Barkarole! パンデモニウム11

 『ブルー・パール号』の出立が決まった。三日後である。
 できれば早くに帝都を離れたい。猟奇殺人として事件は毎夜続き、トリシアは怖くて夜、出歩けなくなった。
 昼のうちの買い物を済ませてさっさと宿舎に帰る、もしくは宿舎の部屋で、貸本屋の本を読むことに、残りの日々を使うことに決めた。
 だがまさか……事件を解決するのに自分も巻き込まれるとは、その時は思いもしなかった。

「面会人?」
 驚いて、部屋を訪ねてきたペトラを見返す。
 宿舎の表の道で待っていたのは、ラグだった。
「トリシア! 久しぶりだ」
(ぎゃっ!)
 爽やかで人懐こい笑顔を見せるラグに、思わず仰け反る。
 両手で顔を庇うようなポーズになっていると、ラグが揺すってきた。
「だ、大丈夫か、トリシア?」
「え? だ、大丈夫よ」
 はっと我に返って慌ててそう言うと、ラグは安堵したように息を吐き出した。
 彼はいつもの傭兵スタイルで、物々しい。こう事件が続くのだから、腕のいい彼ならば雇いたいという者はいるだろう。
「お仕事?」
「よくわかったな」
 すごい、と賞賛してくるラグに、トリシアが恥ずかしくなった。
「いえ、だってほら、毎晩事件が起きてるし、ラグなら用心棒の仕事がたくさんくると思っただけなのよ」
「? 用心棒じゃない。仕事」
 きょとんとするラグの言葉に「えっ」を返して、彼を見つめる。
「……なんでここに来たの? 仕事って?」
「夜の見回り。正式に依頼があった」
「はあ?」
 それは役人の仕事だ。意味がわからない。
 相当変な顔をしていたようで、ラグが苦笑する。
「えっと、軍から直々に、『渡り鳥』に依頼があった」
「えっ、軍から!?」
 嫌な予感が漂い、トリシアは思わず身構える。
「うん。ルキアが来て、依頼していった」
「げっ」
「げ?」
 あの貴族はやはりまったくわかっていない。相変わらずの破天荒な行動に、トリシアは目眩がした。
 よくもまぁ、軍によく思われていない傭兵ギルドを使うことを良しとしたものだ。世間体というものをまったく考えていないのがよくわかる。
「よ、よく『渡り鳥』が引き受けたわね……」
「? お金を払うなら、引き受けるのは当然だ」
「…………」
 そうだった。『渡り鳥』は変わり者が多いことで有名だった。だが一人で行動することを旨とする『渡り鳥』が、見回りに参加するとは到底思えない。
「あの……チームで見回るのよね?」
「? 一人でやるぞ」
「は?」
「各々、それぞれ範囲を定めて、勝手に見回る」
 なにそれ。意味がない。
 ぶっ倒れそうになるトリシアの腕を、慌ててラグが掴んだ。
「大丈夫か、トリシア! 顔色が悪い!」
「え? い、いいえ……ちょっと太陽の光が眩しいだけよ……」
「そ、そうか? 今日はくもりなんだが……」
 空を見上げるラグに乾いた笑いを向ける。
「そ、それで……私に用事なんでしょう?」
「そうだ。オレの担当区域なんだが、昼間のうちに案内して欲しい。手伝ってもらえるか?」
「…………」
 正直、遠慮したいところだ。だがラグは地図を握り締めているし、無理強いはしてこないはずだ。
(まぁ……いいか。ラグと一緒なら、変な人に絡まれても大丈夫だと思うし)
「わかった。早く捕まるといいわね、事件の犯人」
「そうだな」
 頷くラグに、トリシアは笑ってみせた。



 事件は南区でおこっている。ここに犯人が潜伏しているだろうと人々は噂していたが、どこにも確証はない。
 どこの区域に逃げられても大丈夫なようにと、『渡り鳥』は分担することにしたらしい。
 ラグの担当は西区の、トリシアの宿舎がある辺りだった。ラグはまったく意図していなかったが、クイントが気づいて教えてくれたのだという。
(まあね……弾丸ライナーの宿舎はあそこしかないもの)
 クイントがいつか訪ねてくるかもしれない。
 トリシアは案内をしながら、地図に描かれていない細い小道も教える。下町の詳細地図など出回っていないのだから、ラグが下見に来るのは当然のことだ。そして、地元民のトリシアに頼るのも自然の流れだったわけだ。
 地図に描き込みながら、ラグはあちこちをきょろきょろと見回す。その目が鋭く、観察を怠っていないのは見て取れた。
「ラグ、他に依頼はなかったの?」
 てっきりすぐさま違う仕事を請けていると思ったのだが、彼は今日までずっと帝都にいたらしい。
 明るく言ったのだが、ラグは浮かない顔だ。また悩み事だろうか?
(そういえば……まだ封印布をつけたままね)
 それが解決するまでは帝都を離れないのかもしれない。もしかして、病院にでも通っているとか?
「他の依頼を請けようとしてたら、ちょうどルキアが来た」
「来た、って……アルミウェンに?」
「そう」
 こっくりと頷くラグの発言に、そら寒いものを感じる。
 その場はきっと騒然としたことだろう。なにせあの美貌に、軍服だ。あからさますぎる、なにもかもが。
(ルキア様って……すごくひどい方よね)
 可哀想に……きっとクイントもかなり動揺したことだろう。自分の家に貴族で、しかも偉い軍人がやって来たら平民は普通、驚くだけでは済まない。
「お仕事の依頼にきましたー、って言って入ってきた」
「……ひどいわね」
「ひどい?」
「いえ、なんでもないの……」
「そうか。オレ、ルキアが来たからすごくびっくりして、すごく喜んだ。知り合いだって言ったら、みんな固まってた」
「………………」
 それはそうだろう。
 ラグは少しだけ表情を明るくして、続ける。
「ルキア、オレのことを友達だって言ってくれた。そしたら、ハルがすごく嫌そうな顔してた」
「えっ! ミスターも来てたの?」
「ルキアと一緒に入ってきた。すごくイライラしてたぞ」
 ハルがついて来ていたのに、なぜそんな事態になるのだ?
 青ざめてしまうトリシアは、その場にいなくてよかったと心底思う。
「ルキア、すごい金額を提示した。オレ、心臓が止まるかと思った」
「ひっ」
 小さく声をあげるトリシアは、想像できただけにがたがたと震える。恐ろしい金額をきっと提示したのだろう。そう、平民には到底支払えない金額のはずだ。
「でもその金額は破格すぎるからって、こっちから金額を提示した。ルキアは度胸がありすぎる」
「そ、そうね……。度胸、で済まないけど……」
「この事件……ひどいから、早く解決したいって言われた。オレは引き請けることにしたんだ」
「…………」
 きっと今夜からラグたちは巡回を開始するのだろう。そこに危険がつきまとっているわけだが……犠牲者にならないとは言えない。
 ラグの剣の腕で早々に負けるとは思えないが、それでも……万が一、というものはある。
(…………)
 心が冷える。
 ……と、ふいに嫌な予感がよぎって、背後のラグを振り返った。
「あの……まさかと思うけど、ルキア様が参加されるなんてこと、ないわよね?」
「ふふっ」
 笑われた!
 ショックを受けるトリシアは思わず頬を赤くする。
「ルキアは別件で手一杯だから、『渡り鳥』に来た。夜の巡回には来ない」
「そ、そうよね!」
 ああびっくりした。
 だがルキアならやりそうで怖いものがある。
「……トリシアは、ルキアがいるほうが安心か?」
「えっ。ど、どうかしら……。まぁ……ルキア様はある意味、心強いから」
「オレと、どっちが?」
「え……」
 真剣な顔で見つめられ、トリシアの心臓がどきまぎと動く。
「オレじゃ、心細いか?」
「そんなはずないじゃない!」
 大声で否定すると、ラグは心配そうに見てくる。
(ど、どどどどうしろっていうのよ! 面と向かって『頼りになる』なんて、恥ずかしくて言えないわよ!)
 改まって言うとなると、恥ずかしさの度合いも違う。
「た、頼りに、してるわ」
「……なんで目を逸らしながら言うんだ」
「うっ」
 覗き込まれてトリシアはラグを突き飛ばす。彼はよろめき、驚いたようにこちらを見てきた。
「ほら! 早く行くわよ!」
「……ああ」

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