暗い。こわい。もうやだあ!
私はぎゅうっと強くナギルの衣服を掴む。
もうやだ。目玉がおかしくなったんじゃないの? 壊れちゃったんじゃないわけ?
気持ち悪い。ちゃんと真っ直ぐ歩いてるのかすらわからない。やだやだやだ!
「ナギル」
「なんだ」
沈黙が嫌になって声をかけると、すぐに声が返ってきたので驚いた。
なんだか暗闇にずっといると、感覚が鋭敏になるっていうか。
自分の喋っている口の形さえ、すごくすごくわかる。うぅ、やだなぁこの感覚。
「ま、まだ?」
「? まだってなにがだ」
「で、出口」
「さあ?」
さあって……。
不安になってぐいぐいと衣服を引っ張る。
「歩いていれば、どこかにぶつかるかもしれないからな」
ななななんですってー!
「というのは冗談だ」
じょ、冗談か……。よかった。
「あっはっは! 面白い二人組がきたネー!」
明るい声が闇の中に響いて、私は思わずぎくりとしてナギルにしがみついた。
「お、おい、なにをす……」
「ちょ、黙って! ゆ、ユーレーだわ!」
いやあああああ! なんで怪奇現象? いや、こんな暗闇だからあってもおかしくないわ!
そう、なんかこう、ぼうっと光って……。
ひか……。
「ぎゃああああああああ! 光ったーっっ!」
ひしっ、とナギルにしがみつくと、彼はなんだか居心地が悪そうで体をよじる。ちょっとくらいは我慢しなさいよ! 乙女がこんなに怖がってるんだから!
ぼんやりと光った中心にいるのは…………あれ?
目を細め、やっと光に慣れてきた私はごしごしと瞼を擦った。
なんか……私に見えるんですけど?
「ようこそ、鏡の迷宮へー。ナギル殿下のことは知ってるけど、こっちのお嬢さんは初めてだネ。かわいこちゃんだ」
うふっ、と笑うので、ゾゾゾッと背筋に怖気が走る。なにその笑みはー! 私、そんな笑みとか浮かべないわよやめてよ!
「お名前、言えるかな?」
「アヤだ」
こらあああああ! 勝手に名前を教えるなああああ!
ナギルの腹を肘で突き、彼が悶絶している中、私は震えつつ尋ねた。
「も、もしかしてドッペルゲンガー?」
会っちゃったら3日以内に死ぬというあの有名な怪奇現象! いやああ! まだ死にたくないぃ!
もう一人の私はくすくす笑う。
「かわいこちゃんは、かわいいこと言うなあ。ドッペルなんとかかは知らないけど、ぼくちん、鏡の精霊なのさ」
……一人称が「ぼくちん」だなんて……非常識な怪奇現象もあったもんだわ……。信じらんない……。
由希……ちょっとここにきて解説してちょうだい……。変態な弟の存在がいきなりランクアップだわ。あいつより変態がここに……。
「うぐ……、何をするんだアヤ……」
「知らない人に勝手に名前を教えちゃダメだって、親に教わらなかったの!? 下手したら個人情報漏洩よ!」
「? こじんじょうほうろうえい?」
首を傾げてる場合じゃないっての!
「ドッペルゲンガーよ! あああ、私、あと3日で死んじゃうんだわ!」
私の悲惨な嘆きにナギルが怪訝そうにした。
「急になぜ……? 健康そのものに見えるが」
「ドッペルゲンガーに会ったら3日以内に死んじゃうの! 私の世界ではそう言われてるのよ」
「鏡の精霊だって言ってるのにぃ」
もう一人の私は顔をしかめ、今度はナギルの姿になった。尊大そうな表情で、彼はくすりと笑う。
「じゃあこっちの姿にしよう。かわいこちゃんが安心できるようにね」
「やめろ! オレの姿でアヤのことを変な風に呼ぶな。不気味だ」
ナギルが心底嫌がって眉間に皺を寄せる。確かにすごい不気味だわ……。
なんかいきなり尊大王子がキラキラフラッシュを飛ばすアイドルになったみたいな。
「鏡の精霊だから、映した相手の姿しかとれないわけ。かわいこちゃんとナギル殿下は、なにしにここに来たの?」
「せいれい?」
ナギルを見上げると、彼は軽く溜息をついた。
「鏡の化身のようなものだ。特別製だからな、この鏡は」
「そのとーり! 殿下はちゃんとわかってるね。えらいえらい」
「ええい! オレの姿をやめろと言っている!」
ちぇー、とぼやき、また私の姿に戻った。そっちもやだあ!
でもアイドルなナギルを見ているよりマシかもしれないわね……。
「まあいっか。かわいこちゃんの姿も嫌いじゃないよ。珍しいなあ。珍種ってカンジ」
……なにこいつ。シツレーなセーレーね……。
ドッペルゲンガーじゃないってわかって、ぶん殴りたくなってきたわ……。
くっ。怖がっただけ損した気分……。
「かわいこちゃん、試練を受けてくれるかな〜?」
「し、試練?」
「そ。そしたらこっから出してあげるよ」
「ほんと!」
驚いて瞬きをする私を、ナギルが制した。
「どいつもこいつも試練が好きな連中だ。アヤは関係ない。その試練、オレが受けよう」
え?
驚く私に、精霊が唇を尖らせる。
「えー、そんなのつまんないー」
「私の姿で変な顔しないでよ!」
「……そうだ。アヤはそこまで変な顔はしないぞ」
そこまでってどういうこと!?
「んー」
唸る鏡の精霊はパッと姿を変えた。どこか中国風なイメージをわかせる衣服と、長いおさげ髪。アジアの種類の違う美形がここにも……!
ナギルは不愉快そうに声を低くする。
「なんの冗談だ、その姿は」
「おや? いけなかった? 第五王子はもう死んじゃってるからね。姿をとってもいいかなと思ったわけだ」
ええええええー! 毒殺されたっていうナギルのお兄さんなの?
全体的に黒い衣服や黒髪。だけど鮮やかで、なんていうか、艶っぽい。なにこの人!
「本物はイケ好かない性格のガキだったけど、容姿はいいもの持ってるよね」
……うっわ。さりげにひどいこと言ってるわ……。いや、さりげなくないか。
でもナギルとそう年齢変わらないくらい若いのね。しかも、なんか童顔?
王子様って言っても本当に色んなタイプがいるものなのね〜……。は〜。
少し吊り目がちの瞳の彼はくすりと笑う。私やナギルの姿でやるより、すごく様になっていた。
「ぼくちん、暇でたまらないのさ。たま〜にここに来るのって王族だけだし、ぼくちん、かわいこちゃんの守護精霊になりたい」
いきなり試練と無関係なこと言い出した……。うわ……なにこいつ、ほんと。
「鏡からそれほど離れられないだろう?」
冷徹に言い放ったナギルは明らかにムッとしている。いや、ムッとしたいのは私のほうよ。
「だから試練だって言ってるのに〜! 殿下はばかだったのかい?」
ナギルのこめかみに青筋が……! ヒッ! この精霊、ナギルの兄さんの姿で「いやいや」するなんて、ばかじゃないの!
「それは試練とは言わぬ!」
「ぼくちん、かわいこちゃんのこと気に入っちゃったんだ〜。だから、この鏡から連れ出してよ」
「はあ?」
「気に入ったとはなんだ! こいつはオレの婚約者だぞ!」
むきになって怒鳴り返すナギルに鏡の精霊はふふんと笑ってみせた。
「ぼくちんがいれば、多少は便利になると思うけどな〜。殿下じゃ、この娘の不運パワーは抑えられないだろうからね」
「不運パワー?」
なんだか不穏な言葉に私が嫌な顔をする番だった。
鏡の精霊はくすっとまた笑う。うわぁ、美形がやるとなんか腹立ってきた〜!
「そ。かわいこちゃんは、幸運の残量がとんでもなく少ない星のもとに生まれているんだ。すごいよね」
なんか、ひどいこと言われてない……? 私。
「しかも〜、足りない幸運エネルギーを吸収しようとしちゃって、逆に周囲の不運も吸収しちゃうわけ。
謎の解明に役立った?」
「………………」
無言で頬を引くつかせるナギルだったけど、私には意味がよくわからない。
「なるほどな……。アヤがここまで周囲を巻き込む理由と、無自覚なのがわかった」
「でしょでしょ? ぼくちん、一応精霊だし、それなりに強いし、どうどう?」
お買い得でしょ? とばかりに私に近づいてくる精霊の顔を、ナギルが無理やり押し退けた。
「オレの兄上の姿でアヤに近づくな!」
「ぶーぶー。だって二人が姿を映させてくれないからでしょ〜?」
「死者を冒涜しているのか、貴様!」
「ねえねえ、かわいこちゃん、ぼくちん、ミラっていうんだ。よろしくぅ」
ナギルの怒りなどなんのその。まったく挫ける姿勢にならないのは、ある意味すごいと思う……。
ミラと名乗った精霊はくるん、とその場で一回転した。
「じゃあこれならどうかな?」
見たことのない子供の姿になったミラだが、あまりその姿は気に入っていないようだった。
「……おまえ……どこまで……」
怒りを抑えた声音のナギルにさすがに私もミラがとんでもないことをしていることに気づいた。
まあでも、なにがどう「とんでもないこと」なのかはわからないけど。
「初代の皇帝の若かりし頃の姿さ。でもやっぱり、第五王子のほうがいいなぁ」
呟き、ミラはすぐさま第五王子の姿に戻った。ナギルは舌打ちし、渋々というように唇をへの字に曲げる。
「さて、ぼくちんの試練は、かわいこちゃんの守護精霊になること! つまり、ここから外に出してくれること!」
「待て。今までの王族はそんな理由で鏡から解放しなかったはずだろう?」
「そりゃそうだよ。ここはぼくちんの家みたいなもんだから。うろうろされると邪魔でしょ」
ツンとした態度で言うミラは、すぐにまたくすりと笑う。よく笑うわねぇ、こいつ。
「私は嫌よ。あんたみたいな変なのがくっついて出てくるの」
きっぱり言うと、ガーンと口で言いながらミラがのけぞった。オーバーリアクションすぎる!
しかも口で「ガーン」とか言わないでよ!
「なんでさあ! こんなにお買い得な精霊いないよ? 妖精どもからも守ってあげられるし?」
妖精と精霊って、なにが違うの……? 違いが私にはわからない……。
「気が利くんだよぼくちんって。ほら、えっと、便利な道具みたいに!」
なんでそんなに売り込んでくるのよ……あやしい。あやしすぎる。
睨むようにじとっと見ていると、横からナギルが口を出してきた。
「いらん」
「ぶーぶー! べつにナギル殿下には訊いてないってのー!」
「いや、私もいらない」
「なんでさー? かわいこちゃんが困ったとき、さささーっと助けてあげられるのはぼくちんだけだよ?」
なんでこいつ、そんなに私を気に入ってんの???
ますます目を細めると、ミラは「ううう」と今度は泣き真似を始めた。
両手で顔を覆って、いやいやと腰を振る。……気色悪い。
「ものは試しっていうじゃん。ぼくちんも、こんなとこでじっとしてるの飽きちゃったんだもん!」
だもんじゃないっての……。
まるで駄々をこねる子供みたい……。うちの由希よりタチが悪い……。
ハッとしたようにミラは手を離し、にやっと笑う。
「そうだった〜。かわいこちゃんのお姉さん、妖精どもと遣り合ってるんでしょ? ぼくちん、手助けしてもいいよ〜」
ぐふふと笑うミラはゆらゆらと楽しそうに、まるでダンスをするように動いてこちらを見てくる。
うっ。そうだったわ。私たちがここに入る前……美和お姉ちゃんは妖精とティアズゲームをしてた。
考えてみればここでのんきに精霊とバカなこと言い合ってる場合じゃない!
「ナ、ナギル……お姉ちゃんのこともあるし、しょうがないかも……」
「……くそっ。卑劣な精霊め……」
なぜか非常に不愉快でたまらないといった感じにナギルが歯軋りをして洩らした。
パン! と両の掌を打ち合わせ、精霊はにっこり笑う。あどけなくて、ちょっと可愛いかも。
はっ……なにをほだされてんのよ! こいつは性悪な精霊なのよ!
「だいじょぶだいじょぶ。二人の邪魔はしないからさ〜。ぼくちん、空気は読むからね」
……すでに読んでないような気がする……。べつにナギルと私、そういう仲じゃないし……。
呆れる私にミラは近づき、ぎゅっと手を握ってきた。
「じゃあ鏡の外に出してあげる。だけどぼくちんを連れて行くんだよ?
や・く・そ・く」
ほっぺにキスしてこようとするので、びっくりして身を引いた。と、ナギルがミラの後頭部を思いっきり殴ったのが見える。
「調子に乗るな、精霊」
「あちゃあ。ぼくちん、びっくり」
痛くないのか、ミラはケロっとしている。
と、いきなり暗闇が一気に消え去った。
驚く私は瞬きをすると、そこは鏡のある小部屋だった。すぐ横にはナギルが立っている。
「とうちゃく〜! ほらほら、早くぼくちんを連れて行って!」
期待に満ちた眼差しを向けてくる精霊を、私とナギルはまるで意思疎通ができているように半眼で見た。
置いていきたい……。
でも、お姉ちゃんが気になるし……。
「そもそも……連れていくってどうやってよ? こんな重くてでかい鏡、運べるわけないでしょ」
「そうだ。アヤの言うとおりだ」
冷たく言う私たちを見て、ミラは意地の悪い笑みを浮かべる。うわ、性悪な感じが全開だわ。
「じゃじゃーん!」
彼は両の掌を上にして、差し出してくる。
そこには手鏡と、イヤリングがあった。どちらも鏡を使ったものみたいだけど……まさか……。
「ぼくちんの一部のやつだよ。どっちも持っててくれると嬉しいな〜。
ほらほら、かわいこちゃんて、さらわれちゃったら身ぐるみはがされちゃいそうだし」
……確かに、手鏡はわりと凝ってる細工ものみたいだけど、イヤリングは明らかにオモチャみたいで価値がなさそう……。
って! さらわれて身ぐるみはがされるって! 失礼にもほどがあるわよ!
そこまで私はドジじゃないわ!
ムッとして睨んでいると、ミラはその姿を半透明にして「くふふ」と笑う。
「ああ〜、外の世界かぁ。何百年ぶりだろね。かわいこちゃんと一緒なんて、ぼくちんラッキー」
……連れていくなんて、言ってないんだけど……。こいつ、人の話を本当に聞かないやつね。
「あんた……なんか姿が透けてるんだけど」
「これ? これはぼくちんの姿を普通の人には見えなくしたんだよ。殿下とかわいこちゃんにはしっかり見えてると思うけどね」
「……それ、なんか意味あるの?」
「えー? だってこの姿って第五王子のだしぃ、見つかっちゃうと幽霊だって騒がれちゃうじゃん」
…………そういやこいつ、鏡で映した人の姿しかとれないとか言ってたわね。
いやもう、幽霊と同列じゃないの? 私にしてみれば、全部一緒よ、一緒。理解不能なものは全部一緒!
手鏡とイヤリングを無理やり渡され、私は溜息をついた。
今度は変な精霊がついてきちゃった……。どうなってんの、この世界……。