Barkarole! 序章8

 車掌のジャックと駅で話し合っている姿を見かけたが、トリシアはラグを引き連れてさっさとブルー・パール号へと乗り込んだ。
 いつもの温和な様子はなく、ルキアはなにやら憂いを帯びた表情だった。やはり先程の騒ぎの中心に彼が居たのだろう。
「ありがとうラグ。荷物、ここまででいいわ」
「わかった」
 荷物を渡してラグは再び列車を降りた。ルキアの元へと駆けていくのが見えたので、様子をみにいったのだろう。
(なんというか……ラグって親切な人の代表者みたいなヤツよね……)
 損な性分に違いない。
 振り向いたルキアがちらりと見えた。いつになく真剣な表情にどきりとしてしまう。
(はっ! なにが『ドキ!』よ。ありえない……ルキア様はすごいとは言ってもまだお子様なんだから!)
 そそくさと歩き出し、トリシアはすぐに動きを止める。
 展望車に居たのはあのトリッパーの男、ハルだ。
 彼は小瓶から何か赤い丸薬のようなものを取り出し、口に含んでもぐもぐと動かしている。飴玉、だろうか? それにしてはなんだか毒々しい色をしていたようだが……。
 トリシアの視線に気づき、ハルは露骨に嫌そうな顔をした。
(へーへー。わかってますわかってます。べつに興味なんてないですから)
 さっと視線を外してトリシアはハルの背後を通って別の車両へと進んだ。

 それからすぐにルキアがジャックに何を話していたかわかった。
 ドナ山脈付近に山賊が出没しているらしく、通る列車を襲っているということだった。
 その噂はトリシアたちも知ってはいたが、走る列車を襲う、という考えがまず浮かばない。
 次の駅に向かうには、ドナ山脈を通らねばならない。ここから近いこともあり、どうやらその討伐のことをルキアは相談され、彼はあっさりと承諾してしまったようなのだ。
「一網打尽にしてご覧にいれますよ」
 そう笑顔で話しかけられ、キャビネットに紅茶を用意して運んできたトリシアは動きを止めてしまう。
 ルキアの目の前にはラグが座っており、彼はぼんやりと窓の外を眺めていた。
「えと、あの……?」
 なぜいきなりそんなことを言われるのかわからなかったので、戸惑ってしまう。
 ルキアはふんわりと甘い笑みを浮かべた。
「これからの旅のこともありますし、他の市民の不安を取り除くためにも、全力を尽くします」
「はぁ……」
「あれ? トリシアは怖くはないのですか?」
「いえ……山賊は怖いですが……。なんというか、実感がなくて」
 スリや追いはぎはよく街中でも見かけるが、盗賊などというそこそこ規模の大きな集団にはお目にかかったことがない。それは幸いなことでもある。
「そういうものですか。自分は何度か窃盗団の相手もしたので、さほど珍しいとは思わないのですが」
「えっ、る、ルキア様、それ、本当ですか?」
「はい。本当ですよ」
「そ、そういうのは傭兵の仕事では? 自警団とか……」
「彼らの手に負えない仕事は進んで引き受けていますので。なぜか一人で行くと油断してくださるので助かります」
 心底本気で言っているのだろう言葉に、薄ら寒いものを感じてしまう。これで腹黒くないのだから、対応に困る。わざと言ってくれているなら受け流すのも楽なのに。
「連中の手口は先程のエキドの街で聞きましたし。新しい護衛のギルドの方もいますから、心配はなさそうですが」
 新しく契約した傭兵ギルド『雲わた』は、あまり聞かない名前だ。帝都まで低賃金で護衛を引き受けてくれたので文句は言えないが……。
 その時だ。ラグがこちらを見遣り、鋭い視線で言う。
「オレがいるのに」
「24時間、ずっとラグが外を監視するわけにはいかないでしょう? まだ半月近くあるのですから」
「……それは、そう、だが……」
 納得がいかないのかラグは小さく唸る。
「もっといいギルドあったはず! 『雲わた』の連中、絶対サボる!」
「賃金をいただくのですから、きちんと働くと自分は思いますが」
 素直に相手を信じてしまうらしいルキアにラグはどう説明したらいいのか困り果てているようだ。
 島の出身のラグは帝国の共通語があまり上手くない。慣れないと難しい言葉だとはトリシアも理解しているので、彼の苦労もわかる。
「ラグ殿は『雲わた』の方たちのことをご存知なのですか?」
 テーブルの上にカップとソーサーを置きながらそう尋ねると、ラグは頷いた。
「あいつらのこと、うちの連中はよく話してた」
 うち、というのは『渡り鳥』の傭兵たちのことだ。
「賃金低い、いい加減な仕事、する」
「………………」
 無言で聞いていたルキアの赤い瞳が、どことなくぎらついているように見えてトリシアは怖気が走る。
(あれ……? ルキア様、なんだか怒ってない……?)
「もしそれが本当なら…………真偽を確かめねばなりませんね。低賃金とはいえ、貧しい人々からしたら大金です。ぞんざいに仕事をされては困るでしょう」
「そうだ!」
 激しく頷くラグに、ルキアが微笑む。まるで、先程の妙な空気など一切なかったかのように。
「自分はあまり世俗に疎くて……助かります、ラグ」
「ルキア様っ!」
 慌てて口を挟むと、彼はすぐにこちらを見てくる。あまりにも真っ直ぐに見てくるので、気圧された。
「あ、あの……えっと」
 戸惑って口ごもると、ルキアはふんわりと甘く笑ってくれた。
「緊張、させてしまいましたか。すみません。自分は軍人なもので、軍律や法律をどうも厳しく守らねばという考えがありまして」
「……その、あまり乱暴は……しないでください、ね?」
 小さな声で言うと、彼は目を丸くしてまじまじとこちらを見てくる。可憐な顔にそんなに見られると、どうしても頬が上気してしまう。
「どうでしょう? 困りました」
「む、難しいでしょうか?」
 この小柄な少年が凄腕の魔術師としても……それでも危険な目に遭うのは避けて欲しい。
 寝覚めが悪いではないか……もしも、死なれたりしたら。大怪我でもされたら。
 トリシアの腕力でさえ、下手をすれば壁に投げ飛ばせるかもしれないのに……。
「トリシア! ルキア、弱くないぞ」
 そう言ってこちらに身を乗り出してくるラグは、ひどく気遣っているように心配そうにトリシアを見つめていた。
「腕相撲、トリシアより強いぞ」
「え? いえ……あー」
 歯切れの悪い声を出してしまう自分は未熟者だ。こういう時はさらりと受け流すべきなのに。
 ルキアは軽く笑い、じゃあ、と細腕をテーブルの上に出してみせた。
「やってみましょうか、腕相撲。自分は負けませんよ、トリシア」
「……無茶言わないでくださいよ、ルキア様」
「ははっ。そうですね」
 腕を引っ込めるルキアは無邪気そのものだ。歳相応の子供らしい仕草だった。
「トリシアの腕を折っては困りますし」
 さらりと言われてトリシアは脂汗をかきながら無言になってしまう。……本気、なのだろうか? どうだろう。
「オレなら絶対折るぞ!」
 元気よく言わないで欲しい……。
 ラグの言葉にトリシアはさらに渋面になる。
「ルキアの腕、折れるぞ」
「ははっ。そうでしょうね」
 笑顔で交わす会話ではない……。
 トリシアはうんざりしてきた。
(変な人たち……)
 やっぱり強い人というか、なにかに秀でた者たちはどこかおかしいのかもしれない。
 優雅に紅茶を飲みながら、ルキアは微笑する。
「まあ、ラグの言っていることが本当なら、この列車の護衛を自分がすれば済むことですから……それまでゆっくりしましょうか」
「オレも手伝う」
「百人力ですね」
 にっこり。
 ルキアの笑顔にラグは素直に照れた。そこに危ない空気はないが、トリシアは複雑な気分になってしまう。
(どこかの妙な小説の題材にされそうな……感じなのよね……)
 どう見ても二人とも、同性に興味があるようには見えないからいいのだが。
「トリシア」
 ふいに呼ばれてトリシアはハッとする。
 ルキアがこちらを見上げていた。
「帝都に到着すれば、しばらくは自由時間があるのでしょう?」
「え? あ、はい」
 ブルー・パールの整備のこともあり、乗務員にはしばらく自由時間が与えられる。
 頷くと彼は満足そうに微笑んだ。
「では自分の屋敷に滞在しませんか?」
「はあっ!?」
 仰天して素で叫ぶと、ラグのほうが目を丸くした。
「あっ、え、む、無理です! 寝起きする場所は、私のほうでなんとかしますので……」
 いつも与えられている宿舎があるので、遠慮したい。
 だがルキアは諦めなかった。
「居心地はそれほど悪くないと思うのですが……。貴族といえど、自分の家は裕福ではありませんからもてなしもできませんが、精一杯のことはしますよ?」
「滅相もない!」
 とんでもないことを言わないで欲しい!
 真っ青になるトリシアは、どうすればいいのかと周囲に視線を遣る。
 一等食堂車にいるのはルキア、それにラグ、それに……二等客室に泊まっているハルくらいだ。他に客の姿はない。
 エキドの街で半壊した二等食堂車両は交換したのだが、ハルはひと気のないこちらのほうを好むらしい。
 ハルは黙々と野菜のサラダを食べていて、こちらに興味はないようだ。彼はテーブルの上にあの小瓶を置いており、時々そちらを見ていた。
(? あの小瓶の飴……そんなに大事なものなのかしら?)
「オレ、泊まってもいいか? ルキア、帝都に知り合い多いか?」
「それほど多くはありませんが、できるだけ力になりましょう」
「ほんとか!」
 喜ぶラグとは違い、トリシアは苦い顔のままだ。表情に出すべきではないとわかってはいたが、いくらなんでも辟易する。
(はっきり言ってやりたい。身分が違うって。迷惑だって)
 同列になど、なれない。それが「身分」というものなのだから。
「あの…………一つ、いいですか」
 たまりかねて、トリシアはそう口に出した。
「なぜ、私なのでしょう? 他にも添乗員はいると思うのですが」
 もっと美人のエミリ先輩とか……。そう思って、惨めな気分になる。自分の容姿がいいほうだとは思えないが、それでも人並みだとは信じたい。
 二人の男性はきょとんとし、顔を見合わせた。
 ラグはすぐに笑顔を向けてくる。
「オレ、トリシアのこと気に入ってる!」
「……あの、その理由を訊いております」
「気に入ってるのに理由がいるのか?」
 不思議そうに訊いてこられるのでトリシアは固まってしまった。子供か、こいつは。
「自分も理由がいりますか?」
 ルキアがそう尋ねてくるので、頷いてみせた。
 そうですね、と彼は顎に手を遣ってふんわりといつものように、砂糖菓子のように微笑む。
「トリシアのことが好きだからでしょうか」
 ぶーっ!
 一人で食事していたハルが、食後にと飲んでいたコーヒーを吹いていた。
 ごほごほとむせる彼がダン! と拳でテーブルを叩いた。不愉快だと言わんばかりに立ち上がって食堂車から出て行く。
 ……気持ちも、わからないでもない。
「す。好き、ですか」
 どうせ異性に対してのものではないだろう。
 トリシアが冷めた目で見ていると、ルキアは両手の指を絡めてテーブルの上に肘をついた。
「ええ」
「……こ、光栄です」
「あれ? 信じてないのですか?」
「いえ、信じますが……」
「ああ、女性として好いていると言っていますよ?」
 爆弾発言に今度こそトリシアは目を剥いた。その場で硬直し、彼を凝視する。
「そ、そ、それは、ど、どうい、う……?」
「そのままの言葉です。自分は女性に興味を抱いたのは今回が初めてなので、恋愛感情かはわかりかねますけどね」
「………………」
 なんだ……とトリシアは大きく息を吐き出した。
(珍しいからってだけなのね。私、どこにでもいる平凡な娘なんだけど)
 やれやれと思いつつ、トリシアは肩を軽くすくめた。

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