弾丸ライナーは乗り込んでくる客は前もって車掌に知らせが入り、乗車、降車の客がいない駅は通過するようになっている。
各駅停車をするのは一般的な列車のみで、トリシアは時々鈍速列車にも乗ってみたい気分に駆られる。
エキドの街は荒野の中でも護衛をきちんとギルド『蒼天の槍』がおこなっていて、治安もいい。
(なぜ……)
困惑した表情で、乗務員たちの買い物を済ませているトリシアは、少し離れた場所にいるラグをそっと見た。
彼はいつもの出で立ちで、周囲をさりげなくうかがい、警戒していた。もっとも、外套の背の部分に大きく『渡り鳥』の紋様があるのだから、滅多なことでは誰も手出ししてこないだろう。
治安がいいとはいえ、エキドの街は商人も盛んに出入りしており、確かに……護衛は居たほうがいいかもしれないけれど。
(ラグが……?)
だらだらと汗を流すトリシアは買い物袋を両手で抱え、再びラグをうかがった。
彼は不思議なことにそれほど目立ってはいない。……なぜだろう。
そもそもラグもルキアも、自分に親切に接してくる理由がわからない。ルキアは気まぐれだろうが、ラグはそれに便乗している……とも考えられるが。
(そういえば嫌われたくないって言ってたわね)
……もしかして、友達とかいないのかしら。
嫌な考えに至り、渋い表情を浮かべてしまう。友達が貧困だから、自分が構われているとしたら悲しすぎる。
買い物を一通り終えたトリシアのすぐ後ろにいつの間にかぴったりとラグが居て、仰天してしまった。
「ら、ラグ?」
思わず素で名を呼んでしまうと、彼は無言のままにこっと愛想のいい笑みを浮かべた。
「買い物、終わったか?」
「…………あの、いくらなんでも、簡単に引き受けすぎだと思うんですが」
「? なにがだ?」
思わず彼の顔を凝視してしまう。
彼がトリシアの護衛についているのは、乗務員たちから頼まれたからだ。つまりこれは金銭の発生する仕事なのだが、彼はそれを断って自主的にトリシアについて来ている。
「ルキア様と一緒に行くんじゃなかったのですか?」
「ルキアは軍の、連中、用事ある」
つまり、ルキアはここに駐屯している軍人たちに用があるからいない、と言いたいらしい。
確かに軍に関することなら、傭兵であるラグはそこに立ち入れない。帝国軍は大きな街には必ず駐屯地があるのだ。
どんっ、と軽く誰かにぶつかられて慌てて体勢を保つ。背中をそっと押されて転ばずに済んだのは、ラグのおかげだ。
彼はひょいと何かを掲げた。ぎょっとする。彼が持ち上げたのは子供だったからだ。
「はっ、放せよ!」
手足をばたつかせる少年を軽々と頭の高さまで持ち上げるラグは、彼をじぃっと見つめた。ペリドット色の瞳は怖いくらい真剣だ。
「おまえ、盗んだものを出せ」
「えっ?」
驚くトリシアが自分のふところを探る。ない。財布がない。
あの一瞬でトリシアを支え、盗みを働いた子供を捕まえたらしい。腕のいい傭兵と聞いてはいたが、これほどとは……。
彼は少年が手に持っている布袋……トリシアの財布を簡単に奪うと彼を放した。少年は尻餅をついたが、素早く立ち上がって逃げていった。
「に、逃がしていいの!?」
「ん? 逃がしちゃダメだったか?」
不思議そうにこちらを見てくるラグにトリシアは唖然とした。こういう時は役人に突き出すものではないのだろうか。
子供でも、盗みを働くことは良いとはしていない。トリシアとて、気が咎めるが……だからといって見逃すのも違う気がする。
ラグはトリシアのほうへと視線を遣り、きょとんとした表情で続けた。
「スリくらい、どこにでもいる」
「そ、そりゃ……そうかもだけど……」
「オレの財布を代わりにやっておいた」
「ええっ!」
仰天して仰け反るトリシアに、ラグは首を傾げた。
「冗談だ」
「な、なんだ……冗談なのね。ラグならやりそうって思っちゃったわ……」
「まさか。そこまでしたら、あの子供のため、ならない」
にっこりと微笑むラグはトリシアの荷物を軽々と奪って持ち上げた。
「あっ! な、なにを……!」
「持つ」
「いいです! 荷物持ちをさせるつもりはないから!」
「いい。今、とっても気分いい」
笑みを浮かべる彼は、ふいに真剣な表情になった。
「『水辺の花』とはここで契約破棄、するんだろう?」
「……そうなります」
「代わりにどこに頼む?」
「同じ賃金で、とりあえず帝都までの護衛をしてくれるところと交渉することになるでしょうね」
帝都に着いて、改めてまた別の傭兵ギルドを探さねばならない。大きな商談になるから、さすがにこの街では無理だ。
「『渡り鳥』はどうなのですか?」
「さあ? みんな、勝手にやってる。協調性ないから」
どうでもいいと言わんばかりのラグは歩き出した。そっと、空いている片手でトリシアの手を繋いだ。
さりげない動作だったが、トリシアの胸が跳ねた。なぜ、という思いで見上げると、彼は平然としている。
(あ……そっか。人込みだから、かしら)
前を歩いてくれるラグは、人にぶつからないように配慮してくれているのだろう。
傭兵ギルド『渡り鳥』は確かに腕のいい者が集まるとは聞いたが、チームを組んで行動する、というのは聞いたことがない。ラグが一人でうろついているのを考えても、徒党を組みそうにはなかった。
(今頃、誰かがギルドの紹介者のところに行ってるんだろうけど……)
ハプニングのせいで、買い物をほとんど一手に引き受けることになったわけだが、することもないのでべつにいい。
通りかかった小さな教会を見て、トリシアは昔を思い出す。
貧しい食事と、最低限に必要な寝床。たいしていい思い出などなかった。
トリシアの視線に気づき、ラグはそちらを見た。
「イデムの教会か」
「聖女イデムのことは、セイオンでも有名ですか?」
帝国のおもな宗教として広まっているイデム教ではあったが、セイオンという遠い島国の民族たちはどう思っているのだろう?
ラグは困ったような顔をする。
「全然知られてない。セイオン、古代神を祀る」
「古代神? イデムのように、実在した人物ではなく?」
架空の存在を崇めるということが珍しく、トリシアがラグを覗き込むようにして尋ねた。
彼はびっくりして頬を赤らめ、すぐに顔を逸らす。
「古代の戦いの神。セイオンの民、戦いの神ドュラハの末裔とされてる」
「神の、末裔?」
そんな突拍子もない!
驚愕するトリシアに、ラグは苦笑してみせた。
「この話すると、帝国人、みんな驚く」
「だって……えっと」
困惑するトリシアに彼は笑う。
「認められてないから気にしない。そう言われてるだけ、島民は、それほど深く考えてない」
「そ、そうなの?」
「そう」
頷くラグが軽く手を引いた。いつの間にか止まっていた歩みを再開させた。
軒を連ねている屋台の通りを過ぎると、ちょうどなにやら人々が野次馬でもするように人垣を作っていた。
「……なんでも帝都のすごい魔術師が……」
「いや、軍人の偉い方が退治に乗り出すとか」
すごい魔術師や軍の偉い方、と聞くと、浮かぶのは一人しかいない。
「ラグ、そこから何か見える?」
身長がそれほど高くないトリシアとは違い、長身のラグは平然と人波を見渡せる。彼は軽く背伸びをして「うーん」と唸った。
「軍人が歩いてる」
そういえば、ぞろぞろと足音が聞こえている。トリシアはなんとか見ようと足の爪先を立ててみるが、無理だ。
腰に手を回され、いきなり視界が高くなった。
「ほら、こうすれば見える」
「っ!」
悲鳴をあげる間もなかった。
ラグが軽々と、細身からは想像もつかない腕力でトリシアを横抱きにしたのだ。
(ひえええええええー! 恥ずかしいーっっ!)
心の中で絶叫をあげるトリシアを気にせず、ラグはあごで示す。渋々とそちらを見ると、帝国軍の軍装に身をかためた者たちが何かを囲んで行進していた。
軍服の隙間から見えるのは、揺れる水色の髪。……間違いない、中心にいるのはルキアだ。
「ルキア様……なにしてらっしゃるのかしら……」
「立ち寄ったと報告しに行くだけと言っていた」
「ああ、帝都に着くまでは何度か連絡を入れて安否を知らせないといけないわよね、ルキア様くらいになると。
でも……なんだか物々しい雰囲気だわ」
まるで何かの任務でも与えられたかのような……仰々しい空気だ。
「ルキアが全然見えない」
不満そうに言うラグに、「降ろして……」と小さく懇願すると彼はすぐに降ろしてくれた。
「あとでルキアに訊いてみよう」
な? というような口調で言われても、トリシアは黙ったままだった。そもそも、ただの添乗員の自分では彼の力になれるとは思えない。
「ラグ殿なら、お力になることも可能でしょうけど、私には無理です」
はっきりとそう、目を見て言うと、ラグはちょっと驚いたように目を見開いた。
「…………」
「ラグ殿、私は一介の添乗員です。ですから」
「口調、それ、ダメ」
眉間に皺を寄せて、彼はぐっと顔を近づけてくる。背が高いので、まるで上から覆いかぶさるような錯覚を得た。
(ち、近い近い近いーっっ!)
顔が熱くなるのを感じるが、唇をぐっと引き結んで後ろに後退しないようにと踏ん張った。
「さっきの、戻す」
「さっき……?」
「砕けてたほうがオレ、喋りやすい」
そういえば口調が普段のものになっていたような気が……。
青くなるトリシアとは正反対に、ラグは荷物を器用に持って軽く不貞腐れたような顔つきになる。
「年齢、同じくらい。丁寧に喋られると、なんか変」
「そ、そんなこと言われましても……」
「も・ど・す!」
「わ、わかりました! いえ、わかったわ! だからあんまり近づかないで!」
とうとう堪えきれなくなって、ラグの胸元を両手で思いっきり押した。彼はすぐに引いてくれてにこやかに微笑む。爽やかすぎて呪いたい。
ぜぇはぁ言いながら荒い呼吸を繰り返すトリシアは、大きく溜息をついた。
「人前ではしないわよ。いい?」
「なぜだ」
「あのね! ラグと私は店員と客っていう関係なの! 友達じゃないんだから、無理に決まってるでしょ!」
「だったら友達になればいい!」
名案! と言わんばかりに顔を輝かせるものだから、トリシアはこめかみに青筋を浮かばせて思いっきり彼の足を踏んだ。
「痛い」
「無茶言わないで!」
「無茶? そう、なのか?」
わからないようで彼は困惑している。頭が弱いのだろうかとトリシアは渋い顔つきになった。
歩き出したトリシアにラグが続く。
「こんなこと、減俸ものなんだから……。ハァ……」
「オレが養える」
「ばっ……!」
あまりなセリフに真っ赤になって振り返るが、ラグは「ん?」とあどけない笑顔で返してきた。……絶対に意味を理解していないに違いない。
「へ、変なこと言うのはやめて、ラグ」
「変か? 人間一人くらい、養える。オレ、そこそこ有名人」
「はあ?」
有名人?
考え込んでしまうトリシアは、脳内の記憶に思い当たらないので今の言葉は受け流すことにした。
「ルキアも褒めてくれた。オレ、強い」
「はいはい。そうですかー」
セイオン出身の剣士なのだから、そこそこ強いのは当たり前だ。真剣に取り合うのはやめよう。
空を見上げ、トリシアはまたも盛大な溜息をついた。なんだか……受難、だ。