Barkarole! パンデモニウム2

 ルキアとすれ違ったトリシアは、欠伸を片手で隠しているルキアに小さく笑った。
「ルキア様、寝ないとだめですよ」
 そう注意するが、彼はただ頷いて行ってしまう。
「……?」
 何か言ってくるかと思ったのだが……どうしたのだろう。
 軽食を持ってラグのところを訪ねると、ラグはかなり気落ちした様子で座り込んでいた。
 こちらも何か様子がおかしい。
(ルキア様となにかあったのかしら?)
 仲良し組だと認識していたし、ケンカをしたという感じではない。奇妙だ。
 項垂れているラグはトリシアの気配に敏感に気づいて顔をあげる。
「トリシア」
「軽食を持って来たわ。どうぞ」
 お皿に乗せられたサンドイッチを眺め、ラグは恐る恐る手を伸ばしてくる。彼が何かを恐れるというのは想像できなくて、トリシアは目を丸くした。
(本当に、何があったのかしら?)
 サンドイッチをもぐもぐと食べるラグは無理やり作った笑顔をトリシアに向けた。
「ありがとう。とっても助かる」
「…………」
 ぎこちない。
 あまりにも酷い様子にトリシアは横に座り込んだ。いきなりの行動にラグは驚き、戸惑う様子をみせる。
「ルキア様に何か言われたの?」
 切り出すと、ラグは動揺して目を泳がせた。
「言われたのね?」
「ルキアは悪くない」
 先回りをするようにラグが慌てて言ってくる。
「オレがあれこれ悩んでるから、助言、してくれた」
「……アドバイスをされたのに、随分と表情が暗いわ」
 指摘するとラグは頬を赤くして、自身の顔をぺたぺたと空いている手で触る。
「そ、そんなに顔に出てた、か?」
「出てた」
「う……」
 困ったように眉をさげる彼は可愛らしい。
「……ルキアは、相談相手に向いてないから」
「そうなの?」
「でもルキアは魔術に詳しいから、でも全部言うには、ちょっと……むずかしくて」
 あれこれと考えながら喋っているのだろう。言葉が拙くなっている。
 彼には言いたくないことがあって、それをルキアに打ち明けられなかったのだ。
 ハルが執拗にトリッパーであることを隠しているように、ラグにも事情がある。そしてきっとそれは。
(……この、封印布のことね)
 彼の、外套の下に見える腕には金色の糸で魔術文字を縫われた黒い包帯が巻いてある。打撲用の白い包帯と違って、かなり目立つ。
 何かを封じているのはわかるのだが、『なにか』をラグは言いたくないのだろう。
(あんなに仲のいいルキア様にも言えないんだったら、私なんてだめね)
 けれど力になってくれるはずのルキアの助言に、ラグは落ち込んでいる。良くないことを言われたか、期待外れのことを言われたか……。
 サンドイッチを一口ずつ食べるラグは、ちらちらとトリシアを見てきた。……邪魔、だろうか。
(どうしよう……タイミングが……)
 立ち去るタイミングを逃してしまった。どうしよう……。
 顔をしかめていると、ラグが口を開いた。
「トリシアは、もしも自分の手に負えないことがあったら、どうする?」
「え?」
 質問にそう返し、それからトリシアは眉をあげた。十中八九、ラグの悩みはやはり封印布のことだ。
 彼の手に余ることだから、そして魔術に関係することだからラグはルキアに相談した。
(あまり喋らないほうが相手にわからなくていいと思うけど……。そうか。ラグは不安なのね)
 真っ直ぐで、あまり考えないタチのはずだ、彼は。それなのに、随分と『重荷』を背負ってしまい、重みに潰されそうなのだ。だから不安なのだ。
(ファシカと戦った時とかのことを考えると、本当に何も考えてなさそうに見えるけど……)
 真摯に見つめられ、トリシアは「そうね」と前置いて続けた。
「私なら、助けを求めるわ。自分で解決できないなら」
「…………」
「誰かが助けてくれるかもしれないけど、助けてくれないかもしれない。だけど、やらないよりはいいと思う」
「……ああ」
 頷くラグは、それでも不安そうに瞳が揺れている。
(只事じゃないのね……。ラグが封印しているものって、すごく大変なことなんだわ……)
 でもルキアになんともできないのなら、トリシアには本当に手出しできない。
 サンドイッチを食べ終えて、皿を彼はトリシアに返してくる。
「そうだな。最初から諦めたらだめだ」
 何度も頷くが、ハルの声には覇気がない。
 痛々しくて見ていられなかった。
 誰だって、つまずく時があるものだ。たぶん、ラグは今それなのだ。彼は盛大にコケてしまった。そして、立ち上がろうとしている。
「ん」
 トリシアは手を差し出す。
「?」
 不思議そうに手を見るラグに、トリシアは微笑んだ。
「私は、ラグが困っているなら助けるわ。この列車の中で、助けてもらったし」
 迷惑もたくさんかけられたけど、それは今は余計なことだ。
 トリシアは素早くラグの手を握る。彼はびくっとして手を引っ込めようとしたが、思いとどまった。
「人間の体温っていいでしょう? 少しは安心できるから」
「…………うん。トリシア、あったかいな」
 微笑むラグは、照れ臭そうにした。
「サンドイッチ、ありがとう。オレ、トリシアには感謝ばっかりだ」



 ルキアは大人しく部屋で眠っているようだ。
 二等客室の展望室の掃除をしていたトリシアは、ぼんやりと外の景色を眺めているハルに出会って驚く。
「ミスター」
 相変わらず顔色が悪い。
 彼はこちらを見て、目を細めた。
「……ああ」
(「ああ」って……)
 ハルの態度が悪いのはわかっていたので気にしないことにする。
 掃除を開始したトリシアを眺めていたハルは、本当に珍しく口を開いた。
「ラグを雇うことにしたんだってな」
「え? はい」
 客に言ってはいないので、なぜそんなことを知っているのか疑問になったが……見当がついた。
「聞こえたんですか?」
「聞こえる範囲内でだ」
「…………」
 聞きたくて聞いたわけじゃないと態度に出すハルは、腕組みしてこちらを眺める。
「普段は聞こえないから安心しろ」
「わかっています」
 頷くと、ハルは険しい顔をした。
(なんだか……また機嫌が悪くなったみたいだわ)
 ハルは立ち去る気配を見せる。
「まあ、あのチビ軍人よりマシだろうから文句はねぇ」
 相当ルキアは嫌われているらしい……。
「ルキア様に悪気はないと思いますが」
「あ?」
「いえ、なんでもありません」
「…………」
 じぃっと見られてトリシアは居心地が悪くなる。はっ、としたようにハルが目を見開いた。
「おい、添乗員!」
「はっ、はい!?」
「ここで足止めしておけ! ていうか、無理にでも部屋に連れて行け!」
 そう言うなり、身を翻してハルが駆け去る。いきなりの光景にぽかんとしていると、部屋の横開きのドアが開いた。
 長い水色の髪が揺れ、赤い瞳の子供が現れる。
「あれ? お掃除ですか、トリシア」
「る、ルキア様……」
 こめかみが震えた。これはハルの言うとおり、部屋まで連れて行かなければいけない。



 サンドイッチの差し入れをしていると、ずっと同じ姿勢をしているラグの身体は痛くないのかと思ってしまう。
 集中している時は声をかけるのをためらうほどだが、彼はとにかく気さくだった。
 空になった皿を持って歩いていたトリシアは、ラグが休憩をとるために数人の乗務員と交代しているのも知っていたが、24時間のほとんどはラグが盗賊たちを一人で監視していた。
 さきほども水分をほとんど取っていないのに、平然としていた。
(む……)
 彼も仕事中なのだから、何か言うべきではないのはわかっている。けれど、あれでは身体を壊してしまうのではと心配もしてしまうのだ。
 一日の仕事を終えて自分の部屋へと戻る頃、エミリがひょいと自室から顔を覗かせた。
「あ、エミリ先輩」
「トリシア。ラグにはもう食事を持っていったの?」
「怠るわけないじゃないですか」
 呆れて言い返すとエミリが愛嬌たっぷりの笑顔を向けてくる。
「わかってるわよ。あんた、真面目だから」
「仕事なんですから当たり前です」
「あたしだったら、車両の上を吹っ飛ばすような傭兵、怖くてあんまり近づきたくないけど」
 おどけて言うが、トリシアが思わず顔をしかめるとエミリはばつが悪そうに肩をすくめた。
「言い過ぎたわ」
「いいえ、本当のことですし」
「あんた、ラグと随分と打ち解けてるのね」
 驚いたようにしながらエミリが部屋から出てくる。寝巻き姿なのでトリシアのほうが慌てた。
「先輩! そんな格好で外に出たらダメですよ!」
「べつにいいわよ。ここの乗務員どもに見られてもヘーキだし」
「そういう問題じゃありません!」
 頬を膨らませて言うと、エミリが「まっじめ〜」とからかってくる。
(だってエミリ先輩は私と違うもの)
 色気皆無の自分と違って、エミリは身体の凹凸のはっきりしている美人だ。薄っぺらい寝巻き姿で外をうろつくのは危ない。
「ほら、早く中に戻ってください!」
「遅番のあんたを待ってたのにぃ」
「え? 私ですか?」
 なぜ???
 疑問になっているトリシアににやりと笑ってみせ、エミリは楽しそうにうかがってくる。
「ねえねえ、実際のところラグとはどうなの?」
「どうって……べつにどうもないですが」
「えぇー。つまんない。ロマンスとか発生しないわけ?」
「そんなもの、仕事中に発生するわけないじゃないですか」
 どこかの物語ではないのだ。あるわけがない。
 どこまでも現実的なトリシアに、エミリは唇を尖らせた。
「面白くない〜!」
「べつにエミリ先輩を面白がらせるような話題は提供できません。
 むしろ先輩こそ、なんでいつまで経っても彼氏とかできないんですか」
「それは、あたしに寄ってくるのが重たいのばっかりだから」
 体重が、ではないだろう。精神的に重たい、という意味のはずだ。
 トリシアは、美人は美人で悩みがあるのだと感慨深く頷く。
「それに、あたしは一撃必殺! な相手を狙ってるのよ」
「? なんですか、それ」
「あんたのラグと同じようなものよ」
「! べつに私とラグはそういう関係ではありません!」
 ぴしゃりと言い放つと、エミリはまた顔をしかめた。
「あやしぃ。そういえばトリシアって、どんなタイプが好みなの?」
 好み?
 トリシアは混乱し、視線を泳がせる。
「いえ、好みとかあまり考えたことはないんですけど……」
 それは自分がモテたことがないからだ。選り好みできる立場ではないし、自分を見初めてくれる相手がいるかどうかも怪しい。
 落ち込んでしまったトリシアに気づき、エミリが困ったように笑っている。
「……もう寝ます」
「そ、そう? じゃ、おやすみ〜」
 手を振って部屋の中に引き返すエミリを見遣り、それからトリシアは嘆息した。
(この仕事は好きだけど……いつか、私も誰かと結婚して……家庭とか持てるのかしら)
 平穏な暮らしを望むトリシアにとっては、ラグなど論外だった。
(いくらなんでも、無理よ無理。それにべつにラグは私のことを異性として見てるわけじゃないもの)
 嘆息して、トリシアは自分の部屋に入った。

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