Barkarole! パンデモニウム13

 ラグは物凄い速度で走っていた。一直線に駆ける彼は、目標物を発見して薄笑いを浮かべる。
 剣を振り上げ、素早く目標目掛けて投げた。
「ギャッ!」
 短い悲鳴が聞こえて、彼はダン! とその場から跳躍する。
 衝撃音を響かせて着地すると、相手は驚いて停止した。それはそうだろう。いきなり目の前に着地されたら、誰だって驚く。
 相手は慌てて手に抱えていたものを落として、駆け去る。逃がすものかと追うラグは、自分が先程仕留めた敵につまずいて、転んだ。
 派手に転倒しながら、ラグはうめく。妖しく瞬いていた瞳が、ふいに色を取り戻した。
「……いた、い」
 なぜ転んでいるのか……。
 そう思っていると、トリシアと目があった。彼女は尻餅をつき、驚いたようにこちらを見ている。
「あ、良かった。無事か?」
 笑むが、彼女は顔を強張らせただけだ。
(ん?)
 怪訝に思っていると、自分が血まみれになっていることに気づいた。
「…………あ」
 転がっている死体を見遣り、それから視線をトリシアに移動させる。
(あ……)
 どうしよう。どうしよう。
 ここに来るまで、『何人』殺しただろう?
 毎夜やってくる衝動を抑えたくて、郊外に出てはぼんやりと朝日を見るのが日課になっていた。昼間はしっかりと部屋に鍵をかけ、閉じこもる。
 事件が起きてから、自分が犯人ではと思って怖くなり、ラグはとにかく人のいる場所を避けた。
 昼間、心配そうにしていた自分にルキアは変わらず接してくれたので、少し気が緩んでいたのだろう。
(こわ、がら、せた)
 怖がらせた。
 起き上がるラグは、ぎこちない動きで自分の掌を見下ろす。血でべったりと汚れていた。
「ごめん!」
 怖がらせた。
「ごめん……」
 声がか細くなる。
 これで見られるのは3度目だ。おかしくなる自分の姿と、この今の格好で言い訳はきかない。
 どう切り出すか迷い、ラグは俯く。
(もうトリシアに近づいたら、ダメだ……)
 わかっていたのに!
 迂闊すぎた。自分の馬鹿さに情けなくなる。
 言わないと。ここまできて、トリシアに伝えないなんて……いくらなんでもそれはない。伝えなくては、彼女も納得しないだろう。
「あの」
 視線がさがる。自分の足元を見るようになってしまうのは、怖いからだ。
「オレ、この間言ったけど」
「…………」
「意識が、時々、その」
 習った帝国語が吹っ飛ぶ。汗がにじみ、ひどく頭が混乱した。
「――――依頼先で、呪われたんだ」
 ぽつりとそれだけ告げると、トリシアが驚いた気配がした。それは……確かに驚くだろう。相手を呪うだの、明らかに禁忌の魔術だ。
 ルキアが専門外だと告げたのは、彼が禁忌の魔術に一切手を出していないからだ。そして専門家を教えてくれた。
 訪ねた魔術師は禁忌の魔術を研究していたというが、途中でやめて、依頼を請けて品物を作る方向に切り替えたのだという。だからルキアは彼を助け、注意を促すだけにしたのだ。
「呪われたって?」
 トリシアの質問に、うまく答える自信がない。ありのままを告げることが、ラグにはできなかった。
「そのままだ」
 見たままなのだ。
 それ以外にうまく説明できない。
 歯を食いしばる。
 一歩、後退した。
「だから、その、もう……近づくな」
「ラグ」
「近づくな……」
 弱々しい声でそう言うと、目の前に彼女が立っていた。靴先が見える。
 顔をあげられたと思ったら、彼女が真剣に睨んできていた。
「トリシ……」
「呪われたくらいなによ!」
 怒鳴るように必死になってトリシアが言ってくる。
「一人で抱え込んで解決するの!? してたらこんなにラグは悩んでないでしょう?」
「トリシア……」
「悩んでるなら相談に乗るわ! 私じゃ力になれないなら、なれる人を探しましょう!」
 力強く言う彼女のほうが、泣きそうに見えた。痛々しい表情をしている。
 ああ、だから言いたくなかったのに。
 震える手で、ラグはトリシアを抱きしめる。ゆっくりと……そっと……そして、強く。
 風に震える、封印のための包帯。
「怖い……」
「ラグ……」
「怖いんだ……トリシア。オレは…………オレは、狂戦士化してる時のこと、全然憶えてないんだ」
 だから。
「トリシアに乱暴なことをしてても、わからない……!」
 泣きそうな声だった。
 トリシアは必死に彼の体躯を抱きしめる。安心させるためじゃない。私はここに居るという合図のためだ。
 ぎり、とラグが歯軋りをした。
「この呪いは侵食型だ……! いつ、オレの意識が乗っ取られるかわからない……!」
「それでも、『一人になる必要はない』わ!」
 トリシアの言葉にラグの手が震えた。
 彼は顔をしかめ、何かを堪えるような表情をする。
 悔しそうに、もどかしそうに。
 けれどもそれを振り切るように拳を作り、トリシアの身体をゆっくりと放した。
 トリシアが不思議そうに見てくる。
(どうしよう……)
 ラグは思っていた。
 泣きそうだった。
 嬉しくて。
 悲しくて。
 彼女はとても強い女性だ。セイオンの女性の持つ、『強さ』じゃない。心の優しい、心の強いひとなのだ。
 だけどそれは、芯のところで、きっと彼女は脆い側面ももちろん持っているだろう。
 すがりついてしまう自分が情けない。けれど突き放す勇気すらない。
 ハルなら突き放すだろう。ルキアならその包容力で彼女を守ってやることだろう。
 だが自分にはそれがない。
 ラグにあるのは単純な『強さ』だけだ。セイオンの若者の中でも身長は高いほうだが、ラグは華奢な部類に入る。
 それでも帝国人に力負けしないのは、セイオン出身者だからとしか説明できない。
 セイオンの島々に住む部族はみな、戦いの神・デュラハを崇め、その子孫であることを誇りにしているのだから。
(どうしよう)
 トリシアを特別だと完全に認識してしまった瞬間だった。
 ラグは頭に血がのぼり、くらくらしてしまう。
 大事に、したい。
 同時に、破壊、したい。
 相反する気持ちに混乱し、ラグは呆然と突っ立っていた。
「オレ……」
 涙が零れた。
「トリシアが、好きだ」
 告げて、彼女を見ると、ぽかんとしていた。
 どういう意味か理解しようと必死という表情で。
「好きだ」
 真っ直ぐに見てもう一度言うと、トリシアは取り乱しはしなかったが目を丸くして顔を赤らめた。
 恥らうように俯きそうだった顎に手を遣って上向かせ、唇を重ねる。
 驚くトリシアに何度も口付けをし、それからラグは今度こそ彼女から離れた。
 離れるのが辛い。
 辛い。
「さようなら」
 綺麗に帝国語を発音して、ラグはきびすを返した。
 これからやることが決まった。
(オレは自分を殺す)
 それがトリシアを守る唯一の方法だ。
(その前に)
 ラグは歩きながらその瞳をうっすらと光らせる。意識が混濁し始め、先程の敵へと嗅覚が向く。
 みなごろし、だ。



 ……キス、された。
 唖然として突っ立っていたトリシアは、ハッと我に返った。
 こんな夜道で置き去りにされてしまった!
「ら、ラグ……」
 追いかけるにも、彼はもういない。
 おろおろしつつ、トリシアは宿舎までの道を歩き出した。
 呆然としながら歩いていたが、ふいに思い返してトリシアは足を止めた。
(なに、流されて帰ろうとしてるのよ!)
 慌てて戻って、ラグの駆け去った方向に向かって走り出す。追いつけるとは思えない。でも。
(キスしたまま『さようなら』とか、納得できるはずないじゃない!)
 なにカッコつけてんのよ!
 自分が危険になるとか、そんなことは考えなかった。
 まるで道しるべのように、道のあちこちに、死体が転がっていた。思わず口元を覆いながら進む。
 首が刎ね飛ばされている。
(……そうか)
 この手口から、ラグは犯人ではないのだろう。たぶん。
 それにトリシアをさらったのは、「一人」ではなかった。複数の者だった。
 逃げていく相手が向かった方角がわかるのか、ラグは迷いのない足取りで進んでいるようだ。
 また死体だ。
 トリシアはそれを一瞥しただけで前に進む。
 死んでいた男は、落ち窪んでいた目をしていた。いきなり体重が激減した人間のようだった。
(これは……)
 栄養失調とか、そういう生ぬるいものじゃない。薬だ。薬漬けにされている。
 ラグはその薬を追っているのだ。ハルではないが、トリシアでさえこの甘い香りを感じる。
 ただの麻薬ではないことはわかる。ではこの者たちは何者だ?



 一人、二人、三人……。
 見かけるたびに首を刎ね飛ばすラグは、匂いだけを頼りに駆ける速度をおとさない。
 薄笑いを浮かべている彼は、意識が完全に混濁していた。ラグの意識は、自分の所業を遠くから見るような感覚だった。
 トリシアをさらったのは複数だった。すべて、人間だ。
 小型のキメラを使うことからも、黒幕がいることはわかっている。
 『渡り鳥』のメンバーもそれぞれ苦戦していることだろう。
 ビュンッ! と剣を振るうと、通り過ぎざまに首が吹っ飛ぶ。
 『死影』までとはいえないが、それに近い症状だ。甘い言葉に騙されて実験体になった人々だろう。
 闇の魔術を研究する者はあとを絶たない。キメラや、人体実験がそのいい例だ。
 甘い薬物の香りが強いほうへと向かえばいい。
 純粋な戦闘を欲しているラグの肉体は、ラグの意志に従って動いている。今は、まだ。
 こんな物騒な夜に歩いているものは、ほとんどが犠牲者となった者ばかりだろう。薬漬けにされたなら、もう助けることはできない。
 生きた人間がうろついていないのだから、彼らの「食糧」は見当たらない状態だ。そこにトリシアがいたから、連れて行こうとしたのだろう。
(まだ、思考はできるのか)
 だが、「だからどうした」と思ってしまう。
 この手の麻薬中毒者は、助けられないと決まっている。
 おぞましいことに、トリシアをねぐらに運び込んでみんなで食べようとしたのだろう。
 事件で、惨殺死体がすり潰したような惨状だったのは、喰われた後を誤魔化すためだ。
(まずは拠点を見つけて、そこを叩く)
 心の声に従うようにラグは笑った。
 そこに戦いはあるのか?
 あるとも。
 そこに戦う相手がいるのか?
 いるとも。
「……ヒャハハ……いいだろう……」
 老人のような声を発してラグは剣を無造作に振るう。悲鳴をあげて逃げ出した男の首を刎ねる。
 すでに意識を手放しつつあったラグは、強く思う。
 どうか……どうか、関係ない人を無傷で見逃してくれるように、と!

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