木暮亜矢の冒険 第二章 ティアズゲーム4

 妖精との妙な勝負に挑むことになった美和は、完全に優勢だった。
 地球の日本、木暮家の居間のテーブルの上には、チェス盤によく似ているが違うものが、半透明の姿で出現していた。
 将棋ともチェスとも違うルールでおこなわれるこの奇妙な盤上遊戯を、だが美和はやってのけていた。
 ソファに座り込んで、一度も熟考をしない彼女の勇姿に梅沢は震えが走る。
(ああ! 素敵です、美和さん!)
 亜矢に呼ばれて現れては、犯人をずばりと言い当ててあっさりと帰っていく時とは違う。
 犯人と対峙し、その秘密を暴く時の気丈な状態の美和だ。
<あら。ナギル王子はアヤを一つ回収したみたいね>
 美和が一つ盤上の駒をとれば、亜矢の欠片を返すと妖精は言っていた。ナギルがそれを見つけて回収したのだろう。
 美和の手元には相手の駒をほとんど奪い取った痕跡として、駒が積み上がっている。
<強いわ。こんなに強い人間、はじめてかも>
 声だけの精霊は、見えない手で駒を動かす。すかさず美和が動いて、手持ちの駒を進めた。
<妹さんの命がかかっているから? それにしてはお喋りしてくれないのね。残念だわ>
「………………」
 美和が無言で返すと、妖精は面白くなさそうな雰囲気を出す。
 勝負を受けてから美和は一言も発していない。これは激怒していることを示していた。
(怖ぇ……)
 由希は長姉の憤怒に背筋が強張り、円にもたれかかるように立っていた。
 美和以外、誰も座っていない。円は能天気に勝負を見物し、美和の圧勝を確信しているのか、口笛まで吹いていた。
 妖精の駒が進められる。それを美和が奪い取った。美和はすかさず自身の駒を進める。
 盤上は細かく分割されており、駒の数も多い。だが勝負が開始されるや、ものの数分で美和は相手の半数以上の駒を奪っていた。
 その塊がナギルの見た『欠片』なのだ。美和が素早く敵から奪取するから、魂が細かく分割されていない。
 この仕組みを美和は見抜いており、ナギルは知らないのだが……。
<命までは奪わないわ。ただ『惑わし』を手伝って欲しいだけだもの>
「嘘だね」
 短く発した美和の声に、妖精が笑う。
<嘘じゃないわ>
「……生憎と、わかりたくもないのに『わかる』体質なんでね……あんたの嘘がすぐわかっちまうのさ」
 喋った時には相手の駒を幾つか奪っている状態だ。
「うちの妹で森の結界を強化するなんて……嘘っぱちもいいところだ」
<どうしてそう言い切れるの?>
「暇を持て余してるあんたの遊び相手に人間を使うなと言っている」
 冷たい美和の言葉に妖精は押し黙った。だがすぐに怒りの波動が伝わってくる。
<無礼な人間ね。我々は王族との契約で、大人しくしているというのに>
「誘拐犯に無礼な態度をとって何が悪いんだい?」
 平然と美和が言い放った。
「あんたは犯罪者。対等に喋ろうなんて、思うわけないだろ」
 チェックメイトと言わんばかりに美和が根こそぎ駒を奪った。
 手持ちの駒がなくなり、妖精は呆然とする。
<……すごいわ。全部奪われたのは初めてよ。どの王も、我々とのティアズゲームで勝てなかったのに>
 感嘆の声を発する精霊からは喝采を送りたいような雰囲気もあった。
「ティ、ティアズゲーム!?」
 ぎょっとしたようにアルバートが声を発する。慌てて口を手で塞ぐが遅かった。
<そう、コレは『王の選定』でおこなわれるゲーム>
 妖精はアルバートが蒼白になっていることが愉快そうだ。
<あなたが『王』になればいいのに>
 震え上がるほどの強い声に、その場に居た男たちは息を呑む。
 妖精が「試す」または「勝負する」とは、王族として相応しいかどうかだろう。
 いや……もしくは「王」に相応しいか。
<妖精の加護を得られた王は今までに少ないもの。接戦した王にだけは、加護を多少は与えていたの>
「そんなもん、いるやつに与えればいい」
 傲慢な、と美和が声に出さずに含めて言い放つ。
<王になりなさいな。お名前は?>
「……犯罪者に名乗る名はないね」
<我々はべつに罪を犯していないわ>
「人間の法律を犯してる」
<我々は違う存在なのに?>
「だったら人間をさらうな」
 淡々と言う美和を背後から見つめていた由希は気絶寸前だった。
(あ〜、もうこの妖精、空気読めないのか? 美和姉が激怒してんの、梅沢さんだってわかってるぞ)
 いや、妖精ってそもそも空気読まないほうが多いかも?
 由希は自分が過去に作った、ゲームやマンガのフィギュアを思い出して痛みを我慢するような表情をする。
 良くも悪くも、こちらの世界の人間の「妖精」のイメージは、そこそこあり……どうやらあちらの世界の妖精にも共通点があちこちあるようだ。
(上から目線とかありえないじゃん。この状況で)
 常識が通じない相手だとは思う。けれども亜矢をさらった「犯人」である以上、美和が相応の対応をするとは思えなかった。
(美和姉はあれで過保護だからな〜……)
 いつも怠惰でだらしくなく、色気もなにもない女ではあるが、大学の講義を必要最低限にしかとっていないのは亜矢のためでもあった。
 家にいつも居れば、亜矢に何かがあっても駆けつけられる。
 本人にその気はないだろうし、大学に通うのも面倒そうだから……なんとなくそうしてはいるのだろうが……。
(無意識って怖いよなぁ。ナギルは可哀想に)
 小姑が美和では、同情しか浮かばなかった。
(梅沢さんには頑張って美和姉をもらってもらわないと)
 変わり者の美和に恋をするなんてどうかしていると最初は思ったが、梅沢は正義感も強いし、一途に美和を想っている。相手としては充分だった。
(なにより公務員だもんな〜……)
 安月給だと本人は嘆いていたが、それでもいい。
 由希には夢がある。自分の姉たちが幸せになることだ。いや、結婚すること、だろうか。
 いい相手に恵まれて結婚してくれることを望んでいた。個性の強い二人の姉が行き遅れにでもなったら大変だ。
 自分のことはあとでいい。姉の二人がとりあえず、幸福になればそれでいいのだ。
 由希はふぅっと息を吐き出す。
(だからさ、美和姉を怒らせるのやめてくんないかなぁ……)
 亜矢は感情の起伏が激しいからいいが、美和はそれが薄い。だからこそ、激怒している姉の姿を見るのは怖くて嫌だ。
「うちの妹を返してもらおう」
 きっぱりとした美和の声が室内に響き渡った。だが妖精は、聞いてはいない。
<あなたに加護を与えるわ。名前を教えてちょうだい>
「………………」
 美和からの怒りの波動に、男性陣が全員がさすがに冷汗を浮かべ、青ざめ、口元を引きつらせていた。
(ちょっとまどかちゃん、なんとかしてよ……)
(できるわけねーぜ。木暮が本気で怒ったの止めるなんて、強力な扇風機に指突っ込むくらい怖〜ってば。
 梅沢のにーさん、任せた)
(俺は美和さんの決断にすべてを委ねる!)
(それじゃダメじゃん。歯止めになってよ梅沢さん!)
(梅沢のにーさん、木暮を止めてくれよ)
(無理だ!)
 心の声で会話できるほどの状況にまでなっていた。すべては、アイ・コンタクトでのやり取りだ。
 誰もが美和の怒りを鎮められないと判断したその時、盤がテーブルから落ちた。
 いや、美和が手で払い落としたのだ。かしゃん、と小さな音をたてて盤が落下し、男性陣は「ひーっ」と内心で絶叫した。
「うるさいね。加護なんていらないって言ってんのがわかんないのかい、このスットコドッコイ!」
(美和姉、それ古いよ!)
 由希が心で突っ込むが、それどころではない。
 美和が腕組みし、ソファに深く座り込む。
「まあいい。そろそろナギルが到着する頃だろ。ここからはあの王子さんのお役目だからね」
 完全に異世界の日本に意識を向けていた妖精たちが、ハッとしたように我に返る。神殿に侵入されていることにやっと気づいたようだ。
 眼鏡を指で押し上げ、美和は不敵に笑った。
「本物の王族が相手だ。覚悟しな」



 神殿と称されている建造物はすぐにわかった。
 白い石ですべて建造されたそこは、簡単に入れる仕組みになっている。そもそも人間が存在しないのだから、侵入されないとわかっていての建築物なのだ。
 ナギルは馬から降りて、神殿目掛けて走った。階段をのぼり、それから正面から中に入る。
 屋根を支える巨大な円柱が幾つも見えるが、この建造物そのものが古い時代のものなので、泥棒が入り放題なのは確かだった。
 広い回廊を一直線に駆け抜けると祭壇があり、そこに亜矢が座り込んでいた。
 呆けた様子の亜矢は実体で存在している。肉体のほうだろう。
「アヤ!」
 叫んで近づくが、妖精の妨害がない。
(ん?)
 不思議になりつつ、亜矢の肩を掴んで揺さぶる。
 がくがくと前後に揺すられるが反応しない。魂がないのだ。
 素早く脈を確かめると、まだ動いていた。安心して、彼女を背負う。
(魂は別の場所か……。どこだ?)
 急がなくてはならない。ナギルは周囲をぐるっと見回し、怪しいと思う奥へとさらに進んだ。祭壇の間の奥には何もない。
(そんなばかな!)
 なにかあるはずだ。でなければ、こんな状態でいられるはずがない。
 最初に出会ったのは亜矢のマイナス思考ばかり。次が美和への恐怖の凝固した姿。残りは?
 うろうろしていたナギルは苛立ち、左腕だけで背中の亜矢を支えると、剣を抜き放った。
「剣よ、いま一度、オレに力を貸せ!」
 アシャーテにかけてもらった術の中に、見えないものを見る力を入れてもらった。亜矢が魂だけだった場合、目に見えない可能性があったからだ。
 剣が輝き、術が発動する。ナギルの赤い瞳に、魔法陣が浮かび上がり、『見えないもの』が目に映り始めた。
 うっ、となったのは、周囲に幾人もの人間が突っ立っていたことだ。見えなかったということは、魂だけということだろう。
 どの人物も呆けており、着ている衣服はバラバラだった。年代が、だ。
 どれも当時は上等な衣服だったに違いないので、王族か貴族だったのは間違いない。
 石版でしか見たことのない神官の衣服を着た男までいるので、相当昔から精霊たちは『惑わし』をおこなっていたのだ。
(こ、こんなに霊がいたとは……)
 はっきり見えすぎるのも、よくないと思う……。
 ナギルは微妙に視線を逸らしつつ、彼らが妙に離れている場所を見つけた。不自然に空けてある空間に、疑問が浮かんだ。
(あそこだけ、なぜ近寄らない?)
 祭壇のすぐ裏側に駆け寄り、うかがう。祭壇がズレた痕跡があった。
 思い切り、右手を振って剣で小さな祭壇を叩き壊した。剣が衝撃で折れてしまったが、それどころではない。
 破壊された祭壇の下には階段があり、ナギルはそこを駆け下りる。暗闇が支配するが、魔術のおかげで困ることはなかった。
 階段を降りた先には回廊が広がっており、進むと一番奥に亜矢が居た。
 彼女は暗闇の中で能天気に座っており、膝を抱えていた。
「アヤ!」
 ナギルの声に反応はするが、亜矢は暗闇で見えないらしく、きょろきょろとしている。
「ナギルだ! 迎えに来たぞ!」
「お姉ちゃんは?」
 第一声がそれか!
 ナギルは走る速度が一瞬落ちたが、持ちこたえた。忍耐を学んだ彼は、へこたれないようにと必死だ。
 亜矢に近づき、なんとか動悸を堪えて笑みを浮かべる。
「ミワは家でおまえを待っている」
「どうして迎えがナギルなの? 由希は?」
 さすがにカチンときて、ナギルの笑みが消え、怒りに引きつった。
「オレはおまえの婚約者だ! 助けに来て悪いか!」
「か、勝手にそっちが言ってるだけじゃない!」
 亜矢がやや迷惑そうに眉間に皺を寄せて言い返してくる。
「言い出した以上、オレはおまえを守る責務がある! 一緒に帰るんだ!」
「なによその言い方! 私、べつにあなたとの婚約、承諾してないんだから!」
 頑固に言い放つ亜矢が座り込んだままじりじりと後退した。夜目が効かないから、ナギルの声の発生源だけでなんとか対応しようとしているのだろう。
 表情も雰囲気も、今のナギルには丸見えだ。嫌がっているのがくっきりと見えており、ますます腹立たしい気持ちになる。
(なんでだ)
 助けに来たのに。こんなところまで来たというのに!
 一緒に育ってきた歳月が違うから、美和や由希には敵わない。それはわかる。だが。
(ここまで来たオレが、そんなに信用できないとでも!?)
 苛立つが、背中の亜矢の肉体の重みでなんとか踏みとどまる。
「帰るんだ、アヤ!」
「嫌よ!」
 悲鳴に近い声をあげて、とうとう亜矢が立ち上がってこちらに背を向けて走り出した。行き止まりの壁に気づき、おろおろしている。
 ゆっくりと近づき、ナギルは低く呟いた。
「……そんなにオレでは嫌か」
 問いかける声に、亜矢はぴたりと動きを止め、こちらを振り向いた。どこにナギルがいるかわからないので、視線は定まらない。
「信用できないのはわかっている。だが、時間がない。早く戻らなければここから戻れないのだ」
「? でも妖精たちは私に手伝って欲しいことがあるって言ってたけど」
「姉や弟を心配させてまでやる意味があるのか?」
 さすがに亜矢は目を見開き、後ろめたさに俯いてしまう。亜矢の弱点は美和と由希なのだ。
「帰ろう。必ずミワたちのところまで送ってやる。そんなに嫌なら、婚約も解消するから安心しろ」
 そこまで言われるとさすがにばつが悪いのか、亜矢が申し訳なさそうに眉をひそめた。
(……そういったところが、付け込まれるというのに)
 敵が同情を誘うようなことを言えば、ころっと騙されてしまうに違いない。
「そ、そりゃいきなり見知らぬ人と結婚なんてありえないから……うん。でも、ナギルには悪気はないんでしょ……」
 ぼそぼそと言う亜矢はナギルのほうへと近づいてくる。ありえない単純さだ!
(……呪いたい。ミワの心労がわかる)
 あっさりとナギルの言葉を信じるのは、そこに真実があると簡単に思ってしまうからだ。詐欺師のいいカモである。
「べつに、ナギル自身が嫌ってわけじゃなくて……ほら、最初にあんなことあったし」
 言い訳するようにぺらぺらと喋る亜矢をナギルは見つめた。
 どうやらもうあの出会いそのものは、彼女の中では単純に怖いことがあった、という過去形になっているようだ。
「ど、どうも、ほら、反射的に身を引いちゃうっていうか。ね?」
 なにが「ね?」だ。
 ナギルは唇を噛む。
「ならば、今はどうだ?」
「え? うーん……」
 なぜそこで悩まれるのだろう。怖いとはっきり言えばいいのに。
 イライラしているナギルに彼女は気づいていないようだ。
 そもそも王族の自分に対して、なんとも気安い。本当ならば、罰せられる態度だというのに、わかっていない。
「悪い人じゃないのは、たしかかな」
 なんとなく、自身を納得させるような響きで頷きながら亜矢が答えた。
「では一緒に戻るな?」
「……う、うん」
 わかった、と彼女は素直に頷く。
「こっちへ来い」
 そう囁くと、亜矢は微妙な表情になり、頬を赤らめた。
 夜目ではっきり見えたものだから、逆にナギルが焦る。
(な、なんだその顔は!)
 照れる場面ではないぞ!
 探るようにナギルへと近づき、やっと「このへん?」と言いつつ、ナギルの一歩手前で立ち止まった。
「……あの、お姉ちゃんに言われて迎えに来たの?」
「違う」
 自分から言い出したのだが、亜矢は期待外れの答えに落胆した。ナギルにとってはまたも苛立つ原因の一つになる。
「そっか……。
 あ、じゃあ、もしかして自発的に来てくれたの?」
「そうだ」
「こ、婚約者だって、言ったから?」
「当然だろう」
 端的に苛立ちを含んで言うが、亜矢は「そっかぁ」と洩らした。どうやら悲しむという感情は『欠片』のほうに収束していて、鈍感になっているようだ。
 普通なら、ナギルが怒っていることに気づきそうなものだが、彼女は気づかない。
「あ、あのね」
「うん?」
 尊大に見下ろすが、彼女には見えていないだろう。
 亜矢は懸命な表情で、頬を薔薇色に染めていた。
「ありがとう、ナギル。迎えに来てくれて」
「っ」
 ぎく、としたようにナギルは動きを止めた。
 素直すぎる。だが、不謹慎にも今のはかなり……効果的に胸に響いた。
 義理で迎えに来たとしても嬉しいと顔に書いてあった。よっぽど心細かったのだろうが、こんなに無防備では逆に怖くなる。
(いかん……)
 この娘に惚れてはならないと本能が告げている。
 泥沼にはまれば抜けられないとナギルの勘が言っていた。
 目の前に居た亜矢が煙のように消えてしまうと、やっと安堵できて息を吐き出す。
 まるで呪縛だ。
 きびすを返して階段を駆け上がったそこに、『見えないものを見る目』を持つナギルには見えていた。
 異形の姿を持つ「妖精」と呼ばれる存在たちを。
 羽虫のような小さな集団ではあるが、人間に造形がよく似ている。だが肌の色が真っ白で、背中には硬質な羽が生えている。
 瞳も、白い部分などなく、すべてが緑色だった。鼻は平べったく、口は横に大きく裂けている。
 由希が見たら「なにそれ!」と文句を言いそうな姿ではあるが、この世界では妖精たちの姿はこのようなものだ。もっとも、はっきりと見たことがある者は少ないだろう。
<帰らせない>
 全員の声が合わさっている。ズレもないその声だからこそ、一人の声だと錯覚してしまいそうになるのだ。
「どけ」
 王族としての威圧でもって、妖精と対峙した。
 一度おさめた剣を再び抜く。刃が半分しかないが、関係ない。
「剣よ、力を貸せ!」
 アシャーテによってかけられた魔術が再び発動した。

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