Barkarole! パンデモニウム14

 馬車の中でハルはじとっとルキアを睨んでいた。
「おまえ、犯人が誰か知ってんじゃねーのか?」
「推測です」
 きっぱりとルキアはそう言う。ラグに届け物があるからと、ハルは夜中に呼び出されたのだ。勘弁して欲しい。
「推測?」
「現場の痕跡からして、隠蔽しようとしていると考えました」
「? なんでだ?」
「顔も全部潰してあったからです」
「は?」
 なぜそうなる?
 怪訝そうにするハルに、ルキアは閉じていた瞼を開けた。紅玉の瞳が薄暗い室内でもはっきりとわかった。
「隠蔽? あんなに堂々と死体を残しておいてか?」
「ですが、殺された人物が誰なのか、まだわかっていませんよ?」
 そう言われてぎくりとハルは体を震わせる。
 そうだ、「娼婦が」殺された。「町人が」殺された。だが「誰」が?
(そういえば……行方がわからないのは何人かいたが、顔とか潰されててわからないから墓地にいれるのに困るとか……聞いたな)
「……『人数が合わない』ってことか、ルキア」
「そういうことですね」
 これが推測?
 ハルは恐ろしいものを見る目でルキアを睨む。
「さらってどうするんだ?」
「そこまでは自分にもわかりませんが……」
「おまえ、わかってるんだろ! おおよその見当はついてるんじゃねーのか!」
「食べているのではないかと思います」
「たっ、たべ……!?」
 満足ができなくなります、と『渡り鳥』たちの前で自信たっぷりに言ったのは……!
(そうか。夜間に一般人が歩き回らなくなるから、『餌』がなくなる……。空腹になるってことか……)
 だが『何が』食べている? 人間を。
「犯人は『なんだ』?」
「大勢ですよ」
「答えになってねぇ」
「名称がありませんから……犠牲者、ですかね。魔術の」
「はあ?」
「『不老不死の』犠牲者たちですよ」
「…………なんでいきなりそいつらが町に出てくるんだ。僕たちが帝都に戻ってからすぐだろ、この事件は」
「…………」
「ルキア!」
「ラグに、罪をなすりつけようとしているのでしょうね」
 冷徹な判断をするルキアは、馬車を停車した。そこは中央広場だった。賑わっていた店がしん、と静まり返し、完全に店じまいをしてしまっている。さびしいものだ。
 困惑するハルとは違い、ルキアは真っ直ぐにアルミウェンに向かって歩いた。馬車はそのまま待たせてある。
「ラグにかけられた魔術は進行型なんです。いずれは完全に意識が消え去るでしょうが、今はまだ元の人格が占めている」
「…………」
「ラグは自分が標的にしたものしか殺しません」
 はっきりと言い放つルキアの小さな背中に、ハルは無言で返す。
 そういえばあのキメラを売買していた女も……殺されても文句は言えない立場だったはずだ。
「確かに、あの魔術が意識を侵食している間は、ラグの意識は完全に消えています。でも、まだ『元に戻る』。ここが重要なんです」
「?」
「本人の意志がまだ強く残っているということになります。肉体は、精神の影響を強く受けますから」
「……つまり、ラグは殺すヤツと、そうでないヤツをきっちり分けてるってことか?」
「そうなりますね」
「あいつの意識が消えたらどうなる?」
「ただの殺戮者になります」
 あっさり言うルキアは、アルミウェンのドアに手をかけたままこちらを振り返った。
「ラグは自分がその状況であることを隠していました。知っている者は少数です。その中から犯人を探し出せば簡単ですよ、ハル」
「…………知ってるんだな?」
「おそらく……ね」
 悲しそうに微笑するルキアは、ドアを開けた。



 トリシアは走った。それでも疲れて途中で何度も休む。
 夜道には誰もいない。それはそうだろう。あんな凄惨な事件が起こったなら、外に出るのをみんな控える。
 あまりの静けさにトリシアは怖くなり、また走り出す。
 自分の荒い呼吸音だけが響く。
 やはりラグの速度に追いつけない。もうやめようか。馬鹿な。追いかけると決めたじゃないか。
 見つからなければそれでいい。でも、彼を『ひとり』にしてはいけない気がした。
(「立ち向かう勇気」ってなによ……)
 なにと戦うの? それって、すごく危ないことなんじゃないの?
 自分に何ができるというのだろうか? 傍にいることしかできないのに。
 でも、列車の中で手を握った時、彼は安心していたのだ。一人じゃない、と。
 とうとう西区を抜け、郊外に出てしまった。黒い影が見える。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
 大きく肩を上下させ、トリシアは痛む足を引きずるようにして歩く。走るほどの力はもう残っていなかった。
 血が点々と続いていたからたぶん、こちらで間違っていないはずだ……。
 小高い丘が見えた。なだらかな平原の中で、あそこだけ妙に……。
 ラグがあそこに向かって一直線に走っていくのが見えた。
「ラグ!」
 目を見開き、トリシアはなんとか奮起して続く。
 ぽつん、としていた影が次第に増え、ぞろぞろと大きなかたまりになる。
(なっ、なんなのあんなに大勢……!?)
 人?
 目を凝らすが、どの人物も目が落ち窪み、突っ立っている。ラグという餌が駆け込んでくるのを待っている。
 危ない! いくらラグが強くても、あんな人数を相手に勝てるはずがない!
「ま、まって……待って……」
 掠れた声で止めようとするが、いきなり肩をぽんと叩かれて振り向く。
 誰?
「ようこそ」
「…………どちらさまですか」
 淡々とした声が洩れる。
 見たことのない男だった。中年の男は、全身から甘い香りを漂わせていた。だがどう見ても健康体だ。
 彼はぎらつく瞳でトリシアを見つめていた。その異様さに冷汗がどっと出る。
 危険、だ。この男は危険だ。
 バシッ、と強く男の手が払いのけられた。
「げほ……けほっ、けほっ、はぁ……あ」
 整わない呼吸音のまま、ラグがいきなり真横に立って男の手を振り払ったのだ。驚くトリシアを背後に隠すようにして、彼は男と対峙する。
「おやおや。まだ意識が残っていたか」
「う……ぐ」
 ラグは片膝を地面につく。相当苦しそうだ。
「ラグ!」
「なん、で……追いかけて…………」
 彼は悲痛な面持ちでそう呟き、すぐに顔をあげて男を睨んだ。
「おまえ……『死影』の、こと」
「あなたのことを聞いた時、使えると思ったんだ」
 男は丘から降りてくるたくさんの影を見遣る。ラグも背後の集団を見た。
 ラグの瞳は翳ったり、強く輝いたりと、忙しない。それは彼の意識が戦っている証拠なのだが。
「この先の荒野に小屋があるのですが、そこでは彼らの共食いが始まってね……どうしようか悩んでいたのじゃ」
「それ、で……町に放ったのか!」
 非難するように叫ぶラグが、剣をついて立ち上がる。
「ついでに新たな実験体も連れてくるように指示したのだが、新鮮な肉を見ると食べてしまうので苦労したぞ」
「そんなもの、苦労でもなんでもない!」
 ラグは男の襟首を掴み、持ち上げる。長身のラグがやるのだから、男のほうもたまったものではないだろう。
「っ、ら、乱暴はよせ!」
「あの連中をどうにかしろ! まだ『死影』にはなっていない……! 元には戻せなくても……」
 会話の遣り取りから、トリシアは事情を察してしまった。
 この男は、禁忌の魔術に手を出しているのだ。そして、何人かがその実験体になり、あのような姿に成り果ててしまった。
 そして、新鮮な肉を欲するという……。そして、この男は新たな実験体を欲しがっているという……。
「ちょうどあなたが来た時に、これだ、と思った。あの実験体たちは失敗作だから、始末に困っていたのじゃよ」
「……! 自分が『死影』になりたくないからと、他の人間を使うなんて!」
 ラグはぎりぎりと相手の襟元を掴む力を強くした。
 男はぜぇぜぇと息を吐き出すが、まったく反省していない。
「ルキア様に助けられた時、身代わりを作ればいいと思ったのだ! 他の誰かで成功すれば、わしは『死影』にならなくてすむ!」
「お、おまえ……ど、どこまで卑劣な……」
 ラグの手から力が抜け、男はどさりと尻餅をついた。ラグは目眩でも起こしているのか、よろめき、剣にすがってかろうじて立っている状態だった。
「はは、は……! おまえさんは本当にちょうどいい隠れ蓑だったよ。このタイミングで来なければ、いずれルキア様に嗅ぎつかれてわしはまた捕まるところだった」
「……っ!」
 ラグは渾身の力を使って剣を振り上げる。斜め下から、一直線にブン! と。
 男の首が切断されて宙を舞った。血とともに。
「……もう黙れ。ルキアの手を汚させる前に、オレが、殺してやった」
 唸り声をあげてこちらに近づいてくる集団を、ラグを見遣る。トリシアも振り向いた。
 20人以上いる……。
「ラグ、ラグ、逃げるのよ!」
 彼の腕を引っ張って、座り込みそうだったところを支える。彼はこちらを見遣った。視線がぼんやりと定まっていない。
「トリシア……」
「お願いだから立って! ほら!」
 よろめきながら立つラグは、それでも体にうまく力が入らないようですぐに倒れてしまいそうだった。
 迫ってくる集団を見遣り、ラグは小さく笑った。
「トリシア、ルキアにこのことを伝えてくれ」
「え?」
「言えば、わかる。あの魔術師は、まだ禁忌に手を染めていたと……。
 それほどに、魅力的なんだろうな……。オレには、わからないけど」
「ラグ?」
「あいつらは、オレが」
 片付ける。
 そう言って、トリシアの手を払う。
 ラグは両足でしっかりと立ち、それから大きく息を吐いた。
「あんな人数相手に無理よ!」
 いつものラグなら大丈夫かもしれない。けれど、いくら場所が開けていて戦いやすいとはいえ、逆に言えば取り囲まれやすい場所とも言えるのだから!
 必死に言うトリシアに、ラグは儚く笑った。
 トリシアは声にならない悲鳴をあげる。
 彼はもう、諦めている!
 ダメだ! そんなのダメだっ!
「さよならだ、トリシア。すぐに逃げろ」
 短く告げたラグの瞳が虚ろになる。その心を「狂気」に売り渡した者の変化……バーサーカーだ。
 心を蝕んでいく呪いに抗うことはできない。どれほど精神力が強くとも。
 ただ真っ直ぐに進み、誰かの力になりたいと願っていた「彼」は……消えた。
 そして殺戮が始まった――――。

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