Barkarole! ナイトスカー6

「ルキア、おまえに訊きたいことがある」
「なんでしょう?」
 無邪気な笑顔のルキアに苛立ちながら、ハルは昨日考えていたことをルキアに訊くことにしたのだ。
「記憶を盗み見られた、とおまえは言ったが……あの女は三時間以上も外に居た。魔術でそれほどの時間を拘束することは可能なのか?」
「可能です」
 ルキアは即答してきた。
「ただし、術者の腕によります」
「というと?」
「わざと拘束するなら、そのように魔術を使いますが、トリシアのは単に魔術の後遺症で動けなくなっただけでした。ですから、拘束の魔術は使われていません」
「そうなのか?」
「はい。トリシアにかけられた魔術は、薬品を補助に使った『操心』に関連のあるものです。
 ただ、自分も気になってはいました。三時間以上もトリシアは何をしていたのかと」
「……ああ」
 ラグだけは黙ってお茶を飲みながら、二人の遣り取りを聞いている。口を挟むつもりはないらしい。
「軽度ではありますが、トリシアの麻痺状態から考えて、彼女は三時間も突っ立っていたと考えたほうが自然でしょう」
「三時間もか?」
「彼女は抵抗したのかもしれません」
 その言葉にハルは瞬きをする。
「抵抗? 何を?」
「術者の質問に抵抗したのではないかと思います」
 意外なことを言われてハルは驚愕した。
「か、可能なのか、それ」
「術者の術が完璧ではないなら、かけられたほうも抵抗をします」
「…………」
 目を丸くするハルは、考え込むように視線をさげた。
「……だとして、あの女の記憶は見られていないかもしれないのか?」
「可能性は充分にあります」
 紅茶を飲みながらそう言うルキアを、ハルは見遣る。ルキアは嘘をつかないだろう。そもそも嘘をつくほど器用な性格をしていないはずだ。
(だがもしそうなら……パーカーはまたあの女を狙う……)
 三時間以上も抵抗するなど、考えてもいなかった!
 ハルは頬杖をつき、キャビネットを押してきたトリシアに気づいてハッと目を見開く。頬がじんわりと熱くなり、咄嗟に顔を逸らした。
「ミスター、コーヒーです」
 目の前にソーサーとカップが置かれ、コーヒーのいい香りが漂う。
「……ああ」
 ぶっきらぼうに答えるが、トリシアは軽く頭をさげて去ってしまった。
 ルキアとラグがまじまじとこちらを見ているのに気づき、ハルは慌てる。
「なんだ!」
「いえ、顔が赤いので熱でもあるのかと」
「無理するな、ハル」
「ああもう! なんでもねぇ! 余計な干渉してくんな!」
 乱暴に言い、コーヒーの入ったカップを持ち上げる。
(バカな女。抵抗したってことは、僕のことを言いたくなかったってことか?)
 何かを期待しているような気分になっている。ハルはそんな感情に吐き気すらおぼえた。
 期待をするなど、馬鹿げている。信じていても、裏切られる可能性のほうが高い。
 だったら最初から諦めていれば、絶望感は少なくて済む。それは……随分前に学んだことだ。
(……考えてみれば、トリシア、だったか? あの女……頑固なところがありそうだしな)
 コーヒーを飲み、ほっと一息つく。
(パーカーか。相手にするには厄介だな……)
 そもそも今の自分の状態で、満足に動けるとはハルは思えなかった。



 不思議なことに、トリシアはマハイア駅に着くまでの間、ハルを見かけない日はなかった。
 彼は相変わらず顔色が悪く、具合も良くない様子で食堂車に居たり、展望室に居たりはしたが、トリシアに声をかけてくることはなかった。
 ただ黙って、持っている懐中時計の蓋を開けたり閉めたりして、ぼんやりと窓の外を見ていることがほとんどだった。
 逆に、パーカーに遭遇する機会がぐっと減った。なぜかはわからない。
 パーカーに会うと気が滅入りそうだったのだが、トリシアは安心して仕事に勤しんだ。
 けれど。
 再び問題がマハイア駅で起こった。

 マハイア駅で降車し、買い物を頼まれていたトリシアは、道に迷っていることに気づいて慌てふためいた。
 買い物袋を両手で抱え上げ、周囲を見回す。
 もうすぐ夕暮れだ。なぜ帰る道を間違えるのか、トリシアにはわからない。
 マハイアは交易に優れた場所で、街も栄えている。それに何度も来た場所なので、迷うはずがない。
 そもそもトリシアは知っている場所以外を歩き回ることがほとんどないのだ!
(なんで……?)
 イズル駅でのことが思い起こされ、真っ青になってしまう。
 駅はここから見えない。相当奥まで迷い込んだようだ。
 そこで声を聞いた。囁き声だ。
「やあ、お嬢さん」
 振り向いたそこに、パーカーが立っていた。
 衝撃を受けて荷物を落としそうになるトリシアは、彼が一足で近づいてきたことにぎょっとする。
 身のこなしが普通じゃない!
「会いに来てくれて嬉しいよ」
「な、なにを……?」
 驚愕に目を見開き、トリシアは途絶えていた記憶が蘇るのを感じた。そうだ。あの時もそうだった。
 なんだか誰かに呼ばれた気がして、列車を降りて裏通りまで進んだ先に、パーカーが待ち受けていたのだ。
 今と同じで、夕闇に染まる中。
(また魔術をかけられたの!?)
 絶望が心の中に広がる。
 一体いつだ? いつかわからないが、確実に魔術をかけられたのだ!
「ミスター・パーカー! なぜ私に魔術をかけるのですか!」
「素直に教えないからだろ?」
 低く笑うパーカーは、問う。あの時と同じように。
「『こたえろ。ミスター・ミズサはトリッパーだな? そしてその能力をおまえは見たはずだ』」
 ぐっと心に圧力が与えられる。息苦しい。
 だがトリシアは足を踏ん張り、パーカーを睨んだ。
「いいえ、ミスターは違うと言われました!」
 客の秘密を守るのが自分の仕事だ。教えてなどやるものか!
 トリシアは歯を食いしばり、必死に抵抗する。息が荒くなり、足が痛くなってきた。
 そうだ。あの時もパーカーにはかなり粘られ、意識が途中でなくなったのだ。なぜ忘れていたのか!
「なぜこんなことをするのです、ミスター・パーカー! ゴシップのネタにでもするのですか!」
 非難がましく言ってやると、パーカーはげらげらと笑った。
「生きたトリッパーに会うのは初めてなんだ! 興味がないと言ったら嘘になる!」
「…………生きた?」
「へぇ。キミは本当に頭の回転はいいようだね。気づいたか」
 にや〜っと笑うパーカーは、肩をすくめた。
「死んだトリッパーになら何度か会ったんだ。ひどい有り様だったけど」
「死んだトリッパーに会った? どこで……」
「さあ、どこだろう!」
 彼は両手を大きく広げた。この通りに誰もいないこと、そしてそのことに気づいているからこそ彼はこれほど大仰に言っているのだろう。
「彼らの多くは地学者として旅をしているからね。とはいえ、旅をしているのにほとんど会った人がいない。これはおかしいと思わないかい?」
「…………」
「彼らは移動のほとんどを、特別な列車、弾丸ライナーを使っていると私は考えた! だがこの考えも、微妙に違っていたようでね」
「なぜ、私に教えるのですか……」
 嫌な予感がした。先程彼のセリフに気づいてから。そして様々なことが頭を過ぎる。
 彼は「人殺し」だとハルは言った!
「死んだトリッパーを調べたら、不思議なことがいくつもわかったんだ!」
 興奮したように語るパーカーから逃げたいが、足の裏が地面に貼り付いてしまったように動かない。
 トリシアは静かに呼吸を整える。いつでも逃げ出せるようにしておかなければ。
 足の速さにはそこそこ自信がある。逃げ切れるかどうかは別として、逃げるつもりでいなければ。
「下半身が蛇みたいだったんだよ、そのトリッパー! どうだい、興味が湧いたかな?」
「…………」
「女だったんだけど、腰から下が鱗でびっしり! 長いコートで下半身を隠していたようだけど、あれは凄かった」
「…………」
「その次は顔がトカゲみたいになってる男だった。トリッパーの死体を見たのは三度だけど、どれもあれほど興奮したことはなかったよ!」
「ミスター……なにをおっしゃりたいのですか」
 自慢話ではないだろう。トリッパーに彼が興味を持っているのはよくわかった。
 けれど三度だ。稀な存在のトリッパーの「死体」に三度も会っている理由がトリシアには想像がついた。
 彼は記者だろう。だが……きっと。
「あなたは……葬儀屋なのですね?」
「家がそういう仕事をしているだけで、私は関わったことがないのだけどね」
「…………」
 彼は帝都出身者だ。そう思わせる。
 トリッパーの死体を扱うとなると、信頼のおける葬儀屋に違いない。そこの息子が、彼だろう。
 だが彼は家を継がずに記者になった。……たぶん。
「賢い女の子は大好きだよ」
 薄く笑うパーカーに、トリシアは顔をしかめる。
「キミに術をかけるのは簡単だったんだよ。ただ、なかなか機会がなくてね。
 ほら、あの軍人さんに、セイオンの剣士くんはかなり鋭いし、手強いから」
「…………いつですか。私に術をかけたのは」
「就寝中だよ」
 鍵はかけているはずだ!
 恐怖に微かに震えるトリシアに、パーカーは平然と続けた。
「あんな安物の鍵、外すのは簡単だよ」
「そんな……」
 寝静まった後なら、油断する。誰であろうと。
 それでは随分前からトリシアは術にかかっていたことになる。
 いや……あの盗賊騒ぎの後、ずっと……。
 自分の置かれた状況にトリシアは唇を噛んだ。
(怖い……)
「ミスターは、なにも……」
 何者ですかと問う声は、声にならない。
 ぐいっと背後から引っ張られ、よろめいた。
「パーカー、従業員をいじめるのはよくねぇな」
 この声は……。
 トリシアは振り仰いだ。自分の背後に立っているのはハルだ。
 目を見開き、トリシアは緊張が緩むのを感じた。涙腺も、ついでに緩む。
(やだ……私、泣きそう……)
「ミスター!」
「べつにおまえを探しに来たわけじゃねぇよ」
 なぜか慌ててそう言うハルは渋面を浮かべている。なぜそんな嫌そうな顔をしているのだろう……。
 ハルは視線をパーカーに戻した。
「ミズサ! やはりトリッパーか……」
「違うと何度も言ってんだろうが……」
 こめかみに青筋を浮かべるハルに構わず、パーカーはへらへらと笑っている。
「二度だ!」
 人差し指と中指を立ててパーカーは言う。
「行方をくらました乗務員を二度も正確に見つけられるわけないだろ!」
「……偶然だ」
 歯軋りしながら答えるハルは、まるで背後にトリシアを隠すように前に出る。
「偶然なわけないだろ? ふふっ、はははは!」
「気色の悪ィヤツだな……」
「見た目にはどこも変わったところはないけど、ミズサ、あなたは何か秘密がある! 肉体変化がないところを見ると、精神のほうかな?」
「聞いてねぇな」
 舌打ちするハルはトリシアの手を軽く握った。驚いて彼を見上げると、ハルはなにか様子が変だった。
(ミスター?)
 顔をしかめるハルは、とうとう堪え切れなかったのかごほごほと咳をした。
「ミスター? 調子が悪いのでは?」
「黙れ」
 短く言われ、トリシアは口を噤む。
 ここで出しゃばると、ハルはますます怒りそうだ。
 口と鼻を手で覆って、彼は唸る。
「おまえ……今まで何やってた……?」
「どういう意味だい?」
 パーカーから離れるようにハルはじりじりと後退していく。トリシアもそれに倣った。
 隙が見つからないのか、ハルは面倒そうにまた舌打ちした。
「そもそもトリッパーになんの用があるんだ? 異界の秘密でも盗もうっていうのか?」
「その生態に興味があるんだよ」
 目をギラつかせるパーカーの言葉にハルはきょとんとする。
「生態?」
「トリッパーは異界からこちらに来る時、肉体変化が起こることがほとんどだ。もしくは、精神のほうへの打撃」
「それが?」
「彼らのほとんどは謎に包まれている! これは興味が出ないほうがおかしくないか?」
「興味ねーな!」
 どうでもいいようにハルは吐き捨てる。
「そんなもん調べるより、僕は遺跡調査をしているほうが有益だ」
「それは、異界と関係があるかもしれないからかい?」
「!」
 ハルは片眉を吊り上げた。困惑したように次は眉をひそめる。
「なんでそうなる……?」
「トリッパーが遺跡を調べるのは、政府に命じられているからだけではないと考えたから。違う?」
「…………」
 ますます不機嫌顔になっていくハルは、トリシアをぐいっと引っ張って歩き出した。
「付き合ってられるか!」
「逃がさない」
 静かな声にゾクッとしたトリシアは、瞬時に位置が変わっていた。ハルが素早く引っ張ったのだ。
 キン、と金属音がしたと思ったのは一瞬で、トリシアが立っていた場所には大きめな針のようなものが突き立っていた。あんなものが当たっていたらと思うとゾッとする。
「ただの記者じゃねぇとは思ってたが……おまえ、何者だ」
「好奇心旺盛な記者にすぎないよ!」
 パーカーが針を構えている。それをじっと見つめ、ハルは嘆息した。
「なんでよりによって僕なんだ……。調べるなら、あのチビ軍人にしとけ」
「『紫電のルキア』様はトリッパーじゃない」
「僕も違う」
「いいや、ミズサはトリッパーだ! その容姿は間違いなくトリッパーの特徴そのもの」
「おまえ、頭おかしぃんじゃねーの?」
 冷ややかに否定するハルだったが、誰が見てもトリッパーだと思う容姿なのは本当のことだ。
 セイオンの島の人々や、帝国人とは明らかに肌の色も違うし、顔立ちも違う。
 ハルは逃げるのをやめたのか、トリシアを背後に隠すようにしてパーカーを睨んだ。
「もしもだ。おまえの言うように僕がトリッパーだとして、何を訊こうっていうんだ。生態を調べるっつったって、おまえは学者でもねぇだろ」
 鋭い指摘にトリシアも軽く頷く。トリッパーを研究対象にするなんて、帝国は認めていない。
 それでもパーカーは愉快そうに笑った。
「生きたままでもいいけど、解剖してみたい」
 はっきりとそう言ったパーカーの言葉に、トリシアは唖然としてしまう。
 解剖?
(今、パーカー氏はなんて……?)
 空耳だろうか?
 人間が人間を解剖? 生きたまま?
 常軌を逸している!
 ハルは渋い顔をし、それから鬱陶しそうにパーカーを眺めた。
「なるほど……。おまえは人間を分解するのが趣味なのか、パーカー」
「まぁ、そういうことかな」
 平然と応じるパーカーの言葉に、トリシアは信じられないものを見たような気がした。
 人間を平然と殺せるというのは、そういう意味だったのか。そんな人間が『ブルー・パール号』に乗っているなんて。
 自分たちは客だからと思っていたが、相手がどんな人物かさほど気にしない。けれど警戒は怠らない。
 列車の中は密室と同じで、閉鎖された空間だ。その中で何が起こるかわからない以上、警戒心は常に持っていなければ添乗員などやっていけない。
(殺人者が列車に……)
 それは……あることでは、ある。富豪もいれば、貴族もおり、平民もいれば、商人も乗る。
 乗った者は全員「客」として認識されるので、トリシアもそれに倣っていた。けれど、車内には……。
(あ……)
 そうだ。今は、用心棒として雇っている『ギルド』のメンバーが不在だ。だからパーカーは自由に動けたのだ。
 ハルは唐突にトリシアの手を放した。困惑するトリシアのほうを振り向きもせず短く言う。
「早く行け!」
「……っ」
 頷くとトリシアはきびすを返して走り出す。今はハルの指示に従うしかない。
 彼はトリッパーだ。ならばパーカーを相手にしてもきっと引けはとらないはず。……そう、願いたい。
 必死に走って表通りへと出ると、駅の方角を確かめる。あの大きな駅が見えないなら、なるべく高い場所を目指して……。
 そう思っていたが、駅の屋根がかろうじて見えたのでトリシアはその方角目指してまた走り出した。
 ハルはどうなっているのだろうか。無事に、帰ってきてくれるといいが。

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