Barkarole!U 序章2

 パジャマ姿のままで、続きの間(と言うらしい)を通され、それから表に出ると廊下が広がっていた。
 ここも豪奢で、きらびやかだ。あまりうまく説明できないが、どこかの城や、宮殿のような住まいに近い。
(なんかさっきの人も、見た感じは王子様みたいだったし……)
 まるで連行される罪人みたいな気分だ。手錠がついていないだけで、護送されているのは同じだ。
 長い長い廊下は広く、そして豪華絢爛。
(……変な世界に迷い込んじゃったみたいな気分だよ)
 気分がヘコみそうになる。いくら夢とはいえ、これはないだろう、これは。

 気づいたら馬車に乗せられて、あれよあれよという間に別の場所に連れて来られていた。
 四角い建物。まるで亜子の世界にある役所のようだ。
 飾り気もないその建物は、けれど亜子の世界の建物とは違っていた。
 そんな建物がたくさん並んでいる場所で降ろされ、そのまままるで隠されるように裏口へと連れて行かれる。
 亜子の常に近くにいたのはデライエという男だ。隙もまったく見当たらないし……もしや警察かなにかなのだろうか?
 しかしこんな派手な衣服の警察が?
 わけがわからない。ますます混乱を極める亜子は、通された部屋がまるで裁判所のようになっているのに驚いた。
 傍聴席はないものの、本当にシンプルな作りで、ずらりと並ぶ裁判官たちやその他の人たち。
 そんなイメージが近い。全員、ゆったりとしたポンチョのような衣服を羽織っており、そこに紋章のようなものが小さくつけられている。
「トリッパーを一名、捕獲しました」
(捕獲って……ほかに言い方がないの?)
 そもそも亜子はトリッパーとやらではない。勘違いだ。
(あたしは日本人よ、ただの……。あれ? でも、ど、どこに住んでたっけ……?)
 まるで頭にもやがかかったように鮮明にならない。
 自分がどこに住んでいて、家族の顔や人数など……。呆然とする亜子は被告人が立つような、部屋の真ん中にある異様に孤立させられた席に座らされる。
 目の前にはずらりと並ぶ、様々な顔の男たち。女性もいる。だが若い者は見当たらない。
 中央に座る男がドアが閉まったのを確認し、亜子を見てきた。
「では始める。名前は言えるか?」
 なまえ?
 亜子は嫌な気分になりながらも、渋々答える。答えないでいれば、きっとずっとここに拘束され続けるだろう。
「長野亜子です」
「アコが名前でよいかな?」
「はい」
 頷く亜子に、男は右端に座っているわりと若めの中肉中背の男性に何かを書き記すように指示を出している。……もしかして、書記か何かなのかもしれない。
 カリカリと羽ペンを動かす音だけが部屋に響いた。
 質問は座っている様々な者からされた。家族や、今までの生活のこと。
 一日は様子を見るということが規定とされていることを説明され、亜子はまたどこかへ移されるのだと覚悟した。
「信じがたいかもしれないが」
 中央の男は散々亜子に質問してきた後、そう切り出した。
「そなたは『トリッパー』と、この世界では呼ばれている」
「トリッパーとはなんですか?」
「別の世界から来た者たちの総称だ」
 ベツのセカイ?
 にわかには信じがたい言葉に亜子が顔を引きつらせているが、誰も真顔で、冗談だと笑ったりしない。
 …………うそ、だ。本当に?
「そなたたちトリッパーは、伝承によれば黒髪黒目、もしくは茶髪に茶色の目をした黄色の肌の人種だという」
 ……それは日本人の特徴ではないのか?
 微かに震える亜子は畏怖の目で、中央の男を見据える。
 初老の男の髪には白髪が混じっている。いかつい顔に、こちらをじっくりと観察するような目…………怖い。
「少し赤みがかかっておるが茶色の髪と瞳の外見。見たところ、外見にそれほど影響は出ておらぬ」
「?」
 亜子の姿が変わっているとでもいうのだろうか? そんな馬鹿な。
「トリッパーはこちらの世界に来る際に、大きく二つの影響を受ける」
「…………」
「一つは肉体影響。一つは精神障害」
 どちらもあまりいいものではない。いや、良くない、はっきり言って。
 目を見開く亜子は何も言えないで、完全にその場に固まっていた。
 だって、こんないきなりファンタジー世界なんて、無理に決まっている。
 小説だって読んだ。おもにライトノベルだけど。それにマンガも。でも……でもこれって……。
「見たところそなたは肉体にそれほど影響は見えないが、一日経たないとわからぬこともある」
「……どういう、ことですか」
「夜になると変貌する者もいるからだ」
 変貌?
 言い方が妙で、亜子は怪訝そうに眉をひそめる。
「トリッパーの肉体影響は様々だ。…………そなたらの世界では総じて『バケモノ』という単語で表現される変化をする」
「っ」
 今度こそ、亜子は驚いて口をぽかんと開けた。
 バケモノに、成る?
(あたしが?)
 なんで?
 違う世界に来たからって、化物なんかになるわけない。あたしは人間だ! 誰が見たって!
 そこまで考えて、起きてから一度も鏡を見ていないことに気づいた。
(……………………)
 ざぁぁ、と血の気が引く音が聞こえた気がする。
 もしや、見た目が変わっている?
「肉体影響には現時点では変化は見られぬ。だが、精神障害が出ているようだな」
 カリカリと、ペンの走る音。
 亜子はぼんやりとしたまま、声だけを聞いていた。音だけを聞いていた。
 何かの悪い夢だ。きっとそうだ。きっと……でも、きっとそうじゃないと、わかっている自分もいる。
「そなた、家族の顔や人数のことがわからないと言っていたな?」
「え? は、はい」
 小声で頷くと、男はふむ、と言った。
「記憶混濁だ。前の世界のことを忘却している」
「え……?」
「この症状が出ている者は、大抵、思い出すことはない」
 おもいだせない?
「え」
 小さく、本当に小さくそれだけ呟き、亜子は座っている者たちを見回した。みな、無表情で座っている。
「思い出せないって……忘れてるだけ、じゃなくてですか?」
「微々たるものではないだろう。半分以上忘れているはずだ」
 きっぱりと言われて、まるで足元の床がいきなりなくなったような感覚に陥った。
 自分の家族のことや、世界のことが……ほとんど思い出せない? なにそれ。なにそれ!
 涙が滲んでくる。悔しくて、悲しくて。わけが、わからなくて!
「い、いえ! 憶えてます! あたしの国は日本ていって、小さな島国なんです。経済大国なんて呼ばれた時代もあったけど、今はそんなのあんまりみんな思ってなくて……。
 住んでいた場所は思い出せないけど、高校には通ってました。受験を……」
 受験?
 そういえば受験勉強は?
 亜子は震えだし、頭を抱えた。両腕だけは自由にしてもらっていたので、そういう仕草ができたのだ。下半身は麻痺したように動かないが。
(どうして……? あれだけ勉強したのに、全然思い出せない? ううん、思い出せることだってあるけど、難しいこととか、何度か復習したところとかが……)
 すっかり…………抜け落ちている。
 愕然とし、亜子は全身から力が抜けた。
「アコ=ナガノ。処分が決定するまで、別室での滞在を申し付ける」



 尋問のようなものが終わったと思ったら、次は別の部屋に連れて行かれた。
 めまぐるしい展開に、頭がついていかない。
 ここは本当に別世界なの? 日本語が通じているのに。
 文字だって、ひらがなと漢字、それにアルファベットが使われている。まるっきり日本の西洋版のようだ。
 だが建物はことごとく日本にあったものとは若干違っていて、亜子の感覚を戸惑わせる。
 連れて行かれたのは医務室だ。身体検査があるという。
 ありがたいことに女医だったので、亜子は警戒心を少し緩めた。
 綺麗に結われている金髪の女性は、すらりとしていてまるでモデルのようだ。少しきつめの目つきが印象的だった。
「あなたの世界でおこなわれているものとほとんど同じことをするから安心してちょうだいね」
「は、はい」
「元気がないわね。相当しぼられた?」
 気さくに笑いかけてくる女医に亜子もつられて笑ってしまう。
「しかしシャルル殿下の寝室に出現したトリッパーなんて前代未聞よ。なにかすごいのかもしれないわね、あなた」
 興味深そうにじろじろ見られて、パジャマを脱ごうとしていた亜子は頬を赤く染める。
「そ、そういうものなんですか……? トリッパーとかいうのは、いきなりこっちの世界に出てくるものなんですか?」
 完全な不審者ではないか、それでは。
 亜子の言い方に彼女は笑い、そうね、と口を開く。
「本来なら、遺跡に出現するのよ、トリッパーというのは」
「遺跡?」
 そういえば、そのこともさっき説明をされた。
 この世界は荒野に呑み込まれてしまう前の建造物や失われた技術がある場所……遺跡。
「まぁでも、例外はあるみたいだし、一概に遺跡にだけ現れる、とも言えないらしいのだけど」
「遺跡、とはなんですか?」
 言葉通りの意味ではないはずだ。亜子はそのことを感じ取っている。
 女性は小さく笑った。
「『バースト・ダウン』」
「ばーすとだうん?」
「まずはその説明からしないといけないわね」
 女性の説明は、そこから始まった。

 この世界の大陸は今ほど小さくはなかったそうだ。
 広げられた地図を見て、亜子は絶句した。
 まるでそれは、地球の地図と似ていたのだから。でも地球みたいにバラバラになっていない。すべてが合体した感じ。
 それにしては……小さい。大陸全土が小さい、この地図上からでも。
「これが全大陸」
「あの、この南の小さな点々はなんですか?」
「これは『セイオン』という地域よ。帝国の支配下になる島なの」
 セイオン……。
「セイオンは後で説明するわ。まずはこれが前の地図」
 すぐ真横に広げられた地図の全大陸は随分と大きい。
 亜子は唖然とし、それから女医を見た。そう……きっとそうだ。
 この、『消えた部分』が……!
「『バースト・ダウン』というのは、一般的には大陸が荒野に呑み込まれ、荒廃した状態になった時期を示しているの。事件の名前みたいなものね。
 この時期、大陸のあちこちで隆起が起き、陥没が起きたわ。海にのまれた地域も多い」
 それは大惨事だったに違いない。
 亜子は経験していないので想像するしかできないが……。
「原因はよくわかっていないの。突然なのよ。突然、世界が荒野化してしまった」
「え。でもここには植物がありますよね」
「場所によっては復興したところとかあるのよ。でも旅をすればわかるわ。どれだけまだ貧困にあえいでいる人々がいるか」
「…………」
 亜子は軽く俯くことしかできない。
「荒野化は今は沈静化しているみたいだから、一応は安全ね。
 大陸のあちこちには線路が張り巡らされていて、そこを列車が通るの。貴族はだいたいが弾丸ライナーを使うわ」
「弾丸ライナー」
「どの列車よりも速く目的地に着くのを目的としている列車よ」
 小さく微笑む女性が続けた。
「この消え去った土地が時々隆起して、姿を現す時があるの。そこに『遺跡』と呼ばれる建物があることがあるの」
「遺跡、ですか」
「そう。失われた力が秘められているとも言われているし、実際はよくわからないの。だから調査団が送られるのよ。
 調査団が調査を終えると、トリッパーである地学者たちがそこを検分に行くのが通例ね」
「地学者?」
「各地を旅し、遺跡を調べる人のことをそう呼びあらわすの。トリッパーの多くが選ぶ職業だけど、まぁトリッパー全員が地学者になるわけじゃないから、誤解しないでね。
 つまり、遺跡をあとからあれこれ調べる人のことね」
 地図をたたみ、彼女は元の位置に戻ってイスに座った。
 突っ立っている亜子は困惑の表情しか浮かべられない。
「徐々にこの世界のことを知っていくわ。一度に教えてもわからないでしょうし」
「……元の世界に戻る方法は?」
「見つかっていないわ」
 断言、だった。
「トリッパーたちが地学者をしているのは、帰る方法を探すため、というのもあるらしいの」

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