Barkarole! 序章2

 一等客室の食堂では、大人しくルキアが食後のお茶をとっているところだった。
 彼はこちらに気づき、また微笑んでくる。いつも笑っているような印象だった。
「また会いましたね」
「はい」
 堅苦しい口調で応えると、ルキアは困ったように眉を寄せた。
「なぜ皆、自分に対してそういう態度なのでしょうか……。自分は名門貴族でもないですから、遠慮は無用です」
 貴族出身なのは本当のはず。つまり、トリシアなど普段は口もきけない存在なのだ。
 卒倒しそうな表情になっていると、ルキアはまじまじと見つめてきた。
「お歳は幾つですか?」
 なぜ……そんなことを尋ねるのかわからない。困惑してしまうトリシアだったが、素直に教えることにした。
「今年で17になりました、お客様」
「そうですか。自分よりも3つ年上なのですね」
 ……14歳にしては、かなり小柄だ。そう思う。
 美しい少年は紅茶を飲み干して、ソーサーの上にカップを戻した。飲み方も優雅で、軍人の不器用さは微塵もうかがえない。
(さすが貴族ね……。裕福な家庭ではなくても、これだけ上品だと……)
「お名前は?」
 またも質問に考えが断絶される。トリシアはどうするべきか迷ったが、一等客室の客人を相手に逆らうことなど許されない。自分は平民で、この列車の職員なのだ。
「……トリシアです」
「可愛い名前ですね」
(それだけ?)
 硬直しているトリシアに、彼は微笑してみせる。
「帝都までの道中、よろしくお願いしますトリシア。歳が近いということで、あなたによく声をかけると思いますが、許してください」
「……そ、そんな滅相もない。恐れ多いです」
「自分はルキアといいます。気軽にルキアと呼んでください、トリシア」
 甘い笑みで言われてトリシアは顔に血液が集まるのを感じた。わかってやっているとしたら、相当なものだ!
 にこにこと微笑んでいるルキアに邪気は感じられず、悪意もない。
「話し相手にもなってくださると助かります。ルーデンで任務を終えてきて、ここまではほとんど疲れて室内で眠っていましたので、どうも体がなまっていて」
 疲労で彼がよく眠っているというのは乗員仲間に聞いていたのでトリシアは知っている。
 列車に乗り込んだとき、ルキアは気丈にふるまっていたらしいが、部屋に入るなりそのまま寝入ってしまい、ここにくるまでほとんど眠って過ごしていたらしいのだ。
「わ、私なんかでよければ……ルキア様」
「様はいりませんよ、トリシア。自分はただの兵士です。あなたたちの平和を守る存在なのですから」
 階級が違う人間に蔑まれることはあっても、これほど親しく声をかけられたことはない。
 軽い混乱状態に陥っているトリシアは、先輩添乗員のエミリの名前を心の中で連呼する。だがエミリは助けてくれそうになかった。
「……勿体無いお言葉です、ルキア様」
「……むずかしいですかね、自分の名前を呼び捨てにするのは」
 しょんぼりと肩を落とすルキアは、どこにも勇ましい軍人の印象がない。かっちりとした帝国軍の軍服が似合っているのに、不似合いな気もする。
「友人とまではいきませんが、どうか気軽にしてください。帝都まで長いですから」
「かしこまりました」
 頭をさげると、彼は残念そうに悲しくなるような表情を浮かべる。本気なのだろうか? それとも、からかっている? わからない。
「失礼します」
 食堂車を通り過ぎて一息つくと、トリシアは背後の様子をうかがう。
 幸いにも、食堂車にはルキアしかいなかったので、今の無礼な振る舞いは見られていないだろう。とはいえ、向こうが話しかけてきたのだから、不可抗力である。
 がたん、と列車が大きく揺れて、トリシアは目を見開いた。
 弾丸ライナーでは大きな揺れなど、起こらないはずなのだ。



 乗務員たちは集まり、荒野でも獰猛とされるファシカの群れが突っ込んできて、一時停車をするという羽目に陥ったことを相談していた。
 ファシカというのは大柄な獣で、大昔にいたというサイという動物が進化したものとされている。彼らは群れで移動し、頭から相手に体当たりしてくる習性がある。
 エミリが腕組みし、眉根を寄せた。
「お客様には事情を説明しないと。困ったわね」
「エミリ先輩、私の担当室を教えてください」
「ええ。あなたは……」
 そう言ったそばで、部屋の引き戸が開いた。長身の青年がこちらを眺めている。
 トリシアは驚いた。三等客室にいたあの、セイオンの青年だったからだ。
「ファシカに襲われた。本当か?」
 端的に喋る彼は冷たい新緑の瞳でこちらを見遣り、堂々とこちらに一歩踏み出した。
「謝礼はいらない。ファシカは再び襲ってくる。退治をするから、降車させて欲しい」
 乗務員の全員が目を丸くした。列車の用心棒たちよりもはるかに身体能力が上のセイオンの若者が、まさか出てくるとは思っていなかったのだ。
「奇遇ですね。自分も協力させてください」
 青年は背後からの声にびっくりしたようで、慌てて身をひねる。
 声に覚えがあったトリシアはさらに驚愕した。
 ちょこんと立っているルキアが、可憐な笑顔で青年を見つめているではないか!
「皆を守るのは帝国軍人の務め。微力ながら、この危機を脱する協力をしたいと思います」
「そんなこと、許可できません!」
 我に返った車掌がそう言うが、青年もルキアも引き下がる様子がなかった。
「これは我々の仕事だ。お客様を危険な目に遭わせるわけにはいかない!」
「もっともな意見だが、おまえらになんとかできるのか、本当に」
 鋭い声が割り込んでくる。ルキアの背後に、違う男が立っていた。若い、二十代の男は二等客室の者だ。
 トリッパーである男は鼻を鳴らし、苛立たしげな表情でこちらを眺めている。
「僕は急いでいる。だから、素早く事態を収束できることを望んでいるんだ。
 そこのセイオン坊主と、こっちの軍人様がなんとかしてくれるなら頼れよ」
「し、しかし……」
「うるせえなあ!」
 怒鳴る男は持っていた懐中時計の蓋を勢いよく閉めた。
「そんなに死にたきゃ勝手にしろ! 迷惑するんだ、さっさと終わらせろ!」
 くるりときびすを返して去っていく男の背中を見遣り、ルキアは顎に手を遣る。
「……と、今の客は言っていますし、すぐに終わらせますのでご迷惑はかけません」
「ですから……」
「うるさい。おまえ、黙れ」
 車掌を睨むセイオンの青年の眼光に、彼は口を閉じた。
 ルキアはきょとんとしたが、すぐに微笑する。
「自分はルキアといいます。あなたのお名前は? セイオンの剣士殿」
「……ラグ」
「よろしくラグ」
 握手をしようと差し出した手を、ラグはすぐにしっかりと握った。貴族に対しての礼儀もなにもなかった。
 彼はしっかりとルキアを見つめ、それからはにかんだような笑顔を浮かべる。
「よろしく、ルキア」
「はい」
 異常な光景に、乗務員たちが固まっていたのは、言うまでもなかった。

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