Barkarole! パンデモニウム12

 すっかり辺りは暗くなっていた。ラグは見回りのルートを確認し、満足したようだった。
 送ってくれるというので、トリシアはそれに甘えることにした。これほど遅くなるとはラグは予想していなかったようで、トリシアに申し訳なさそうにして夕飯をおごってくれた。
 食事中、ラグはなにかひどく悩んでいるようだったが、トリシアが見るとすぐに笑顔になった。なにかを聞きだせる状況ではなかった。
 店内での客は少なく、トリシアは「それもそうか」と思ってしまう。いまや下町は安全ではない。
 元々安全ではなかったが……それでも西区はまだ治安が良かったのに、夕方からみんな出歩かなくなってしまった。
(そんな中……『渡り鳥』の人たちは見回りをするのね)
 夜中に出歩いていると殺されてしまうかもしれない。よほど収入に困っていなければ、夜に商売をしようとは思わないはずだ。
 向かいの席で軽食をとっているラグは、夜中になって派手に動くとなると困ると言っていた。たくさん食べると、動きがにぶるのだそうだ。
 たくさん食べろと散々すすめられたが……トリシアはそれほどたくさん食べない。
「美味いか、トリシア」
 笑顔で訊かれて、曖昧に頷く。
「? 不味いのか?」
「いえ、美味しいわよ。あの……」
 口ごもるトリシアの発言を、ラグは口をもぐもぐと動かしながら待っている。
(封印布ことは訊けないから……なにか他に……)
 ふいに気づいて、トリシアは顔をあげる。
「ラグも美味しい?」
「ん? 美味いぞ」
「……なんか私が見るときって、いつも少食だけど……本当に大丈夫?」
「大丈夫だ」
 ふっ、とラグが笑ったのでドキッとしてしまう。知らず、顔が赤らんだ。
(ラグ相手になにやってるのよ、私は!)
 ぶんぶんと首を左右に振っていると、彼に不審そうに見られた。
「お仕事がない時はしっかり食べてるのよね?」
「そうだな……仕事の予定が入りそうだったら食べるのを控えるぞ」
「……それって、予測不可能なんじゃないの?」
「そうだな」
 ……もしかしてラグが細いのって、それが原因では……?
 いや、でもよく食べそうな印象は受けるし……。列車の中で護衛を終えたあとは普通に食べていた気がする。
「たっ、食べれるときは食べたほうがいいわよ?」
「ハハッ。トリシアは心配性だ。大丈夫。オレ、すごく頑丈」
「そ、そう?」
「トリシアを抱っこして、ぐるぐる回れるぐらい元気」
「う! そ、その例えはいかがなものかしら……」
 恥ずかしい……。
 顔を赤くして少し俯くと、ラグの声が聞こえてきてすぐに顔をあげた。
「今夜中に捕まえられたらいいんだが……」
「え? あ、ああ、そうね」
 そんなに簡単にはいかないだろう。役人が調べても見つからないものに、偶然遭遇できるとは思えなかった。
(だって誰も『殺戮の現場』を目撃していないのよ……。どんなヤツが犯人かもわかっていないのに……)
 姿は? 身長は? どれも謎に包まれている。
 それに……人間業とは思えないほど、ひどい現場……という話だ。
(人間、なのかしら……)
 どちらにせよ、ラグの身が危険なことに間違いはないのだ。
 目の前でもぐもぐと食べているラグを見つめる。
 どうか彼が無事に依頼を遂げられれば……。

 二人は夜道を歩き出す。トリシアはおなかは腹八分目、というところだった。ラグはどちらかといえば空腹に近い状態だろう。
 トリシアは話題がないことの静けさに耐え切れなくて、切り出す。
「そういえば、ラグは事件現場を見た?」
「……いや」
 鋭く否定してきたラグは闇を警戒するようにトリシアと並んで歩いていた。
「ルキアがある程度の情報を提供してくれた。見る必要はない」
「……?」
 なんだかラグは警戒心を露にしている。
「前も思ったが……暗いな」
「そうね。天気が悪い日は、夜道がほとんど見えないから」
「……危ない」
 ぼそりと呟くラグは、顔をしかめていた。
「トリシア、オレ、昼間は用事がない。どこか行くなら、付き合うぞ。遠慮なく言ってくれ」
「…………」
「夜は、見回ってるから、どこかへ出かけるならオレが通りかかった時に声をかけろ。一緒に行く」
「だ、大丈夫よ。夜は出歩かないから」
 ひどく真剣で、トリシアのほうが困惑する。
 今さらだが、心配になってきた。
「ねえラグ、危ないと思ったら……逃げてもいいのよ?」
「ん? なんだ、突然」
「あなたが強いことはわかっているから、たぶん負けることはないでしょうけど…………それでも、心配よ。逃げるのも一つの方法だし、無理はしないでね」
 トリシアがそう言うと、ラグはぴたりと足を止めた。
 不思議になって彼を振り向く。彼は顔を強張らせ、泣きそうだった。
「……トリシアは、すごい」
「は?」
「オレの悩んでること、わかってないのに、知らないのに、欲しい言葉をくれる」
「…………」
 唖然とし、トリシアも足を止めた。やめて欲しい。顔が熱くなる。
「お、大げさだわ。思ったことを言っただけよ」
「……逃げることはできないけど」
 ラグはにこっと浅く微笑んだ。
「立ち向かう勇気、もらった。ありがとう」
「……………………」
「トリシア?」
「……いえ、なんでもない」
 俯いて、頬の熱さをどうにかしようとしていると、ラグにぐいっと引き寄せられて胸が高鳴った。
(な、なに!?)
「トリシア、動くな」
 耳元で囁かれる。
 視線だけ動かして頷くと、ラグは軽く息を吐き出して背中の剣を鞘から抜く。そのままぶんっ、と投げた。
 正確に相手に当たったようで、衝撃音がした。いきなりの緊迫した空気の中で、トリシアはためらう。
 ここは西区だ。いや……この通りをまっすぐ行けば、南区に入れる。いや、だが。
「いいか。動くな」
 ラグの声に頷き、トリシアはその場で動けずにいた。ラグは剣を拾いに行ってしまった。



 道に縫いとめられるようになっていたのは、奇形の獣だった。小型ということからも、実験用に使われるキメラだろう。
 なぜこんなところに……。
 剣を引き抜き、仕留めたキメラを刃からはずす。死体を転がしておくわけにもいかないから、あとで始末にこなければならない。
(魔術実験に使うものだが……妙だ)
 なにが妙なのか、違和感の正体がつかめない。自分の注意をひくにしても、安易すぎる。
 じっと転がした死体を見ていて気づく。
(なんだ……? なんで、『1匹だけ』なんだ?)
 しかもそのへんで売買されている安価なキメラだ。買い取ってそのまま、のような気さえする。
 ハッとし、彼は慌てて引き戻し、辺りを見回す。
 トリシアが、いない。
 動くなと言ったのだから、彼女がこの場から動くはずはない。では何があったのか?
「っ」
 青ざめるラグは、失態に舌打ちしそうになった。
 アルミウェンで、ラグに対峙した時のルキアは不敵に笑ってこう言っていたのを思い出す。
「きっと犯人は、満足できなくなりますから」
 満足……。
(さっきのキメラは、オレの注意を引くためにわざと用意した、のか?)
 周囲に気配を感じて、ラグは剣を構える。
 ――囲まれている。
 視線だけ動かし、闇の中の気配を探る。
(多い……)
 5人、だ。
 全員素人のようだが、構ってはいられない。それに……なんだこの甘い香りは。
 拳を握り締め、ラグは闇を睨みつけた。
 うっすらと狂気を帯びる瞳が、彼をまっすぐに敵へと導くことを祈って…………。
(トリシアを助けに行くのに、邪魔、だ)
 その意識はすぐに消え去った。



「……なんか、すごい1日だったなぁ」
 酒場『アルミウェン』では、クイントがテーブルの上を片付けながら呟く。
 いきなり酒場の入り口のドアをバーン! と開けて入ってきた小柄な軍人は、衝撃的すぎた。
(あんなに気前良くて、すごい軍人、初めて見た……)
 敵地に一人赴くこととほぼ同じなのに、かの『紫電のルキア』様は、平然として入ってきたのだ。一緒にいた地学者の青年は、常時不機嫌だったが。
 なにより、ラグの知り合いだったというのがびっくりをさらに上乗せした。
(こえぇ……ラグって時々、無茶苦茶な知り合いできるからな……)
 ゾッとするクイントは、テーブルを拭いていた手を止める。
「でも……」
(下町の殺戮事件を解決します、とか言ってたけど……本当かなぁ)
 自分よりかなり小柄で、見た目も抜群に可愛かったけど……不安にばかりなる。
 事件が起きた日も、次の日も、その次の日も、ラグは……夜いないことが多かった。
 意味深に思ってしまったらまずいだろうか。
(ラグに限ってそんなはずない、けど……)
 部屋に閉じこもっている時間がどんどん延びている気がする。
 ちょうど昼食時にルキアが乱入してきた時、ラグはぼんやりしていて、話しかけても上の空だったのだ。
(ルキア様って、ラグに会いに来たのかな。絶対そうだと思うけど)
 ラグの様子を観察しているように見えたのは、勘違い?
 じわじわと嫌な感じだけが広がっていく。
 夜に出かけて朝方戻って来るラグ。食事以外は部屋から出てこなくなった彼の異変に、不思議になっていたのは『渡り鳥』のメンバーだった。
 部屋のドアを何度、ノックしようと思ったことだろう?
 けれどルキアがラグの知り合いの、すごい魔術師だと知った時、安堵したのだ。
 こんなにすごい魔術師の知り合いがいるなら、きっとラグは大丈夫だ、と。
 けれど……それは違っていたら?
(ラグがおかしいのに、気づいてるんじゃ……)
 気づいていないはずがない。封印布をつけたラグと同じ列車に乗っていたのだ!
 巡回に出払っていて、酒場に人は少ない。クイントはぐっ、と唇を噛んだ。
 もしも……もしも、だ。
 この事件にラグが関わっていて、そうして……ルキアは捕まえに来ていたとしたら?
 巡回の件も、確証が欲しくて依頼してきたのだとしたら?
 ルキアは傍にいた地学者の男に睨まれてはにこにこと笑みを返していたが、あまり読めない人だと思った。それに。
(あの人、すごく怖い人の気がする)
 子供心に、すごい、とは思わせたが、ラグに対するような親しみは感じなかった。人形のような外見のせいもあるかもしれない。
 黙って獲物がかかるのを待つような人物ではない。たぶん。
 傍に居たあの地学者は、時々ちらちらとラグを見ては嘆息していたし、舌打ちをしていた。こちらもラグの知り合いらしいが、クイントの目を引いた。
(対照的、というか……。なんかラグとルキア様を気遣っては苛立っての、繰り返しをしてた感じだったな)
 クイントが話しかけると不機嫌丸出しの声で「ああ?」と言い返していた。それにルキアが笑顔で提示した金額に一番憤慨していた。……まともな神経の持ち主だと、はっきりした瞬間だった。
「ねえ父さん」
 カウンターの奥にいる父親に、クイントは話しかける。
「ラグの魔封具について、何か聞いてる?」
「いや? 気になるんだが話したくないみたいだし、ラグのことだ、勝手に解決するだろうよ」
 大柄な父親は笑って作業に戻るが、クイントとしては納得できない。
 絶対に魔封具のせいだ。ラグがおかしいのは。
 黙ってしまうクイントは、ルキアが言っていたことを思い出した。
「満足できないって……なんか、絶対になにか知ってるって感じじゃないか……」
 クイントは身を翻して2階に駆け上がった。ラグが使っている部屋の前に立ち、合鍵を取り出す。
 決意して、鍵を開けて中に入ると、雑然とした室内に驚いてしまった。あの綺麗好きなラグが、こんなに汚く部屋を使っていることなど、一度もない。
 なにかあるだろうか、と足を踏み入れる。薄暗い室内には、ラグの荷物が散らばっていた。
 ベッドのそばにあるテーブルの上に、飲み薬があって近づく。濁った色をしていて、とても苦そうだ。
(こんなの飲んでるのかな、ラグ)
 なんで?

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