Barkarole! パンデモニウム4

 最後尾の列車の中から、見張りのために外に出ていたラグはぼんやりと闇を見つめていた。
 手すりに遮られた闇を見遣り、座り込んだままラグは風に晒されていても平然としている。肌寒いが、セイオンの民はこれくらいの寒さは平気だった。
「おい」
 背後からの呼びかけに、ラグは仰ぎ見て反応する。思ったとおり、ハルが立っていた。
「ハル」
「…………」
 睨まれた。
 ラグはぼんやりとハルを見返す。ハルの瞳が闇の中のほうが活き活きしていることに、ラグは気づいていた。
 風にハルの髪が揺れる。
 こんな狭い場所に男が二人もいると、かなり窮屈だ。黙っているラグを見下ろしていたハルは痺れを切らして口を開いた。
「おい、なんで何も言わねぇ?」
「名前を呼んだが、返事をしなかったぞ?」
「…………」
 眉を吊り上げるハルは、大仰に嘆息した。そして腕組みをしかけて、やめる。片手に持っている懐中時計を、神経質そうに触り始めた。
(ハルはなんだか、忙しいな)
 懐中時計を持ち歩いているのは、ハルの性格上仕方ないのだろう。時間にうるさそうだ。
 走り続ける『ブルー・パール号』の走行音だけが響く。月光で照らされている荒野の中を突っ切っているが、充分な明るさではない。
 膝を抱えて座り込んでいたラグは、視線を前に戻す。通り過ぎていく線路が、月光を反射してきらめいていた。
「ハル、イライラはよくない」
「うるせぇ!」
「すぐ怒鳴るのも、よくない」
「そっ! そ、ういう……。
 ……僕のことじゃなくて、おまえのことだ!」
「…………」
 ハルは怒鳴らないと気が済まないのだろうか。そんなことでは、周りの人が彼を誤解してしまう。
「心配してくれるのは嬉しい。ハル、ありがとう」
「気色悪いこと言ってんじゃねえ! おまえは自分のことをもっと考えろ!」
「?」
 怪訝そうに振り仰ぐと、物凄く怒っているハルの顔が見えた。彼は自分より年上なのに、なんだか妙に子供っぽいところがある。
「あのチビ軍人に無理やりにでも頼めばいいだろ!」
「ルキアのことか?」
 チビ、と軍人、という単語の組み合わせが聞き取るのが難しく、つい訊き返してしまう。
「そうだ!」
「ルキアに、何を頼むんだ?」
「ばっ、バカかおまえ!」
 怒りで顔を赤くするハルを見上げた体勢のままで、ラグは不思議になる。そういえば、これほど自分は感情を露にしたことがあるだろうか?
「その!」
 ハルはラグの黒い包帯を指差す。
「魔封具だ! 強化してもらえ!」
「強化?」
 ハルはわざとその話題を出さないようにしてくれているはずだったが、なにか思うことでもあったのだろう。
 ラグの包帯は誰から見てもすぐに何かを封じているとわかる。いつも羽織っている外套が全身を隠していたから見咎められることはなかったが、それでも誰もが目を瞠る。
 ああ、この男はなにか厄介なことを抱えている。関わるのはよそう、と。
 この弾丸ライナーに乗り込むまでの間に、そういう視線は何度か受けた。
 表情を曇らせるラグに、ハルはこの際、気づかないふりをしたようだ。
「とりあえず、問題は先送りにできるだろーが」
「今すぐ強化をすると、強すぎて、包帯を外した時の反動が大きい」
 風呂に入る時など、魔封具の補助薬品を飲んでから包帯を外すのだ。今、強化をしてしまうと一生包帯を外せなくなってしまう。
 万が一にでも魔封具が破損してしまうと、どうなるかわからないのがラグには一番困った問題だった。
 そう……車両の上部分だけ破壊、ならまだいい。……まだ、いいほうなのだ。
「こういうことは、いちいち他人を気にするもんじゃねぇ。自分の有利なほうだけを見てりゃいいんだ!」
「それじゃ、他の人が困る」
 ダメだ、ときっぱりと言うラグは、視線を戻した。
「なんで自分のことだけ考えねぇんだ」
(ハルのほうが辛そうだ)
 声が痛々しい。
「ハル、ありがとう」
 それだけしか、言えない。
 背後で怒りに震えるハルが、引き戸を開けて、乱暴に閉めた音がした。
 またひとりぼっち、だ。
 セイオンの戦士は、独りに慣れている。
「ハル、怒ってましたね」
「ルキア」
 振り仰ぐと、随分と小さな影がこちらを覗き込んでいた。
 どうやら入れ違いにやって来たようだ。麗しい美貌の少年は、小首を傾げてみせる。
「ハルはオレのために怒った」
 これで適切な言い方だろうか? 帝国語は文法も難しく、ハルの出身地であるセイオンの島々と発音が異なるので間違っていないかどきどきしてしまう。
「そうですね。楽なほうを指し示してくれるのも、いいとは思いますよ?」
「楽?」
「ラグには縁遠い言葉ですかね」
 苦笑するルキアは愛らしく微笑んだ。長い髪が風になびいた。
(そうか……オレ、バカだから気づかなかった。ハルは、助言をくれていたのか)
 楽なほう……というと、方法だろうか?
「魔封具の強化は、いつでも引き受けますよ」
「ありがとう」
 感謝の言葉だけじゃ、足りない。
 みんなが親切すぎて、自分の力でなんとかできないのがもどかしい。
「……なんだか泣きそうですね、ラグ」
「ここは見てみぬふりをするところだ、ルキア」
 忠告をすると、ルキアが目を丸くした。
「そういうものですか。……ふむ。勉強になります」



 マハイア駅に無事に到着し、トリシアは買い物に出かけた。マハイアは交易が盛んで、露店が多い。
 軒を連ねる屋台に駆け寄って、あれこれと物色してしまった。
 エミリに頼まれたもの。それから、列車に残っている職場の仲間に頼まれたもの。
 有意義な時間を過ごしたと満足し、大好きな揚げパンを購入して列車に戻った。
(やっぱりここで揚げパンを買わないと!)
 マハイアに寄れる時は必ず買うことにしている大好物だ。
 頬が緩む。
「嬉しそうだ。どうした、トリシア? いいことがあったか?」
 声をかけられてぎくっと動きを止める。
 振り返ると、ラグが立っていた。警護のために彼はここから離れられなかったに違いない。
 乗客だというのに……なんだか本当に申し訳なかった。
「買い物をしてきたの」
 小さな声でそう言うと、ラグは嬉しそうに笑った。
「そうか! 楽しかったんだな?」
(う!)
 そんな純粋な笑顔を向けられると、なぜか胸が痛む。
 トリシアは揚げパンをあげようかと考えて、改めた。彼はイズル駅までずっとパン食だったのだ。いくらなんでも……。
(しまった! なにかもっと気の利いたものでも買えばよかった! 食べ物だって、パンじゃなくて……うぅ)
「気を遣うことないぞ」
 言い当てられ、トリシアは驚愕に目を見開く。
「あれ? なんで固まる?」
 首を傾げるラグはすぐに理解して、笑い声をたてた。
「驚くことない。オレ、そういうの、なんとなくわかる」
(なんとなく!?)
 なんだか睨むように見てしまうと、ラグはますます楽しそうにした。
「はは。トリシア、わかりやすい」
「そ、そう?」
 むしろわかりにくい部類に入るはずなのだが……。
 爽やかに笑うラグは表情を改め、それからふいに視線を伏せた。物憂げな顔にトリシアは口を噤む。
(また、この顔……)
 ラグはすぐに元の表情に戻るときょとんとした。
「なんだ? オレ、また何か……」
「え?」
「あ、いや……なんでもない」
 慌ててぶんぶんと片手を振るラグは恥ずかしそうに顔を赤らめ、俯く。
 妙な空気が流れる。
(な、なにこれ……。ちょ、ちょっと……)
 ラグが変な態度になるからいけないのだ。身を縮めると、彼がハッとしたように動いた。
「ごめん。困らせた」
「え? いえ、いいのよ」
 笑って応じるが、ラグが疑っているのはわかっている。それに彼はどうやらほぼ直感で相手の気持ちを理解してしまうらしい。
(隠し事ができないタイプか……面倒ね)
「困ってる」
(うぐ……)
 ほら言い当てられた。
 口元を引きつらせるトリシアを安堵させるようにラグは微笑んだ。
「せっかく気分転換したのに、困らせて悪かった」
 身を翻すラグの外套の端を、なぜか反射的に握ってしまう。あれ? とトリシアは目を丸くした。
 後ろに引っ張られてラグが振り向いてきた。
「トリシア?」
「……こ、」
「こ?」
「困ってるのは本当だけど、迷惑ではないわ!」
 急いで言うと、ラグはうまく聞き取れなかったようで怪訝そうにする。
(ひ! 今の恥ずかしいセリフをもう1回言うの!?)
 なんの罰だ!
 だがトリシアは手を放してから、こほん、と咳を一度してから深呼吸をする。
「困っているのは本当だけど、迷惑ではないわ」
 聞き取れるようにと今度は一つ一つ、単語を区切るように強く言った。するとラグは眉をひそめ、頬を赤らめる。
「そ、そうか。なら、いい」
 素直に何度も頷き、ラグはぱたぱたと駆けて行ってしまう。
 残されたトリシアはほー、と長い息を吐き出した。
(なにやってるんだろう、私)

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