木暮亜矢の冒険 第二章 ティアズゲーム7

「宣誓せよ」
 ナギルと亜矢は前もって指示されていたように、互いに向き合って、少し俯いた状態で立っている。
 ナギルは先ほどから亜矢の様子が少しおかしいことに気づいていた。
(やはり……はっきり言い過ぎたか?)
 だが実際にそうなのだ。ナギルには恋愛感情というのがよくわからない。
 家族愛というなら、嫌と言うほど木暮家の者に見せてもらったが…………。
 二人とも、右手を宣誓するように挙げた。そして、掌をぴたりと合わせる。
 亜矢の手はナギルの手よりも幾分も小さく華奢だ。剣を持つことも多いナギルは豆でごつごつしているので、たぶん、内心驚かせているはずだ。
 モンテではなくアシャーテが婚約式の段取りを整え、宣誓師を連れてきたのは手早く済ませるためなのだろう。さすがに魔力が強力だけあり、アシャーテはあっという間にこの広間に結界を張って侵入する者がいないようにとしてくれた。
 第三王子のエルイスがなぜここまで親切なのか、ナギルには不気味でしょうがなかった。第一王子のアルバートとはまだ会っていない様子だったが…………。
 宣誓師は重なった掌を確認し、ナギルの左腕に手をかざす。
「乙女よ。汝、この男との絆を誓え」
「………………」
 指示された「誓う」という言葉を言わないので、ナギルは心配になって彼女の表情をうかがった。
 ぎょっとしてしまう。亜矢は泣きそうだった。
(な、泣くほど嫌だったのか?)
 後で破棄できるようにとも言ったのに?
 なんだかここまでくると疲れてくる。
「……ちかう」
 ぽつりと亜矢が呟いた刹那、亜矢の右腕にナギルと同じ紋章が浮かび上がった。まるで片翼を思わせるような不可思議な、だがこちらの世界には馴染みのある「第七の」紋様だ。
(これで妖精は手出しできまい)
 安堵したナギルは脱力したように亜矢が座り込むのに驚いた。
 宣誓師も「んん?」と洩らしている。
「どうした? 気分が悪いのか?」
「……んーん。ちょっと考えてて、ぐるぐる回っちゃって………………でもごめん」
 は?
 ナギルにはさっぱりわからないので、思わず宣誓師のほうを見る。年老いた宣誓師もわからないようで首を激しく左右に振っている。
 俯いて、亜矢はそのまま続けた。
「私、ほら、ナギルに最初すごい悪い印象受けちゃって」
「……ああ」
「そのままでいるから、ナギルが助けに来てくれたって聞いてすごくびっくりしちゃって」
「…………」
「ひどい人だって、高飛車で迷惑だってずっと思ってて」
(…………亜矢の美徳は言葉を虚偽で飾らないことだな)
 思わず口元が引きつる。
 はっきり言い過ぎるのだ。
 けれど亜矢は素直な性格が災いして、混乱すると全部口から洩れてしまうのだろう。それは魂だけの状態でよくわかった。
 彼女は常に表情には出ていたが、口にはしないことがかなりあった。だからこうして口にする時は、感情のままに。
「あなたのいいところ、ちっとも知らないってことに気づいたの。ごめんなさい」
「……――――」
 奈落の底、というか…………突き落とされた気がした。
(まずい)
 なんだろう、この感覚は。
 嫌な予感でナギルは全身に嫌な汗をかいた。
「………………」
 深呼吸一つ。気を落ち着かせないとまずいことになる。これは本能が知らせていた。
 ナギルはふっ、と息を吐き出してから亜矢の腕を掴んで引っ張りあげた。
「巻き込んだのはオレだと言っただろうが。それに、誓っている間はおまえを守るのもオレの役目の一つだ」
「……そういうものなの? こっちの世界ってなんか、色々あって面倒なのね」
 ぼーっとして応える亜矢は立ち上がり、「ふぅん」とこれまた、覇気のない声で呟く。
 滞りなく婚約式はおこなわれたというのに、ナギルの中の気持ちの悪い感覚は膨れ上がるばかりだった。

 広間を出たそこに、おろおろした様子のモンテと、アシャーテが待っていた。
「終わったようだな、弟君。おまえも毛色の変わった女が好みだな」
「兄上……」
 ナギルがたしなめるようにそう言った直後、亜矢がアシャーテに距離を詰めた。びっくりしたように目を見開くアシャーテを、彼女が睨む。
「えっと、ナギルのお兄さん、ですよね?」
「そうだ」
「私のお姉ちゃんが、妖精との勝負に勝ったって聞いたんですけど、どうなるんですか?」
 ナギルは広間に居たために、情報がその間遮断されていた。亜矢がぼんやりしていた理由の半分はここにあったらしい。
 そう気づいた途端、ナギルは猛烈な泥臭い感情が広がるのに気づいて仰天する。
(え? な、なんだ……)
 亜矢が美和を大事に想っているのは知っているのに。
 けれど婚約式の最中まで姉のことを心配していたとは!
「王子、顔色が悪いですぞ」
 モンテが寄ってきて小さく囁いてくるので、ナギルは小さく笑う。
「……オレはミワ殿より頼りにならないか?」
「は? あー……えっと、ジャンルが違うと考えるのはいかがでしょう?」
「ジャンル?」
「アヤ様にとってミワ殿はヒーローなのです。いついかなる時もやってくる白馬の王子ですな」
「王子はオレだ!」
「そんなことはわかってますよ。そうじゃなくて、アヤ様は王子の情けない姿しか見てないわけで、ちっとも頼りになるとわかっていらっしゃらないんです」
「そ、それはそうだとは思うが」
「結局精霊の森の出来事も憶えてらっしゃらないんでしょう? それでは王子の、彼女の脳内評価は『迷惑な異邦人』止まりです」
「………………」
 考えてみれば、モンテもはっきり言う性格だった。それが気に入って傍に置いていたのだが……こう、ぐさぐさと胸にナイフを突き立てられているような感覚に陥るのはなぜだ?
「おぬしの姉君には、私も会ってみたいものだな」
 朗らかに応えるエルイスの言葉にモンテとナギルが青ざめた。それはやめたほうがいい。絶対に。
「お姉ちゃんはどうなるんですか? こっちの王様になるはずなんて、あるわけないんですけど」
「妖精の誘いを真っ向から断ったと聞く」
 エルイスの言葉の真偽を確かめるためにモンテのほうをナギルは見た。モンテは渋い顔で頷く。
 実際、あの場にいた者は冷汗ものだったのだ。
 妖精たちがしきりに「王になりなさい」と言っていたのに「誘拐犯め」と言い返す美和のキレ方は半端ではなかった。
「まぁ、アヤ殿が弟の婚約者になったのだから、多少は融通がきくようにはなったがね」
「? どういうことですか」
「『庶民』から格上げしたということだ」
 堂々と言われてナギルは亜矢を咄嗟に自分の背後に隠した。
「兄上、口が少々悪いようですな」
「なに。アヤ殿は気にするようなタイプではないと考えたゆえなぁ」
 はははと笑う三番目の兄は、「うっ」と声を発してそのまま沈黙してしまう。
 アシャーテは困惑し、「す、すみません。殿下が失礼なことばかり」としきりに頭をさげた。
 どうやら肉体の主導権がアシャーテに戻ったらしい。
「アヤ様も、申し訳ありません。殿下は他人を見下すのが大好きなので」
 ひどい言われようであった。
 亜矢は「うーん」と考えてから首を傾げる。
「いやまぁ、庶民なのは間違ってないからいいんですけど。
 エルイスさんはどうかしたんですか?」
「さあ……? 体調でも悪くなったのかもしれません。わたくしは戻りますので、失礼いたします」
 姿をすぐさま消してしまうアシャーテ。残されたのは三人だけだ。
 気まずい空気が流れる。
「…………エルイス様は性格が悪いですなぁ」
「ああ。あれさえなければいい兄上なんだが……」
「………………」
 三人がそれぞれ思ったことを口に出したり、出さなかったりで……とりあえず彼らは歩き出した。
 三人はまだ知らない。べつの事件がすでに始まっていたことに。
 それは美和へ王位を譲れという妖精とのいざこざとは、まったく関係のないところで発生した。



 ジャージの娘にいきなり何かを投げられたのはエルイスだった。額に直撃である。
「あんたね! 口が悪いにもほどがあるよ!」
 そう言い放たれ「うっ」という声と共にアシャーテとの接続が切られてしまう。
 綺麗な顔立ちをした顔だというのに……唇を切ってしまった。これが「売り」でもあるのにとエルイスは娘を憎々しげに見遣る。
 ナギルには伏せられていたが、アルバートは一人でこちらに戻って来たのではなかった。二人ほど連れがいたらしいのだ。
 その片方を、遊び半分に召喚させたのはエルイスだった。引っかかったのは、どうやら「当たり」だったようだ。
 アシャーテを使っている時は人払いをしているとはいえ、これはかなりの失態だった。
「うぅ、痛い……」
 額に手を遣って押さえる。両手首を背中側で縛って座らせているのでどうやって……と眺めると、彼女は「投げた」のではなく、「放った」のだった。
 右足にはいていて履物がなくなっている。どうやら渾身の力でエルイスに放り投げたらしい。根性だ。
「痛いな、ミワ嬢」
「ふん。誘拐犯にいいツラするわけないだろ」
「誘拐犯とはね」
 まあ、その通りなのだ。
 ティアズゲームに圧勝したという娘に興味が出て、アシャーテを使って召喚させた。無理やりにだ。
 あちらにはペキがいるのでどうなるかと正直思っていたが、アルバートはなにやらやることがあるらしく、木暮の者たちに注意を払っていなかったのだ。
 アルバートとナギルも接触させるわけにはいかない。第七王子である弟は毛色が変わっていて、まるで自分みたいでエルイスはそこそこ気に入っていたのだから。
「うちは確かに庶民だがね。わざとそういう小馬鹿にした言い方だと、敵しか作らないもんなんだよ、王子さん」
「…………いいねぇ、ミワ嬢は。アヤ殿も素直そうだったが、あなたは妖精を打ち負かした実績がある。敬意は払うよ」
「殿下!」
 すぐさま室内に現れた魔道士・アシャーテに木暮美和は驚かない。
 真っ直ぐに、椅子に腰掛けているエルイスを見ている。全身に隈なく『呪い』という名の魔術文字を描かれた第三王子を。
「殿下、お怪我を?」
「よい。おまえは控えていろ」
 命じられて、アシャーテは戸惑いながらも様子を見守る。
 一つ段差のある下の床の上には、陣の中央に座り込んでいる娘の姿が見えた。
 化粧一つしていない彼女は静かに怒っているようだ。
「よほどの策略家か……私とゲームをしないか?」
「あたしと遊ぶために呼んだわけじゃないだろ」
 さすがに本当に…………鋭い。
 エルイスはますます美和が気に入る。この娘なら、自分の願いを叶えられるかもしれない。
 立ち上がり、よろめきながら近づく。
「見えるだろう、この呪いが。呪詛が」
「見えるね。悪趣味な刺青が」
「ふふっ。そう、生まれた時にやられたのだよ」
「犯人が知りたいのかい?」
 美和の言葉にエルイスはきょとんとした。
 生まれた当時、誰もわからなかったことだ。もう諦めている。魔道のオーラを辿っても、結局はわからなかったのだから。
「教えれば、あたしを自由にするかね」
「取引かい?」
「どう思ってくれてもいいよ。腰に辛いんだ、この体勢は」
 ……腰?
 エルイスはぷっ、と吹き出してアハハと笑い出した。
「いいねぇ、ミワ嬢! そういうところ、嫌いじゃないよ」
「いい大人がなにげらげら笑ってるのかね。どうするのかはっきりして欲しいよ」
 どうでもいいように美和は言い、フンと鼻息を荒くする。あの妹の姉とは思えないほど似ていない。
「自由にするよ」
「嘘だね」
「っ、よくわかったな」
 すぐさま見破られるとは……。
「悪いが、あたしに嘘は通用しないし、余計な企みはよすんだね。いいことないよ」
「……腕の縄だけはほどいてもいい」
「ならほどいてもらおう。べつに逃げやしない」
 ゆっくりと立ち上がる美和の縄をアシャーテがほどいた。くっきりと縄目が手首についている。しかも、赤く。
「あー、痛かった。まったく、乱暴なお人だよ」
「悪かったね」
「思ってもないことを口にするなとさっき言ったはずだよ。
 さて、あんたに呪いとやらをかけた犯人だったね。第八王妃だよ」
 さらりと……彼女は言い放った。あまりのあっさりさにエルイスは耳を疑う。
「……え? なんだと?」
「第八王妃だ。呪詛、と言ったが、正確には毒を盛った」
「毒……?」
「あんたの母親はそれをどうにかしようとして、あんたは今の状態になったみたいだね。
 悪いけど、あたしがわかるのはここまでだ」
「…………ミワ嬢は過去がみえるのか?」
「庶民にそんなことできるわけないだろ。スーパーマンじゃあるまいし。
 単に『そう思う』だけで、特別、たいしたことはしてないよ」
 一番疑いが強かった第八王妃。だが証拠もなく……エルイスの母親も生んですぐに亡くなった。
 真実はすべて闇の中。乳母さえ、幼い頃に何度も代わり、エルイスには手がかりすらなくなっていたというのに!
 使える、と脳裏で閃いた。この女は使える。
「冗談じゃない」
 考えを打ち破るように美和が言い放つ。
「亜矢や由希を盾にとって、あたしを言いなりにするつもりならよすんだね。
 亜矢はナギルが守るだろうし、由希はアルバートの坊ちゃんがなんとかするだろうよ」
「……ミワ嬢の身は、私の手中だ」
「だからなんだい」
 平然としている美和には恐怖心というものがないのだろうか?
 エルイスが彼女を凝視した後で、きびすを返して椅子に座り直した。
「度胸があるのはいい。気に入ったぞ、ミワ嬢。さすが妖精に選ばれただけある……!」

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