木暮亜矢の冒険 第二章 ティアズゲーム8

 ……ああ、とうとうやっちゃった……。
 私は翻訳機であるイヤリングをつけ、桃色のふわふわしたドレス姿で待機していた。
 モンテさんがアルバートさんに取り次ぎをしているけど、なかなか難しいらしいし……。
 それより、いつになったら私帰れるんだろう。
 王宮でのナギルの部屋にはイスがない。床に座るのが彼の国での流儀らしくて、ベッド以外は目立った家具もない。
 床の上は柔らかいなんの生地かわからない大きな織物が敷いてあって、私はその上に座っている。
 ナギルも同じ部屋にいる。……そういえば暗殺されかけたんだっけ? なんかもう、遠い昔みたいに思えてるんだけど。
 じっと眺めていると、彼の眉間に皺が寄っているのがわかった。何か考え事してるんだわ。
 あ、そうか。お姉ちゃんのことかも。
 うーん。そういえばお姉ちゃん、妖精とかいうのと戦って勝っちゃったのよね? 本来なら、王様になるはずの人がやるゲームで。
 私を助けるためだってモンテさんも言ってたけど……お姉ちゃんが囲碁でも将棋でもああいうゲームをやっているところなんて見たことがないだけに、全然実感がわかない。
 綺麗な真っ黒な髪。私のちょっと赤めの茶色の髪とは全然違うのよねぇ……。由希と並んだ時の迫力を思い出しちゃう。
 こんなわけのわからない世界で、私はこの人とモンテさんしか知らない。エルイスさんとアシャーテさんは、ちょっと苦手かも。
「………………」
「なんだ、さっきからこっち見て」
 嫌そうに顔をしかめてナギルがこっちを見てくる。
 む。なによ。そんな嫌そうな顔しなくたっていいじゃない。
「いや……謝ろうと思って」
 ばつが悪そうに言うと、またナギルが不機嫌そうになった。な、なによぅ。
「謝るってなにをだ? 何かしたのか?」
「……もういい」
 そんな不機嫌声されたら、言おうとしたことも言えないじゃない!
 もー。
 ………………なにこの空気。重たい。重たいわ、すごく。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
 一礼してお茶を運んでくるメイドさんは金髪で、後頭部で結い上げてヘッドキャップをしてる。
 あ、アルバートさんのところよりなんかシックな感じなんだ…………へー………………って。
「ぷっ。すごい距離開いてるじゃん、なにやってんの亜矢姉」
 気軽にメイドさんが声をかけてきてくすくす笑う。
 この完璧な変装…………でもこの声……。
「ゆ、由希!?」
「はーい♪」
 返事をして、スカート姿でくるんとその場で一回転。
 ま、間違いない。このふざけた態度……!
 驚いてナギルが完全に固まっている。そりゃそうよね。
「ったく、二人に接触するのってすごく骨が折れたよ。第二王子のほうはアルバートさんがなんとか説得してるよ。
 オレは変装して、ここまでなんとかやって来たけどね」
 す、すごい行動力! さすが伊達にお姉ちゃんの指示で潜入したりしてないわ! 感心しちゃう!
「だいたいなんでそんな二人、すごい隅と隅にいるんだよ?」
 指摘されて、私はかぁっと赤くなる。
「かっ、関係ないでしょ!」
「…………なんかナギル落ち込んでるけど、亜矢姉になんかされたの?」
「こらぁ! 姉に優しくせずにナギルに優しくするってどうなの!」
 無視された! ちくしょー!
 ナギルは近づいてくる由希を見上げる。完璧な変装だ。身長以外なら、由希だとは誰も思わない。
 青いカラーコンタクトを入れ、ウィッグまでしている。体型はそのまま細身を利用しているけど、化粧と特殊メイクで別人になっている由希は本当にすごい。
 こいつ……将来ハリウッドで大活躍してるかもしれないわね……。恐ろしい子!
「ほ、本当にユキなのか?」
「そーだよ。すげーだろ。えっへん」
 棒読みじゃないの、セリフが! うわぁ……ひどい子。
 ナギルはぼんやりと私のほうを見て、苦笑した。
「やはりアヤはユキやミワ殿と居る時のほうが『らしい』な」
「は?」
 疑問になってそう言うけど、由希は何かに気づいたらしくて「あちゃあ」と呟いている。
「なに言ってるのよ。この子の変装は趣味を逸脱してるわ。そう思わない? ナギル」
「………………」
 ぽかんとして、彼は私を見てくる。私はなんだか居心地が悪くなって「うっ」と肩をすくめた。
 やっぱり気軽に話しかけるべきじゃ……なかったかしら?
 ぽん、とナギルの肩を由希が叩く。
「いやぁ、単に亜矢姉は緊張してただけだと思うから、気にしないほうがいいよ、ナギル」
「緊張? そんなふうには見えなかったが」
「見えないだけで、してたんだよ。ほとんど喋らなかったんじゃねーの? 人見知り激しいほうだしさ」
「い、いきなりあんまり知らない人と喋れるわけないじゃないの、当たり前のこと言わないの!」
 もー! あんまりナギルに変な情報を入れないでよ! ただでさえ、なんかこう、話しかけにくくて困ってるのに!
「そ、そんなのいいから状況説明してよ! お姉ちゃんはどうなっちゃったの? 妖精とのゲームに勝ったから、王様になれとか言われてるんでしょ?」
「そーそー。大変なことになっちゃってて、アルバート王子が色々と手を回し始めてるんだけど、追いつかないみたいなんだよ。
 元老院てとこのおじいさんたちが、美和姉を連れて来いって魔道士たちに声かけてるみたいだけど、今のところ王宮側はそれを断ってるみたい」
「え? どうして?」
「馬鹿だな亜矢姉。元老院、ってなんのことかわかってる?」
 …………わかんない。
「ご意見番ってやつだって。ほら、退任した社長とかがよく理事長とかになって、あーだこーだ言うじゃん。あれみたいなもんだよ」
 へー。そんなのあるんだ。
 やっぱり異世界でも、政治って大変なのね……。由希って変なとこ物知りなのよね、ほんと。
「元老院の王宮の執政にも強い作用を持つからな。おいそれと無視できない機関ではある」
「与党と野党みたいなものかしら?」
「あ、亜矢姉、それはかな〜り違うと思うけど、まぁなんていうか、種類の違うところが国のために対立してると考えればいいよ」
 む。悪かったわね、バカで。どうせわかりませんよ〜だ、この世界のことなんて!
「王宮側の意見は、ナギルならわかるよね?」
「ああ。王族以外が王位に就くなどありえないからな。まして、異世界の娘だ。こちらとしてはそんな事実はなかったことにしたいと考えるはずだ」
「つまり、お姉ちゃんが妖精とゲームをした事実そのものを無い、ってことにするってこと?」
「そうだ。妖精どもが騒ぐから、古いしきたりを重んじる元老院は無視できない。嘘でも本当でも、ミワ殿を連れて来るように命じてくるのは当然だな」
 へぇ〜。なんか面倒なのね、色々と。ややこしいというか……。
「じゃあ実際にお姉ちゃんを連れて行ったらどうなっちゃうの?」
「良くて軟禁。悪くて斬首刑だ」
「ざ……?」
 一瞬で真っ青になる私に、ナギルがハッとして顔を強張らせた。
「言い方が悪かった。だが……事実だ。アヤがオレの婚約者でミワ殿の地位もある程度は確約されているから、粗末な扱いをするわけにはいかないだろうが……。
 王族でもないんだ。どんな偽りの罪を被せられて殺されるかわからない」
「こっ、ころ、される?」
 ど、どどどどういうこと???
 由希が肩をすくめた。
「なるほどね。アルバートさんも同じ読みだった。
 王宮が認めない以上、美和姉の存在は厄介で宙ぶらりんなわけだよ。難癖つけて、始末しちゃったほうが早いだろ」
「始末って! あんた実の姉の命がかかってるのによく平気でそんなこと言えるわね!」
 あ、あれ? 私、涙声になってる?
 どん! と背中を押されて私はナギルのほうへとよろめいて近づいた。彼が慌てて受け止めてくれたけど。
「亜矢姉は案外泣き虫だからな。俺はまだやることあるから、慰めるのはナギルに任せるよ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ由希!」
「ユキ、やることとは?」
「美和姉、実は一緒にいないんだ」
 衝撃の告白ってやつだ。私もナギルも、半分くらい抱き合う形で硬直しちゃったのはしょうがない。
 お姉ちゃんが、いない? ど、どうして? なんで?
「よっ、妖精に連れて行かれたの?」
「いや、それはない。王家に連なる者しか手を出せない契約なのだ。
 ユキ、ミワ殿がいないとはどういうことだ」
「一緒にこっちに亜矢姉を迎えに来たんだけど…………ちょっと目を離した隙にさらわれた」
 不機嫌そうに由希が呟く。……この子が怒るのも、珍しいほうだ。
「さらわれた……? 誰によ?」
「わからないから、こうして潜入調査してんじゃん。俺たちがこっちに飛ばされた時みたいに、美和姉もやられたんだよ、あれを」
 あの直感の塊のお姉ちゃんが?
 う、嘘だ……。だって、わかりそうなものじゃない。そういうの。
 変な予感とか、しそうじゃない。うそ……。
「アヤ?」
 ナギルが心配そうに声をかけてきたけど、私の耳には入ってこない。
 だってあのお姉ちゃんが。私が困ってた時には絶対に助けてくれたお姉ちゃんでも敵わないなにかが、この世界にはあるっていうの???
「美和姉は完全に冬眠モードに入っちゃってたんだよ。寝てるから安心してた俺も悪い。
 妖精とのゲームはあっという間に勝ったけど、体力は消耗してたんだよな、やっぱり」
「由希……」
「ほんと」
 由希は泣き笑いみたいな表情を浮かべる。……ずるい。泣けないじゃない、そんな顔されたら……。
「俺って、姉ちゃんたちに助けられてばっかりで、かっこ悪いったらないぜ」



 何度も紹介しているし、亜矢の説明でも言われているが……木暮美和は探偵ではない。
 歩いていても事件には当たらないし、何かしたら殺人が起こるわけでもない。
 探偵なんてもの、彼女には無縁だ。犯人を当てるのは、妹を危険な場所から遠ざけるためで、それ以外はしたことがない。
 刑事の梅沢は疫病神だと思っているし、実の弟は変態だと認識している。亜矢のことは、面倒ごとを持ち込む娘だとは思っているが、家族なのだし見捨てられるわけがない。
 何度も言うが、木暮美和は探偵ではない。ゆえに、物語の主人公のように、華麗に、そして苦悩しつつ犯人を捜したり、殺しの仕掛けを暴いたりしない。
 彼女は「思ったこと」を口にするだけだ。損な性分だし、天は自分に不要なものを与えたと何度か思ったが、思ったところでどうしようもない。
 第三王子エルイスには完全に油断しているところをさらわれたのだ。目覚めた時には縛られ、魔法陣の中に閉じ込められていた。転がされていたと言っていい。
 美和は人の見た目にこだわらないし、それは些細なことで自分に関係ないのでエルイスが目覚めるのを待っていても別段驚きもしなかった。
 瞼を開いて目にした彼は確かに美しく、同時に恐ろしい紋様で醜く見えたが、美和には「なんだ。アルバートの弟かい」くらいしか思わなかった。
 彼は美和を利用するために呼んだようだが、いい人間ではなさそうだった。
「起きたかい? えぇと、アヤ殿の姉君だったな?」
 尊大な言い方にナギルを思い出す。王族というのはこういうのが流儀なのだろうか。無駄な労力を使うものだ。
「それが?」
 転がされたまま応えた美和は寝起きはすこぶる機嫌が悪かった。状況はすぐに理解できたが、暴れるとか、逃げようとかは思わなかった。
 エルイスは美和が逃げられないように手を回しているはずだし、自分はこの世界に不慣れだ。やろうと思えばできるが、妹の無事を確かめたかった。
(まあ、ナギルの坊ちゃんがなんとかするだろうよ)
 亜矢を気にしているのは丸分かりだったので、妖精からも救出したはずだ。そこまでは確かなのだ。
 寂しがり屋の妹を迎えに来ただけなのに……なんでこんなことになってるんだろうか。
(まあどうせ……あれだ。亜矢絡みの事件なんだろうね、これも)
 やれやれと思うだけど、美和はそれ以上の感想を持たない。
「ひとに名を訊く時は、先に名乗るのが礼儀なんだがね」
「ふふ。自分がどういう状況かわかって言っているのか?」
「アルバート王子のところからあんたのところのマドウシだっけ? それを使ってあたしを呼んだんじゃないのかい?」
「…………なかなかの推理だ」
 いや、誰だってそう思うんじゃないだろうか?
 美和は寝起きの頭を少しあげて、周囲を見回す。
 部屋は狭い。そしてやや薄暗い。カーテンはすべて締め切られているが、室内の調度品はどれもセンスのいいもので、高価そうだ。
「あたしに用事があるのは、妖精との勝負絡みかね」
「そうだ。圧勝というのは本当かい? 私と勝負しないか?」
 これが最初だった。
 手首を腰のところに回されて縛り上げられ、美和はエルイス王子と対峙して妙な盤上遊戯をさせられる羽目になったのだ。
 手首が使えないので、口で指示すると、黒髪の女が駒を動かしていたが、勝つのは簡単だった。
 適当に言っているだけで勝ててしまうので、美和はこの手の勝負が大嫌いだ。相手は真剣なのに、こちらが真剣にならなくても勝ててしまう。こんな理不尽があってもいいのか?
 真剣な相手には絶対勝負しないと決めているのは、美和なりのルールなのだ。
「素晴らしい! ティアズゲームに勝てたというのは本当らしい。……このゲームは、ティアズゲームと似ていると言われているんだ、王族の間では」
 探るような口振りに美和は面倒で顔をしかめた。
 ティアズゲームの盤上の目はもっと多く、駒の数もこんなに少なくない。王になる者でも相当頭が使えないと勝つ事は難しいだろう。
 王子は駒をすべて片付け、「違うのかな、やはり」と愉しそうに言う。
 顔にも黒い、墨で模様を描いたような彼の顔立ちは整っていて、アルバートともナギルとも雰囲気が違っていた。
 少女に似ている。見た目の年齢よりも若く見えているのは、この妙な黒い模様のせいだろう。

「用件は一つだ。君には、もう一度妖精と勝負してもらいたい」
「理由は、その呪詛ってやつかい?」
「その通り。消してもらいたいんだ」
 佇んで手首のあざを確かめる美和に、彼は頬杖をつきつつ言う。
 提案という名の、脅迫なのは確かだ。
 美和はじっとエルイスの顔を見た。
 呪いを解けばどうなるか、美和にはわからない。直感が働かないのだ。
(…………死ぬかもね)
 ぽつりと思う。
 わからないということは、「可能性」がない、ということも考慮に入る。
「あんたが死んでもいいならやってあげなくもないよ」
 さらっと言う無礼さに、エルイスはツボにハマってまた大笑いした。
「いいとも。その時は君の命もないけどね」
(やっぱりそうなるのかい。芸のないことで)
 呆れた美和は「はあ」と面倒くさいとばかりの溜息をつく。
(時代劇観てるほうがずっと面白いんだけどねぇ)
 どうやら亜矢は相当厄介な事件を釣り上げたようだ。いわばクジラ。
「元老院のジジィともにあげるには、ミワ嬢は貴重すぎるから」
 優しく言ってはいるが、そう思ってないのは明白だった。嘘は通じないと何度も言っているというのに。
 それとも言葉遊びが好きなのだろうか? ……そうかもしれない。
 そもそも誘拐犯のいうことを聞こうなどと美和は米粒ほども思っていなかった。適当に喋っているに過ぎない。
 犯人とまともに遣り合うのは警察の仕事で、自分のような一般人には無関係のことだ。割り切りがはっきりしているだけに、美和はここで命が絶たれようともどうでもよかった。

 シャレイの森まで移動魔法で連れて来られ、美和は「やれやれ」とぼやいた。
 第三王子はワガママで、どうしても美和にもう一度勝負をさせたいようだ。
 美和としても、面倒なことを言う妖精どもをどうにかできるかもしれないと思ってここまで来た。
 全身を白いローブで隠しているエルイスの横には、アシャーテがいる。
「では神殿へ行こうか、ミワ嬢」
「そんなことしなくてもここでできるだろうよ」
 森の外がざわり、と妙な空気に包まれると、
<王よ! 王がきたわ!>
 妖精たちの声が反響して三人の耳に入ってきた。

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