Barkarole! 序章3

「それで、ここから降車すればいいのですね?」
「いえ、ですからここから降車すればどこか折るかと」
 説明するトリシアは、列車の上を歩いていた。停車しているブルー・パール号の一部が、線路から外れている。あそこは二等客室の食堂車だ。
 今頃エミリが乗客たちの説明に奔走していることだろう。
 トリシアはルキアの指名で、ここまで案内することになった。
 列車の上から周囲の様子を探るためにやって来たのだが、ラグは飛び降りてファシカ退治に行きそうな様子もあって、少々不安だ。
 ルキアはのんびりと、焦った態度もとらずにトリシアの後ろをついて来ている。
「いい眺めですね。昼寝をしたいくらいです」
 のん気にそんなことを言うルキアは、ラグのほうを見てくすりと笑った。
「どうしました、ラグ」
「早く退治したほうがいい」
 食堂車に体当たりを続けているファシカ数体の様子が見える。ラグにはそれが心配なのだろう。
「あの周囲の避難は済んでいますよ、お客様」
「そういう問題じゃない。もっと、色んな人が困る!」
 むすっとして唇を尖らせるラグは、トリシアを睨む。どうやら彼は正義感あふれる若者のようだ。
「ファシカが5体とは少ないです。仲間が寄ってくるでしょうね」
「ルキア様、落ち着いていないで……」
「? なにか急ぐことでもありますか?」
 きょとんとするルキアは、遠くを眺めた。
「自分はこれでも軍人ですから、できないことはおいそれと口にはしませんよ、トリシア」
「……?」
「自分が退治すると言ったのです。お任せください」
 無邪気な笑顔を向けてくるルキアは、ラグを見遣る。
「あそこのファシカを任せてもいいですか。トリシア、列車を線路に戻す算段を。残るファシカたちは自分が一掃しましょう」
 自信たっぷりに言うルキアに、ラグが慌てた。
「ルキア、一人じゃ無理だ。オレも手伝う!」
「大丈夫です。遠距離攻撃は得意分野ですから」
 爽やかな微笑に、ラグは不思議そうだ。彼はルキアが何者か知らないのだろう。
 ルキアは空の様子を見遣り、じっと様子をうかがう。魔術師の考えていることなどわからないので、トリシアは失礼しますと言って、戻ることにした。
 背後のラグとルキアをちらりと見て、トリシアは妙な気分で歩いた。
(こうして見ると、すごい身長差なのね……。大人と子供みたい。ルキア様って本当に小さい)
 あんな小さな人物が凄い魔術師とは思えないのが正直な感想だ。けれども、あの自信たっぷりな様子……。
 とりあえず指示されたことをしなければ。ファシカの退治はできても、ルキアのあの細腕では、列車を線路に戻す手伝いは無理だろう。
 車両に作られた簡素なハシゴをつたって降り、トリシアは車掌のもとへと急いだ。
 交代制で乗っている車掌のジャックがこのブルー・パール号の責任者となっている。彼は今頃、次の駅へと連絡して事態を報告していることだろう。
 ルーデンという街から続くこの路線に、他の列車がくる様子は今のところない。それでも急がねばならなかった。
 車両を早足で進むトリシアは、三等客室のある展望室から外を見る。ファシカの群れはまだ来ていないようだ。もしもファシカが群れで突っ込んでくるなら、地響きがしそうなものだし、砂煙が見えるだろう。
 これほど見渡せる荒野で、ファシカ5体を見逃すとはかなりの失態だった。見張りについていた者たちは、どうやら相当油断していたようで、仕事を放置していたという。これだから、雇われものの者たちは。
(契約している『水辺の花』とはこれでおしまいね。最近、態度が悪かったし)
 ざまあみろと思ってしまうトリシアだった。添乗員にちょっかいをかけることも多かった、「水辺の花」の連中など、さっさといなくなってしまえばいい。
「ジャックさん!」
 ジャックを見つけて駆け寄ると、彼はこちらを振り向いた。
「トリシア! ルキア様はなんだって?」
「二等食堂車を続けて襲っているファシカは、ラグという青年に任せるそうです。やってくる群れをルキア様が攻撃するとか……。
 我々には、脱線した車両を元に戻して欲しいとおっしゃってました」
「ファシカの群れを一人でなんとかするだって!?」
 そんな馬鹿な、と頭をおさえるジャックの心中もわからないでもない。
「いくらルキア様がすごい軍人様でも、無茶だろう! なぜお止めしなかったんだ、トリシア!」
「す、すみません……」
 あれほど自信たっぷりに言われたら、なにか口を挟める余地などないが……止めなかったのは事実だ。素直に謝ると、ジャックは嘆息した。
「とりあえずみんなに声をかけてくれ。男ども全員で、車両を線路に戻す」
「はい」
「連絡が済んだらトリシアはルキア様のもとに戻ってくれ。あんな小さな子供なんだ、何かあっては事だから気をつけておくように」
「わかりました」
 頷いたトリシアは、きびすを返した。
 ジャックの指示通りに、乗務員の男たちに連絡をしていき、再びハシゴのかかっている車両へと戻る。ハシゴを登る際に、ふと上空に雲があるのに気づいた。
(あれ……? さっきまで晴れていたのに……)
 空一面を覆う灰色の雲に、怪訝そうに眉をひそめながら登ると、周囲の様子が一望できた。
 食堂車両を襲っていたファシカたちは、綺麗に倒れている。傍にはラグが立っており、息一つ乱した様子はない。
(え? もう退治したの? うそ……)
 驚愕するトリシアは、車両の上にぽつんと立っているルキアを見つけて駆け出した。
 ぞろぞろと停車した車両から、男たちが降りてくるのも見える。全員、ブルー・パールの制服を着ているので、仕事仲間になる。
「ルキア様! ご無事ですか!」
 大きな声をかけると、ルキアは振り向いた。
(うっ! あんなに綺麗な方だと、心臓に悪い!)
「トリシア!」
 甘い笑みを浮かべるルキアに、さらに硬直しそうになるトリシアだった。
「大丈夫です。ラグは腕のいい剣士ですよ。素晴らしい腕でした」
 惚れ惚れしたように語るルキアの傍までくると、彼は笑顔で迎えてくれた。
「あなたにも見せたかったです。あっという間にファシカを退治したのですよ」
「……そうなのですか……」
 どれほどの剣技かは気になるところだが、遠目にも砂煙が見えたので、ファシカの群れがこちらにやって来ているのだろう。
「ルキア様……」
「群れがやって来ましたね」
 なんでもないことのように言うルキアは、手袋をつけた手をそっと握る。
「ちょっと離れていてください、トリシア。魔術を発動しますので」
「え?」
 素早く二、三歩離れたトリシアに、彼はまた柔らかく微笑した。
「それくらいで充分です。目が痛いかもしれないので、用心してください」
 大丈夫、手加減はしています。
 そう言うなり、彼は両手を軽く挙げた。指揮者のように。
 ふわりと彼の長い髪が浮き上がり、衣服につけている飾りも空中に誘われるような動きを見せる。
「『落ちよ、雷』」
 刹那、ビリッと全身に軽い痛みが走った。同じように天上を覆う雲に素早く稲妻が駆け抜け、砂煙をあげている箇所目掛けて雷光が落下した。
 どぉん! と鈍い音が響き渡り、地面が軽く揺れる。落雷だ。
 迫力におされてよろめくトリシアの手を握ったのはルキアだった。彼はどうしてこう、いいタイミングで助けてくれるのだろうか。
「たぶんこれで一掃できたはずですよ。安心して作業できます」
 そう言ってきたルキアはまた微笑む。なんでもないことのように。
 あれほどすごい魔術を一瞬で発動させる技を持つなど、すでに人の域ではない。トリシアは慄然とし、ルキアを凝視した。
 ルキアは手を離し、ラグに片手を振った。ラグは気づき、大きく手を振り返して頷いている。
 やって来た男性職員たちに説明しているラグを眺めているトリシアは、車両から乗り出すようにしているルキアにハッと気づいて腰にしがみついた。
「な、何をやっているのですか! ルキア様!」
「え? なにって、降りようと……」
「ここから降りたら体のどこかを折ると言ったじゃないですか!」
 ブルー・パールはそこそこ大きい。長旅になることもあって、車両は大きめに作られているのだ。
 必死にしがみついていると、ルキアは困ったように微笑した。
「大丈夫ですよ。ラグは降りられたのですから」
「ええ!」
 無茶苦茶な発言にトリシアが青ざめる。
 剣士のラグの動きが良いのはわかるが、こんなちっちゃな少年がひらりと降りられるとは思えない。
(もしかしてルキア様って、天然……!)
 思い至った考えにさらに顔が青くなってしまう。ここまでの経緯を思い返せば、彼は色んなことに無頓着のようだ。
(な、なぜ従者とか連れていないの! そういえば、貴族の出身なのにおかしいと思っていたのよ……)
 従者を連れていないのは軍の任務のためだろうが……それでもこれはない。
「だ、だめですってば、ルキア様!」
「ですが、自分も手助けしなければ。これでも軍人の端くれですし」
(マジで言ってる顔だわ!)
 これは止めなければ!
 トリシアはがっしりと腰に巻きつき、ルキアを後方に引っ張る。
「あ、あっ、トリシア、危ないですよ、そんなに退がっては」
 よろめくルキアを思い切り引っ張り、車両の中央部分まで戻す。
「車両を戻す手伝いはしなくてよろしいですから、ルキア様」
「でも……そうはいきません」
 ふわっと微笑まれてくらりと目眩がした。これほど天然だとは思わなかった。
 成長したらとんでもないことになるのでは……と、ルキアの将来を不安になってしまうトリシアだった。
「あの、トリシア?」
「だめですったら、だめです」
「トリシア……。自分は軍人なのです。民間人を守るのが仕事なのですよ?」
「ルキア様の細腕では、車両を線路に戻せません!」
「…………」
 きっぱり言ってしまうと、ルキアが可愛らしい目を軽く見開く。言い過ぎたかとトリシアは渋い表情をしてしまうが、取り越し苦労に終わった。
「そうですか。言われてみると、そうですよね」
 納得したらしいルキアは、体の力を抜いた。軽く欠伸をする彼は、瞼を擦る。
「魔術を使うとどうも眠くなってしまうので……。ふぁ……」
「お部屋まで送ります、ルキア様」
「結構ですよ、トリシア。お仕事中でしょう?」
 大丈夫ですよと微笑む彼は、ゆっくりと歩き出した。さらりと揺れる長い髪が綺麗で、本当に妖精のようだ。

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