木暮亜矢の冒険 第二章 ティアズゲーム6

 ぶわっ、と声を出してしまう。
 湯殿にはナギルがいて、彼に私は頭からお湯をかけられた。
「本当はこれはメイドの仕事なのだが……」
 とかぶつぶつ言っている。
「だったらメイドさんにさせればいいじゃない」
 床に座り込んで、両手で胸元を隠している私は全裸だ。なにこの状況……さいあく。おかげで涙ぐんだままだ、私。
「妖精の粉まみれだと言っただろうが!」
「だから! なんでメイドさんにさせないのよ!」
「………………」
 ほら黙る。
 なにかやましいことをしようとしているからだわ。お姉ちゃんも由希もここにはいないし、自分の身は自分で守らなくちゃ。
 ぎゅ、と両腕に力を込めると背後のナギルが呆れたように嘆息した。
「べつに何もしない」
「あのねぇ……何もしない人が勝手に女の子を全裸にして、風呂場で洗うものなの?」
「ばっ! 湯をかけただけだろうがっ!」
 焦ったようなナギルの声に私は不思議そうにするけど、だんだん頭にくる。そうよ、なんで私がこんな目にあってるの?
「自分でするからいいわよ」
「だから! オレが傍にいないとおまえはまた『惑わし』に遭うんだと何度言えばわかるんだ!」
「マドワシだかオオワシだかわかんないけど、べつにあなたには関係ないでしょ!」
 それに。
「さっきアシャーテさんだっけ? エルイスさん? よ、よくわからないんだけど、こ、婚約式ってなによ! 私、あなたとは婚約しないって何度も言ってるでしょ!」
 またお湯が頭上かた予告なくかけられた。丁度いい温度だけど、ら、乱暴!
「エルイスだ。身体がアシャーテ。
 三番目の兄上はちょっと身体が不自由でな。ああやって、魔道士の肉体を通して動くことが多いらしい」
「魔道士? え? でもあの人、どう見ても人間だったけど」
「宮廷魔道士でも強力な魔道士の一人だ。モンテなど、太刀打ちできん」
 あれ? ということは……人間の魔道士もいるってこと? まどうし、っていう職業がいまいちわかってないけどね、私。
「おまえは妙な『声』で神殿まで行った。憶えてないか?」
「…………声は、聞いたような気がするけど……あんまり憶えてないかも」
「……………………………………………………」
「な、なによ?」
「べつに」
 ……なによその不機嫌丸出しの声は。あ! いま溜息ついた!
「とにかく、おまえは妖精に騙されてさらわれたんだ。その間に、オレが助けに行った」
「え? ナギルが助けてくれたの?」
 意外すぎて私は思わず振り返る。
 衣服の手首や足首を捲くっている、風呂掃除の時を彷彿とさせるスタイルのナギルが居た。
 視線があったことに彼はぎょっとして、「馬鹿者!」と声を荒げた。
「こっちを向くんじゃない! はしたない女だな!」
「え? あ、うん」
 ぼんやりとしたまま前を向くと、私は身体を縮こまらせた。
 なんだ……てっきりお姉ちゃんか由希が助けてくれたのかと思ったのに……。
「オレがこちらでおまえを助けに行っている間、ミワ殿が妖精の注意を逸らしてくれていたらしい」
「え? お姉ちゃんが?」
 あれ? なんかまた……ナギルの機嫌が悪くなる雰囲気が……? 気のせい……?
「……そうだ。ティアズゲームという遊戯で、ミワ殿は妖精と戦って圧勝したらしい」
「そのてぃあずげーむ、ってなに? どんなゲームなの?」
「盤上でするゲームだということだけ王族には伝わっている。代々、王に選ばれた者が妖精と契約更新のために名目上仕方なくやるゲームだ」
「仕方なく?」
「ああ。勝てなくても王にはなれる。いいところまでいけば、妖精は加護を与えてくれるらしいがな」
 ごしごしと、なるべく優しく背中を柔らかいタオルで洗ってくれるナギルに、へぇ、と私は洩らした。
「勝てた人はいたの?」
「今までいたとは聞いたことがあるが…………あるだけで、本当かどうかはわからないな。初代の国王は勝ったらしい」
 初代ってことは、随分前ってことなのかしら……。ふぅん、王様になるってのも、ただ選ばれるだけじゃないのね。大変だわ。
 …………ん?
 今までの話の流れから、すごく……すご〜く重要なことに気づいちゃったんですけど私。
「…………あのねナギル」
「なんだ」
「そのゲーム、お姉ちゃん圧勝しちゃったのよね?」
「ああ」
「…………まずいんじゃないの?」
「まずいな」
「きっぱり言うなああ!」
 思わず立ち上がって振り向くと、彼が目を見開いてこっちを見ていた。いや、えっと、凝視?
 徐々に顔が真っ赤に染まっていき、褐色の肌でも顔が赤くなるとわかるものなのねと頭の隅っこで思っていたら、
「こっちを向くなって言っただろうが!」
 肩を掴まれ、回れ右をさせられてしまった。
 ハッと我に返って「ぎゃあああああー!」と私の悲鳴が巨大な風呂場に響いた。



 とにかく説明してもらったことを順序立てて説明していくと、私は妖精に騙されて死んじゃうところだったらしい。
 それをナギルが助けに来てくれたらしいんだけど、妖精の注意をひくためにお姉ちゃんが妖精とティアズゲ−ムっていうので対戦したらしい。
 そこまでいいけど、お姉ちゃんは私の命がかかってるもんだから、相手をこてんぱんに叩きのめしちゃったらしい。
 でもって、妖精に気に入られちゃったというわけ、らしい。で、私もまだ妖精に狙われてるってことみたいだけど……。
「うわあ!」
 さっきから何度も転びそうになってはナギルに支えられている。
 今の彼はかっちりとした正装に着替えていて、淡い桃色のふわふわしたドレスの私を支えてくれる。
 うぅ、こう見ると……やっぱりかっこいいんだよね。すごい悔しい。
「おまえ、何度転べば気が済むんだ!」
「そ、そんなこと言ったって、私、ヒールの高い靴は基本、履かないし」
 日本でだってヒールの高い靴、履いたことないもの。
 腕を掴まれて、そのままゆっくりと歩くことにしたナギルに私も歩調を合わせる。急いでるみたいだから、余計にちょっとだけ、申し訳ない。
「ねえ、その婚約式って……」
「刻印を刻む儀式だ」
「刻印?」
「オレの腕にもある」
 衣服に隠れて見えないけど、さっきお風呂場で見た。ナギルの左腕には妙な紋様、いや、紋章が描かれていたのだ。刺青……?
「妖精避けとしての意味もあるし、王族である証でもある」
「で、でもそんなの私につけられても困るわよ!」
「妖精はおまえの世界に行ける。おまえをさらうことなど造作もないだろうな」
 無責任に言うナギルに、私はムッとした。
 そもそもこの男が私の家に来なければ、こんなことにはならなかったのに!
 と、そこでぴたりと足を止めた。
 誰も通らない、陽のよく当たる廊下。庭しか見えないそこはとても美しくて穏やかだけど………………神聖すぎて怖い。
「? ナギル?」
「おまえには、悪いと思っている」
「え? 声が小さくて聞こえないんだけど?」
 いま、なんて言った?
 訊き返すと、ナギルがこちらをすごい形相で振り向く。ひっ、こ、怖い! なんで怒ってんのよ、コイツ!
「悪いと言ったんだ!」
「え? 私が?」
「馬鹿者! おまえじゃない!
 オレが……不用意におまえを巻き込んだせいだ。だから……」
「だから?」
「…………婚約式の後、破棄する段取りもこちらで整える。だが、おまえと婚約者である間は、おまえに愛を誓う」
「………………」
 唖然としていると、ナギルが眉をぴくりと動かした。
「おい。ひとが真面目に言っているのになんだその阿呆丸出しの顔は」
「……いやだってさ……簡単に言ってるけど、ナギルは私のこと好きでもなんでもないじゃない」
 ずばり言うと、ナギルは無言になってツンと顎を逸らした。え、えっらそ〜! なにそのすごい偉そうで小馬鹿にした態度!
 猛烈に頭に血がのぼるけど、ナギルが歩き出したので文句を言うタイミングを逃してしまった。
「悪いが」
「ん?」
 小さな声で。
「オレは恋や愛を知らん。誰かに恋したこともない」
「ええええええー!」
「声が大きい!」
「ご、ごめん……」
 こんな、いかにも百戦錬磨。より取り見取りだぜ! みたいなナギルが……恋をしたことがない?
「うそだぁ」
「なぜ嘘を言わなければならないんだ。やはり馬鹿者だな、おまえは」
「ばっ、馬鹿者馬鹿者ってひどいわね!」
「よくわからんから、おまえの望む通りにはしてやれない。それだけは言っておく」
「………………」
「なんだ。その顔」
 私は自分がどんな顔をしていたのか、よくわかっていない。ただ、ナギルはすごく不思議そうだった。
 ナギルに言われて、私もなんか、こう、思っちゃった。
 『恋』とか『愛』ってどういうものなんだろう?
 ……なんてことだ。散々好きな人とじゃないと嫌だとか言っておいて……私、ちゃんとした恋愛をしたことがない。
 それなのに……ナギルに、ひどいこと言ってた。それがとっても恥ずかしい。

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