Barkarole! メモリア28

 ルキアと1曲だけ踊ると、彼に「ちょっと」と言われてバルコニーに誘われた。夜風に当たるためだろう。
 外に出た彼は、申し訳なさそうに眉をさげている。
「すみません」
「え?」
「怖がらせて、しまいました」
 肩を落としているルキアに、トリシアは戸惑ってしまう。
「その、実はあまりああやって言葉で相手をやり込めるのは得意ではなくて……」
 白状するルキアは、頬がほんのり朱色に染まっている。
「何度も練習したんですけど……やっぱり怖かったですか?」
「え? 私が、ですか?」
「ええ」
 頷くルキアは、もじもじとしてしまう。
「少佐に、特訓されたんですけど……あそこまでやる必要があったかはわからなくて」
「ルキア様……」
「あ! いえ、あの、メーデン夫人があなたにしたことは、正直許せないですし、怒って……ます」
「…………」
「でも同時に、自分の不甲斐なさもあってですね、自分がしっかりしていたら、あなたは標的にならなかったかもと思うと……あの女性だけを責めるのもおかしいと……」
「あ……」
「少佐は『最初が肝心だ! がつんといけ!』と、言っていたので……従ってみたのですが、トリシアまで怖がらせるとは思ってなくて」
 どうやらダンスの最中に、かなり緊張していたのが伝わってしまったようだ。トリシアは恐縮して、身を竦めてしまう。
 あの時、彼はどんな気持ちで相手に言葉を発していたのだろう? 特訓した、と言っていたのだし、普段からそれほど辛らつなことを言わない彼としてはわざと言葉を選んで放ったのだろう。
「ああ……!」
 ルキアは顔を片手で覆ってしまう。真っ赤になった顔が、なんとなくかわいい。
「もっと器用になりたいです……!」
「ルキア様、そ、そんなことないですから大丈夫ですよ」
 慌てて慰めを口にするが、ルキアは恥ずかしそうに顔を背けてしまう。バルコニーの手すりに手を置いて、赤く染まった耳だけが、トリシアには見えた。
(でもルキア様がわざとああいうこと言う練習してたっていうの、すごく意外というか)
 苦手分野であろう自覚があったのだろう。
(普段は空気を読まない発言をさらっとするのに、わざわざ練習、したんだ……私のために)
 妙な気持ちになる。なんだろう、変な気持ちだ。
 理解できない感情を、表現できない。嬉しい、わけではない。申し訳ない、でもない。なんだろう? よくわからない。
 あれ、とトリシアは気づいた。
 ルキアは敵には容赦のない辛らつな言葉を浴びせることもあることに気づいた。婚約中に押しかけてきたナタリーの時、彼は「喧嘩を売るなら買いますよ」と言ったらしいし。
 あ、そっか。
(『敵』って認識しないと、ああいうこと、言えないんだ、ルキア様って)
 ナタリーの時は、ルキア自身に非がないのでそういう判断になったのだろう。だがメーデン夫人は、ルキアの判断基準では、甘いものになったのだ。
 メーデン夫人だけではなく、ルキア自身にも……問題があると。だから、『敵』の認識が甘くなったのだ。
 そもそもルキアの思考はかなり極端で、強引なところがある。面倒くさがりで、体育会系の思考だということも。
 トリシアをいじめた相手が男ならば、ルキアは容赦なく拳で殴っていただろう。とはいえ、ルキアのそういう姿は見たことがないので、想像もできないが。
「ルキア様」
 小さく呼びかけても、ルキアはこちらを向いてくれない。年齢相応の少年のような、拗ねている姿に、トリシアの心臓がどくんと妙に跳ねる。
「あの、私のために頑張ってくれたんですから、きちんと説明してくれましたし、怖がりません」
「……怖がっていいです」
 むすっとした声で、ルキアは呟く。表情は見えないが、相当拗ねているようだ。
「むしろ怖がってください。あなたは、自分に甘いですから。もう少し、厳しい認識をしたほうがいいんです」
「甘い、でしょうか?」
「甘いですね」
 くるっとルキアがこちらを振り向いた。真摯な眼差しは、底知れない赤色だ。
「だって、自分が『優しい』なんて、おかしなことを言うのは……あなたくらいですよ」
「? 優しいじゃないですか」
「優しくなんて、ないんですよ。優しさでは、ないんです」
 よくわからない。首を傾げるトリシアの頬に、ルキアの右手が触れてくる。白い手袋をしているせいか、なんだろう、冷たく感じる。
「甘やかすこと、甘さをかけることを、優しさとは言いません」
「甘やかす?」
 その表現はあまりにも的確すぎて、トリシアはどきりとしてしまう。そうだ。ルキアは「甘い」。
「た、例えばですよ?」
 また頬を赤らめて、ルキアは視線を泳がせる。
「あなたが泣いているとしますね?」
「はい?」
「そうしたら、泣き止んでくれる方法を探します。甘いものを買ってくるとか、慰めの言葉を口にするとか」
「???」
「殿下に、言われたんですけど……そういうのは、優しさではないんだそうです。ただの、甘やかしなんだとか」
「…………」
「相手と向き合っていないそうなんです。自分なりに、方法を模索して回答したのですが……殿下にはお気に召さないものだったらしいです」
「殿下は、強い方なんですよ」
 ルキアがきょとんとこちらを見てくる。くりくりとした大きな瞳が、興味に揺らいでいた。
「ルキア様、『心の強さ』は見えないものです。確かに今のでは、一時凌ぎにしかならないとは思いますが……でも、間違ってもいないです」
「トリシア……」
「殿下にとっての甘さも、私にとっては優しさ。見る者が違えば、受け取り方も違ってきます。答えは、ひとつだけではありません」
「あなたの言っていることは、明確なのに、むずかしいですね」
 微笑むルキアは、夜風に髪をなびかせた。妖艶に笑む彼は、少し怖い。
「……恐ろしい。とても」
「? なにがですか?」
「あなたを…………」
 呟くルキアの声は小さすぎて、聞き取れない。だが彼は二度も口にする気はないようで、淡く笑っただけだった。
 子供かと思えば、大人のように。ルキアは急激に変わっている。その片鱗を、トリシアはやっと目にしたような気がした。



「あなたを失うのが」
 囁いた声は、きっと彼女には届かない。届くべきではない。
 これからだって、軍も、この国も、トリシアの存在を無視はしない。利用できるようにするだろう。
 ルキアはトリシアを抱きしめた。強く、けれども苦しくないように配慮をして。
 彼女の体温に安心する。安堵する。驚く彼女の動揺が伝わってきた。
「自分は」
 震える声で告げる。
「いつか、あなたを殺してしまう……」
 ぴたりと彼女の動きが止まり、黙って聞いてくれる。
「自分は軍人だから。国の為ならば、あなたの命を散らせるでしょう」
「…………」
 しがみつくような動きになるルキアは、それでも言うしかない。
「けれども、あなたを殺すのは自分です。ほかの誰でもない」
「……はい」
 静かにトリシアは頷き、ルキアの背に手をまわして抱きしめ返してきた。彼女がどんな表情をしているのか、今のルキアにはわからない。
「私も、あなたの枷になるなら、自ら命を絶ちます」
「トリシア……」
「こ、怖いですよ? でも、でも」
 ためらいがちにトリシアは大切に言葉をつむぐ。
「最後の最後、ぎりぎりまで粘ってからになります。私、死にたくないですから。だからルキア様もがんばってください」
「はい」
「私を助けられるように、がんばってください」
「はい。なにがあっても、あなたのところに駆けつけます」
 ルキアは少しだけ身体を離す。トリシアの頬をゆっくりと撫でた。
「誓います。自分は、あなたのものです。この身体も、魂も、命以外のすべては、あなたのものです、トリシア」
「――――はい」
 噛み締めるように応える彼女から、離れるのが勿体無い。
「……うぅ、なんでここはファルシオン邸じゃないんですかね。……思いっきり仲良くしたい」
「…………」
 呆れるトリシアが、小さく呟く。
「帰ったら、仲良くしましょう。ご褒美、です」
「え?」
 驚いて顔をあげると、トリシアと目が合う。彼女はぱちぱちと瞬きをしてから、顔をうれたリンゴみたいに真っ赤に染め上げた。
 あ……かわいい。
 胸のあたりがなんだかぽかぽかする。あたたかい。
「なんの……?」
「私のために頑張ってくれているので……少しくらいの無茶は、聞き入れます。あと、明日しかありませんしね、ゆっくりできる時間」
 照れ臭そうに微笑んで言うトリシアの言葉が、信じられなかった。
 出会った時、彼女はルキアのことをあまりよくは思っていなかったはずだ。苦手だと、言っていた気がする。
 変わっているのは……。
(自分だけじゃない……。トリシア、あなたも……?)
 嬉しくてたまらなくて、ルキアは涙が浮かんでいることに気づかなかった。
 つぅ、と頬を流れていくものが熱くて、唖然としていた彼は……流れたそれに「へ?」と驚きの声を洩らして仰天した。

 初めて知った。
 悲しい時だけではないのだ、涙が流れるのは。嬉しすぎる時も、涙が流れるのだ。
 ルキアはにこっと微笑んだ。
「早く舞踏会終わりませんかね〜」
「……ルキア様、ここにいないで、親交を深めようとは思わないんですか?」
「そんな面倒なことはしませんよ。自分は今、あなたと親交を深めるので頭がいっぱいですしね」
 すっきりした顔で言い放つ彼は、大きく伸びをして夜空を見上げた。丸く輝く月が、まだ弱々しい光を放ち続けていた。


END

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