Barkarole! パンデモニウム16


 時間は遡る。

 トリシアを宿舎まで送り届けたラグは不安に打ちのめされ、そのままの足でふらふらと歩いていた。
 歩き回っていたのは1時間ほどだったが、彼はふいに我に返って自分自身の様子を確かめた。
 良かった。『何も』殺していないようだ。
 ふところを探り、ルキアから渡されたメモを広げて月明かりに晒す。
「…………え、っと」
 トリシアに読んでもらえばよかった。流麗に書かれたルキアの住所をなんとか読み取って、ラグは足早にそこに向かった。
 ルキアの自宅は貴族たちの住む地区にあったが、その中でも外れた場所に建っていた。
 途中で馬車を見つけて乗り込み、行き先を告げる。しばらく馬車に揺られて、停車した途端に慌てて立ち上がる。
 馬車を待たせて家の前で降りたところで、ラグは呼び止められた。ルキアの家の使用人かと思ったが、違っていた。
「ラグじゃありませんか?」
 薄汚れた格好で近づいてきたのはルキア本人だった。
「ルキア!」
 ついこの間別れたばかりだというのになんて懐かしいんだろう。
 ラグは彼に駆け寄り、その汚れた格好に不思議になった。
「なんで汚れてるんだ?」
「軍務で」
 あっさりと答えたルキアはちょっと照れ笑いをして、こちらをうかがった。
「こんなところで会うなんて、奇遇ですね」
「ルキアに会いに来たんだ」
「え?」
 驚いたように目を丸くしたルキアは、それから嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「嬉しいです! そうですか!」
「あ、あの……頼みがあって」
「いいですよ。自分にできることなら、最大限に協力します」
 笑顔のルキアに今から告げることは、申し訳ない……ことだ。
 ラグは言いよどんだが、決意して口を開く。
「オレを殺す手伝いをしてもらいたい」
「…………」
 唖然としたルキアだったが、軽く首を傾げた。
「もっと詳しく言ってくれないと、自分としては判断しかねます」
 それはそうだろう。ラグは瞳を伏せた。そして、ゆっくりとあげる。
「オレ、呪われてる」
「知っています」
 魔術に関してのことは見破られているとはわかっていたが、はっきりと言われるとなんだか苦しい。
「ルキアは、オレがどんなものを封じていたかわかっていたのか?」
「魔封具越しに『見る』のは難しいですが、戦闘狂にする、精神を崩す類いの魔術ですよね」
 正解、だ。
 ルキアの才能にゾッとするしかない。
「その通りだ。オレは『死影』と戦って、勝った。だけど、呪われた」
「そうだったんですか」
「オレ、意識が時々なくなるんだ」
「…………」
「目が覚めると、死体に囲まれてることが多くなったんだ」
「…………」
 ラグの告げる言葉にルキアは目を細める。「そうですか」と小さく言った。彼は同情も、感想も口にしない。ただ、納得した。
「このあと、どんどん意識がなくなる時間が増えるか」
「一気に消え去るかのどちらかですね」
 無情に言ってくるルキアを見遣り、ラグは頷いた。
 ルキアはラグを見つめ、真摯に言った。
「では、自分にラグを殺せということですか?」
「違う」
「? 違う?」
 驚いたようなルキアに、ラグはもどかしげに続けた。
「ち、がう……。悪い……オレ、帝国語、むずかしい。考え、ぐちゃぐちゃ……うまく言葉、まとまらない……!」
 トリシアの笑顔がちらつく。彼女をこの手にかけてしまったらどうしよう。
 今この時でさえ、目の前のルキアを、アルミウェンにいるみんなを殺してしまったらどうしようと考える。
 どうしよう、って。そればかり。
「オレ、自分で自分を殺したい」
「それは不可能ではないでしょうか」
「可能に、して欲しい……!」
「難しい注文です」
「今のオレ、迷ってばっかりだ! 呪われて、ずっとずっと、考えてばっかり。こんなオレは、『居たらいけない』んだ!」
「ラグ……」
「迷っちゃ、ダメなんだ! ダメなんだよルキア……っ!」
 訴えるように言うラグは、その場に崩れ落ち、膝をつく。
「戦う時に迷ったら、ダメなんだ! 今のオレは、戦えない! まともに戦えないんだ!」
 だから。
「『あの時』のオレなら、今のオレを殺せる」
「あのとき?」
 ラグはひた、とルキアを見つめた。狂気に支配されかけた瞳で。
「『過去のオレ』なら、絶対に殺せる」



 剣と剣が、せめぎ合う。
 ラグはにやついた笑みを浮かべて少年を攻撃する。
「おまえ、なんか嫌なヤツだな!」
 少年はそう言い、こちらを跳ね飛ばした。なぜだ。
 こちらのほうが強いはずなのに。
 ラグはわからない。
 わからない。
 尻餅をついたラグは、手放した剣を探す。そして、喉元に剣先を突きつけられた。
「おまえ、なんであのお姉さん殺そうとするんだ」
 幼い声。
 ラグは首を傾げる。質問の意味など、理解できない。
 だが少年は苦しげに顔を歪めていた。
「大好きなんじゃないのか! なのに、なんであんなことしようとしたんだ!」
 責める彼の口調に、ぞわり、と心が動く。
 目の前の少年にやっと焦点が合う。
 闇の中から、その眩しい光を見てしまう。
 泣きそうな顔で、少年は言った。
「大好きな人を傷つけるなんて、やっちゃいけないことだぞ!」
 ……まぶしい。
 そして……ラグは微笑んだ。
 ああ、もういい。『彼』なら、殺してくれる。
 けれど意志に反してラグの肉体は少年の無防備な両脚を攻撃した。蹴ったのだ。
「げ、ぇ!」
 鈍い悲鳴をあげる少年は転びそうだったところを、片手を地面について逆立ちに近い体勢で後方へと跳躍する。
 片足が妙な方向に折れ曲がっていた。
 立ち上がるラグは、悲しい。とても悲しい。なのに、だけど。
 喉の奥で笑い声が反響する。
 殺す殺す。破壊して破壊して。破壊し尽くして。
「こぉろぉしてやるぅ!」
 奇妙な叫びが自分の喉から、腹の底から出て行く。
 嗄れた声に少年が怒りを向けてきた。彼は足が折れても気にしない。そう、それでいいのだ。
 戦士は、ドゥラハの戦士はそうでなくては。
 こんな狂った男に負けてはいけない。
 ラグは落ちていた剣を無造作に拾う。その隙を逃すほど少年は甘くない。
 けれど。
 剣を剣で防ぐ。
 少年は踏ん張れない足で、かなり劣勢へと傾いた。
「くくく……ははは! はははははははははははははははははは!」
 笑うラグの声に彼は唖然とした。そして軽蔑の眼差しを向けてくる。
「おまえ! 誇りを捨てたか!」
 剣を振り上げてくる。それをラグは防いだ。
「戦え! おまえも戦士なら! ドゥラハの末裔ならば、誇りを捨てるな!」
 嘆くような声にラグは胸が痛む。
「なあ! 『渡り鳥』の剣士なら、セイオンの民なら、オレに殺されることに満足するなよ!」
 ラグの行動が、止まる。一斉に。
 笑いも、攻撃も、防御も。
 なにもかも。
 その瞬間、すべては決まっていた――――。
 少年の振り上げた剣が目前に迫り……!

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