないようなら、お手伝いはできると思いますから」
「そうですか」
 嬉しそうに微笑むルキアに背を向け、トリシアは慌ててその場を去った。
 このままではルキアは眠りについてしまうだろう。それはこの列車を守る力を失うことになる。大きな痛手だ。
 いくらバカな自分でもわかる。彼を眠らせてはいけない。せめて……安全な場所に行くまでは。
(ごめんなさい、ルキア様!)
 ルキアよりも、乗客の安全を第一に考えてしまう。ルキアだって、乗客の一人だというのに!
 眠らせてあげたいけど……!
 トリシアはジャックと相談し、ルキアの話し相手になることとなった。慌てて一等食堂車に戻る。
 あれからブルー・パール号は順調に進んでいる。大きな揺れもなく、景色も流れるように過ぎていくばかりだ。
 しばらくトリシアはルキア専属の相手役として過ごすこととなった。もちろん、簡単な仕事なら添乗員として働きはするが、大きな仕事の割合がルキアに対してのものになっただけだ。
 ルキアの生活は規則正しい。これは軍で過ごした経験からなのだろう。
 ぴったりと同じ時間に目覚め、それから身支度をする。
 朝食をとると、今度は車内を見回る。……散歩でもしているのかと思っていたら、そうではなかったらしい。
 色々と彼の私生活を知っていくと、こんな状態でよく過ごしていられるものだと思ってしまう。なにせ……休憩がお茶の時間くらいしかないのだ。
 普段からのんびりしていると勘違いしていただけに、申し訳ない気分になった。
 15時も過ぎた頃、眠気覚ましにと薬湯をと頼んでくるルキアに、お茶を淹れていると料理長にからかわれた。
「専属のメイドみたいだな、トリシア」
「冗談言わないでよ!」
 頬を膨らませるトリシアだったが、ルキアがあまりにも頑張りすぎるのでそこが気になっていた。
(……もしかして、帝都でもあんな調子なのかしら)
 なんだか心配で目が離せなくなってきた。
 お茶をキャビネットに運んで持ってくると、ルキアはぼんやりと外を眺めていた。
「……なにか気になるものでも?」
「いえ。ハドンが群れで眺めているなと思いまして」
「はっ、ハドン!?」
 ハイエナが進化されたといわれる動物で、眼球が全面に押し出されている獰猛な動物だ。ただし、かなり小さく(小型犬くらいの大きさ)、集団で行動する。
 ハドンは無闇に襲ってきたりはしないが、死骸にむらがるので皆からは恐れられている。見た目もあまりよろしくない。
「こうして荒野を旅していると、予期せぬ出来事に遭遇するので自分はけっこう気に入っているんですよね」
「?」
「向かい側に座ってください。独り言だと悲しいですから」
 にっこり微笑まれて、渋々とトリシアは腰をおろした。
 ルキアは頬杖をついて、にこっと愛くるしく微笑む。トリシアは思わず頬を赤く染めた。
(……本当はルキア様って、わかってやっていらっしゃるんじゃないのかしら……)
 そう思ったほうが随分と楽だ。
「トリシアは、自分が暇であなたに声をかけたと思っている。違いますか?」
 直撃だった。
 ソフトな話題かと思ったらそうではなかった。
 全身に力が入り、トリシアは硬直してしまう。図星だったからだ。
 ルキアは微笑んだままだ。
「そこまで軍人は暇ではありませんよ」
「あ、あの……っ、そ、う、ではなく……」
「暇ではなく、この車内であなたが一番よく働いていると思ったから声をかけたのです」
 えっ、と思ってトリシアは伏せかけていた顔をあげた。ルビーのような瞳がとても綺麗だった。
「あれこれと文句も言わずに、小間使いのように働いていたからです」
「いえ、そんなことは……」
「仕事を仕事と割り切る人間だと思ったから、気になったのです」
 あっさりとそう言うルキアは薬湯を口にして苦さに苦笑した。
「あは。本当に苦いですね」
「そ、そりゃ、目覚まし用の薬湯です。強力なものなんですよ?」
「雪山で遭難した時のためのものですよね?」
 言い当てられてトリシアは「そうか」と納得した。ルキアは軍属の人間なのだ。これくらいのこと、知っていて当然なのだ。
「一応薄めてはいますよ……?」
「でしょうね。本来なら、悶絶ものですから」
 さも体験したかのように言うルキアは、また一口飲んだ。今度は表情を崩さない。
 車窓の外の流れていく景色に目を遣るルキアは、憂いを帯びた視線をする。
「帝都でもまた何か言われるのでしょうけど……。さて、どうしましょう」
「? 何か、とは? 盗賊を捕まえた功績を讃えられるのでは?」
「まさか。軍属なのですから、賞賛されはしませんよ。当然のことです。
 軍人が褒められる時は、他国や自国の侵略者を殺した時だけですよ」
 殺伐としたことを言うルキアは頬杖をつく。
「……あの、どうしてルキア様は帝国軍にいらっしゃるのですか?」
 それが一番不思議だった。
 いくら魔法院を卒業したとしても、そのまま軍に就く必要性はないはずだ。
 心配そうなトリシアの瞳を受け、彼はふいに驚いたように目を丸くした。
「トリシアは……不思議なことを尋ねますね」
「そ、そうでしょうか……」
 彼ほど軍が似合わない少年はいないと思うのだが……。何か自分の感覚がおかしいのだろうかもしかして。
「自分には魔術の才があり、それを活かすには軍が一番だと誰もが言っていましたよ?」
「そ、そういうものでしょうか……。軍でなくとも……」
 そこまで言ってから、トリシアはとんでもないことに気づいた。
 兵器のような爆発的な威力を持つルキアの才能を、戦に使うことにしたのだろう。大きすぎる力の使い道というのは決まっているようなものだ。
 でなければ、ルキアの身は隠匿されたか……処分されたかもしれない。
 真っ青になったトリシアが唇を軽く噛む。
「ルキア様は道具になられることを選ばれたのですか」
「いいえ。みなのために持てる力を使おうと思っただけですよ」
 にっこりと微笑むルキアはそれでも、苦笑、した。
「ただ……一人で少し辛いですね」
「なにがでしょうか? 訊いてもよろしければ……」
「帝都に戻るとまずお説教が待っています。報告書も、始末書も。それに、嘆願書も。
 あれもこれもやるとなると、一人では足りません」
「そっ、そんなにお仕事をされているのですか……!」
「勝手に慈善事業をしているので、始末書がたんまりあるんです。困りますよね」
 やれやれというように嘆息するルキアは軽い欠伸をして、また薬湯を口にした。
 自分よりも年下の彼がこれほど仕事をしているなんて……トリシアは信じられなかった。
 貴族の出身なのだから、それほど無理をしなくてもいいはずなのに……。いや、それこそトリシアのわからぬ世界のことだ。予想するのはやめよう。
 そういえば……彼は中流か下流貴族なのだし、結婚話があってもおかしくない。この容姿に優れた能力だ。きっと相手は山のようにいることだろう。
 それを想像するとなると、やはり貧相な自分を比較して落ち込んでしまう。
(私じゃ……ルキア様の話し相手くらいにしかなれない……。ううん、それだって、すごく名誉なことなのよね)
 そっとうかがい見ると、彼にじっと凝視されていたことに気づいてトリシアはぎょっと目をみはる。
「あ、あの?」
「…………言葉遣いを直して欲しいんですけど」
「は?」
「どうしてもダメですか?」
 首を可愛らしく傾げられても、職務に忠実なトリシアは「うん」とは言えない。
 階級が近いラグやハルになら「いい」と言えることでも、階級社会であるこの世界では気安く頷くことはできないのだ。
 悩んでいるとルキアは小さく微笑む。
「また困らせてしまいました。困らせるのが好きなわけではないのですよ?」
「わかっております……」
「迷惑だと思っていますか?」
「とんでもない!」
「なら、良いのです」
 甘く、綿菓子のように微笑むルキアは本当に言葉をそのまま受け止めてしまうようだ。
 今のは……明らかにウソだったのに。
(ルキア様って、ちょっと危なっかしいかも。ラグとはべつの意味で)
 直情的ではないが、他者の言うことを真に受けるのは長所であり短所だ。



 ルキアと話す回数が格段にあがったトリシアだが、通常の仕事もこなしていた。
 懸命に働く姿は、やはり他者に見られていると思うと緊張してしまう。
(よりによって……)
 ルキアに観察をされていたとは……。
 確かに列車の中にはあまり娯楽がない。添乗員を誘ってくる軽薄な客も確かにいることは事実だ。
 だが平凡なトリシアはエミリほど目立たないせいもあって、そういう者たちに絡まれたことがなかった。
 帝都で宿舎にいた時も、教会に居た時も、異性にモテるような要素はないとはっきり感じていた。
 くせのついた自分の金髪に比べて、ルキアは前も後ろも無造作に伸ばしているが綺麗な髪をしている。憎らしいほどに。
(そういえば……あんなに長いのになんで結んでないのかしら?)
 箒で室内を簡単に掃除していたトリシアの疑問に、ルキアはきっとすぐに答えてくれるはずだ。
 人当たりも良く、可愛く、真面目に軍務をこなす。見た目も麗しく、収入も安定している。だが彼は常に死と隣り合わせだ。
 軍人というのは軍務に従い、帝国に命を捧げているようなものだろう。特に「ヤト」に所属しているなら、任務での死亡率はぐんと上がるはずだ。
(……怖くないのかしら、ルキア様は)
 平然としているが、彼はまだ14歳の若者だ。恐怖がないわけではないだろう。
 トリシアだって、まだ記憶に新しい盗賊との遣り取りは、思い出すだけで寒気が走る。
 ルキアにとってはなんということのないことなのだろう? 彼はルーデンに何をしに行っていたのだろう?
(軍務、よね……)
 軍職に就いているのだから、仕事をしているのだろうが……それにしては……。
(皇帝直属なのに、ルーデンなんて辺境の土地に行っていていいのかしら?)
「ああ、トリシア」
「きゃあ!」
 背後から声をかけられて、考え事をしていたトリシアは思わず悲鳴をあげる。
 振り返るとそこには唖然としたような表情のルキアがいた。
「す……すみません……。そこまで驚かれるとは思っていませんでした……」
 ぼんやりと、多少はショックを受けたのかそう言うルキアは伸ばしかけていた手をおろす。
 彼は微笑んだ。
「次の駅では降車するので、何か欲しいものがあればと思ったので」
「そ、そんなものは自分で買います!」
 まったく、この人はなぜ階級を意識しないのだろうか! トリシアを使いに出すことはあっても、ルキアを使いに出すわけにはいかないだろうに!
 箒をぎゅっと握り、トリシアはルキアを軽く睨んだ。
「ルキア様、なるべく動かないで休息をとるという約束だったはずですが……。ここは三等食堂車ですよ?」
「……もしや、怒っていますか、トリシア」
「怒っています。ルキア様は……その、少々無理が過ぎるのでと思ったもので……。差し出がましいですけど」
「無理などしていませんよ。それに、トリシアと話しているといい気分転換になるのです」
 微笑む糖度があがった気がする。思わず気圧されるトリシアは、彼の甘い笑顔に頬が熱くなってくるのを感じた。
(なんか腹が立つ……。なんでルキア様ってこうなのかしら!)
「ラグも見張りについていますし、ハルはすぐに部屋にこもってしまいます……。自分とお喋りをするのはどうも気に障るようですね」
「………………」
 なんにでも興味を示すルキアにとって、トリッパーであるハルは格好の獲物のようなものだ。不憫になるトリシアだったが、自分の身のほうが可愛い。
「ハル、というと……ミスター・ミズサですよね」
 変わったファミリー・ネームだとは思う。やはりトリッパーは名前に独特の響きがあるようだ。
「よく名前を憶えていますね、トリシア。ああ……乗客が少ないからですか」
 勝手に納得するルキアは、軍靴をかつんかつんと鳴らしてトリシアに近づく。
「……なんだか、ずるいですね」
「は? 何がですか」
「いえ……なんでもありません」
 不思議そうにするルキアに、トリシアは渋面を浮かべる。ルキアの脳内は簡潔であるように見えるが、かなり複雑な思考をしている。
 とにかく一箇所に留まることがあまりない。動き回るなと言っても、頷いてくれてもすぐに行動してしまう。
(反省してないわけじゃないだろうし……悪気があるわけじゃないのよね……)
 積極的に動くルキアだが、貴族にありがちな傲慢さはまったくないし、乗務員たちも「紫電のルキア」かどうか今でも迷うそうだ。
 トリシアはキッとルキアを鋭く睨みつけた。このままここに彼に居てもらっては、仕事の邪魔だ。
「とにかく! 約束はきちんと守ってください、ルキア様」
「…………そこまで怒らせましたか?」
「怒っていると、先程申し上げております」
「…………」
 無言になるルキアはしょぼんと肩を落とす。
「落ち着かないのです。休息する、ということが」
「ブルー・パール号は現在落ち着いています。盗賊が車内に拘留されてはいますが、ラグ殿がいれば、それほど心配することもありません。
 それに、有事の際はルキア様が一番頼りになるのですから、今は休んでください」
「しかし……」
 頑固者。
 内心で毒づくトリシアは、ルキアの顔を凝視する。
 彼は仕方なさそうに溜息をつき、それから微笑した。
「わかりました。確かに自分では、もっと乱暴に事を済ませようとするかもしれません。大人しくしています」
「そうしてください」
「で、ですが……その、トリシアと話すと気分転換になるというのは本当なのですよ?」
「それはようございます」
 つんとして言い放つが、ルキアはこくこくと頷いた。
「では一等食堂車に戻ります」
「いえ、お部屋に戻ってください」
「…………部屋にいても、することがないので暇なのですが……」
「眠ってください。魔術は眠りを必要とするのでしょう?」
「………………」
 ルキアは「それだけは困る」と言いたげにこちらを見上げてきた。小柄な彼は、トリシアをどうしても見上げる形になってしまう。
「何が起こるかわかりません。眠れません」
「……時々食堂車でうとうとしているのは誰ですか」
 ずばり言ってやるとルキアは一気に顔を真っ赤に染め、瞳を伏せた。
「も、申し訳ない、です……。油断しているつもりは……ないのですが」
 常に集中し、緊張感を保っていられる人間などいないのに、ルキアは恥ずかしそうにしている。
(ム、ムカつく〜……! なんでルキア様って、どんな顔しても可愛いのかしら……)
 女の自分より可愛いというのはなんなのだ!
 ふいにルキアが目を細め、こちらを見上げてくる。
「では、少々部屋で休みます」
「はい。そうしてください」
 渋々というように背を向けるルキアだが、そわそわと落ち着きがない。休むことがそもそも嫌いなのだろう、彼は。
「お部屋まで一緒に行きますから」
 譲歩してそう言うと、ルキアは観念したのか「はい」と小声で言って歩き出した。

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