Barkarole! 序章9

 テーブルの上に地図を広げて、ルキアはふぅんと小さく洩らす。向かいの席に座るラグはそれを眺めているだけだ。
 せっせと食器を片付けているトリシアには、彼らをうかがう気はないので、早く退散する様子がありありと見てとれた。
「ルキア、どうするんだ?」
「『雲わた』の面子もあるでしょうからこちらが手助けをするのは控えますが……困りましたね」
「なにがだ?」
「軍の上層部から色々と言われているので……あまり派手に動けないのです」
「ん? よくわからない。ルキア、軍のヤツらにいじめられてるのか?」
「え? どうでしょうね。ワイザー将軍からはよく殴られて叱られましたが……うーん……」
「ルキアを殴ったのか!?」
 仰天するラグはまじまじとルキアの顔を見ている。彼は苦笑した。
「傷は残っていませんよ。軍には腕のいい医者がいるので、大抵の傷は治してくれるのです。……変人ですけどね」
 うんざりしたような声音のルキアは初めてだ。つい、トリシアは彼のほうを見てしまう。
「『ヤト』に入ってからはあまり会う機会がないので殴られてはいませんが。なんというか、豪胆な方ですから」
「うーん。でも殴るの、よくない。話し合いとか、だめか?」
「男は時に、拳で語り合うものなのですよ、ラグ」
「……? う? よく、わからないぞ……?」
 困惑して眉間に物凄い皺を寄せているラグが可哀想になってきた。
 ルキアはドナ山脈のほうをすっと指差し、つつつ、と地図上で人差し指を走らせる。
「この辺りに出没するそうですが……。明らかに通る列車を狙うように出てきていますね」
「どうやって襲う? 乗り込んでくるのか?」
「その時々で違うそうですね。どちらにせよ、一時的に停止させて襲うのが定石でしょう」
「こんなに速い弾丸ライナーでも、止められるのか」
「…………人間の死体でも線路に転がしておけば、止めざるをえませんよ」
 平然とした顔で言われてラグがぎょっとする。顔をしかめた彼は、「うん」と弱々しく頷く。
「動物の死骸でも可能な手ですから、人間を使う必要はないのでしょうが……。一番効果があがるのはやはり人間ですね」
 あとで線路からどけるには、巨大な獣ではまずい。効率的な手を考えるとそうなるのだろう。
(……確かに、飢えて死ぬ貧民は多いわ。荒野に転がってる死体を拾ってくれば簡単に事は済むし、使い終わったら荒野に捨てておけばハゲタカが始末してくれる)
 納得するが、あまりいい手ともいえない。けれどルキアが言う以上、人間の死体を使ってこういう手に出てきているのだろう。
 線路に障害物がある場合、必ず止まらねばならない。油断が生まれるのも当然だ。
 列車というのは、停車時が一番隙が生まれやすい。
「後手に回るのは好きではないのですが……仕方ありませんね」
 襲われたら容赦しないと言外に言っているルキアは、トリシアに紅茶のおかわりを頼んでくる。
(そういえば一網打尽にするとか言ってたけど……ブルー・パールが襲われるって確信があるみたいな言い方してたわね)
 いや……というよりは、襲われても襲われなくても、盗賊集団を壊滅させるという意志が見え隠れしているのだ。
(……どうやって……?)
 なんだか空寒いものを感じてトリシアはぎこちない動きになってしまう。
「ルキア、オレも手伝うぞ!」
「ありがとうございます」
 素直に感謝の言葉を述べるルキアはトリシアが淹れた紅茶を口に含み、目を細める。しゃらん、と彼のつけている片眼鏡のチェーンが軽く鳴った。
 なにか考え込むような仕草をしたあと、ルキアがふ、と軽く笑った。トリシアは嫌な予感が的中することに、確信を抱くしかなかった。
 この後、ドナ山脈に入り、しばらくして……ブルー・パールは停車を余儀なくされる。だがそれは、ルキアが言ったこととは違い……内部からの犯行によるものだった。



 ブルー・パール号が急停車したのは、トリシアがハルに呼び止められて医療車両へと案内をしている最中だった。
 彼は貧血気味だと訴え、医務室がどこか探していたのだ。
 確かに元々色白い。帝国人とは違う肌の色をしているが、それでも彼の肌の色は白めだった。もしかしたらあの小瓶の中のものは、乗り物酔いのための酔い止め薬だったのかもしれない。
 思い当たり、トリシアは素直に先導して歩いていた。その時、激しいブレーキ音と共に車体が揺れた。
「きゃあ!」
 衝撃に耐え切れずにバランスを崩すと、ハルが舌打ちしたのが聞こえた。
「おい女。ど……」
 どうなってる? と問おうとしたのだろうが、彼はすぐ近くの降車口から外を見遣り、「ん?」と眉をひそめた。
「なんだ……?」
 ばたばたと足音がし、どこかのドアがこじ開けられる音がしていた。
 トリシアもハルの背後から外をうかがう。大勢の男たちがブルー・パール号を囲んでいた。
(あ、あれは……!)
 見るからに同じマークをつけたスカーフをつけている。仲間、同志だと意志表示している彼らはおそらく……山賊、つまりは盗賊集団だ。
(本当に出た……)
 愕然とするトリシアはおかしいことに気づく。こういう時に率先して出てくるラグやルキアの姿がない。彼らは山賊たちが侵入してきている先頭車両に近い場所に居たはずだ。妙だ。
「チッ。後ろにもいやがる」
 面倒そうに言うハルは目眩でも感じたのか、低く呻いて三歩ほど後ずさった。
「だ、大丈夫ですか、お客様!」
「……うるさい。声がでかい」
「申し訳ありません……」
「……あのちびっこ軍人とセイオンの坊主はどうした。こういう時こそヤツらの出番じゃないのか」
 憎らしげに洩らしたハルは体勢を直し、もう一度外を覗いた。
 すでに外は茜色に染まっている。もうすぐ夜になるのだ。
「ミスター、どこかに……近くの部屋で構いませんから、避難していてください。様子を確かめて参ります」
「バカか、てめぇは。どこに隠れたって、見つかるに決まってるだろ」
 心底馬鹿にした口調で言い放ち、ハルは耳を澄ました。
「……なるほど……。誰かが手引きしたか。乗務員と客を盾にとられてちびっこもセイオンの坊主も手出しができないみたいだな」
「? 聞こえるんですか?」
 会話が。
(ありえない……なにこの人。トリッパーって、特殊能力を持ってるって聞いたことはあるけど)
 戸惑うトリシアを見遣り、ハッとしてハルは顔を真っ赤にした。
「なっ、なんだその顔は! 僕が嘘を言ってるとでも!?」
「え? い、いえ、そんなことは思っておりません」
「な、ならいいんだ……」
 フンと鼻を鳴らすハルは佇み、目を細める。
「……無抵抗のセイオンの坊主は殴りつけられてるな。ちびっこのほうは……手出しができないから拘束されたみたいだ。まぁあいつは貴族だから、痛めつけるとあとで痛い目に遭うとわかってるんだろ」
「見えるんですか?」
「いや、見えない。音でわかる」
 不可思議なことを言い、ハルはトリシアを抱えたまま軽く跳躍した。
 視界が黒いものに包まれ、何が起こったのかわからなかった。だが一瞬で顔に風が当たり、空気や匂いが変わる。
「え?」
 目を見開く。そこはトリシアたちが立っていた車両の真上……車両の上だったのだ。
 取り囲んでいた男たちはもう見張りが3人ほどで、ほとんどは車両に乗り込んでしまったようだ。
 オレンジ色の景色に仰天としているトリシアを見て、ハルはしまったと言わんばかりに顔をしかめる。
「誤解するなよ! つい、だ。つい。
 ヤツらの足音が聞こえたから咄嗟に逃げただけなんだからな!」
「……あの、今のどうやって……」
「関係ない」
 ぴしゃりと言い放たれ、トリシアはそれ以上問うことができなくなってしまった。
 触れられたくないことなのだろう……。トリッパーということも伏せているようだし。
 見張りの者たちは自分たちの視界より上は気づかないようで、トリシアとハルの存在に気づく様子はなかった。
「…………」
 無言になるハルをうかがい、トリシアは不安になって挙動不審になる。
 乗務員の仲間が心配だ。先輩のエミリは大丈夫だろうか? 同じ添乗員のシスカだって……。
 今までこんな集団に囲まれたことがないので、トリシアは動揺していた。物盗りだろうことはわかってはいたが、この山賊たちが何を仕出かすかわかったものではない。
(ラグ……ルキア様も……)
 どうしても、頼れる人物を思い浮かべてしまう。
 それより、護衛のギルド『雲わた』は何をしているのだ?
 時間だけが過ぎていく中、列車内では騒ぎにはなっていてもガラスや物が壊れる音はしない。
(みんな……無事かしら?)
 すっかり辺りは暗い。
 座り込んでいるハルは何かに気づいたようで身を硬くした。途端、列車が動き出す。
「ブルー・パール号が……」
 発進した?
 そんなばかな。
 身を乗り出すトリシアは、進路方向を見遣る。線路に沿って動く列車は真っ直ぐに進んではいるが……。
「機関室が乗っ取られたか……。確かにこの列車はいい金になるが……軍が動けば終わりだろうに」
 面倒そうに言うハルだったが、ふいに気づいて呟く。
「……そうか。ドナ山脈を出るまでに荷物を奪う気なんだな。それまでは、通常通りに動いているように見せかけるってことか」
「なんでそんな面倒なことを……」
「フン。ヤツらもバカじゃないってことだろうな。エキドの街であのちびっこは正式に盗賊退治を任命されたわけじゃないはずだ。つまり、ヤツらはまだ『噂』の段階ってことだ」
「うわさ……?」
 背後のハルを肩越しに見る。彼は難しい表情で、むすっとしていた。
「あのへんに山賊が出る。あのあたりで列車が襲われる『らしい』ってことで、確証は得られていない段階。
 ヤツらは口止めをする時間稼ぎをしているんだろうな」
「口止めって……」
 真っ青になるトリシアから視線を外し、ハルは嘆息した。
「ま、おまえの考えてるようなことじゃないだろうよ。暴力を振るうような連中なら、もうとうに捕まってるさ」
「じゃ、じゃあ……」
 薬、だろうか……。それとも、禁忌とされている操心の魔術だろうか?
「ル、ルキア様を助ければなんとかなるんじゃないでしょうか!」
 声を張り上げると、ハルは面倒そうに目を細めたが頷く。
「盗賊団の魔術陣を吹っ飛ばせるのはあのチビだけだろうよ。大人しくしてるとは思えねぇが……」
「な、なんで彼らが魔術を使っているとわかるんですか?」
「あ? 匂いでわかる」
 におい?
(この人、耳だけじゃなくて鼻もいいの? 無茶苦茶よ……)
 呆然とするトリシアを眺め、ハルは立ち上がった。見事なバランス感覚にトリシアは驚く。この揺れる車両の上で立っていられるなんて。
「あのちびっこと違って正規の魔術師じゃないんだろう。薬品を補助に使ってやがるからな」
「…………」
 そこまでわかるのか……。
 目を丸くしているトリシアを見下ろし、それからハルは視線を動かした。先頭車両の機関室のある方向だ。
「機関室を占拠されたままってのはまずい。もちろん、乗客を人質にとられてるのもな。
 同時にそれを打破できれば、状況も引っ繰り返せるだろうが」
「ど、どうやって」
「どうもこうも、ここには僕とおまえしかいねぇだろ!」
 苛立った声で言われてトリシアは仰天して目を見開いた。
 自分はただの添乗員で、護衛術もろくに知らない。それなのに……そんなことができるだろうか?
「機関室のほうは僕がなんとかしてやる。おまえはあのちびっこか、セイオンの坊主のどちらかを助けろ」
「む、無茶よ!」
「無茶でもやるしかねぇだろ。
 まあ、放っておいてもいいことだが……変な薬品嗅がされておかしくなってもいいならな」
「それは……」
 困る。同僚たちの身に危険が及ぶなんて……。乗客の者たちにだって……。
 みんなを助けたいという気持ちはあるが、トリシアは自分にできることがなんなのか理解していた。できないことはできないと、脳がはっきり訴えている。
(ルキア様を助ければ間違いなく優勢になる……! でも私にできるの?)
 どんな薬品を使用されるのかわからないのが不安要素だった。人体に害が出るかもしれない可能性も、充分にありえる。
「…………」
 唇を軽く噛み、トリシアはハルを見つめた。
「……やれるだけ、やってみます。勝算があると思ってよろしいですか?」
「さあな。まぁ……機関室は取り戻してやる」
 自信満々に言ってのけるハルはトリシアの凝視に気づき、頬を軽く染めた。
「な、なんだ!」
「いえ……ミスターは、剣士でも魔術師でもないのに……勇気がおありなのだと思いまして」
「ばっ……! な、なに言ってるんだ!」
 真っ赤になるハルが慌てふためき、顔を逸らす。それをトリシアは視線で追った。
(……見た目と違って性格は素直なのかしら……)
「ミスターはその、やはりトリッパーでいらっしゃるのでしょうか?」
「……それが今、関係あるのかよ?」
 トリシアの質問に彼は不機嫌そうな声で応じる。
(……やっぱり隠したいことなのかしら。べつに迫害したりなんてしないけど……やっぱり嫌なことでもあったと思うべきよね)
 でも……。
(これは絶対にトリッパーに違いないわ。露骨に不機嫌な顔になったらすぐわかっちゃうもの)

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