ごろりとリビングのソファに転がって、私はテレビのリモコンを片手にしていた。
あぁ、土曜のお昼って、面白い番組やってないなあ。
その時だ。家の電話が軽快な曲を流して顔をあげる。
誰だろうかと思って表示されている番号を見る。あれ……なんでこの人。
受話器をとって出た。
「はい、木暮です」
<いつもお世話になっております、梅沢です>
礼儀正しい、だけど焦っている様子の声が響いてきた。お世話になってるのは私で、お世話してるのはお姉ちゃんだと思うことは口に出さない。
「どうしたんですか、梅沢さん」
<あの、美和さんは居る?>
ほらね。やっぱり。
そんな言葉が頭に浮かぶ。梅沢さんの目的はだいたいお姉ちゃんになる。あんな色気もないイモジャージのお姉ちゃんのどこがいいんだか。
「携帯にはかけました?」
<かけたけど、出てくれないから……>
なるほど。
「たぶん寝てるんだと思うんで、ちょっと待っててください」
そう言って保留にして、二階に向けて大声を放った。
「おねえちゃーん! 梅沢さんからでんわー!」
おそらく今の音量で起きたとは思う。それで、布団の中でごそごそもぞもぞ動いてから、のろのろと部屋を出て……。
がちゃ、とノブを回して部屋を出てきたお姉ちゃんが階段をのろのろと降りてきた。寝起きらしく、さらに目付きが険しい。
「梅沢の兄さんがまたわたしになんの用かね」
低い声のままで私から受話器を受け取り、電話を出ていた。
梅沢の兄さん、って……お姉ちゃんと6つしか違わないじゃん。あ、充分か。
「はいはい」
<美和さん!>
声がでかいよ、梅沢さん。私にも丸聞こえ。
「声がでかいよ、梅沢の兄さん。わたしゃ起きてきたばっかりなんだ」
不機嫌そうに応えるお姉ちゃんは、首を左右に揺らして肩を鳴らしていた。
「用件を言っとくれ」
<は! 実は少々手伝って欲しいことがありまして、こちらまでご足労願えますか!>
「やだね」
<美和さん!>
悲痛な悲鳴をあげる梅沢さんが可哀想になってきた。
「お姉ちゃん、手伝ってあげなよ」
「わたしゃ免許もないんだよ? なんでわざわざあんなところに行ってやらなきゃならないんだ」
<お迎えにあがりますから!>
がしゃん、と向こうで電話が切られた。
私は溜息をつく。
「これは、今回の事件、よっぽど大変とみたよ、お姉ちゃん」
「わたしゃ一般人なんだけどね。探偵扱いするのはやめて欲しいよ」
本気で嫌そうに言うお姉ちゃんは顔を洗いに洗面所に行ってしまった。
とりあえずは行く気なんだ……。
ジャージ姿はそのままで、身支度を一応整えたお姉ちゃんは「ちょっくら行ってくる」と、面倒そうに言うと家を出て行った。
梅沢さんの迎えを待つ義理はないって言っていたし、いつものことだ。梅沢さんもわかってると思うから……うまくお姉ちゃんを途中で拾えるといいけど。
どうでもいいけど、外行きの靴がスニーカーじゃなくて、便所スリッパって……二十歳の女としては大問題だと思う。
由希は今日はお出かけだから居ないし、久々に一人!
解放感に大きく両腕を上に伸ばし、再びソファにごろんと寝転がった。
お姉ちゃんが出向いたってことは、もう事件は即行で解決のはず。ただ、梅沢さんの苦労がうかがえる。
梅沢さん、っていうのは刑事さん。なんか一度階級とか言われたような気がするけど、興味ないからべつにいいか。
熱血。うるさい。真面目。最初はお姉ちゃんのこと毛嫌いしてたらしい。今の心酔ぶりからすれば、お姉ちゃんが絶大な効果を発揮した協力があるんだろう。
私のお姉ちゃんは、探偵だ。
いや、探偵なんてものを生業とはしていない。
だけど、物語とかマンガに出てくる探偵のような存在だとは思う。
ただ、お姉ちゃんは歩いていても事件には遭遇しない。遭遇するのはもっぱら私。だからお姉ちゃんは仕方なく助けてくれる。
ある意味お姉ちゃんは反則キャラなのだ。物語の中にキーキャラとして絶対に必要な存在。だけど現実世界では、お姉ちゃんは一介の女子大生なだけだけど。
……うん、嫌ってないけどね。
たまたま再放送をしていた探偵ものがやってる。2時間スペシャルのやつだ。
探偵ってのは、大抵なにか事件に巻き込まれて、手がかりを得て、事件を解決に導いていく。だけど実際はこんなに簡単にはいかない。
ドラマの中には解決のためのヒントがきちんと盛り込まれていて、アドバイスを与えてくれる登場人物たちしかいない。
ヒントばっかりくれるんだから、多少は迷っても、最後はゴールに辿り着くに決まってる。
「……うちのお姉ちゃんなんて主人公にしちゃったら、そもそも成立しないよねー……」
始まって数分で終わっちゃう。
テレビではちょうど探偵役の男性が必死に町中を走っているシーンだった。……こういうのもドラマでよく見る。
誰かを追うシーンによく見られるけど、闇雲に走ったって見つかるわけないじゃん。ふつーは諦めるっての。
――とまあ、こんな感じでドラマを見ていたのが30分前の私。いや、こんな状態になる前の私の出来事。
さて、なんでむーむー唸っているのかっていうと、もうちょっと説明がいる。
テレビを眺めていた私、液晶画面からぬっ、と腕が生えたのに気づいて瞼を擦った。
疲れ目なのかな。でも私、パソコンとか使わないし、両目とも視力は1.5以上っていうか……。
擦っていた手をおろすと、腕はなかった。
なあんだ、やっぱりね。ほらね。
そういうことだと思った。だってさ、なんの手品かと思うじゃない? それにテレビから出てくるって、呪われたビデオじゃあるまいし。だいたいうち、ビデオデッキないし。
ほら、ね。と自分にもう一度言い聞かせていたら、またぬっ、と腕が生えた。
あまりのことにぽかーんとしていると、さらに腕が動く。うわっ、キモい! なんか動きが怪しい!
何かを探すようにぶんぶんと手を振り回している。
ぎゃああああああ!
素早く立ち上がって、私は台所にあったハエたたきを取ってきて構えた。
「悪霊退散悪霊退散ー!」
ばしばしと無遠慮に腕らしきものをはたく。うおお、消えろ! ナムアミダブツ!
叩いていると、腕が引っ込んだ。
……はぁー。良かった。ったく、ひとん家の家電製品になにしてくれてんの。
そっと近寄ってうかがうけど、何も変化がない。良かった。穴とか空いてたらお姉ちゃんだけじゃなくて、由希にも怒られるところだった。
胸を撫で下ろしていると、腕が強い力で掴まれる。
「いやああああああああああーっ!」
大絶叫をあげてしまう。
ちょ、ちょっと! 掴まれちゃった! しっかりと! むんずと!
「お姉ちゃーん! 由希ぃぃぃぃっー!」
たすけてー!
情けない助けを求めながら、私はひたすら画面から出ていた腕を振り払おうと必死だった。
ぐっ、と腕に力が込められる。そして、画面からずるりと何かが出てきた。
ぎゃああああああ!
なになに「ずる」ってなによ! 私はナメクジとかああいうぬめぬめしたのが大嫌いなのに!
一気に血の気が引いて私の意識が、ブラックアウトした。
で、起きたら布団の上から荷物用の紐でぐるぐるに縛られて、タオルで猿ぐつわ、だったわけ。
私の前を行ったり来たりして物色しているのは、見た目はなんていうか……マハラジャ? って感じの若いお兄さんだ。お姉ちゃんより年下か、同じ年くらいだろう。
……なぜに外人がうちの中をうろうろしている?
彼はぴたりと立ち止まり、顎に手を遣って何やら考えていた。そしておもむろに私を見る。
ひっ、と身を竦ませた。ちょ、ちょっと何もしないでよー! 花も恥らう女子高生に手なんて出さないでよね!
「………………」
なにか問いかけられたようだったけど、聞き取れなかった。
怪訝そうにうかがうと、同じ事をもう一度言われた。……あのー、すいません、インドの言葉は知らないんですけど。
疑問符を頭の上に浮かべていると、男は舌打ちした。おおおーい! なに舌打ちしてんの! 私がしたいよ!
ああ、お姉ちゃん早く帰ってきて! あ、でもできるなら梅沢さん連れて来て! 逮捕しちゃって、この変な外人を!
「ただいまー」
その時だ。玄関の鍵を開けて入ってきた足音とその声に私は目を瞠る。
い、今の声は由希?
「あれー? 亜矢姉、いないのー?」
間延びした声は男の子にしてはやや高め。救世主となるのかと期待していたけど、うろうろしていた人が声に気づいて私の傍に戻って来た。
ぎゃああ! 来るな! あっち行け!
リビングに顔をひょこっと覗かせた由希は、名前の印象を裏切らない美少年だ。
華奢な体躯と、中世的な顔立ち。昔は女の子とよく間違われてたよね、そういえば。
「……すげー。なにそれ、なんのプレイ? 緊縛プレイ?」
薄ら笑いを浮かべて言う由希に、本気で腹が立った。おまえはどうしてそういう下品な発想しかしないんだ! 顔はいいのに!
ナイフを私の首元に近づけ、男が由希に向けて何か言う。もちろん、通じるわけがない。
「亜矢姉、俺、二階行ってるわ。そんじゃ、後は二人で楽しんで」
あっさりと手を振って去る由希の姿に真っ青になる。慌ててむーむー唸ってみる。由希は性格が淡白だから、興味のないことには本当に気も向けない。
「帰ったよ」
はあああああ! 神様ありがとう!
美和お姉ちゃん、妹の窮地を救いたまえ〜!
玄関からあがってくるお姉ちゃんのほうを由希が見ているのが、こっちから見える。
「あれ? どっか行ってたの、美和姉」
「まあ。ちと、梅沢の兄さんに呼び出されてね」
「またかよ。相変わらず無能なんだな、あの刑事さん」
さすが、辛らつな口と美しい面立ちのギャップが有名なうちの弟。ずばり言っちゃった。かわいそうな梅沢さん。
「しかし、由希、そこで何してんだい? 邪魔だよ」
「ん〜? なんか亜矢姉が緊縛プレイしてるから、眺めてるとこ」
おおおおい! なにが緊縛プレイだ! ひとを変な趣味がある人みたいに言うな!
「あれま。あの子、顔はいいのに変わってるからね。そういうのに目覚めちゃったのかい?」
目覚めるかあー!
由希がにやにや笑って、視線だけこちらに向けた。おのれ! わかっててやってるな、この悪辣弟め!
足音がする。お姉ちゃんが由希の向こうからこっちを見た。ひぃ! 首にな、ナイフの感触が……。
気を失う手前の私を見て、お姉ちゃんが無言になった。
「緊縛というよりは、SMプレイじゃないのかねえ、あれ」
「そうかな? だって亜矢姉って痛いの苦手だからね」
おまえら……殺す。
と、お姉ちゃんが何かを素早く投げつけた。それを叩き落とそうと男が動く。
「俺のケータイ!」
悲惨な声を由希があげた。携帯電話は弾き飛ばされ、どこかにぶつかった。なんか壊れたんじゃない? って音までしてたけど……。
男が私を押さえつけて動けないように力を入れた。でもその時にはお姉ちゃんがもうこっちに踏み出していた。
さらに何かを投げてくる。お姉ちゃん! 妹が人質にされてるのになんでそんな簡単にー!
自分の携帯だったらしく、それも叩き落とされる。だけど、もうお姉ちゃんはすぐそこだった。
足でソファを勢いよく押して、こっちに動かす。見事に男に当たった。よろめいた隙に、気づけば由希が傍まで来ていた。
「まったく、世話ばっかり焼かせるなよな、亜矢姉」
「む〜!」
感動して唸ると、由希がにやっと不敵に笑った。