Barkarole! パンデモニウム5

 一等食堂車で朝食をとっていると、ふいにルキアが笑った。不思議そうにするラグは彼を見返す。
「どうした? ルキア」
 相手がどういう心情でいるかと鋭く察知できるラグでも、ルキアは読めない相手だった。表情に感情は出ているし、思ったことをすぐに口にしているというのに……摩訶不思議な人物だ。
「いえ、もうこうして一緒に食事をとることもないのだなあと思うと」
「そうだな」
 うんうんと頷いていると、一番端の席でコーヒーを飲んでいたハルが懐中時計を眺め、到着時刻を確かめているのが視界の端で見えた。
「ハル」
 いきなりルキアが振り向いて声をかけたので、ハルがぎょっとして目を剥く。嫌そうにこちらを見てきた。
「……なんだ」
「連絡先を教えてください」
「嫌だ」
 即答だった。
 けれどそれで挫けるルキアではない。
「どうしてもダメですか」
「僕はいつも旅をしてるんだ。一定の場所に留まってない」
「それもそうですね」
 あっさりとルキアが引き下がると、ハルは嘆息した。やれやれといった様子だ。
 ラグは窓の外の景色が徐々に変わりつつあるのに、妙な気分になる。寂しいとか、嬉しいとか。
 帝都に戻ることは、そして『渡り鳥』の連中に会えるのは嬉しい。けれどこの旅は今まで一番充実していた。
 たくさんの優しい人に会えたし、……それに。
 ぼんやりと窓の外を見つめていると、「お飲み物です」と、キャビネットを押してトリシアが入ってきた。すっかりこの様子が定着してしまったように思う。だからこそ、寂しいのだ。
「帝都に着いたらトリシアはどうされるんですか?」
「私ですか? 私は、次の発車まで自由時間になります」
「そうですか。一緒にどこかに食事に行きませんか? みんなで」
「こらああああ! 僕の意志は無視か!」
 ハルが立ち上がってこちらに人差し指を突きつけているが、ルキアはまったく気にしていない。
 この場にいるのは4人だけだ。つまり、ルキアはここにいるメンバーで行こうと勝手に言っているのだ。
 トリシアは半眼になった。
(あ、嫌そう)
 ラグが素早く察知し、苦笑しそうになってしまう。
「ルキア様はお仕事で忙しいでしょう? 無茶言わないでください。そもそも貴族が平民と食事をともにするなど、聞いたことがありません」
「そうだそうだ!」
 ハルも賛同している。
 ルキアはちょっと考えて、ラグのほうを見てきた。
(絶対にわかってない顔だな、ルキア)
「今も一緒に食事しているのですが、なにかおかしいのですかね、ラグ」
「トリシアもハルも、ちょっと神経質なだけだ」
 そう言うと、トリシアとハルの眉が吊りあがったのがわかる。
(ぶっ……! わ、笑っちゃいけない……!)
 必死に笑いを堪えるラグとは違い、ルキアはふんわりと微笑んでトリシアに向き直った。
「では自分は変装しますので、それならどうです?」
「っ! そういう問題じゃありません!」
「そうだ!」
 ズカズカとハルも歩いてきて、ルキアを見下ろす。腕組みまでしていた。
「この添乗員の言ってることをちゃんと聞け!」
「聞いてますが」
「耳から素通りしてるだろーが!」
 こめかみに青筋まで浮かべてぷるぷると震えるハルは、よっぽど頭にきているらしい。真横のトリシアでさえ少し驚いている。
「僕もラグも添乗員も平民、おまえは貴族! 身分差があるから一緒にいることは、本当なら難しいんだぞ!」
「ですが……自分はべつに気にしません」
「おまえは気にしなさすぎなんだよっ!」
 目を血走らせるハルは、どう説明しても無駄だと思ったのか、渋い顔をした。
「あーもう知らん! 僕はいち抜けた!」
 怒ったままそう言い放ち、自分の席へと戻っていくハルをルキアは不思議そうに見ている。
 トリシアがこほんと咳をした。
「ハルは怒りっぽいですね」
 にこやかに言うルキアのセリフに、コーヒーを飲んでいたハルが「ブッ」と吹いているのが見えた。
「そ、そういう問題ではないかと思いますけどね、ルキア様」
「そうですか? ですが皆、気にし過ぎなんですよ。そんなに気になるなら、自分が平民のふりをすればいいのですし」
「いえ……あの、ルキア様、ご自分が目立つということを自覚なさってください」
「目立つ? この軍服がですか?」
「いえ……あの、全体的に」
 トリシアもしどろもどろだ。ハルはおかしくてたまらない。
 ルキアには直接言わなければ通じないというのに。
「ルキア、ルキアは顔が目立つから、変装しても無駄だ」
「では覆面でもしましょうか」
「それじゃ、完全に不審者ですよ……」
 頭が痛い、と言わんばかりの口調のトリシアに、ラグは笑ってみせる。
 ずっと続いていた荒野から、少しずつなだらかな平原へと変わっていく。帝都はまだ緑の多い地域なので、こういう風景が郊外には多く見られるのだ。
 ぽつりぽつりと小さく見える影は、町に住むことのできない者たちの小屋か、打ち捨てられたあばら家くらいだろう。
(戻って来た……のか)
 ラグは唇を引き締めた。
 自分の運命が、決まろうとしていた……。

 帝都『エル・ルディア』まで、あと少し――――。

***

 帝都『エル・ルディア』到着のアナウンスが駅内に響き渡る。
 『ブルー・パール号』は無事に帝都まで着いた。
 見送りに並ぶ乗務員たちの中、トリシアは降車してくるラグがやけに険しい顔つきをしていることに気づいた。
(ラグ……?)
 奇妙だとは思ったが、彼はルキアが降車してくるのをそこで待ち、唇を引き締めていた。
 ルキアが降りてきた途端、ラグは駆け寄って話しかける。トリシアのいる場所からは話し声は駅内のざわめきに掻き消されて聞こえてこない。
 相変わらずルキアは笑顔だった。そしてラグに安心させるように話しかけているのが見える。
(ルキア様って大物よね……)
 そう思うトリシアだったが、ラグは気が急いているようではっきりとそれがうかがえた。
 彼は何か言いかけて口を噤み、頷く。
(…………大丈夫、かしら)
 直情的なラグがあれほど取り乱すことはない。いや、直情的だからこそ、取り乱す何かがあるのかもしれないのだろうが。
 心配してもしょうがないのに、と思い直し、トリシアは乗客全員を見送って、自分の荷物をまとめるために一旦列車の中に戻った。

 自分が使っている部屋に入り、用意していたトランクに荷物を詰める。
 最低限のものしか持って来ていないので準備は簡単だ。
 トランクを持ち、降車するとどこか途方に暮れたような表情でラグが待っていて仰天してしまった。
「ラ、ラグ……」
 なんでここに居るんだろう?
 もう行ってしまったはずだ。自分は確かに彼が去ったのを見た。
 それなのにここに居るということは、彼が戻って来たことを示している。
 彼は荷物袋の紐を肩にかけ、少し俯いた状態でいたが、トリシアが降りてきたのに気づいて顔をあげた。
「トリシア」
「どうしたの? なにか用事?」
「…………」
 眉をひそめるラグにいつもの明るさはなく、ただ暗澹とした空気がだけが漂っていた。
 先程のルキアとの遣り取りといい……やはり何かあるのだろう。
 トリシアは自分から踏み込まない。相手の領域に入るのは、干渉をするということだ。自分は仕事以外ではあまり干渉されるのが苦手なほうだから、どうしたらいいのかわからなかった。
 彼はふいに表情を緩めると、微笑した。その唐突の微笑にトリシアはどきりとしてしまう。な、なんだ? なんで笑う?
「なんでもない。お別れ、言いに来た」
 彼は手を差し出す。握手、だ。
 トリシアは少しためらってしまったが、彼の手を握る。かたい手、だ。剣を握る時にできるタコがあるのがわかる。
「ありがとう、トリシア。オレ、トリシアのこと忘れない。また、どこかで」
 会おう、とは続かなかった。言葉はそこで途切れる。
 ラグの瞳が一瞬陰り、凶暴な色を見せたのだ。
 ハッとしたように彼は瞬きを繰り返し、それから慌てて手を放した。
「じゃあ」
 慌ててそう言うと、彼は颯爽とした足取りで行ってしまう。トリシアは呆然として、何も言い返せなかった。
 なにも……伝えられなかったのだ。
 ラグに握られた手を見下ろし、それからトリシアは自分が使う宿舎に向かうべく、乗合馬車の乗り場へと歩き出した。

 トリシアは乗合馬車から降りて賃金を払う。他にも同じ、中央広場で降りる者は多い。
 この中央広場から降りて、目的の下町まで行くには徒歩になる。舗装されていない道だし、貧民がうろうろしているから馬車で行くには少々危険なのだ。
 割と治安のいい西区にトリシアの借りている宿舎がある。弾丸ライナーの女性乗務員はその宿舎を利用するのが通例となっている。
 トランクを持って歩き、トリシアは慣れた歩きで目的の宿舎まで歩く。エミリは買い物をしてから戻るとのことだったので、一人で向かった。
 下町特有の建物が並び、どこも寂れた印象を与える。だがそこに人は必ず住んでいて、生活をしているのだ。
 まだ昼をちょっと過ぎたくらいなので、ガラの悪い者たちもうろついていない。安心して出歩ける時間帯だ。
 トリシアは目的の宿舎まで寄り道もせずに進み、到着してからその建物を見上げた。
 周囲のものに比べると、大きめに建造された宿舎は、管理人を除けば30人は住めるようになっている。
 弾丸ライナーそのものの数が少ないことも関係しているので、添乗員の数も必然的に少ない。
 それにほとんどを列車の中で過ごすので、仮住まいはこちらとも言えた。
 入り口のドアを押して中に入ると、すぐ右手前にドアがあり、そこから大柄のやや太り気味の女性が出てくる。
「おやまあトリシア。『ブルー・パール』は無事に帰ってきたんだね」
「ペトラさん!」
 トリシアは彼女の抱擁を受けつつ、懐かしさに目を細める。
「エミリはどうしたんだい?」
 一旦トリシアを離してからペトラが尋ねた。トリシアは苦笑する。
「先輩は買い物をしてから戻るってことです」
「あの子は自分を飾り立てることに関しては天下一品だからね」
「あ、あはは……」
「あとで作った焼き菓子を一緒に食べようかね。ほとんど皆出払っていて、暇なんだよ」
「喜んで」
 そう言ってまた抱擁を受けた後、トリシアは自分が借りている部屋へと向かう。
 二階にその部屋はあり、トリシアは階段をあがってから小さく笑った。
 ここに戻ると毎回思うことだが、自分がきちんと生活しているのだと実感できる。
 部屋の前に立ち、持っていた鍵を差し込んで開けてから、ドアを開く。
 管理人のペトラが時々掃除をしてくれているおかげか、部屋は汚れていない。
 簡素な部屋だ。だがそれでも肩から力を抜くには充分だった。
(ただいま……)
 心の中でそう洩らしてトリシアはベッドまで歩くと、そこに倒れこむように前のめりに沈む。
 貴族や裕福な者たちが使えるようなふかふかのベッドではないし、硬い。けれど痛くはなかった。
(あぁ……疲れた……)
 トランクを床に落とし、トリシアは素直に眠りに応じた。
 色んなことがあった。そして『ブルー・パール号』の準備が整い、次の旅が始まるまでは自分は自由なのだ。

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