Barkarole! パンデモニウム10

 翌日、トリシアは再びまた物騒なことを聞くはめになった。
 朝食をとるために近くの食堂へと足を向けたのだが、そこは噂でもちきりだった。
 イスに腰掛けたトリシアは、嫌でも耳に入ってくる話し声にうんざりしてしまう。
 どうやら……また南区で誰かが殺されたらしい。昨日は娼婦。今日もまた……となると、役人たちは何をしているのかと思ってしまった。

 元々自分に関わることではないことには、積極的ではない。
 部屋に居座ってぺらぺらと話すエミリを追い返すわけにもいかず、トリシアは困ったように笑みを浮かべているしかなかった。
「でね、昨日の娼婦殺害事件と犯人は同一じゃなかって見方もあるのよ!」
「……先輩、どこからそんな情報仕入れてくるんですか?」
「そりゃあ、あちこちからよ! 役人どもは何をしてるのかしらね。仕事をしてんのかしら?」
 ……してるとは思うが……。
 渋い表情になるトリシアに構わず、エミリは続けた。
「今日は誰が殺されたんですか」
 人の命などそれほど重要視されないから、珍しくもない。実際、貧困であえいでいる人々には、命は明日までかもしれないのだから。
 荒野に出れば、獰猛な獣たちが列車を遠巻きに眺め、人間という名の食事が落ちてこないかとうかがっている。歩いて荒野を旅する者など、格好の餌食だ。
 荒野には死体がごろごろと転がっている。トリシアがその目にしないだけで、だ。
「昨晩、南区で3人ほど殺されたみたい。名前も顔も知らないけど、普通の人じゃないの?」
「私が聞いた話では、10人くらいでしたが」
「それは話が肥大してるのね! 実際は3人らしいわ」
「そうですか」
「なんでも酷いありさまだったみたいね……。ぐちゃぐちゃだったって、現場を見た人の話よ」
「ぐ……」
 思わず目を逸らすトリシアは、平然と話すエミリを不思議そうに見つめる。
「先輩、もっと言葉を選んでください」
「なによ。あんたに飾って話すようなことはないでしょ」
 ツンと顎を逸らすと本当に美人だ。だが、いくらなんでも「ぐちゃぐちゃ」という表現はやめて欲しい。
「あら。だって本当にそうだったようなのよ。手足バラバラ。もう、惨殺としか言えないみたいね」
「……人が殺されているのに、不謹慎だと思いますけど」
「バカね。正確に情報を得ていないと困るのよ! 今のところあたしたちに害はないようだけど、危ない目に遭わないための防止策なのよ、これは」
「はあ……」
 理解できるが……それにしては、ちょっと。
(先輩……半分は面白がってると思うんだけど)
 エミリは夜に出歩くこともあるから、特に用心しているのだろう。その情報をトリシアにもおすそ分けしてくれているのだ。
 逆にトリシアはよほどでない限り、夜に出歩かない。危ないからだ。
 けれど……いくらなんでも連日人が殺されるというのは穏やかではない。
(『ブルー・パール号』が帝都に戻ってきてからなのよね……)
 他にも列車は到着しているから一概には言えないが、それでもトリシアは嫌な気分になる。
(でも夜だけ人が襲われるっていうのはなんなのかしら? しかも突然なんて)
 凄惨な事件現場だというし、きっと今頃この噂は帝都中に急速に広がっているだろう。



 帝国軍でも、この噂は広まっていた。
 下町の平民の命など、瑣末なことだ。幾人死のうと、関係ないというのが貴族の言い分。
 だがそれを、軍としては放ってはおけない。いくらほとんど所属している者が貴族出身だとしても。
 皇帝の膝元で、この事件が長引けばまずいことになる。
 事件解明に任命されたのは他の者たちだったが、首を突っ込んできた者がいた。
 本部の廊下を堂々と歩いている、妖精のような愛くるしい外見を持った少年を、通り過ぎるまで軍人たちは皆、硬直して見送っていた。
 紫電のルキア。彼はその異名で軍全体に恐れられている。
 捕まえた人間を勝手に調査して助けたり、嘆願書を漁って勝手に解決に赴いたり……とにかくもう、面倒ごとばかり起こす天才児だった。
「調子はどうですか?」
 満面の笑顔をたたえて会議室を訪れた彼に、全員が苦い笑みを浮かべるしかない。いくら年下の下級貴族とはいえ、怖いものは怖かった。
「ルキア様こそ。ここ最近は屋敷にこもっておられると思いました」
 一番近くに座っていた中年の男性が、笑みを貼り付けたままそう言う。
「そうですね。正直、忙しいです」
 だったらここに来るな。
 全員そう思ったが、口には出さない。
 ルキア=ファルシオン少尉はとにかく場の空気を一切読まないことで有名で、思ったことをすぐに口にするため、かなり敬遠されているのだ。
 一般人には英雄のように言われる彼も、軍の中ではただの厄介者にすぎなかった。
「ですが、民の平穏を守るのも務めですから。殺害された者は、現時点で何人になりました?」
「現在、15人です。いずれも、下町の南区が現場となっておりまして、三日経過した現在でも事件の首謀者の影は見えません」
「15……多いですね」
 眉を微かにひそめるルキアは、考え込む。
「現場はどうなっています? 見回りは強化していますか」
「同一犯であると見られます。現場はいずれも凄惨で、鈍器で叩き潰したように皆、殺されています。見回りの強化はしているようですが、朝方に死体が見つかって騒ぎになる、という繰り返しになっているようです」
 手ぬるいと言われるだろうかと、室内にいた者たちはどきどきしていたが、意外にもルキアは「ふむ」と頷いて部屋を出て行ってしまった。
「……な、なんだったんだ……?」
「さあ?」
「でも行ってくれてよかった……。いっつも笑顔だけど、怒ったらすごいって聞いたことがある」
「いや、怒ったことないって聞いたぞ」
「しかし……すごい美形だな。遠目に一度見たけど、近いと迫力あるなぁ」
「しっ! ああ見えてあの方は文武両道なんだぞ! なにされるかわかったもんじゃない!」
「そうそう! 『ヤト』の所属なんだ。皇帝の力で、なんとでもされるよ」
 口々にそう言い合って、彼らは会議を再開した。

「すみません、中央広場までお願いします」
「へー……いっ!?」
 乗り込んできた客に御者が驚いて口を開ける。
 物凄い美少年だと驚愕したが、噂の軍人様だと気づいて彼は緊張を走らせた。
「おい」
 ぎょっとしたのは、別の声が聞こえたからだ。
 少年に続いて乗り込んできたのも、美青年だった。泣きボクロが小さな窓越しに見える。
(な、なんだあ?)
 彼は乗合馬車を動かし、緊張に震えた。今日は何か悪いことが起きそうな気がした。

「あれ、ハルじゃないですか」
「『あれ、ハルじゃないですか』じゃない」
 ぶっきらぼうに言って乗り込んできたハルは、ルキアを嫌そうに見たが、向かいの席に腰をおろした。御者が窓越しにちらちらとこちらを見ているのが気にくわない。
「元気そうですね」
 にっこり笑うルキアに、ハルは苛立ちが増すのを感じる。
 やはりこの馬車に乗ったのは失敗だった。
「なんでおまえがこんな馬車使ってるんだ……。平民の乗り物だぞ」
「乗合馬車を貴族が使ってはいけないというのは、初耳です」
「…………嫌味も通じねぇんだから、ヤんなるぜ」
「なにか言いましたか?」
「なんでもねぇよ!」
 怒鳴ると、ルキアがきょとんとした。列車の中でも思ったが、本当にルキアは厄介な存在だ。
「ところでハルは、こちらに何か御用だったのですか?」
「あ? まぁな。中央都庁に用があったんだ」
「そうですか」
「…………」
 そこで納得して終わるところがすごい。
 ハルは嘆息し、目を細める。
「おまえのほうは、僕より忙しいんじゃねえのか? こんなところで油売ってていいのかよ?」
「忙しいですよ。あれこれと頼まれていますし」
「……なんで乗合馬車に乗ってんだ?」
「巷で噂の、殺戮事件を解決しようと思いまして」
「あぁ……あの、下町の」
 なにやってんだ、このチビは。そんなことより、重大な仕事を抱えているんじゃないのか?
 ふと、気になってルキアを見据える。
「おまえのところにラグは来たか? 強化を頼みに」
「魔封具のことですか。頼まれていませんよ」
「……チッ、なにやってんだあいつ」
「ハルはラグを気にかけていますね」
 にこにこと笑顔を向けられ、鳥肌が立った。
「あっ、あのなあ! 僕は単に、あのお人好しがイライラするから……!」
「そうですか」
「そうですかじゃなくてだな! つーかもう、おまえ、あいつの魔封具を強化してやれ! おまえならすごいの作れるだろうが!」
「自分がやると、確かに強力なものが作れますね」
 否定しないのが、嫌味ったらしく映る。だがルキアは事実だけを述べているのだ。
「ですが、ラグに言われない限り、強化はしません」
「っ! この意地っ張りどもが! 万が一にでも、ラグがどうにかなっても、いいのか!?」
「さあ? そこは本人の意志を尊重しますので、なんとも」
 冷徹に言ってくるルキアは、間違ってはいない。ラグの意志を優先しているのだから、当然そうなるだろう。
 だがハルはあの現場を見ている。ラグがキメラを……。
(…………)
 下町の殺戮事件も、あの現場と似ているのだろうか? ラグは剣を「剣」として扱ってはいなかった。まるで、ただの道具のように使い、ハルを殺そうとしたのだ。
 青ざめるハルは、ルキアを凝視する。この子供は油断ならない。まさか……犯人を知っているのではないだろうか?
「おまえ……どこに行くんだ?」
「中央広場です」
「馬車の停車先を訊いてんじゃねえ! その先だ!」
「アルミウェンという酒場です」
 そこは、傭兵ギルド『渡り鳥』の拠点だ……!

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