木暮亜矢の冒険 第一章 異世界からの訪問者4

 インコは器用に腕組みし、唸ってから頷いた。
「一理ありますな。こちらの世界でご厄介になる以上、王子もこちらの慣習に倣うべきかと思われますぞ」
「なっ……モンテ!」
「では時間がないのでこれで失礼。あ、また近況に変化があれば来ますので」
 ずいっと再びテレビの中に戻ってしまったインコは…………明らかに「逃げた」としか見えなかった。
 残された泥棒は静まり返ったまま、動けないでいる。
 ぎしぎしと、まるで油の差していない人形みたいな動きでこちらを見遣り、困惑したように視線を床に落とした。
「しゃ、謝罪に関してなのだが……」
「まずは自己紹介じゃないのかね。なってないね、異国の男は」
 いきなりお姉ちゃんが遮ったので、さらに緊張したらしくて顔が引きつってる。
 うっわー……。こ、怖い本気で。
 泥棒は瞬きを数回繰り返し、それからうやうやしく片膝をつき、優雅に腕を振る。なにその動き?
「我が名はナギル=イル=エヴァーシェン。ウルド国の第7王子となる」
 ……うるどこく? どこそれ。
 目を細めて世界地図を脳内に思い描く私と違って、横で由希が「へぇー、マジで異世界?」とか呟いてる。
「ここに滞在する折、そなたたちには迷惑をかっ!」
 そこで声が途切れた。
 何事かと思ったら、テーブルの上にあった煎餅用の皿をお姉ちゃんがナギルにぶつけたらしい。それがまた、見事に額にヒットしている。
「痛い! なにをするのだ!」
「偉そうな喋り方するんじゃないよ! なんだいその自己紹介は。なってないね!」
 おわぁ……そこですか、突っ込むところ。
 確かに綺麗な自己紹介だとは思ったけど、明らかに……その、偉そうというか……見下した感じだったのは私も認める。
「オレは王子だぞ!」
「だからなんだい」
 あっさりとお姉ちゃんが切り返した。
「ここはあんたのお国でもなんでもないんだよ。温情でここに置いてやろうって言ってるもんに対して、礼儀ってもんがないって言ってるんだ」
「……くっ、こ、この……っ」
「別の世界から来たみたいだけどさー、ナギルさん」
 悔しそうに唇を噛むナギルに、由希が頬杖をつきつつ声をかける。
「うちの姉ちゃん、すっげぇ怖いからあんまりそういう態度だと後で困ると思うぜ?」
 ……全然フォローしてない……。
 うぅ。
 仕方なく私が顔をしかめて言う。
「どこの人かは知らないけど、日本での挨拶はこうなの。
 初めまして。私は木暮亜矢です。よろしくお願いします、よ」
「……………………」
「な、なによその目」
「なんでもない。その通りにすれば良いのだな?」
 背筋を伸ばして立ち上がる。
「初めまして。ナギル=イル=エバーシェンです。よろしくお願いします」
 頭を下げる動作まで私の真似。
 でもそれだけで、美和お姉ちゃんは文句を言わなかったので及第点は出たようだ。
 ……だってあんまり不憫なんだもん。いくら私にひどいことしたからって言ってもさ……。
「まあ一応客人だ。座りな。茶くらい出すよ」
 そう言って座るお姉ちゃんに、私は呆れるしかない。……その「茶を出す」のって……私じゃないの? もしかして。
 由希が目で「ほら早く」と合図してくる。渋々立ち上がってお茶を淹れていると、座ることを許可されたナギルは、再び床に腰を落ち着けようとしているのでお姉ちゃんに説教されていた。
 …………異文化交流って、やっぱりむずかしいもんなのね……。
 四人分の湯のみにお茶を淹れて、盆で運ぶ。それぞれの前に置くと、お姉ちゃんが「うん」と笑った。
 お姉ちゃんが笑うのは珍しい。短い言葉で「ありがとう」とは言ってないけど、感謝に溢れてるのがわかる。
 由希は「サンキュ」と美少年らしくきらきらフラッシュを飛ばしながら言ってきた。……なんの悪ふざけをしているのかわからないから、やめてほしい。
 ナギルの前に置くと、誰の真似をしたらいいのかわからず困惑の目だけ向けられた。
「そこでは『ありがとう』と言うんだ」
 お姉ちゃんの言葉に頷き、ナギルがカタコトで「アリガトウ」と言ってくる。……はっきり言うけど、気色悪い。なにこの茶番。
 お茶の飲み方もわからないようで、私たちを観察しつつ、真似ている。……本気で可哀想になってきちゃった……。
「ねえねえナギルさん」
 テレビを観ていたはずの由希が、ナギルのほうへと身を乗り出してにやにや笑いをしていた。
「第7王子様って、本当?」
「本当だ」
「それって証明できる?」
 うげっ。なんてこと言うのよこの子!
 お姉ちゃんは黙ってテレビを眺めていた。ぼんやりしているから、絶対眠たいんだわ。こ、困った。眠りに戻っちゃったらまた由希のペースに逆戻りじゃない!
「できる。腕に刻印があるゆえ、それで証明できる」
「でもそれさぁ、こっちの世界じゃわかんないじゃん」
 ……どうでもいいけど、こっちとかあっちとか、由希はなんだかナギルの事情がよくわかってるみたい。……どうなってんの、このコの頭。
「確かにそなたの言うとおりだ。こちらでは、刻印の意味すらわからぬだろうな」
 尊大に振る舞いたいはずなのに、無理やり萎縮しているのは、美和お姉ちゃんがいるせいだろう。だから余計にぎくしゃくして見える。
「うちに居るってどれくらい?」
「さあ……それは宮廷内での争いがひと段落してからになるだろう」
「なんでそれで異世界まで来ちゃうかなぁ。理由とかあるんでしょ?」
「…………そなたには関係な……いや、こほん、話しておくべきか」
 美和お姉ちゃんにチラっと視線を遣り、事情を話すことにしたようだ。個人的には、聞きたくない話題。
「由希、話したくないのにダメじゃない」
「でも不審な人を家には置けないでしょ。なんだったらまどかちゃん呼んで、護衛してもらう?」
「それはイヤ」
 自称・戦う坊主を家に居させたくない。
 頬杖をつく由希は、お姉ちゃんのほうにも目を遣る。
「美和姉はさ、だいたい事情、察してるんでしょ?」
「お家騒動だろ」
 さらりと言われてナギルが真っ青になった。……うん、これが普通の反応よね。新鮮だなぁ。
 美和お姉ちゃんの直感に慣れてる人は、こういう反応、もうしないもん。……私もだけど。
「現在の王様が病気かなんかで、瀕死状態にあるんだろ。回復するかもしれないし、死ぬかもしれない。
 死んだ時のために次の立候補者たちが対立してるんだ」
「んな……っ、な、なぜそのことを……」
 絶句しているナギルを無視し、由希は「ふぅん」と洩らす。
「ありがち過ぎて、面白みもないじゃん。今どき、どこにでも転がってる設定だね」
「第一、第二、第三の勢力が強いから、そこで揉めてんだろ。第四から九番目まではどこと組むかで悩んでるってとこかね」
 ナギルが押し黙ってしまったので、正解だったみたい。
 美和お姉ちゃんの探偵直感能力がこんなところでも役立つとは……。恐るべし。
 由希は首を傾げた。
「じゃあナギルさんは、一番よさげなところと手を組むのがいいわけだ。下から二番目だから、そんなに飛び火してないはずじゃないの?
 異世界なんて遠いところまで逃げる必要性は感じないな」
「五番目が毒を盛られて死んだんだろ」
 さらっとお姉ちゃんが言うものだから、私と由希が言葉をなくした。
 言い当てられたナギルが美和お姉ちゃんを奇妙なものでも見るような視線で凝視している。
「六番目はケガをしてるんじゃないかね」
「……美和姉、すごすぎ。
 でも、なんで? いくら権力争いとはいえ、それはいくらなんでもひどくない?」
「中には過激派がいるんだろ。他のを全部消せば、まぁ継承は多少は楽になるしね」
 ……うそ。
 呆然としている私と違い、由希はもう持ち直したようだ。
「なるほどねー。異世界での殺人事件を亜矢姉が呼び寄せちゃったわけだ。で、犯人は? 美和姉」
 ちょ、ちょちょちょちょっと待ってーっっ!
「待ちなさいよ由希! さっきから異世界異世界って、ナギル……さんは、外国な人なだけでしょ?」
「……亜矢姉、いくら地球が広いからって、鳥の頭した半分人間な感じの亜人種って存在してないと思うけど」
「うぐっ。
 あ、あれはかぶりものよ! ほら、馬とかよく、トークーパンズに売ってるじゃない!」
 力んで言うけど、由希は呆れただけで納得してくれない。
 かぶりものよ、絶対に! 馬とかゴリラとかよく売ってるじゃない!
「じゃあ精巧に作った特殊メイクに決まってるわ! ハリウッドなみに!」
「いやぁ、いくらなんでもあれは無理でしょ」
 フィギュアと特殊メイクのオタクの由希が言うんだから、言い返せない。
 なにこれー! そりゃ、事件に巻き込まれる体質だってよく言われるけど、べ、別の世界? のまで呼び込むとかありえないでしょ!
「お、お姉ちゃん……う、嘘だよね?」
「ん? なにがだい?」
「ナギル……さん? が、その、地球外生命体だってこと」
「宇宙人みたいな言い方だけど、まぁ、地球のお人じゃないことは確かだね」
 がーん!
 仰け反る私はナギルを思わず睨みつける。なんなのもう! 確かにテレビからにょきにょき生えてきたけど、そういう理由だったなんて!
 由希が言うようにファンタジーなの? 嘘。誰か嘘と言って!
 頭がぐらぐらしてきて、私は一度項垂れて「ふぅー……」と深く息を吐き出した。
「だからなんかお妃問題がどうとか言ってたわけね。なるほどね。ははは」
「……亜矢姉、すごい乾いた笑いなんだけど」
「いやもう、笑いたくなるでしょうよ。異世界の王子様がいるわけよ? でも動じない姉と弟がいて、私なんて縛り上げられちゃってさ」
「たそがれるのもいいけどさ、実際『ごめんなさい』で亜矢姉は気が済まないわけでしょ? なんかして欲しいこととか言ってあげたら?」
 無難な言い分に私はハッと顔をあげる。
 そうだ。その手があった!
 そうよ。やって欲しいことをやってもらえばいいんだわ!
「由希、あんたって天才ね!」
「……うちの姉弟で成績一番いいの、俺だってことは今さらだろ?」
 なに言ってんだよと呆れ顔をする由希は、お茶をずずーっと飲み干す。
「ま、王子様って身分なんだから、どうせ何もできないと思うけどね、俺は」
 ひっ! ファンタジーによくある設定をここで持ち出すんじゃないわよ! せっかく家事をやってもらおうとしたのに!
 ナギルは顔をしかめ、由希に反論する。
「何もできないわけはない。剣術、馬術、帝王学、一通りはできるぞ」
 うっわー、つかえなーい。
 頭を抱えて再度落ち込む私を、誰も慰めてくれなかった。
 由希はニヤッと笑う。
「あっそ。でもこっちの世界じゃそんなの、全然流行ってないんだよね」
「はやる?」
 意味がわからなくてナギルは顔をしかめたけど、私も時々由希の言ってることがわからないから、気持ちはなんとなく……わかる。
「この国じゃ、やってる人はほとんどいないし、それじゃ亜矢姉の望みは叶わないってこと」
「……確かに剣術や馬術では謝罪にはならぬな」
 納得して頷くナギルはちらちらと美和お姉ちゃんを見る。お姉ちゃんはどうでもいいようにお茶をすすっていた。
「掃除とか洗濯とか、そういうのできないでしょ」
「……それはオレのすることではない」
「だから、できないんでしょ?」
 笑顔で由希が言うものだから、ナギルがカッとしたのがわかる。いやぁ、他人を煽るの本当にうまいわね、我が弟ながら。
「なぜオレがそんなことをせねばならぬ!」
「居候だからだよ」
 にやにやしながら言う由希の底意地の悪さに、私は歯向かう力がない。
 つまりはさ……なーんもできない異国の人がうちに来てて、その人が危ないってことでしょ? 最悪……。
「まさか王子様だからって、俺たちがかしずくとでも思ってるわけ? 時代錯誤もいいとこだね」
「由希、口が過ぎるよ」
 お姉ちゃんが言うと、由希が目を細める。
「でも結果として、そこはちゃんとしないといけないんじゃないの?
 美和姉も亜矢姉も俺も、あくまで父さんと母さんに養ってもらってるんだしさ。勝手に居候増やしたわけだし」
「あんたは金品を要求したいわけだね」
「滞在費だけでいいよ、俺は」
 いやいやいや! 迷惑こうむってんのは私じゃないわけ? なんでそうなるの?
 恨めしそうに見ると、由希が小さく笑った。
「亜矢姉への迷惑料とは別に。だって当然の要求じゃない?」
「あんたには温情とか、厚意とかって言葉がないのかねぇ」
 呆れるお姉ちゃんの言葉に私も頷く。
「ないよ。二人がふわふわしてる分、俺がしっかりしなくちゃ。木暮家の男としてはさ」
 立派なことを言っているみたいに聞こえるけど、結局は滞在費を要求しているだけだ。なんてヤツ!
 ナギルは私たちのやり取りを聞いていて、不穏さを感じたみたいで交互に目配せをしてきた。
「いま持ってるのはエメラルドだけなんだが……」
 手首につけている細い腕輪を外して、由希に差し出す。
「これで足りるか? その、滞在費とやらは」
「…………うーん」
 腕輪を受け取ってまじまじと観察していた由希は、目を凝らしている。
「こっちの宝石と変わらないのはいいね。ま、充分じゃない?」
 由希のセリフに溜息をつくお姉ちゃんと、睨みつける私。そんなものもらっちゃったら、立場が逆転しちゃうじゃない!
 なんていう強欲な弟なの! おねえちゃん、とっても悲しいわ!
 ふいに由希は真面目な表情になって、お姉ちゃんを見た。
「で、その第五王子を殺したのは誰なわけ?」
「由希!」
 さすがに止める私だったけど、美和お姉ちゃんはいつものようにさらりと答えた。そう、探偵がするように、いつもみたいに。
「ああ、第一王子だね」
「なっ!」
 ナギルが絶句して青くなった。
 由希は眉をひそめる。
「王位の継承権は一番なんだろ? いくらなんでも短絡すぎない? 美和姉はカラクリが読める?」
「命じたのは王子。実行したのは第二王子。やり方までは、実際に現場を見ないとわからないけどね」
 お姉ちゃんが探偵たるゆえん。恐るべき直感能力。
 それが……それがこんなところで発揮されるなんて! しかもなんかすごい陰謀が渦巻いてるじゃないの!
「第七王子は第二王子に疎まれてて、第一王子には可愛がられてるけど……ま、そこは関係ないんじゃないかね」
「へー。そうなんだ」
「異世界まで逃げてきたのは、第二王子が一番胡散臭かったからだろうさ」
 命の危機を感じたからこそ逃げてきた、っていう筋書きはわかるけど……。それにしてはあのインコ、ノリが軽かった気がするけどな。
 いやでも、ナギルが初めてこっちに来た時、すごく警戒してた理由はそれで説明できちゃうかも?
 突然ナギルが立ち上がって、部屋の隅まで後退した。
「な、何者なんだおまえたち! 魔道士でもなく、占者でもないのに、まして王宮に連なる者でもないのになぜそこまで……!」
 ああ……なんかその反応、すごくピュアでいいなぁ。もう梅沢さんもそういう反応してくれないもんなぁ……。
 美和お姉ちゃんはお茶を飲み干して、テーブルの上に湯のみを置く。
「何者って、そういえば自己紹介してなかったね。わたしゃ、木暮美和。ただの学生さ」
「俺は木暮由希。ただの学生だ!」
 なんでブイサインしてんのよ、由希は。絶対に今の、お姉ちゃんのをパクったでしょ!
 最後になっちゃった私は、溜息混じりに言う。
「木暮亜矢。木暮美和の妹にして、木暮由希の姉。学生してます」
「はあっ!?」
 ……そういう驚いたリアクション、すると思った。意味、わかんないよね。うん。気持ちは、すごくわかる。

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