木暮亜矢の冒険 第三章 魔法の鏡の向こう側5

 黙々と作業をこなしていく美和の後ろ姿を眺めつつ、エルイスは首を軽く傾げた。
 変な女だ。
(自分の死すらどうでもいいというか)
 ナギルの婚約者の姉とは、とても思えない。似ているところが見つからない。
 妖精との勝負は、直接見るのは初めてだ。
 あれほどの駒の数を、まるで小さな戦争のように動かして、「殺して」「奪って」いく。
 ティアズゲーム。王を選ぶ、選定の遊戯。
 美和は確かに選ばれるだろう。
 彼女は黙ったまま、妖精たちの懇願を無視して駒を奪っている。ただ、奪う。侵略し、略奪していく。
 なんという冷酷な女。
 臣下にしたいという願望が、身のうちに広がってくる。欲しい、と思ってしまうのはどうしても自分が王族で、政治をおこなう者だからだ。
 強力な切り札になるが、諸刃の剣だ。完全に。
 と、そこにぺかーっと光って何かが現れた。
「ぎゃああああああ! いきなり召喚陣で移動とかありえませんぞ、イシュパ殿!」
「なに予告なしにやってんだよ!」
「ごほっごほっ……。うっ、鼻血が……。え? 今、お二人ともなにか言いました……?」
 鼻血をたらっと流した美青年が儚く笑う。なんだか今にもぶっ倒れそうな雰囲気だ。
「イシュパ……!」
 ぎょっとしたエルイスが視線を真横の魔道士に向ける。彼女は頷き、イシュパへと近づいていく。
 ここで邪魔をされてはたまらない。
「退がりなさい、イシュパ。殿下の御前です」
「そうは、ごほっごほっ、いかないですねぇ……」
 ふらぁ、と倒れるイシュパをはしっ、とモンテと由希が支えた。
 美和はちら、と視線をそちらに向けた。
「……由希。なにしてんだい、そんなとこで」
「助けに来たんだよ、姉ちゃん!」
「……自分からしてることだよ。べつに助けなんていらないね」
 美和の冷たい声に由希は驚き、モンテが絶句する。
 エルイスは小さく笑い、フードの奥で低く呟く。
「何用かな、兄上の魔道士殿」
「エルイス王子……ミワ殿を連れ戻しに参りました」
 やっと体勢を立て直したイシュパは鼻血をふいて、にっこり微笑む。
「そこの女は自分からこの勝負を申し出た。俺の命令ではないぞ?」
「そうはいきませんね」
 イシュパはほとんど閉じられていた瞳を薄く開き、邪悪に笑った。
「うちの殿下が所望なのです。連れ帰らせていただきますよ」
「ええー?」
 いきなりのキャラ違いに由希がのけぞり、モンテを小突いた。
「ちょ、病弱キャラじゃなかったのかよ、あの人」
「いえ、病弱ではありますが……第二王子の魔道士ですぞ?」
 ですぞ? じゃないと思う……。
 これじゃあ、第二王子本人がどれほど性悪なことか……。会うのが怖い。会わないで済めばいいが、そうはいかないだろう。
「アシャーテ、邪魔をさせるな」
「はい。殿下のおおせの通りに」
 黒髪の美女はイシュパの前に立ち塞がった。
 おお、と由希が洩らす。
「魔道士バーサス魔道士!
 すげぇ戦いが繰り広げられるんじゃ……!」
「ユキ殿……目をきらきらさせてる場合じゃありませんぞ」
 モンテの突っ込みに、由希はハッと我に返る。
 慌てて姉の傍に駆け寄った。呪われた姿を見られるわけにはいかないので、フードを前へと引っ張るエルイスは、少し離れた。
「美和姉! バカなことしてないで帰ろう!」
「そうですぞ、ミワ殿」
「うるさいね」
 睨まれて由希とモンテが怯む。
 もう少しで美和の勝利が確定する。それはまずい展開になりそうな予感がしていた。
 妖精たちはざわめきつつも、勝負を続けている。
「亜矢姉も心配してたんだぞ!」
「そうかい」
 どうでもいいように言う美和は、「ん?」と呟く。
 初めて手が止まった。
 そして妖精たちを睨みつけた。
「ズルをするとはいい度胸じゃないか」
 その言葉にエルイスは驚いて目を見開く。
 妖精がズルをしないなどと勝手に思い込んでいたのはエルイスたちのほうだ。人間ではないから、虚偽など関係ないと思い込んでいた。
(そんな馬鹿な……では契約を守るつもりもないのか!?)
 美和は無言になってそのまま勝負を続け、勝った。だがすぐに立ち上がり、盤を机から叩き落す。
「やる気のない勝負なんてうんざりだ。約束は守るつもりはないんだろうね」
 エルイスは愕然とし、美和をまじまじと見つめる。彼女はこちらを冷たく見てきた。
 最初からわかっていた?
(この女……!)
 腹の底から怒りが沸いてくる。
 ガラスのテーブルをエルイスがばん! と強く叩いた。
「貴様ら……なぜ勝負を受けた……?」
<王の選定は一人につき一度だけ。二度はないわ>
 つまり二度目のゲームに契約制はないということだ。効力のない遊戯に浪費したのだ。
<彼女は王に相応しい。相応しい>
 相応しいと何度も言う妖精たちの声が耳障りでならない。
 これでは呪いは解けない。願いは叶わない。
 悔しさで憎悪の瞳を妖精に向けるエルイスは、美和の腕を掴んだ。
「戻るぞ!
 アシャーテ!」
「はい、殿下」
 素早くエルイスの傍にアシャーテが移動すると、イシュパが「そうはいかないです」と呟き、持っていた杖を一振りした。
 魔法陣が一瞬で現れ、周囲を包み込む。
 アシャーテの色違いの瞳が憤怒に染まった。
「どきなさい!」
 陣を打ち破るアシャーテの魔力は強い。イシュパの魔法陣はあっという間に粉々にされてしまった。
「うおおおお! すげー! CGナシのガチの魔法バトルじゃん!」
 歓声をあげる由希は、太ももに巻いていたバンドに手を伸ばす。そこにはデジカメが!
「なにをやってるんだい、阿呆な弟だね本当に!」
 呆れた声を出す美和にハッとし、由希は捕らわれの姉の姿を見据えた。
 彼女はしっかりと第三王子に腕を握られており、逃げられないようになっている。いや、逃げられるはずだ!
(姉ちゃんは合気道を習った。あれくらい……。いや、王子様相手じゃ、勝手が違うのかも)
 ともあれ、助けなくてはならないが、ここはイシュパに踏ん張ってもらわなければならなかった。彼が勝てなければ美和の身柄は第三王子が拘束したままになってしまう!



 ふわふわと空中を漂っているミラは、まるで浮遊霊のようで……ちょっと気持ち悪い。
 しかも顔がナギルのお兄さんて……悪趣味すぎる。美形だけど。
 わたしたちは小部屋で相談をしていた。まずはお姉ちゃんを助ける算段だ。
「ねえミラ。お姉ちゃんをどうにかして助けることはできないの?」
「できるできる。そこらの魔道士よりも、ぼくちんのほうが強力だからね」
 どういう意味かとわたしはナギルに視線を遣ると、彼は渋い表情でミラを睨んだ。
「精霊は人間とは違うからな。魔術は使えないが、魔法は使える」
「まほう?」
 またファンタジー???
 げんなりするわたしにナギルは仕方なさそうに肩をすくめる。
「ミラは鏡の化身だし、人間より長生きだ。その分、能力も強い。たかだか百年たらずを生きるオレたちよりもな」
「ちょっとー。その説明だと、年寄りだからすごい力持ってんだぞーってなるじゃないの。ひどいなぁ、殿下は」
 空中で器用に寝そべり、ミラは頬杖をついてリズムをとるように首を左右に揺らした。じっとしていられないのね、こいつ……。
「まあ間違ってはいないけどね。精霊は、年月を経たほうがより力が増す。人間じゃないから、使う能力も『魔術』じゃない。魔法と呼ばれる、人間には理解できない領域の出来事なのさ」
「魔法が、理解できない領域?」
「そ。人間は『わからない』現象をぜ〜んぶ一緒にしちゃうことって多いでしょ。精霊の使う力もその一つってわけ。
 わかりやすく、大分類『魔法』に入れちゃってるだけなの」
「???」
「かわいこちゃんて、もしかしてこういう知識ないのかなぁ。こりゃ大変だ。
 でもだいじょーぶ! ぼくちんが手取り足取り教えてあ・げ・……へぶっ」
 ナギルが容赦なく殴ったので途中で言葉が途切れた。あーあ、ミラってばなにやってるのよ。なんかナギルを怒らせるようなこと言ったってことよね?
 ……えーっと、なんだっけ? なんか親切に教えてくれるとか言ってたような気はするんだけど……。
「そういうことはオレがアヤに教える。おまえはいらん」
「ちぇー。殿下は心が狭いなぁ。
 まあいいや。とにかく、かわいこちゃんのお姉さんを助ける、だったよね? 妖精どもはどうせ約束なんて守る気はないから、命は大丈夫じゃないかな?」
「どういうことだ?」
「妖精の王の選定は、一人につき一度だけっていう決まりがあるんだ。その契約だけは、あのバカな妖精どもも破れないものだからね」
 バカ呼ばわりされている妖精……。
「二度目はただのお遊びだろうから、お姉さんは命まではとられないし、何もとられない。ただ、人間を信じ込ませて勝負させようとするかもね。詐欺師みたいに」
「妖精って、その……そういう俗なことするわけ?」
 わたしの言葉にミラは目を細めて笑う。
「妖精だって俗物だ。ぼくちんだって、俗物だよ。快楽を好むし、悲愴なことはできるだけ避けたい。
 プライドが無駄に高いのは、ま、個人的なものだと思うしね」
 ものっすごい言い方してるような気が……するんだけど、気のせいかしら……?
「ぼくちんみたいに、人間に興味があって一緒にいるのを望むやつもいれば、えらっそ〜に上から目線で『王を選んでやる』なんていう連中もいるってこと。
 人間とは作りが違うだけで、俗物だとぼくちんは思うけどね」
 さっぱりしているのねぇ、ミラって。
 空中でごろんと寝返りまでうって、彼は面倒そうにした。
「あいつらは王様選びが大好きだからね。ま、勝負に負けた人間が青くなって震えてる様子見るのが面白いだけなんだろうけど」
 それって妖精のこと? あ、悪趣味なのね、あの妖精たちって……。
 ごろごろと空中で寝転がるミラはだらしない。ぷるぷると怒りに震えるナギルが可哀想になった。
 そりゃそうよね……。実の兄がこんなに変わっちゃったら嫌よね、たとえ偽者でも。
「ミラ、おまえは妖精より強いのか?」
「強いね」
 さらっとミラはナギルに応えた。不敵な笑みがまた似合う。
「単純なパワーの差ってやつさ。ぼくちん、精霊の鏡とか呼ばれてるけど、元々は封魔の役目があるからね。
 そりゃ、強力じゃなきゃやってらんないっしょ」
「ふーま?」
 首を傾げるわたしにナギルがこちらを見て口を開いた。
「悪魔や、魔物を封じる役割のことだ」
「でも妖精は悪魔じゃないけど?」
「魔を封じるには物凄い力が必要なんだ。それをミラは所有していると言っているんだ。
 単純な能力の差というやつだな」
「???」
 わけがわからない……。
「妖精を武器とすれば、ミラは兵器だと思えばいい。それくらい能力差というか、そもそも属性が違うんだ」
「へー! 今のはわかりやすかったわ!」
 感心する私の言葉にナギルが「うっ」と洩らして、顔をなぜか赤くする。……熱でもあるのかしら? 風邪とか?
 ミラはにこにこしながらこっちを見ている。なんなのかしら……いやらしい笑顔のような気がするわ。気のせい……?
「じゃあミラだったら妖精を蹴散らせるのね。お姉ちゃんを助けるの、手伝ってくれる?」
「いいとも〜! でもまずは状況を分析しないとね。
 ほら、かわいこちゃん、手鏡出して。見たいところを念じるんだよ〜」
 なんか……うまくいきすぎてて怖いんだけど……。大丈夫かしら?
 お姉ちゃんのことを念じると、手鏡がすぅ、と光ってなにかを映し出す。
 あ! あれは由希! それにモンテさんもいる! あれ? 見たことない銀髪の人がいる……誰だろう。
 お姉ちゃんはフードの人に腕を掴まれてるし、その前にはあのアシャーテさんがいる。
 なんだか白熱してる感じ……?
 鏡を覗き込んでくるナギルが仰天した。
「あれはイシュパ! なぜ第二王子の魔道士があそこにいるんだ!?」
 ええっ? あの銀髪の人、ナギルの命を狙ってた第二王子さんの魔道士なの? それってまずいんじゃ……。
 ミラはまたも寝返りを空中で器用にこなしてくすくす笑った。
「さてね。ぼくちんにも状況はわかんない。鏡は真実を映し、影を映し、見えぬものをみせるけど、『声』や『音』は反射してしまうから」
 …………? わかりにくい。
「つまり、音が伝わらないから状況を把握できないということだ」
「なるほど〜」
 ナギルの説明に私は何度も頷く。
 ナギルって、本当はいい人なのね。こんなに親切に教えてくれるし。ますます私みたいなのが婚約者のふりをしてるのが申し訳ない気がしてきたわ。
 鏡の中では赤と青の火花が散っている。なんなのこれー! どこかの映画かなにかなのーっ!?
 もっと大画面で見たらド迫力に違いないわ! ひぃ〜! なんかすごいんですけど! 私のつたないボキャブラリーじゃ、全然説明できないわ!
 でもえっと、銀髪の人の背後には由希とモンテさんがいる。逆に、あの黒髪の美女の後ろにはフードの人とお姉ちゃん。
 これは……構図的には…………。
 覗き込んでいたナギルが首を傾げる。
「イシュパがユキたちの味方に……? どういうことだ?」
「さてねぇ。で、行っちゃう? でもぼくちん、瞬間移動の魔法は使えないよ〜」
「なんですってー! 映画とかだと、こう、鏡と鏡の間で移動できるとかそういう設定、よく見るわよ!」
 我ながらちょっとファンタジーな設定を、よく憶えていたものだと思う。だってそういうの、本当に詳しくないし。
 そもそもファンタジーなんて、現実世界じゃ存在しないもののことだし。
 ミラはごろりと寝転がる。
「そりゃ、向こう側に鏡があれば可能な魔法だけど、あ、それって魔術でも可能だけどね。シャレイの森に鏡はないから行けないよ」
 うわー! そりゃそうだわー!
 森に鏡があるわけない。ていうか、手鏡の光景からして、ありそうにない!
 じゃあどうすればって、思っていると、手鏡の中でバチバチバチ! とまた火花が飛んだ。ひぇー! 本当に映画顔負けの映像だわ!
 なにこれ。この世界ってコレがフツーなの? 魔法使いみたいなのがドンパチやってて罰せられないなんておかしいわよ! 普通の人だったら巻き込まれて死んじゃうじゃないの!
 うわあ! とか思っていたら、お姉ちゃんたちが消えたーっ!
「きゃああああ! 消えたー! 消えたわナギルー!」
 悲鳴をあげて動揺する私に、ナギルが呆れたように頭をぽんぽんと撫でてくれた。いやいやいや、撫でるところじゃないわよ!
「移動魔術を使ったんだ。べつに消失したわけでも、殺されたわけでもない」
「……………………え。そうなの?」
「ああ」
「そ、そっか……」
 いやでも、安心できるのそれって。またどこかに連れさらわれちゃったってことじゃないの?
「んん?」
 ミラが起き上がって、地面に足を……いや、ついてないわね。微妙に浮いてる。
「おやおや。王宮内にご帰還とは……よほど自信があるんだねぇ」
「ええ! こ、ここに帰ってきてるの?」
 仰天する私はナギルを見上げた。ナギルは困惑し、青ざめている。
 お姉ちゃんをさらったのが第三王子なら、ナギルはどうするんだろう……。
「アヤ」
 彼は決意した声で静かに言う。
 私までなんか、怖くてどきどきしてきた。ときめきのどきどきのほうがいいんだけどな……。怖い……。
「兄上のところに行ってくる」

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