木暮亜矢の冒険 第三章 魔法の鏡の向こう側2

「私のいた世界に帰るだけじゃないのね、この鏡って」
 真っ暗な中、ナギルの衣服の感触だけが頼りで、暗くて怖くて私は話しかけていた。なるべく、会話が止まらないように。
「不思議な力が宿る鏡だから、用途は色々あるのだろう」
「へ、へぇ……」
 うわ、やばい。会話がなくなっちゃう!
「あのね、さっきモンテさんがこの鏡でお姉ちゃんを見つけてくれたんだけど」
「ん?」
 前を歩いていく彼は、迷いのない足取りだ。行く方向とかわかってるのかしら……。でも、他に頼る人もいないし。
「あの、妖精との勝負をまたしてたの」
「……初耳だ」
 そりゃそうかも。だってすごい剣幕で鏡のこっち側に来ちゃったし、説明してる暇なんてなさそうだったみたいだしね。
「傍に、白いこう、フードみたいなの……こう、マント? そういうの着てる人がいてね、顔が見えなかったんだけど……でも、ナギルのお兄さん? いたわよ」
「は?」
「えっと、あの黒髪の赤い服の女の人。女の人じゃないのかしら? とにかく、お姉ちゃんと、その白いマントの人と、赤服の女の人がいたの」
「どこに」
「どこかはよくわからないけど、こうね、透明なおっきな盤を前にして、お姉ちゃんが座ってた」
「…………」
 だ、黙らないでよ! こ、怖いぃ。
 がちがちと歯が震えそうになる。どこまでも続く闇の中で、もしもこの手を離してしまったら、私、どうなっちゃうんだろう?
 ああ、やだやだ。怖い想像しちゃった。涙が滲んでくる。
「おそらくそれが、ティアズゲームだな」
「王の選定とかってやつよね?」
 あ。やった。会話が続いた。
「そうだ。それにおそらく傍に居たのは……オレの三番目の兄と、その魔道士のアシャーテだろう」
「ん?」
「白いマント……ローブだろうな。それが兄上だ」
 ええっ!?
 仰天して目をみはる私は、状況を整理すべく首を傾げた。
 つまり……お姉ちゃんはナギルの三番目のお兄さんと一緒にいて、妖精と勝負をしてるってわけよね。いや、確かにモンテさんもそんなこと言ってたような気もするけど……。
「な、なんで?」
「ん?」
「だって、あの女の人は、ほら、ナギルの味方なんでしょ? 三番目のお兄さん」
「いや、そうでもないだろう」
「はあ?」
 助けてくれたんじゃなかったの? 意味がわかんない!
「そもそも、三番目の兄上はあまり身体が…………まぁわかりやすくいうと、不自由なんだ」
「えっ……。あ、ご、ごめんなさい」
「なぜ謝る」
 いやだって……それって、あんまり聞いてもいい話題じゃないような気もするし……。
「兄上はあまり自室や、自身の屋敷から出てこられない。滅多に誰かと話すようなこともないんだ」
「え? そ、そうなの? でも…………よく喋ってたような気がするんだけど……」
「寡黙で、あまり執政に興味がなさそうだったから、傀儡には適しているとアルバート……一番上の兄上は言っていた。
 ……が、そうでもないのかもな」
「???」
「わざとそう振る舞っていたのかも……しれぬ」
 重たく、面倒そうなナギルの声音に私は不思議になる。……なんか、嫌なことでもあったのかな。
「しかしなぜミワ殿と……。まぁ、兄上がさらったと考えるのが妥当だな」
「ど、どうしてそんなことするのよ?」
「それはオレにはわからんな。あまり喋ったことのない兄上だ。心中まではわからん」
 あれ……? なんかまた、声が……。
 この話題、続けてもいいのかな。やめた……ほうが、いいんじゃないの?
「そういえばナギルって幾つなの?」
「突然なんだ」
「いや、聞いてなかったな〜って思って」
 なるべく明るく言ってみると、ナギルが呆れたような溜息をついた。
「……18だ」
「あれ。私より1つ上なの?」
「なんだ。その意外のような声は」
「19歳か、20歳だと思ってたのよ。お姉ちゃんと同じくらいかと」
「……またミワ殿の話か……」
 うんざりしたような声だったから、思わず「またやっちゃった」とか思ってしまった。ナギルはお姉ちゃんのこと、苦手みたいだし。
「由希は15歳なの」
「……それにしては、女装が似合っていた」
「あれねぇ、ほんとあの子の趣味なのよ。変装とか、そういうの」
「? 間者に向いていると?」
「カンジャ? 病人じゃないわよ、うちの弟は」
「そういう意味じゃない。敵地に潜り込む者のことだ」
 え? ああ、スパイのこと?
 ど、どうしよう。ものっすごく恥ずかしいんですけど。
 良かった、ここが真っ暗で。
「たぶん将来、すごい大物になるとは思うんだけど…………ちょっと心配なのよね」
「……充分、できた弟だとは思うがな」
「うーん。モテるんだけど、彼女がいないのが気がかりで……。ほら、あの子って性格悪いじゃない?」
「…………」
「すぐ金品要求するし、大変な時にヘラヘラしてるし。マイペースで自己中心的なんだけど……悪い子じゃないけど、男女交際の噂は耳にしたことないのよね……」
「ふむ。そうなのか?」
「まぁあの性格についてくる女の子なんて、変な子しかいないと思うからすごく心配で……」
「…………おまえたち姉弟は、本当に仲が良いのだな」
 どこか感心したようにナギルが言ってくるので、私は首を激しく横に振った。
「全然!」
「……オレから見れば、おまえたちは皆、素直で睦まじいがな」
 む、むつまじい……? どこが……?
 気色の悪い言葉に顔をしかめてしまう。気分が悪くなった。
「ナギルって、変わってるわよね。王子様だから?」
「は?」
 そういえば……私、この人のこと本当に何も知らないのよね……。七番目の王子様ってことだから、七番目のお妃様の子供ってことかしら?
 ……うーん。この国って一夫多妻制っぽいのよね。やだなぁ。
「なにが変わっているんだ?」
「……うーん。必要以上に偉そうなところとか、変なところで感心するところ?」
「おまえ……失礼な女だな……」
「え? そうかしら?」
「…………なるほど。思っていることをミワ殿が言い当てるから、おまえは油断していると口からだだ洩れになるのだな……」
「えー? そんなことないと思うけど……」
 なんか締まりのない人みたいじゃない……それじゃあ。失礼しちゃう。
 ああ、でも不安なのは確かなのよね。だってここ真っ暗で……目が使えなくなっちゃったかと思っちゃうほどだもん。
「ねえ、ナギルはここのこと知ってるの?」
「鏡の迷宮か?」
「そう。それ!
 来たことがあるの?」
「ないな」
「ん? ないの?」
 ならなんでそんなにしっかりした足取りなの?
 瞬きを繰り返している私は、それでも歩みを止めないナギルの様子をうかがう。
「文献で読んだだけだ。この鏡の内側は迷宮になっていて、出口まで辿り着けないと出られない仕組みになっている」
「出口を知っているの?」
「王族だから、出られる」
 ? なんじゃそりゃ。
 眉をひそめていた私は、今は見えないけど、腕にある刺青が気になっていた。王族の婚約者……ね。
「……今さらだけど、私を婚約者に、あ! 仮によ? 仮にだけど、婚約者に選んで後悔してない? まぁ、えっと、第二や第三の奥さんをもらえばいいっていう話、なのよね?」
「はあ?」
 呆れたような声に私のほうが疑問になる。
「おまえが散々責任をとれと言ったんじゃないか! それに、おまえと婚約している間は、他の女には目を向けん」
「………………」
「なんだ?」
「……いやー、すごいなと思って」
「すごい?」
「でも、恋って落ちるものだって聞いたから、好きな人ができたら言ってね」
 応援してあげよう。悪い人じゃないみたいだし。
 元気に言ってあげると、ナギルは無言になる。
 あ、あれ……ぇ? なんか空気重いな……。
「恋とは落ちる、ものなのか?」
「え? け、経験したことないけど、そうらしいわよ?」
「落ちる……崖から落ちるのと似ているのだろうか……」
 ぶつぶつと何か呟いているナギル。なんか様子が変だわ……。大丈夫???
「しかしいきなりどういう心境の変化だ? オレのことは嫌っていたんじゃないのか」
「え? まぁ、今はそんなに嫌ってないかしら。悪い人じゃなさそうだし……」
「無防備な……」
 ぼそっと、呟かれたので聞こえなかった。んん? なんか今、舌打ちっぽく言われたような。
「……そういえばおまえは恋愛結婚が理想だと言っていたな。そういう願望があるのか?」
 ひっ!
 思わず顔が赤らむ。なんでその話題がここで?
 会話が続かないのも嫌だったので、私は渋々口を開いた。
「だ、だってやっぱり好きな人と結婚したいじゃない……」
「王族や貴族にはそういう者は少ないが……」
 うぅ。そりゃそうかもしれないけど。
「なんとも思ってない人よりは好きな人と一緒のほうがいいなってだけよ!」
「なんで怒鳴るんだ!」
「怒鳴ってないわよ!」
「なにも思っていない相手のほうが、一緒に居て楽だと思うがな」
 面倒そうなナギルの言葉に私は唖然とした。王族とか貴族とかって、そういうものなの?
「それじゃ、誰でもいいってことじゃない」
「? 血統は必要だと思うぞ」
「そうじゃなくて! 私は『おまえがいい!』っていう人に選んでもらいたいなって…………ああもうなに言わせるのよ、恥ずかしいなあ!」
 蹴りを入れたくなってしまう。相手が由希だったら間違いなく蹴飛ばしていたに違いない。
 夢みすぎだよぉ、という由希の幻聴が聞こえてきそうだ。ちくしょー……。乙女の夢だってのよ。わかってるわよ、現実がそんなに甘くないってのは。
 絶対そりゃ、飽きたり、ケンカしたりするだろうし……家族のお姉ちゃんと由希でさえ、一緒にいるとカチンってなる時だってあるのに、他人となったらもっとひどいはず。
 それでもやっぱり、好きな人に告白されたり、プロポーズされたいって思っちゃうじゃない? ……夢だけど。
 うー! そう考えると、全然関係ない人に無理に婚約者にされたこの状況は、私が望むものがなに一つないわけよね。ひどい。
 ああそうか。誰でもいいからナギルは私でもいいんだわ。なんかすごい悔しい。
「ごめん。価値観が違うのよね。うん」
「……なにを納得してるんだ?」
 そういえば最初にこいつはモンテさんとワケわかんないことばっかり言ってた。
 違う世界の人間だって、はっきり覚えておかないと。
「おい。なぜ黙る?」
「いやぁ、異文化交流ってムズカシーなあって話。こっちのこと」
「…………オレの母も、ウルド国の者ではなかった」
 唐突な話に私は怪訝になる。
「もっと南の小さな国の三番目の姫だった。まあ、ていのいい人質としての輿入れだった」
「人質……」
 戦国時代???
 私は歴史の教科書と、教育番組でのドラマを思い出しつつ呟く。
 戦争を避けるために、お姫様とか、跡取りの息子さんとかを道具として結婚させるっていう?
 うわぁ……なんかその政治絡みの話はあんまり好きじゃないわね……。
「だから、オレが変わっているのかもしれぬな……」
「へっ?」
 そこ?
 あ……ああ、そうか。私が「変わってる」って言ったこと、気にしたんだ……。
 あれ……もしかして、結構繊細なのかしら、コイツ……。
 すごい…………申し訳ない気分だな。うぅ、こっちがヘコむじゃない……。
 どうしよう……なんて言ってフォローしようかな……。む、むずかしい……。
 変わってないわよ、なんて言っても……なんか嘘ついてるから、あれだし。
「そこは……関係ないと思うわよ?」
「そうか?」
「うん。うちのお姉ちゃんも弟も変わり者だしね。あ、そっか。そういう意味じゃ、ナギルはすごくマトモに見えるかな」
「………………」
 なんだか妙な空気になっちゃった……。比較対象が悪かったかしら……。
 話題もなくなっちゃって、私は黙ったまま前を向いた。真っ暗で、何もみえない。

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