馬車の中でぴくりとルキアが反応した。
「終わったようですね」
彼の言葉にトリシアは青ざめる。勝利したのは、どちらだ。
腰をあげるルキアがハルを見遣った。
「では、行ってきます。ハル、あとを任せました」
「……チッ。面倒だけど、まぁ……少しなら付き合ってやる」
舌打ち混じりに言うハルにルキアは笑みを向けた。
彼は馬車を降りる。トリシアはそれに続こうとして、腕をハルにとられた。
「おまえは残れ」
「ミスター!」
「おまえがラグを好きだってのは、わかるから」
労わるような声音に、トリシアは悲痛な顔をした。
「でも!」
「その目で確かめたいんだろ。納得できねぇから」
「……はい」
「ルキアがなんで一人で行くのか、理由はわかってんだろーな」
「はい」
頷くと、ハルは手を放した。
トリシアはハルを見つめる。
「行ってこい。ルキアなら、万が一のことがあってもおまえを守れるだろう」
「……ありがとうございます、ミスター。クイントのこと、お願いします」
軽く頭をさげて、馬車を降りる。そこには、真っ直ぐにトリシアが逃げてきた方向を見ているルキアの姿があった。
彼はなにも言わず、そしておもむろに歩き出した。トリシアはそのあとに続く。
しばらく歩いていくと、遠くに影が見えた。
そして転がる首が…………。
「……っ」
思わず立ち止まるトリシアを無視して、ルキアはそのまま歩いていってしまう。
ルキアは唐突に立ち止まり、そこで呪文を開始した。
詠唱がろうろうと紡がれ、彼は両腕を指揮者のように振り上げる。
「――『落ちよ』」
いかづち。
空の鉄槌がトリシアの場所からも見えた。
針のような電撃が、黒い影に直撃した。影が吹き飛ぶ。
悲鳴を呑み込むので必死だったトリシアは、やっとそこから動いた。
まるで重たい水の中にでもいるようだ。水をかきわけて進むようにトリシアは走り出した。
ルキアを追い越して、雷の落ちた場所に急ぐ。
「ラグーっ!」
悲鳴だった。もはやその声は悲鳴にしかならなかった。
涙が溢れる。
荒い呼吸を繰り返して、その場所にたどり着く。
地面が黒ずみ、ぼろぼろになった破片がある。これは……?
「人形の、破片……?」
ではラグは?
いつの間にか横にルキアが立っている。トリシアは彼の視線を追う。
視線の先にラグが立っていた。
黒い包帯をなびかせて、彼はそこに立っていた。
ではあの首は、13歳の、人形の首だったのか。
見定めるようなルキアの視線を、ラグはぼんやりと見返す。
どうなったのだ? 彼は?
ラグはその場で小さく笑った。
「トリ、シ……オレ、なんとか……」
「ラグ……?」
なんだか様子が変だ。
彼の腕から血が流れている。ぽたりぽたりと、涙のように落ちていく。
真っ青になってトリシアは駆け出した。
「これ、で……みん、な…………無事、に……」
こちらに倒れ込んでくる。その背中に剣が……突き抜けていた。前を外套で隠していたため、わからなかった!
受け止めたトリシアは、彼の頭をぎゅっと抱きしめた。
ずいっとルキアがこちらに近寄った。
「ルキア様!」
やめてください!
――だがトリシアの悲鳴の前に、彼は動いていた。
***
彼は列車に揺られていた。依頼は、『死影』を片付けること。
だが列車の中は無人だった。
彼はいつの間にか食堂車の席に座っていて、目の前に見たこともない少女が座っていた。
かすんだ金髪の少女だ。
彼女はこちらを悲しげな眼差しで見る。
さが少女はいつの間にか少年の姿に変わっていた。
『渡り鳥』の紋章を大きく背中に描かれた外套を羽織った、褐色の肌と黄緑色の瞳の少年だ。
「戻れ」
彼は笑って言う。
「おまえは戦った。だから戻れ」
「……列車は動いている」
闇の中を。
「だから、戻る道はない」
ラグがそう言うと、少年は拳を振り上げ、テーブルをドン! と叩いた。
「今のおまえは迷ってない」
「? 迷うはず、ないだろう」
迷ったことなど一度もない。
怪訝そうにするラグに、少年は告げる。
「とにかく立て! それで、見ろ!」
なにを?
背後を指差される。
食堂車の引き戸が開かれ、そこから風が吹き込んでいた。
「見た。扉が開いている」
閉めなければ。
立ち上がるラグの腕を、いつの間にか傍に来ていた少年が引っ張った。
「見ろって!」
どんっ、と背中まで押される。
開いている扉まで歩かされ、そこから闇の中を見た。
何もない。レールがあるだけだ。続く線路だけが、見える。
通ってきた線路だけが……みえる。微かに。……本当に微かに。
「線路だ」
「そうだ」
「だから?」
「一直線だ」
「?」
「おまえは迷ってないんだ。一度も」
「ああ、迷ってない」
「迷ったと錯覚してただけだ。だから戻れ」
どこに――?
少年は応えるように微笑した。
「未来のオレは、かっこいいと思う。だって、オレが夢見た人生を歩んでいる」
「…………」
「だから、大好きな女の子を泣かせちゃダメだ。戻れ」
どうやって?
闇を見返す。
背後で彼の声がする。徐々に遠ざかっていく。
「大好きなら、その手で幸せにしなくちゃダメだ」
「……ああ」
頷く。そして。
ラグはぽっかりと空いたそこへと乗り出す。
列車は動いている。絶え間なく。
それでも。
戻れるというならば、再び。
「戦うだけ、だ。オレは……」
そう、あの魔術師に言われたことだった。
他にも方法がある。
「『戦って、打ち勝つ』こと」
心に勝ち負けなどない。だから。
ラグは爽やかに笑った。
「『生きたいと強く願うこと』」
*
ルキアの手をラグの手が掴んで止めた。
「まだ、死ぬ……わけ、には……」
「ラグ、今のあなたなら『跳ね返せる』と判断しました」
ルキアの冷たい声に彼は怪訝そうにする。抱きしめているトリシアはただ涙を流すだけで、よくわからない。
ルキアは真っ直ぐにラグを見ていた。
「あなたは『過去の自分』に打ち勝った。勝てるはずがなかったのに、ですよ。
ですから、自分は最大の力を使って」
使って。
ルキアは微笑む。
「あなたを、助けようと思います」
ヴヴン、とルキアの足元に魔法陣が描かれる。紫色の美しく麗しい模様の中で、ルキアは笑った。
「戦ってください、ラグ」
その言葉に、ラグは覚醒したように起き上がる。トリシアを見遣り、強く、頷いた。
トリシアを突き飛ばし、彼はルキアのほうを見つめた。
「戦うとも」
「それでこそ、自分の友人です」
魔法陣が広がる。トリシアはその中から追い出された。
ラグは笑っていた。血を流しながら。
「大丈夫だ」
「ラグ……」
「愛してる。必ず、戻る」
魔法陣が消え、そして彼はその場で倒れた。体中に魔法陣の模様が描かれ、倒れこんだ彼の肌の上で這いずった。
「トリシア」
ルキアに呼ばれ、トリシアはやっと近づくことができた。
「ラグはきっと、勝ちますよ」
「はい」
はい。
きっと彼は、宣言通りに戻って来るだろう。
涙を拭い、トリシアは強く笑ってみせる。彼がしたように。
「私も、一緒に戦います」
「そうですか」
にこやかに微笑むルキアに、トリシアは頷く。
傍に居ることしかできなくても。彼の覚醒の日まで――――共に。
END