Barkarole! レギオン1

 盗賊を軍に引き渡すために、ルキアは車内の皆に指示を出した。
 盗賊たちは空いている部屋に全員を閉じ込めておくことになり、次の駅までの短い期間をラグの見張りつきで過ごすこととなった。
「あ、トリシア」
 展望室を掃除していたところで声をかけられて、トリシアは振り向く。
 魔術で疲労したのだから眠っていてもおかしくないのに、ルキアはにっこりと微笑んで立っていた。
 だがその顔には疲労の色が見える。
(そりゃあ……あんなに簡単に魔術を使っていても、本当はすごく大変な作業と集中力がいるんだもの。疲れて当然よね)
 トリシアは労おうと微笑む。
「ルキア様、紅茶でも淹れましょうか?」
「眠気覚ましの薬湯をください。ここで眠ってしまうのは、さすがに不謹慎ですからね」
「……む、無理をして起きておられなくてもよろしいと思いますよ? ラグ殿が見張りについておりますし」
「ラグの封印具も完璧には修繕できていません。自分は、きちんと責務を果たすまでは眠りませんよ」
 軽く言っているが、それはさすがに働き過ぎではないだろうか?
 心配そうに眉をひそめるトリシアを見つめ、ルキアは苦笑した。
「あの時、トリシアが現れなかったらと思うと少々背筋が寒くなります」
「え? あの時?」
「ラグの封印具が壊れてしまった時です」
 その時の状況を思い出したのか、ルキアが少しだけ目を細めた。
「自分はどうにも軍に所属しているせいか、乱暴に片付けようとする癖がついていまして」
「ルキア様がですか?」
「ええ」
 困ったように笑みを浮かべるルキアはトリシアの傍まで来ると見上げてきた。可愛らしい丸い瞳が真っ直ぐ見てくるのでトリシアは思わず硬直してしまう。
「ラグは大切な友人ですけど、民間人に被害が及ぶのであれば……殺してしまうのもやぶさかではないと判断してしまっていました」
「こ、殺すって……ほ、本気ですか?」
「はい。自分は軍人で、民間人を守る義務がありますから」
 あっさりと言うルキアは、どこか寂しそうだ。
「トリシアが声をかけてくれたので、我に返ったのです。あなたには感謝しています」
「そ、そんな……! 私、何もできませんでしたし……」
 恐縮して俯くと、ルキアがくすりと笑った。
「いいえ。なにもできない人間はいません。あなたはあの場に来てくれただけで、自分を助けてくれましたよ?」
「も、勿体無いお言葉です……!」
 恥ずかしくて、どこかに逃げてしまいたい。
 トリシアはそっとルキアを見遣る。彼は視線が合うと、満面の笑みを浮かべた。よく笑う人だと、思う。
 それに……。
(役立たずだったのに、私を気遣ってくれてる……のかしら。そうは見えないけど)
 思ったことを口にするルキアのことだ。きっと本心からそう思っているのだろうが、トリシアはやはり納得できない。
 自分はあの場で、ただ見ていることだけしかできなかったのに。
(ルキア様は優しいわね)
「薬湯をすぐに淹れます。食堂車でお待ちになっていてください、ルキア様」
「………………」
 彼はちょっと笑みを消して、じっと見上げてくる。
「? あ、あのルキア様……」
「……その丁寧な口調、いつまで経っても直りませんね?」
「あ、当たり前です!」
「そうですか。残念です」
 肩をすくめるルキアはにっこり笑い、「食堂車に居ます」と身を翻した。
 残されたトリシアはハァ、と息を吐き出す。彼が自分にもっと砕けた態度で接して欲しがっているのはわかるのだが……なぜそうも自分にこだわるのかわからない。
(うぅー……だって、貴族のお嬢様たちと違ってちっとも綺麗じゃないし……)
 展望室の窓ガラスを見遣り、そこに薄く映っている自分の姿に落胆してしまう。
 制服だって、綺麗にしてはいるが使い古した感じが少しある。帝都に着くと、貴族たちの暮らす屋敷が多いので、どうしても自分を見比べてしまうのだ。
(綺麗な衣服に憧れがないわけじゃないけど……私じゃ、不似合いだもの)
 分不相応という言葉の通りだ。過剰なものは、自分には余計だと思う。



 食堂車にはルキアしかいなかった。
 彼は窓の外を見て、うとうとしていた。やはり疲れていて、眠いのだろう。
「ルキア様、薬湯をお持ちしました。目が覚めると思います」
 どうぞ、と目の前にカップを置くと、ルキアが微笑んだ。
「ありがとうございます、トリシア」
「い、いいえ。助けていただいたのですし、これくらいはなんでもありませんから」
「……そんなこと、思う必要はありません」
 柔らかく言ってくるルキアは、薬湯の入ったカップを持ち上げる。そっと口に含んで、その苦い味に眉をひそめた。
「軍人が民間人を守るのは当たり前のことです」
「…………」
 軍属していることに誇りを持っているのだろうか? やたらと強調されるので、少々引いてしまいそうになる。
 何かあれば「軍属だから」と言ってくるルキアだが、彼は軍の中でも特殊な部隊に所属していたはずだ。
(そういえば……どうして一人であちこち行かれるのかしら……?)
 疑問には思うが、気軽に声をかけられる間柄ではないので、トリシアは「では」と頭を下げて食堂車から去った。
 あとでカップをさげに来なければならないが……ルキアの傍に居るのが少し苦痛だった。
 考えてみれば、ルキアは最初から気軽に声をかけてきてくれて……面食らったものだ。貴族の、しかも凄い軍人が自分みたいな人間に声をかけてくることはないと思っていた。
 がたんっ、と背後で音がしたので慌てて振り向き、食堂車に戻る。
 ルキアがテーブルに突っ伏し、そのまま寝息をたてていたのだ。もう限界だったようだ。
(あーあ。……どう見てもやっぱりただの綺麗な男の子なのよね……)
 魔術を使っているところを何度か目にはしていたが……それでもあの姿だとどうしても「そう」は思えないのだ。
 次に停車するのはイズルという街。そのことを思い出し、トリシアは窓の外を眺めた。
 乗客もいないので、小さな駅に停車する必要がないためブルー・パール号は速度をあげている。通り過ぎる景色を眺めて、イズルには定時通りには到着すると確信したのだった。



「これは失礼」
 紳士帽を軽く挙げてそう言ってきた初老の男はトリシアに軽くぶつかり、謝罪してきた。
 トリシアは「とんでもございません!」と返し、頭を深く下げる。男はトリシアの横を通り過ぎる、一等車両に向かった。
(……二等客室のお客様……。えっと、確かシモンズ様だったかしら……)
 背後を軽く振り返るが、ちょうど引き戸が閉められたので、食堂車の様子はうかがえなくなった。トリシアは仕方なく、自分の仕事へと戻ったのだった。

 ブルー・パール号は豪華列車と言ってもいい。一等、二等、三等にそれぞれ展望室や食堂車があるくらいなのだ。
 だがこれには理由がきちんと存在する。
 一等車両に乗れるのは裕福な者か、もしくは貴族と決まっているのだ。自然とそれ以下の収入の者は二等か三等になってしまう。
 一等車両に乗る者のほとんどは階級の差別意識が高く、下等とみなしている……特に三等車両に泊まる客を一緒に過ごしたくないのだという。
 そのため、食堂車も展望車もそれぞれに備え付けられている。二等客も、三等客と接点を持ちたくないという意見も多かったので、これに倣った。
 まったくもって、無駄なことをすると思ってしまうが貴族たちの考えがわからないでもない。
 綺麗なドレスを着ている貴族の令嬢が、走り回る孤児の子供にべったりと泥のついた手で触られたら卒倒してしまうだろうからだ。
 この世界はやはり「階級」がひどく、そして深く根付いている世界なのだ。
 ルキアはそれほど階級の高い貴族ではないとは聞いたことがある。そのため、上流貴族から養子にという話がかなりあったようだが、全て断っていたようだ。
 上にのし上がっていくためには階級は有効な手段となる。それなのに。
(ルキア様は自力でのぼってきているのよね……)
 『ヤト』という特殊な、皇帝直属の部隊。ほとんどが謎に包まれているというのに。
 だが彼はあまり権力に興味はなさそうだ。庶民のトリシアにも優しい。
(……変わってる人なのかしら……)

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