ラグはルキアに渡されたメモをもう一度眺め、それから顔を曇らせてふところにおさめた。
傭兵ギルドの拠点はほぼこの帝都にある。中央広場には色々な屋台が軒を連ねており、建物もひしめいているが、そのほとんどが飲食店か宿屋、ギルド本部だったりする。
もちろんここにはラグの所属する『渡り鳥』の拠点もあるわけで、顔を出さないわけにはいかない。
(……やっぱり、トリシアに)
訊けば良かっただろうか。
こんな姿のままでギルドに顔を出したら何事かとあれこれ詮索されるだろうし、場合によってはクビになるかもしれない。
ラグは乗合馬車から降りてすぐにメモに書いてある場所へと徒歩で向かった。
ルキアは顔が広いらしく、ラグの目的も正確に理解してくれて紹介状まで書いてくれた。
封ろうはされていないが、きちんとした紹介状だ。それに、怪しい場所でもない。
ラグは自信のないまま歩く。
ラグの言った条件は、腕が良く、あまり他者に知られず、また秘密を他言しない『専門』の魔術師だった。ルキアに頼めれば一番良かったのだが、彼の専門分野ではなかったのだ。
専門家を紹介してくれると彼は快く言ってくれて、そしてメモに住所まで書いてくれた。
だが帝国語を器用に使いこなせないラグにとっては難しく、トリシアに読んでもらおうと思っていたのだが……。
彼女に読ませるとバレてしまうかもしれないと考えて、結局こうして一人で目的地へと向かっている。
ルキアに同行してもらえれば一番良かった、とも考えてしまうが……彼は彼で軍に呼び出されているらしかったので邪魔はできない。
自分の現状を好転できるならいいが……もし、無理だったら?
せっかくこんなところまでやって来たのに……。
帝都に来るのは初めてではないが、ラグは苦手だった。ここは窮屈だ。
大通りは使わずに裏通りに入り、入り組んだ道を進んでいく。
メモを見て、確認しながら進むと、道の右側に並ぶ建物の中に看板が見えた。だが看板には何も書いていない。
ラグは躊躇せずにドアを開けて中に入ると、ドアの上についていたベルがリンリンと鳴って客の来訪を店内に響かせた。
「いらっしゃいませ」
左目を隠すように前髪を伸ばした中年の男性が奥から出てきた。
店の中はがらんとしており、商売をしているようには見えない。それはそうだろう。『ここ』は物を売る場所ではない。
注文して、そして受け取るだけなのだ。看板に何も書いていないのは、違法だからではなく、売り物はないということを示している。
紹介状を取り出してラグは男に近づき、渡す。彼は受け取って封を開いて中の手紙に目を通すと驚いた。
「これはこれは。ルキア様からの直々の手紙とは……!」
感嘆のような、憧憬のようなものが混じり合った声音だ。
男はラグを見上げてきて、ふむ、と一言洩らした。
「なるほど。症状を診て、できれば解いて欲しいというものですが、相違ないですかな?」
「ああ」
「ルキア様の紹介だ。手を抜くわけにはいかないですなぁ」
どこか甥からの手紙に喜ぶような、そんな親しみのにじんだ笑みを浮かべる男を不思議そうに眺め、ラグは口を開いた。
「ルキアと、友達なのか?」
「友達なんて滅相もない! いえね、前に一度軍に捕まったことがあって、命を助けていただいたのですよ」
彼はラグについて来るように言って、奥のドアを開ける。ラグはそれに倣い、続き部屋へと足を踏み入れた。
薄暗い部屋の中には本が積み上げられ、中央はぽっかりと空いている。そこには簡素で小さな丸イスが4つほど置かれていた。
「軍に捕まった? おまえ、悪いことしたのか?」
「ははっ。いえ、とばっちりで。仕事を受けたお客さんが、軍にわしのことを訴えたのですよ。
けれど、ルキア様が泣いて釈明するわしを助けてくれた……」
懐かしむように言う男に、ラグはなるほどと頷く。
きっとルキアは原因を突き止め、彼の無罪を証明してみせたのだろう。
しかしこの男は幸運だったに違いない。帝都をほとんど留守にしているルキアが居合わせたというのだから。
「ルキア様は、感謝するわしに、笑って言ってくださった。『民のためにしたことですから、感謝することはありません』と。
あの年齢で、とても立派な御方だ」
しみじみと言いながら、彼はラグにイスを勧める。ラグがそれに従い、腰をおろした。隠している剣の鞘の先がこつんと床に当たった。
「では」
と、男は真向かいにイスを引っ張って腰掛け、じっとラグを見た。
「その外套をとっていただけますかな?」
「わかった」
頷き、ラグは羽織っていた外套をとった。ばさりと脱いで、そのまま床に畳んで、置く。
背中に縛り付けられた巨大な剣。そして袖無しの、体躯にぴったりとしたシャツ。大きめのズボンに無骨な靴。
だが露出部分には黒い包帯が巻かれ、金の糸で文字がびっしりと縫われている。
上から下までラグを見た男は目を細め、渋い表情をした。
「強力じゃな。『何』と戦った?」
適切な言い方だとラグは苦笑いを浮かべる。
「『死影』と」
シエイ、という単語に男が仰天してイスから転げ落ちた。幸いというか、イスはそれほど高さのあるものではないので落ちても痛くはなかったのだろう。
男はラグを凝視した。
「負ければ死ぬだけでは済まなかったぞ、お若い人」
「知ってる」
端的に答えるラグは、わかっていて、それでもあの仕事を請けた。
困っている人がいたのだ。だったら、手を差し伸べたかった。差し伸べて、救いたかったのだ。
死影を相手にするのは、かなりの危険が伴う。こちらが死影にされることだってある。
だがラグは勝利し、死影にされることはなかった。…………だが、報復はされてしまった。
その報復の結果が、今の状況だ。
ラグは真摯に男を見つめ、呟く。
「解けそう、か?」
「『死影』にかけられたのなら、同じ『死影』に頼るしかないだろうな」
「…………」
そういう結論に出るのは、半分くらいはわかっていた。
期待はしていたが、それでも。
ラグは外套を拾い上げて羽織り、にこっと男に微笑んだ。
「ありがとう。わかった」
「お若い人」
彼は去ろうとするラグに警告するように告げた。
「もう一つ方法がある」
「……え?」
その言葉の意味に、ラグは一瞬理解できないように棒立ちになった。
*
(ん?)
次の旅に出るための申請書を出してきたハルは、中央広場のところで見覚えのある姿を見て瞼をごしごしと擦った。
つい数時間前に「二度と会うか」と決めていたうちの一人だ。
褐色の肌の剣士は、帝国人の中では目立つ。それに彼は基本的に黒い、というか……黒い衣服を身につけているから、夕方までの時間、ものすごく目立つのだ。
とぼとぼと歩いているラグの背中を見つけて、「げぇ」とハルは呻いた。
落胆している様子はわかりやすかったが、声をかけるほど仲がいいわけではない。というか、はっきり言ってハルはラグやルキアが苦手だった。
しかし……年上として、あまりにも大人気ない態度だ。そう思い直す。
(あいつ……あのチビ軍人と同じで超人かっつーの)
トリッパーでもないくせに……。
どうしようかと悩んでいるうちに、ラグの背中が遠ざかっていく。
彼はふいに広場を突っ切って、そのまま裏通りへの道に入っていってしまった。
(チッ。まあ声くらいかけてやるか)
ハルは足早にラグを追いかけて、細い道へと入った。ラグの姿がない。
(ん? どこ行ったんだ、あいつ)
というか、かけられている魔術が解かれた様子がなかったのはなぜなのだろう。
進行型の魔術のはずだ、きっと。
(あの封印布じゃ、抑え切れないって感じだったしな)
だからさっさと強化しろと言っていたのに。
だがラグの気持ちはわからないでもない。一度強化してしまえば、それは麻薬のようなもので、ラグはそれがなければ生きていけなくなるだろう。
(くそっ! どこ行ったんだ)
もう追いかけるのをやめるべきかと思うが、歩き続けてハルはぎょっとして鼻と口を隠すように片手で覆った。
こつん、こつん、と自分の靴音が響く。
嫌な予感に冷汗が流れた。
こつん、こつん。
視線をぐるっと移動させ、足を止め、そして右方向を見た。
「…………」
つぅ、と頬を汗が伝った。
細い通路に、こちらに背を向けて立っているラグの姿があった。彼の足元では、震える女がいた。
身なりからして、この辺りに住む者なのだろう。薄っぺらい衣服を着ている。
彼女のすぐ傍には、斬り殺された動物が転がっていた。そのどれもが、奇形だった。
(……げっ!)
キメラ、だ。しかも小さい。きっと商売用なのだろう。
違法の合成獣の無残な死体から視線を移動させる。剣からは血が滴っている……。
右手に剣を持ったまま、ラグは動かない。女はただ震えながらラグを見上げている。その視線がまったく外されないことから、ラグがじっと凝視しているのがわかった。
ふいに、無造作に剣が振り上げられた。ぎょっとしてハルは駆け出す。
「よせ!」
間に合わない!
ハルは咄嗟に霧状に肉体を変化させ、かっさらうように女を助けた。ラグから距離をとって実体化したハルは、女が震えながらラグを見ていることに不思議になる。
(僕に驚かない……っていうか、なんでラグを……)
ラグのほうを見る。
薄笑いを浮かべているラグが、ぎらぎらとした瞳でこちらを見ている。
背筋を悪寒が走りぬけた。
純粋な恐怖だった。
ラグじゃ、ない。
誰だ?
まるで双子のようにそっくりな、別人だとしか思えなかった。
剣を振り下ろしたままの姿勢でいたラグは、ゆっくりと動く。そして、殺した動物の死体を踏み潰しながらこちらに歩いてくる。
(……………………っ)
顔が強張る。
一瞬だ。
瞬きをした次の瞬間には、目の前に剣を振り上げたラグがいた。
「っっ!」
おののくハルは、女を無意識に引っ張って、地面に倒した。その目が、ラグの動きを追う。
(避けろっ、クソッ!)
自分を叱咤して動く。ラグの速度に間に合うかわからないが……よし、一撃目は避けた!
があん、と剣がまるで切れ味を発揮できずに地面を叩いた。
「……はっ、はぁ……はぁ……」
恐ろしい一撃だった。当たったら死んでいた。
(どうなってる……?)
女は震えて動けない。完全に腰を抜かしていた。
目の前のラグはニィ、と口元を歪める。
(こ、ろされる……)
瞬時にハルは女の手を引っ張って力任せに走り出した。
追ってくる気配はない。引きずられるようにしている女のことなんて、構っていられなかった。むしろ助けたことに感謝をして欲しいくらいだ。
随分と走って離れてから、ハルは舌打ちしながら女を地面に放り出した。この女はあとで役人に突き出してやる。
彼女は震えながらうずくまった。無理も、ない。
「はぁ……はぁ……」
全力疾走をしたハルは、流れる汗をぬぐった。逃げてきた方向からラグがやってくる様子はないので、安心した。
(アレは、なんだ?)
苛立ちながら目を細め、女のほうを見遣った。
「おい、おまえ」
「っ」
びくっと女が反応する。だがこちらを見ない。
「あの剣士に何をされた?」
「…………」
がたがたと震える女は、まるで身を守るように両腕で自身を抱きしめる。
「あいつ……あいつ前は見逃してくれたのに……!」
「前に見逃した?」
では顔見知りか?
「それなのに、今日は会うなりいきなり……! なんなの、もう!」
「…………」
事情はよくわからないが、ラグは以前、この女を見逃したのだ。だが今回はそうしなかった。
(この女がなにをしているのかわかっていて、攻撃したのか……?)
だがそれでは、ハルを攻撃した理由がわからない。いや……。
(僕がこの女を庇ったから?)
だがそれでも、あのラグに自分を攻撃する理由には足りない気がする。
困惑した表情のまま、ハルはそれでも、安堵するしかなかった。セイオンの剣士を相手にするには、自分では分が悪い。